黒い瞳のジプシー生活

生来のさすらい者と思われた私もまさかの定住。。。

武蔵武士の夢の跡

2010-02-24 23:15:02 | 歴史系(ローカル)


今日、埼玉県富士見市にある城跡
「難波田城公園」に足を運んだ。
難波田(なんばた)城は、1546年の「川越夜戦」で戦死した
難波田憲重(扇谷上杉朝定の家来)の城だそうである。
川越人の私にとっては自動車で30分程度の距離にあるので
その場を通りすがるたびに気になっていたのだが、
旧武蔵国に点在する小規模な城跡と江戸城を
紹介した本『むさしの「城跡」ウォーキング』
(著:平野勝 東京新聞出版局 2007)にも
「郭や虎口や水堀や土塁が復元され、歴史資料館や
移設した古民家もある」というふうに書かれているので
行ってみようと思った次第である。
難波田城公園は、平成12年度に整備が完了したようだが
植物の手入れや掃除が行き届いているのか清潔感がある。
ゆっくり時間をかけて敷地内を回ってみても
1時間しかかからない程度の敷地だが、
それだけに城や地域の歴史を納得のいくまで
じっくりと学ぶことができて、かえって楽しかった。

上の本の一部とウィキペディアを要約するに、
難波田氏は平忠常(1031年没)の末裔の一派
(武蔵七党の村山党から派生した金子氏)であった。
保元・平治の乱(1156~1159)で活躍した金子家忠の兄弟の
金子高範が平安時代末期(12世紀後半)に難波田城を構築し、
彼自身も「難波田」を名乗るようになったのが始まりとされる。
かつては私の地元・川越にも平良文の末裔の一派
(「坂東八平氏」の一派・秩父氏の流れの)河越氏が
いたようだが、その河越氏は南北朝時代に没落したし、
難波田氏のほうも、「川越夜戦」での憲重の戦死と
主家・扇谷上杉氏の滅亡がキッカケで没落したらしい。
(河越氏も難波田氏も、完全に血筋が絶えたわけでは
ないようであるが)。
その後、難波田氏という主を失った難波田城には
小田原北条氏の属将の上田氏が入城したが、
北条氏が秀吉に負けると難波田城は廃城になった。

なにも武蔵武士だけが経験したことではないだろうが、
やはり上の本の著者も記しているように
平安時代末期には武勇をとどろかせた武蔵武士たちも
鎌倉時代以降は執権北条氏、足利氏、上杉氏、
小田原北条氏などといった時の権力者に翻弄され、
かつての栄華も今は昔といったところだろうか。
今日、実際に足を運んで初めて気がついたが
難波田氏の本城があったとされるところには
いま現代的な一戸建てが数軒建っている。
武蔵武士たちがそこに生きた証である地名だけは、
これからも地図上から消されずに守られることを祈る。


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