黒い瞳のジプシー生活

生来のさすらい者と思われた私もまさかの定住。。。

日本陸軍による旅順攻略

2011-12-04 23:59:23 | 歴史系
NHKのドラマ「坂の上の雲」が、今年も
今日から始まった。この度のドラマの内容は
旅順にあったロシアの要塞を日本陸軍が
攻略するというものらしい。
前回まで、ドラマでは、日本海軍が旅順港に
こもるロシア艦隊に対して作戦を遂行したものの
ことごとく不発に終わる様子が描かれたが、
そうしてしくじった海軍に代わって今度は陸軍が
旅順を攻略するといった理解でいいものと思う。
私は「坂の上の雲」の時代に関しては
江姫の時代以上に不案内なのでますます
自分の書くレビューに自信が持てないところでは
あるが、まあそれなりに少し書いてみたい。
なお、このたび参考にしたのは『写真で読む
「坂の上の雲」の時代』世界文化社 2009 
である。それにしても、あのような肉弾戦で
よくも陸軍は勝てたものだと不思議に感じた
(何年も前から知っていたレベルの史実とはいえ)。

あのとき陸軍が苦戦を強いられた理由について、
日露における物量と兵力の違いや旅順要塞に関する
情報収集の難しさはドラマでも述べられていた
ようだが、その他にはどんな理由が考えられるの
だろうか。この点について上述の本を読んだ
ところでは、破壊力の大きい砲弾の欠如が
あげられている。日清戦争のころは人馬が標的
だったのでそれでもまだ有効だったのだが、
このたびの相手は旅順の堅固な要塞であるため
破壊力のある大口径火砲と榴弾を使わなければ
ならず、陸軍はこれが欠如していたために
射撃してもその甲斐がなかったのではないか、と
分析している。

ところで、「坂の上の雲」では旅順要塞を
どこから攻略するのかという点について
乃木希典と児玉源太郎が意見を戦わせている
シーンがあったと思うが、同書ではこれに近い
状況が乃木と伊地知幸介に対する司馬遼太郎の
評価の決め手となったのではないかと
分析している。同書によれば、陸軍による旅順
攻略当時、井口省吾という満州軍参謀が、
伊地知幸介の主張する正面攻撃に猛反対して
西方迂回攻撃を主張した。実際には正面攻撃が
採用されたわけだが、正面攻撃によって多くの
兵士の命が失われたうえに何度も失敗したから、
その後の陸軍大学校では「結果論的に井口の
西方迂回論が正しかった」と見なされるように
なった。井口はそうした時代の陸軍大学校で
校長に就任し、谷寿夫という人物が生徒として
学んだ。その谷という人が第2次大戦前に
『機密日露戦史』を執筆し、伊地知幸介について
批判的なことを書いた。そして、のちに司馬
遼太郎がこれも参考にして『坂の上の雲』を
書いた。――『坂の上の雲』では特に伊地知に
批判の矛先が向けられているが、その原因は
おそらくここにあるのではないかということだ。

『坂の上の雲』で評価が低いといえば、
このたび遼陽から撤退したクロパトキンも
そうだったらしい。クロパトキンが予定通り
退却した理由について同書では、「クロパト
キンは早々に退却することで兵力の増強をはかる
つもりだったのだろう。ロシア軍には兵力差で
敵を圧倒するという伝統があるのでクロパト
キンもそれに従ったのかもしれないが、
この場合はむしろ後退しないほうがロシア軍に
とって得策だったのではないか(なぜなら後退
しなければ日本が戦争を続ける体力を奪うことも
できたかもしれないから)」――と分析している。


最後に、日本陸軍の一兵士がつぶやくように
歌っていた熊本県民謡「五木の子守唄」だけ
紹介したい。この歌の主人公はおそらく
親元を離れて人さまの子守奉公しに行っている
貧しい子供だろうが、どことなくドラマでこれを
つぶやいていた一兵士自身のようでもある。
なお、たしか「おどま」は「私は」、
「かんじん」は「乞食」、
「よかし」は「金持ちさん」を意味すると思う。
この歌を歌っていたシーンはほんの一瞬のはず
なのに、なぜかとても印象に残っている。

p.s.後日ウィキペディアの五木の子守唄の項を
見たところ、「かんじん」とは「乞食」という
意味だそうなので、急きょ修正しました。
失礼しました。


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