goo blog サービス終了のお知らせ 

黒い瞳のジプシー生活

生来のさすらい者と思われた私もまさかの定住。。。

裏を知る楽しみ

2008-11-16 23:56:26 | 歴史系
今日は大河ドラマで鳥羽・伏見の戦いが話題だったので、
それに関する歴史の話。
大河ドラマは、慶喜に関しては
「プライドが高いために失敗を恐れる性格で、
そのためになかなか将軍になろうとしなかったり
大阪から逃げてきたのかな」というイメージをもったところだし、
本当は「大河ドラマの話。」といきたいところだが、
ドラマの慶喜が篤姫をバカにしているという点を
どうして篤姫は見抜くことができたのか
社会経験の浅い私にはついに分からなかったので、
ドラマそのものの話は今日はしないことにしたい。

今月2日の記事にも付け加えたが、今日調べたところによると
和宮が京に戻ったのは幕府が滅亡してからのことらしい。
(ウィキペディアで確認したから間違いない)
迂闊にも本やネットで確かかどうか確認することを忘れてしまい、
申し訳なかったと思う。

だが、やはりあの時代の知識をかじらずにはいられない。
例えば、(これもウィキペディアで確認したが)
鳥羽・伏見の戦いの勝敗の決め手となった「錦の御旗」も
倒幕側が勝手に捏造したものらしいが、
それを知るとますます大河ドラマの幕府よりの主人公たちに
悲劇を感じることができるし、
慶喜の正室・美賀が大奥に来なかった理由が
篤姫と和宮たちの猛反発によるものであった
(つまり、美賀が来てくれなかったのではなくて
篤姫たちが意地でも来させなかった、ということになる)
という点も、知りながら大河ドラマを観ていると面白い。
(『ビジュアル版 最後の藩主』著:八幡和郎 光文社 2004 による)

黒人の歴史が動いた

2008-11-13 00:51:17 | 歴史系
これまた久々に、NHKの「その時歴史が動いた」の話。
今日は、アメリカで人種を超えた自由と平等を掲げて
黒人にムーブメントをもたらしたキング牧師だった。
番組の冒頭でも紹介されたが、時、折りしも
アメリカ史上初の黒人大統領の誕生を迎える昨今。
私は偶然オバマ氏の勝利宣言を一部始終聞いていたが、
作業しながら聞いてるうちに手が止まるほど
なんだか感動的な演説であった。
特に、106歳の黒人のおばあさんに関する話が――
CNNの調査(こちら)を読むにつけても、
オバマ氏の、とりわけ黒人に与えた感動が
大きかったことが容易に想像できる。
またオバマ氏は、日本の福井県小浜市の存在も
覚えていてくれたようで、オバマ氏と小浜市の今後も
気になるところだ。

何年か前に別の掲示板で述べた記憶があるが、
カトちゃんがドリフのなかで
「チョットだけヨ~」と言いながら芸をする際に
流れているBGMは「タブー」という曲である。
実はあの曲にはもともと歌詞がついていて、
その歌詞の背景には人種差別があった。
それは1934年にキューバ人が作曲したもので、
歌の主人公は、歌のなかでこう自分を戒めている:
「もしそこで、黒人の男が、白い女に会ったならば、
それはタブーだ」と。
この歌の時代、まだキング牧師は子供だっただろう。
キング牧師が牧師として黒人を啓発させようとする
以前の黒人は、その歌のような調子で
自分たちが差別されていることに甘んじていたの
かもしれない。

いつの時代の人かは忘れたけれど、
同じく人種差別と戦った黒人女性運動家に
メアリー・マックラウドという人物がいたことを
かつて高校の英語の授業で習ったことがあった。
人種差別と戦う彼女のことを学びつつも
私自身はそのとき睡魔と戦っていたのだが
(というより英語の時間は、話の内容に関わらず
一年中睡魔と戦っていたのだが)、
そのとき習った彼女のこんな風な言葉だけは
今でも忘れずに記憶に残っている:
「この花瓶には、いろんな色の花が混ざっているね。
赤い花だけとか白い花だけとかじゃなくて、
いろんな色のが混ざっているから、キレイなのよ。」
――彼女は、様々な人種を様々な色の花に例えて
人種の壁を乗り越える大切さを子供に説いているわけだ。

翔ぶが如く

2008-11-06 23:59:59 | 歴史系
最近、時代劇専門チャンネルでの大河ドラマ
「信長」が終わり、同じ時間に同じく大河ドラマの
「翔ぶが如く」が放送されている。
ちなみにたしか信長は、実は本能寺に蓄えられていた
火薬によって爆死した、という話を聞いたことがあるが、
いずれにしても衝撃的な最期だったと思う。

「翔ぶが如く」は、西郷隆盛を主人公にしたドラマである。
(ちなみに主演の西田敏行さんは、福島県の中通り出身。)
「翔ぶが如く」では島津久光役を演じている
高橋英樹さんの姿をパッとみると、一瞬
どっちの役だったか分からなくなることもあるが、
個人的には面白いと思う。

「翔ぶが如く」の西郷隆盛は、
リアリストの大久保利通とは対照的な
情に厚い人柄のようだが、
個人的には三谷幸喜さんの西郷像に共感している。
すなわち、記憶が正しければ、三谷さんは
「西郷隆盛はただ単に情が厚いだけでなく、
なかなか手強い策士でもあったのではないか」と
おっしゃった気がするのである。
(三谷さんは、2004年の大河ドラマ「新撰組!」の
原作者だった)
龍馬の暗殺に関する西郷黒幕説を知ったためではなく、
策士でもないと、新政府軍の総帥は務まらない
気がするから(これも三谷さんがおっしゃっただろうか)。
もっとも、「翔ぶが如く」の西郷隆盛も、
歴史の大舞台では策士ぶりを発揮するのかもしれないが。

幕府をどうするか

2008-11-02 23:59:59 | 歴史系
今日は久々に、大河ドラマの話。
話はもはや、大政奉還と坂本龍馬暗殺まで話が進んでいた。
今日はまた、和宮さまお付の女官の中で
最も江戸ものに反抗していた女官が亡くなった。
身分や地域性の違いに厳然とこだわり続けた彼女の死は、
身分や地域性を越えた新しい政治の幕開けを
象徴しているかのようである。
聞くところによると、実際の和宮は
一旦京に帰ってしまったようだが
(そして明治天皇の東京遷都と共に再び江戸に来た)、
ドラマが史実とは違う演出になっている理由も、
「身分や地域性を越えた新しい政治の幕開け」を
表現したかったからなのかもしれない。

(P.S.後日調べたところによると、
和宮が京に戻ったのは幕府が滅亡してかららしい。
間違ったことを載せてしまい、失礼いたしました><)

だが、「幕府を維持させるかどうか」に関する
志士たちの考えの違いは、たしかにあったのかもしれない。
小松帯刀のことまでは知らなかったが、
少なくとも坂本龍馬は大政奉還が成ったときに
「徳川慶喜のために一命を捨てよう」と言ったそうだし、
龍馬と共に斬られて亡くなった中岡慎太郎は
龍馬と違って武力倒幕派だったようだし、
西郷隆盛も・・・江戸を焼こうとした人物なら
武力倒幕派ということだろう。

ところで、『幕末――その常識のうそ』の著者、
北岡敬氏は、龍馬を暗殺した人間の黒幕は西郷隆盛で、
しかも龍馬と共にやられた中岡慎太郎が
手引きをしたのではないか、という推測をたてている。
その根拠をごく簡単に紹介すれば、
暗殺される前日に龍馬と口をきいた人でないと
知らないような、事件当日の龍馬の居場所へ
暗殺者は迷わずに直行し、部屋の中で蹴つまずくこともなく
龍馬を暗殺したので、最近龍馬の近くにいた人間が
手引きしたのではないか、という話である。
そして消去法で「中岡慎太郎が怪しい」ということになり、
中岡慎太郎が直前に使いを送っていた先の
薩摩屋敷にいた人間は西郷隆盛だったから、
西郷が黒幕ではないか、ということである。
幕府を維持しようと考える龍馬は
倒幕派にとっては邪魔な存在だから、その意味では
中岡と西郷が竜馬を殺そうとしても不思議はないし、
中岡が龍馬と共に斬られたことも、西郷による
口封じのためと考えられるそうだ。

私は高校時代、幕末維新の時代が好きではなかった。
混沌としていて暗記に苦労したというのもあるが、
日本全体がこんなにも欧米の帝国主義に
ふりまわされたという事実が悔しかったのだ。
だがそれでも、植民地になるよりはまだマシだったと
思えるようになったし、
なにより、サムライたちが自分たちの手で
サムライの世を終わらせたという皮肉な感動がある。
もっとも一口にサムライといっても
身分はピンからキリまであるし、
主義主張だって千差万別なのだろうが――

川越祭り

2008-10-19 00:34:55 | 日常
昨日、今日と、地元・川越で川越祭があった。
川越祭なるものは、江戸時代・慶安のころ
(17世紀半ば)から始まった氷川神社のお祭である。
大江戸では(たしか明治維新を機に)廃れた
行事であるが、この小江戸では今も続いている。
今日の昼間、私はやはりこの祭を見に行った。
お囃子の音やお面をかぶった踊り、そして
てっぺんにある人形(牛若丸とか、八幡太郎とか)を
見ると楽しくなるが、私がそう思えるようになったのは
ホントは大人になってから。子供の時分はむしろ
山車よりも屋台の食べ物に興味があったのだった。

今日、私が比較的よく見ることができた山車は、
以下の四つ。
まず、元町・牛若丸の山車(左)と、
野田五町・八幡太郎(源義家)の山車(右)。
これらは比較的新しい。

 

一方、仲町・羅陵王の山車は、幕末である
文久二年の作品である。この山車だけは、私がいた
時間(13時すぎから)にはなぜか
なかなか羅陵王の人形を出してくれなかった。



だがさらに、それよりももっと古いのが
幸町・小狐丸の山車で、人形は天保6年以前らしい。
山車はこれら四つの他にも何台か見たが、
木製のレリーフの彫刻が他より圧倒的に素晴らしい。
素人目にも違いが分かるぐらい――
(と言いながら、写真におさめるのを忘れしまった^^;)
たしか、幸町にはたくさんの大店がついていたそうだ。



日曜の14時になると、その時に出ている山車は
市役所前に全部集結するらしい。
今日は8台、私は最後にその様子をとらえた。
たしか右から、川越市、連雀町、仲町、新富町、
菅原町、幸町、元町、野田五町だったかな??


幕末偉人の引き際

2008-10-15 00:45:52 | 歴史系
日本テレビ系の、「日本史サスペンス劇場」なる
番組を2時間ほど観ていた。この番組については、
「歴史を動かしていたのは女たちだったのだ!」などと
強調してるのを聞いたりして、くだらないな~と思いつつも
都合の許す限り毎回楽しみに見ていた。
今日の放送では最後に、明治時代の篤姫が
どうやって暮らしていたかについてを題材にしていた。
番組では取りあげられなかったが、
明治時代の篤姫と仲良くしていた勝海舟自身は、
当時、徳川慶喜の名誉回復のために奔走していたようだ。
幕末期では何度も意見が対立し、
何度も幕政から遠ざけさせられた相手である、慶喜の。

独断と偏見かもしれないが、
勝海舟も篤姫も、時代が明治に変わると
あまり政治に対して出しゃばらなくなったのだろうか。
もしかすると坂本龍馬や西郷隆盛にも
似たようなところがあったのかもしれないが、
必要以上に過去に執着しすぎないところや、
「自分の役目はおおかた終わった」と言わんばかりの
欲の無さや潔さが、なんだか清々しい。

フラメンコと私

2008-10-11 18:14:52 | スペイン・中南米系
今日は、珍しくフラメンコの話。
ブログパーツにしてるyoutubeを、フラメンコに変えたので――

私は、フラメンコほど仲の良い友人を持ったことがない。
ただ、付き合いは中学以来でも、
フラメンコがらみの本を読んで多少なりとも
研究しよう、などとは考えたことがなかった。
言葉が全く分からなくても感動するものが多かったから、
情報収集の必要などないと思っていたのかもしれない。
あるいは、敢えて知らないままでいたかったのかもしれない。

そのため、本当のところカルメン・アマジャが
踊っている姿も、最近になって初めて観たものだった。
たまたま買ったCDに収録されていた彼女の
サパテアード(足踏みの音)の力強さが印象的だったので
名前だけはなんとなく覚えていたのだが、
ものの本によるとどうやら彼女は天才と言われているようだ。

ちなみに、なぜ最近になって「ものの本」などを
読むようになったのかというと・・・
それはたぶん、実際にフラメンコを習うようになって、
先生からフラメンコに関するウンチクを
聞くようになったために、
好奇心に駆られたからなのかもしれない。

信長のリアルな一面

2008-10-06 19:06:00 | 歴史系
なにやら、久々の更新になってしまった。
忙しいというより時間がうまく作れなかったり、
具合が悪かったり、本当に忙しかったり、と。
よく覚えてないけれど、最近は
良くない夢をみることも多く・・・
大して気にしていないけれど、ちょっとひっかかる。

さて、私は今『別冊歴史読本 天下布武 織田信長』
(新人物往来社 2007)という本も借りている。
まだあんまりよく読んでないのだが、
信長に対する評価が学界と一般とで乖離している
という話が面白いと思った。
どうやら、信長以外の大名も、大なり小なり
信長と似たような革新的政策を行っていた事が
分かったとか、
中世的権威に対する態度が一貫してないとか、
天下人としての政権構想に最後まで迷いがあった
かもしれない等といった理由から、学界では昔よりは
信長の評価が相対的に低くなっているらしい。

信長の功績について論じられるくらいの知識など 
私にはないのだが、少なくとも私には
信長のこうした政治的な不徹底さを示す話が
とてもリアルに感じられた。今川義元と戦うときも、
畿内に信長包囲網ができて絶体絶命になっても、
まるで想定の範囲内であるかのごとく
驚きも恐がりもしないで冷静に対処していくような、
ベタな信長像よりも――

ちなみに、今も時代劇専門チャンネルで再放送されている
大河ドラマの「信長」は、そのベタな信長像よりも
リアルだと思う。(どこまで真実かはともかくとして)
キクトコロニヨルト、そのドラマの信長は
どうして桶狭間の戦いに勝てたのか
自分でも分からなかったらしいし、
その後、信長包囲網ができた際には
自分と一族の破滅を本気で覚悟したそうだから。
そして、せめてそれぐらいは臆病でいたほうが
かえって成功できるに違いないと、私には思われたから。

車が無い!…夢

2008-09-30 16:49:07 | 夢日記
昨日、体調不良で1日寝ていたせいか
今朝見た夢は珍しくよく覚えていた。
ちょっと記録しておきたいと思う。

まず夢のなかの私は、神社らしきところから
普段から自分がよく通る地元の道路に出た。
しゃべってる内容からすると、どうやら私は
福井から地元に帰ってきたところのようだが、
映っている景色からしてとてもそうは見えない。

道路に出ると、私は一人ではなく
昔の友達と、3歳ぐらいの子の2人がいた。
3歳の子は、かつてアルバイトしていた保育園で
私になついていた子であった。
今となってはもう、私のことなど忘れているだろう。
また、時間帯は空の色からして夕方であった。
そこで私は、2人に「家まで車で送ってってあげる」と
言っていたのだが、そこにマイカーは無い。
にもかかわらず、私はあたかもすぐそばに
駐車しているかのようにこう言い、2人を送ってく
ルートまで考えているのであった。
ちなみにそれは、とても歩いて行ける距離ではなかった。

ここで、私のいる場所がガラリと変わる。
先の2人は姿を消していて、今度は私一人。
場所は、2人を送ってくルートの途中地点で
国道からインターチェンジへと分かれているところだが、
やはりそこにマイカーは無い。
ちなみにそこのICは実在しないのだが、
東京方面の高速道路で
何年か前(同じく浪人後)の夢にも出てきたICである。
当時の夢の私にはマイカーがあって、
高速道路には入らなかったが国道をブッ飛ばしていた。
――話を元に戻そう。
今朝の夢の私は、その国道の脇にある歩道にいて、
その歩道は高速道路に沿っていた。
私は、その歩道をこれから歩いてくつもりらしかった。
さしあたりの目的地までの距離は、2、3コ先の
ICまでで、やはり本来歩いて行ける距離ではない。
それでもそこにマイナスの感情はなくて、
一瞬、幕末の風を切って歩く龍馬に自分を重ねた。

ところが、ここで私は誰かに声をかけられた。
ふりかえると、私は荷物を持ち忘れているという。
他の人が置いてったと思われる荷物をかき分けて
自分のものを数点見つけだしてみれば、
抱えきれるか分からないほどの結構な量だ。
中身は、手作りのお弁当や差し入れなどの食べ物が多かった。
身軽に歩きたいので置いていこうかとためらったが、
置いていくのも、それらをくれた人たちに
申し訳ないと思い、全部持っていくことにした。
荷物の中身をよく見てみれば、荷物をまとめて
数を減らすことはできそうだったので、そのようにして
荷物をまとめ、坂をくだって高速道路沿いの道へと進んだ。

――と、今朝の夢は、ここで終わった。
私としては、遅くてもちゃんと目的地にまで
着くことができたのかが気になるところだ。

テンプル騎士団

2008-09-27 22:47:57 | 歴史系
「最近、本を読んでないな~」と思って
久々に図書館に行ったら、テンプル騎士団に関する
概説書を見つけ、ザッと見て
内容が面白そうだったので借りてみた。
カレが最近話題にしたなかで、
私にとってその存在すら全く知らなかったのが、
このテンプル騎士団というものだった。

テンプル騎士団というのは、
十字軍遠征によって獲得した聖地エルサレムや、
キリスト教の巡礼者をイスラム教徒から守るために
結成された数々の宗教騎士団の一つで、
聖地では聖ヨハネ騎士団とともに双璧をなしたという。
だがカレの話によると、
テンプル騎士団はこうした役割を持っていたという
一般的に知られた話とはまた別に、
所有すれば世界征服できると言われる聖遺物を
持っていたとか、「ダ・ヴィンチ・コード」によれば
テンプル騎士団はキリストの奥さん(?)の
遺体を守っていたという伝説もあるそうな。
それはそれで面白いと思うのであるが、
あいにく私自身はカレほど伝説には詳しくないし
私が借りてきた概説書にも
こうした伝説は一切載っていなかったので、
ここでは概説書に載っていた話のみを話題にしたい。

薄い概説書を一冊読んだだけであるが、
テンプル騎士団の軍事的な掟の、なんと厳しいこと。
勝っても敵からの身代金を受け取らない、
負けても味方のために身代金を払わない、
そして、挑まれた戦いは勝算を度外視して
全て受け入れ、聖地のために死ぬまで戦うという。
なんだか厳しすぎて美しくさえ思えたりもする
姿勢だが、合理性には欠ける。

なぜ、いつから、どれぐらいのスピードで、
どの程度、彼らが堕落していったのかは
私には一概には分からない。だが堕落する前なら、
世俗の騎士よりも厳しい生き方を選んだ
彼らは立派だったのかもしれない。