夏休み。
今年も何処に行こうかと思っていたところ、3月に東北を一緒に旅した友人から「日帰りでどこか行きたい」とのお誘い(?)が。
話しているうちに、海を見ること、何かおいしいものを食べることが主目的として挙がり、中部、信州、中国など幾つかの候補が思い浮かび、提案と妥協を重ねた結果(笑)、日帰りで行けるギリギリの範囲且つ、2人とも久しく訪れていない広島が行先として決まりました。
例によってプラン作成を任されたので、基本は青春18きっぷとして、行きは思い切って新幹線。それでも幾らかの出費を抑えるため、新大阪から姫路まで在来線特急を利用して乗継割引を効かせることにしました。
8月5日。
6時半過ぎの京都駅で待ち合わせて、改札で18きっぷに2人分の日付印を捺してもらい、さっそく快速電車に乗り込みます。
この時間の快速は京都を出ると長岡京まで停まらないので、西大路や桂川の内線を通過する様子は久々で新鮮なものでした。
京都6:51発→新大阪7:23着
ラッシュで満員状態の快速をどうにか降りて、新大阪駅の新しくなった特急ホームへ移動。
夏休み中の鉄道少年たちが先行の「びわこエクスプレス」にカメラを向けていて、昔の自分を思い出したり。
以前のように列車を撮って何時間も駅に居るということは少なくなりましたが、原点を忘れないことは大切です。
新大阪7:30発→姫路8:35着
(姫路で撮影)
新快速が走っていない時間帯なので、予め用意していた切符に切り替えて「スーパーはくと1号」で。
普通ならば新大阪から新幹線1本ですが、全行程を預かっているので支障ない範囲で趣味も織り交ぜます。(笑)
自由席は満席に近い状態で、新大阪や大阪での降車、大阪から三ノ宮・明石といった短距離の利用もあり、混雑を避ける手段としての特急利用が定着していることを実感しました。
友人も「景色の移り変わりが良かった」と、阪神間を抜けて播磨へと至る車窓を楽しんでくれたようで何よりです。
姫路では恒例行事(?)、乗り換えの時間を利用してえきそばで朝食を。
和風ダシなので食べやすく、早朝出発の時は食欲が無くあまりお腹に入れず出発してしまうものですから、午前中に姫路を通る場合はなるべく寄るようにしています。
それから新幹線ホームへ。
姫路9:00発→広島10:01着
新横浜始発の「ひかり493号」です。
広島までは1時間。特記することもなく退屈な時間だったのですが、新幹線を利用するぶん、現地でかなりの時間を確保出来るので仕方ないところでしょうか。
広島到着後は広電で原爆ドームへ。
原爆ドームは2年半ぶりの訪問となりました。翌日には原爆投下の日を迎えるということもあり、炎天下、念仏の声や核兵器廃絶の署名運動が盛んにおこなわれていました。
傍らには被爆瓦の展示も。
橋を渡って資料館へ向かいます。
丹下健三による設計の平和記念資料館。広場には既に式典の準備がされています。
前回訪問は高校1年生の夏休み、今から約7年前。
当時から戦争や平和について興味・関心を抱いていたことは確かですが、広島や長崎が修学旅行先ではなく、また平和教育というものを受けてこなかった(少なくとも、そう称した授業が無かった)私は、初めて知る戦争、そして原爆の悲惨さに衝撃を受けました。
そう、当時は「衝撃」だけが印象として残っていたのですが(悪く言えばそこで思考停止していたのでしょう――)、それからの7年間、当時を知る人々の話を聞く機会にも恵まれ、大学では仲間とたびたび議論を交わし、教職課程を通じて平和教育についても考え、また平和博物館でアルバイトを経験した後では、原爆の悲惨さはもちろんのこと、そこに加えて、今後の諸課題(たとえば直前に遭遇した核兵器の廃絶であったり、理想的な平和教育の在り方、憲法改正、等々をどう解決していけばよいか)といったことを思い浮かべました。
この旅行の後に上梓された社会学者・古市憲寿さんの『誰も戦争を教えてくれなかった』は、日本はもちろん、世界各地の平和博物館を訪れた上で独自の戦争論を展開されていて、年齢も近いことから、私のこれまでの思考を整理するのにとても役立っていて、今も読み進めているところです。
資料館を出ると、川を挟んで一直線に原爆ドームが見渡せます。
これも丹下健三の狙いだそうです。
こうした建築的視点から資料館を見るのも今回の目的の一つでした。
そして、しばらく時間があったので川沿いのベンチに腰かけて話していると、「被爆電車」と書かれたプラカードに小学生たちの列が出来ていたのを見かけたので、橋の袂でしばらく待ってみることに。
ほどなくして現れたのは被爆電車・652型。
何度もここを訪れていながら、初めての遭遇でした。
続行で651型も通過しました。
信号待ちで停車したので、少し歩いて追っかけ。
68年前に被爆した車両たち。
当初は復興の希望となり、そして現在は当時の生き証人となって広島の街を走っています。
塗装の上からも経年劣化が窺え、走っていること自体がもはや奇跡と言えるのかもしれませんが、今後も可能な限り歴史を伝え続けてほしいものです。
もちろん、お決まりの京都市電も。
この辺りで時間もちょうどお昼となったので、再び広電に乗って八丁堀の「みっちゃん」へ。
お昼時ということで20分ほど列に並ぶことになったのですが、待っただけのことはありました。
注文したのはオーソドクスに肉玉そば。
思っていた以上にボリューム満点で、量の多いお好み焼きは普段から大学近くのお店で慣れているつもりですが(笑)、なかなか食べるのに苦労しました。
それから広島駅へ戻って、呉線の快速「安芸路ライナー」で呉へ。
広島13:30発→呉14:03着
(呉にて撮影)
やって来たのは黄色の103系D-01編成。原型で残る最後のクモハ103が入った編成です。
数年前までは中国地方でも多く活躍していた103系ですが、いつの間にか3編成9両のみとなってしまいました。
勢力は縮小されてもここ呉線では花の快速運用。行楽客で賑わう車内にモーター音を響かせ、対向列車を待たせて小駅を通過する様子からは「まだまだやれる!」といった気迫が窺えました。
呉ではゆめタウンを突っ切って、大和ミュージアムへ。
こちらも7年ぶりの訪問です。
ここは軍事博物館に分類されるのだと思いますが、同じ広島でも呉は軍港で栄えた歴史があるのもまた事実。
ちょうど先月は舞鶴を訪れたこともあり、共通点のある両者は合わせて是非訪れてみたいと思っていました。
肉じゃがは結局どちらが発祥なのでしょうか。(笑)
テラスに出て、呉の港を眺めました。
海を見るというのも今回の目的の一つ。一応、京都府は日本海に面していますが、瀬戸内海の方が好きですね。
帰りは…
呉15:19発→広島16:07着
臨時快速「瀬戸内マリンビュー」の指定席で。
呉駅で空席を尋ねると空いていたので乗ることにしました。行きは30分ほどで着いた道のりを、小一時間かけてゆっくりと戻ります。
「マリンビュー」は呉で20分の停車中に「安芸路ライナー」に追い越されるので、自由席はもちろん指定席の車内はガラガラ。
ソファーシートに腰掛けて、瀬戸内海を眺めながらしばしのクルーズ気分を楽しみました。
おやつはゆめタウンのミスドで買ったポンデリング(桃)を。
観光列車と言えば最近では水戸岡デザインの車両が地方ローカル線の起爆剤として徐々に勢力を拡大していますが、こちらも指定席券だけで乗れる列車としてはなかなかのグレード。自由席車を1両設けて地域輸送も合わせて担っているところがおもしろいところですが、呉線最大のセールスポイントである海を眺めながらまるで部屋のように寛げる空間は、JR西日本にもこのような楽しい列車があるのだということを再認識させてくれました。
検札と共に乗車記念のポストカードが配布されました。
指定席には3回目の乗車ですが、記念品を頂いたのは初めて。おそらく広島デスティネーションキャンペーンの関係でしょうか。マリンメイトによる車内販売も復活していて、全体の気合が感じられました。
広島到着後はいったん友人と別れ、私はお土産のもみじまんじゅうを購入。
再び合流してから、岡山行きの列に並びました。
向かいのホームに停車していた、呉線経由糸崎行きに充当されていたC-21編成のクハ115-192。
初期型・簡易シールドビーム・更新色の変形車です。先日、いよいよ広島地区にも新車が導入されることが発表されましたが、その折にはこうした個性的な車両は真っ先に置き換えられてしまうのでしょうかね…。
広島16:45発→?
そして後続の岡山行きに乗車。
西条まではごく順調に進んでいたのですが、先行列車(時刻表から推測するに白市行き1566M)が西高屋駅でパンタグラフにビニールが巻き付いたらしく、我々が乗車している岡山行き368Mは西条で抑止。
タクシーで新幹線の東広島に抜ける案も思い浮かびましたが、すぐに再開するだろうと思って待機していると、いつの間にか後続の白市行き1568Mが隣のホームに到着し、途中打ち切りで今度は1577Mとして南岩国へ折り返していく始末。
隣の通過線にはEF210牽引・EF67推進の貨物列車も到着し、なかなか運行を再開しない列車内は先ほどの白市行き1568Mから流れてきた帰宅客も合わさって一時満員状態に。
やがて「ビニールが複雑に絡まっている」と詳細を告げる放送があり、18:15頃の運転再開が一時知らされるも、368Mは西条を81分遅れの18:43に出発しました。
この時点で帰りのどこかの区間で新幹線を使わざるを得なくなりましたが、三原では良い時間帯の新幹線が無く(やはり「のぞみ」が停まらないのが大きい)、岡山~姫路間で新幹線を使うこととして、ひとまず368Mを岡山まで乗り通すことを決定。
しかし、三原を出た列車は次の糸崎に停車したまま(19:30過ぎ)なかなか発車する気配がありません。支社境界のために乗務員も入れ替わり、やがて20:04発の発車となる旨の放送が流れました。
ふと時刻表を捲るとそれは後続の376Mの時間。本来ならば376Mは南岩国始発ですが、岡山地区に遅れを持ち込まないために途中の何処かで打ち切り、代わりに遅れてやって来たこの368Mを糸崎から376Mに仕立てることになったのでしょう。西条抑止の遅れはともかく、この遅れは誤算でした。
368Mも打ち切られなかっただけ良かったのかもしれませんが、当初予定していた岡山~姫路間の新幹線利用を延ばし、岡山~新大阪で新幹線を使うことを決めました。予定通り岡山に付けば10分強の接続で「のぞみ」、最悪遅れても「さくら」がありますから、もうここまで来れば「毒を食らわば皿まで」といった心持です。
そうして元368Mこと372Mは遅れていた列車の接続を待って糸崎を9分延発。停車駅ごとに「西高屋駅での架線トラブルのため○分遅れ」との案内が流れましたが、実際それどころの遅れではなかったことを知るのは西条以遠から乗り通した乗客のみ。
気を紛らわせるために読んでいた本も結末が近づき、列車もいよいよ終局へ。
?→岡山21:37着
広島から約5時間遅れの21:37に到着。
372Mとしては6遅れ、368Mとしては実に125分もの遅れでした。さすがに通しで乗ったのは我々だけだったのかもしれません。
これなら広島で写真を撮っていた呉線経由の糸崎行き(950M)に乗っていたとしても岡山には1時間早く着いていたことになります。
よく走ってくれたな、と記念に一枚だけN-03編成の写真を撮り、少々急いで乗り換え窓口で新大阪までの切符を求め、駆け足で新幹線ホームへ。
5000円の出費は痛いところですが、互いに翌日にはバイトが控えているので今日中に京都に着かなければなりません。神戸や大阪に住んでいれば「サンライズ」で優雅にシャワーなど浴びて帰る手もあったのでしょうが…。
岡山21:44発→新大阪22:28着
「のぞみ98号」。名古屋への最終列車です。
慌てて階段を上って乗り込んだために自由席からは随分と離れた号車に乗ってしまい、同じようなことをした何人かと3号車までゾロゾロと歩くことに。
N700系の椅子はあまり好きではないのですが、さすがに新幹線は速く、トイレに立ったり携帯を触ったりしている間にもう大阪市街の灯りが。
新大阪22:38発→京都23:16着
ラストランナーは米原行きの快速。
どうにか予定通りの時間で戻ってくることが出来、京都駅で解散となりました。
最後はハプニングにも見舞われましたが、私にとっても友人にとっても久々の広島行となり、充実した夏のひとときを過ごすことが出来ました。
もちろん、翌日は午前中のアルバイトを何とか切り抜け、午後を昼寝で潰したのでした。
今年も何処に行こうかと思っていたところ、3月に東北を一緒に旅した友人から「日帰りでどこか行きたい」とのお誘い(?)が。
話しているうちに、海を見ること、何かおいしいものを食べることが主目的として挙がり、中部、信州、中国など幾つかの候補が思い浮かび、提案と妥協を重ねた結果(笑)、日帰りで行けるギリギリの範囲且つ、2人とも久しく訪れていない広島が行先として決まりました。
例によってプラン作成を任されたので、基本は青春18きっぷとして、行きは思い切って新幹線。それでも幾らかの出費を抑えるため、新大阪から姫路まで在来線特急を利用して乗継割引を効かせることにしました。
8月5日。
6時半過ぎの京都駅で待ち合わせて、改札で18きっぷに2人分の日付印を捺してもらい、さっそく快速電車に乗り込みます。
この時間の快速は京都を出ると長岡京まで停まらないので、西大路や桂川の内線を通過する様子は久々で新鮮なものでした。
京都6:51発→新大阪7:23着
ラッシュで満員状態の快速をどうにか降りて、新大阪駅の新しくなった特急ホームへ移動。
夏休み中の鉄道少年たちが先行の「びわこエクスプレス」にカメラを向けていて、昔の自分を思い出したり。
以前のように列車を撮って何時間も駅に居るということは少なくなりましたが、原点を忘れないことは大切です。
新大阪7:30発→姫路8:35着
(姫路で撮影)
新快速が走っていない時間帯なので、予め用意していた切符に切り替えて「スーパーはくと1号」で。
普通ならば新大阪から新幹線1本ですが、全行程を預かっているので支障ない範囲で趣味も織り交ぜます。(笑)
自由席は満席に近い状態で、新大阪や大阪での降車、大阪から三ノ宮・明石といった短距離の利用もあり、混雑を避ける手段としての特急利用が定着していることを実感しました。
友人も「景色の移り変わりが良かった」と、阪神間を抜けて播磨へと至る車窓を楽しんでくれたようで何よりです。
姫路では恒例行事(?)、乗り換えの時間を利用してえきそばで朝食を。
和風ダシなので食べやすく、早朝出発の時は食欲が無くあまりお腹に入れず出発してしまうものですから、午前中に姫路を通る場合はなるべく寄るようにしています。
それから新幹線ホームへ。
姫路9:00発→広島10:01着
新横浜始発の「ひかり493号」です。
広島までは1時間。特記することもなく退屈な時間だったのですが、新幹線を利用するぶん、現地でかなりの時間を確保出来るので仕方ないところでしょうか。
広島到着後は広電で原爆ドームへ。
原爆ドームは2年半ぶりの訪問となりました。翌日には原爆投下の日を迎えるということもあり、炎天下、念仏の声や核兵器廃絶の署名運動が盛んにおこなわれていました。
傍らには被爆瓦の展示も。
橋を渡って資料館へ向かいます。
丹下健三による設計の平和記念資料館。広場には既に式典の準備がされています。
前回訪問は高校1年生の夏休み、今から約7年前。
当時から戦争や平和について興味・関心を抱いていたことは確かですが、広島や長崎が修学旅行先ではなく、また平和教育というものを受けてこなかった(少なくとも、そう称した授業が無かった)私は、初めて知る戦争、そして原爆の悲惨さに衝撃を受けました。
そう、当時は「衝撃」だけが印象として残っていたのですが(悪く言えばそこで思考停止していたのでしょう――)、それからの7年間、当時を知る人々の話を聞く機会にも恵まれ、大学では仲間とたびたび議論を交わし、教職課程を通じて平和教育についても考え、また平和博物館でアルバイトを経験した後では、原爆の悲惨さはもちろんのこと、そこに加えて、今後の諸課題(たとえば直前に遭遇した核兵器の廃絶であったり、理想的な平和教育の在り方、憲法改正、等々をどう解決していけばよいか)といったことを思い浮かべました。
この旅行の後に上梓された社会学者・古市憲寿さんの『誰も戦争を教えてくれなかった』は、日本はもちろん、世界各地の平和博物館を訪れた上で独自の戦争論を展開されていて、年齢も近いことから、私のこれまでの思考を整理するのにとても役立っていて、今も読み進めているところです。
資料館を出ると、川を挟んで一直線に原爆ドームが見渡せます。
これも丹下健三の狙いだそうです。
こうした建築的視点から資料館を見るのも今回の目的の一つでした。
そして、しばらく時間があったので川沿いのベンチに腰かけて話していると、「被爆電車」と書かれたプラカードに小学生たちの列が出来ていたのを見かけたので、橋の袂でしばらく待ってみることに。
ほどなくして現れたのは被爆電車・652型。
何度もここを訪れていながら、初めての遭遇でした。
続行で651型も通過しました。
信号待ちで停車したので、少し歩いて追っかけ。
68年前に被爆した車両たち。
当初は復興の希望となり、そして現在は当時の生き証人となって広島の街を走っています。
塗装の上からも経年劣化が窺え、走っていること自体がもはや奇跡と言えるのかもしれませんが、今後も可能な限り歴史を伝え続けてほしいものです。
もちろん、お決まりの京都市電も。
この辺りで時間もちょうどお昼となったので、再び広電に乗って八丁堀の「みっちゃん」へ。
お昼時ということで20分ほど列に並ぶことになったのですが、待っただけのことはありました。
注文したのはオーソドクスに肉玉そば。
思っていた以上にボリューム満点で、量の多いお好み焼きは普段から大学近くのお店で慣れているつもりですが(笑)、なかなか食べるのに苦労しました。
それから広島駅へ戻って、呉線の快速「安芸路ライナー」で呉へ。
広島13:30発→呉14:03着
(呉にて撮影)
やって来たのは黄色の103系D-01編成。原型で残る最後のクモハ103が入った編成です。
数年前までは中国地方でも多く活躍していた103系ですが、いつの間にか3編成9両のみとなってしまいました。
勢力は縮小されてもここ呉線では花の快速運用。行楽客で賑わう車内にモーター音を響かせ、対向列車を待たせて小駅を通過する様子からは「まだまだやれる!」といった気迫が窺えました。
呉ではゆめタウンを突っ切って、大和ミュージアムへ。
こちらも7年ぶりの訪問です。
ここは軍事博物館に分類されるのだと思いますが、同じ広島でも呉は軍港で栄えた歴史があるのもまた事実。
ちょうど先月は舞鶴を訪れたこともあり、共通点のある両者は合わせて是非訪れてみたいと思っていました。
肉じゃがは結局どちらが発祥なのでしょうか。(笑)
テラスに出て、呉の港を眺めました。
海を見るというのも今回の目的の一つ。一応、京都府は日本海に面していますが、瀬戸内海の方が好きですね。
帰りは…
呉15:19発→広島16:07着
臨時快速「瀬戸内マリンビュー」の指定席で。
呉駅で空席を尋ねると空いていたので乗ることにしました。行きは30分ほどで着いた道のりを、小一時間かけてゆっくりと戻ります。
「マリンビュー」は呉で20分の停車中に「安芸路ライナー」に追い越されるので、自由席はもちろん指定席の車内はガラガラ。
ソファーシートに腰掛けて、瀬戸内海を眺めながらしばしのクルーズ気分を楽しみました。
おやつはゆめタウンのミスドで買ったポンデリング(桃)を。
観光列車と言えば最近では水戸岡デザインの車両が地方ローカル線の起爆剤として徐々に勢力を拡大していますが、こちらも指定席券だけで乗れる列車としてはなかなかのグレード。自由席車を1両設けて地域輸送も合わせて担っているところがおもしろいところですが、呉線最大のセールスポイントである海を眺めながらまるで部屋のように寛げる空間は、JR西日本にもこのような楽しい列車があるのだということを再認識させてくれました。
検札と共に乗車記念のポストカードが配布されました。
指定席には3回目の乗車ですが、記念品を頂いたのは初めて。おそらく広島デスティネーションキャンペーンの関係でしょうか。マリンメイトによる車内販売も復活していて、全体の気合が感じられました。
広島到着後はいったん友人と別れ、私はお土産のもみじまんじゅうを購入。
再び合流してから、岡山行きの列に並びました。
向かいのホームに停車していた、呉線経由糸崎行きに充当されていたC-21編成のクハ115-192。
初期型・簡易シールドビーム・更新色の変形車です。先日、いよいよ広島地区にも新車が導入されることが発表されましたが、その折にはこうした個性的な車両は真っ先に置き換えられてしまうのでしょうかね…。
広島16:45発→?
そして後続の岡山行きに乗車。
西条まではごく順調に進んでいたのですが、先行列車(時刻表から推測するに白市行き1566M)が西高屋駅でパンタグラフにビニールが巻き付いたらしく、我々が乗車している岡山行き368Mは西条で抑止。
タクシーで新幹線の東広島に抜ける案も思い浮かびましたが、すぐに再開するだろうと思って待機していると、いつの間にか後続の白市行き1568Mが隣のホームに到着し、途中打ち切りで今度は1577Mとして南岩国へ折り返していく始末。
隣の通過線にはEF210牽引・EF67推進の貨物列車も到着し、なかなか運行を再開しない列車内は先ほどの白市行き1568Mから流れてきた帰宅客も合わさって一時満員状態に。
やがて「ビニールが複雑に絡まっている」と詳細を告げる放送があり、18:15頃の運転再開が一時知らされるも、368Mは西条を81分遅れの18:43に出発しました。
この時点で帰りのどこかの区間で新幹線を使わざるを得なくなりましたが、三原では良い時間帯の新幹線が無く(やはり「のぞみ」が停まらないのが大きい)、岡山~姫路間で新幹線を使うこととして、ひとまず368Mを岡山まで乗り通すことを決定。
しかし、三原を出た列車は次の糸崎に停車したまま(19:30過ぎ)なかなか発車する気配がありません。支社境界のために乗務員も入れ替わり、やがて20:04発の発車となる旨の放送が流れました。
ふと時刻表を捲るとそれは後続の376Mの時間。本来ならば376Mは南岩国始発ですが、岡山地区に遅れを持ち込まないために途中の何処かで打ち切り、代わりに遅れてやって来たこの368Mを糸崎から376Mに仕立てることになったのでしょう。西条抑止の遅れはともかく、この遅れは誤算でした。
368Mも打ち切られなかっただけ良かったのかもしれませんが、当初予定していた岡山~姫路間の新幹線利用を延ばし、岡山~新大阪で新幹線を使うことを決めました。予定通り岡山に付けば10分強の接続で「のぞみ」、最悪遅れても「さくら」がありますから、もうここまで来れば「毒を食らわば皿まで」といった心持です。
そうして元368Mこと372Mは遅れていた列車の接続を待って糸崎を9分延発。停車駅ごとに「西高屋駅での架線トラブルのため○分遅れ」との案内が流れましたが、実際それどころの遅れではなかったことを知るのは西条以遠から乗り通した乗客のみ。
気を紛らわせるために読んでいた本も結末が近づき、列車もいよいよ終局へ。
?→岡山21:37着
広島から約5時間遅れの21:37に到着。
372Mとしては6遅れ、368Mとしては実に125分もの遅れでした。さすがに通しで乗ったのは我々だけだったのかもしれません。
これなら広島で写真を撮っていた呉線経由の糸崎行き(950M)に乗っていたとしても岡山には1時間早く着いていたことになります。
よく走ってくれたな、と記念に一枚だけN-03編成の写真を撮り、少々急いで乗り換え窓口で新大阪までの切符を求め、駆け足で新幹線ホームへ。
5000円の出費は痛いところですが、互いに翌日にはバイトが控えているので今日中に京都に着かなければなりません。神戸や大阪に住んでいれば「サンライズ」で優雅にシャワーなど浴びて帰る手もあったのでしょうが…。
岡山21:44発→新大阪22:28着
「のぞみ98号」。名古屋への最終列車です。
慌てて階段を上って乗り込んだために自由席からは随分と離れた号車に乗ってしまい、同じようなことをした何人かと3号車までゾロゾロと歩くことに。
N700系の椅子はあまり好きではないのですが、さすがに新幹線は速く、トイレに立ったり携帯を触ったりしている間にもう大阪市街の灯りが。
新大阪22:38発→京都23:16着
ラストランナーは米原行きの快速。
どうにか予定通りの時間で戻ってくることが出来、京都駅で解散となりました。
最後はハプニングにも見舞われましたが、私にとっても友人にとっても久々の広島行となり、充実した夏のひとときを過ごすことが出来ました。
もちろん、翌日は午前中のアルバイトを何とか切り抜け、午後を昼寝で潰したのでした。
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