伊勢志摩オトナの修学旅行 後半

2013年08月17日 23時59分59秒 | 旅行記
(前半はこちら)


文学館の出入口は2つあり、今度は反対側の道に抜けます。
構えを見る限りはこちらがメインの入り口のようですが、周辺はいわゆる歓楽街が広がっていて、現在では周囲から少々浮き気味。しかしかつてこの一帯は遊郭で、この文学館を撮っている軒下こそが…


「待合津の國」と呼ばれる、現在鳥羽に唯一残る遊郭建築(妓楼)となっています。
調べたところ幕末期の建築だそうで、戦後に荒廃していたところを近年外装のみ補修。今後については未定だそうですが、べんがら格子が今も色鮮やかに残っています。




往時は格子の隙間から遊女がこちらを見ていたのかもしれません。
京町家がそうであるように、妓楼、それも無人ともなれば維持や管理は莫大なお金が必要となってきます。事実、内装に関しては今も手つかずだそうで、建物だけが残されている現在の状態は何とも中途半端。五大遊郭に数えられる近場の伊勢市古市、参宮街道にある旅館「麻吉」が現役であるように、出来ればこの「待合津の國」も鳥羽の歴史を伝える遺産として何とか有効活用してほしいものですが、やはり観光資源としては真珠や水族館が依然優勢であることには変わらないようで、このままだと、次に朽ちる時こそがいよいよ終焉なのでは…と思わずにはいられません。
今後どうなっていくのか、注視していきたい物件ではあります。


こうした空間の持つ特性故か、周辺は遊郭が消えた後もスナックが建ち並んでいます。おそらく夜にはこれらの多くに電気が灯るのでしょう。


下半分の剥がれたタイルと、誰かの忘れていった傘が物悲しく…。


一通り街並みの散策を終えて海に出ると、山肌に張り付く幾つものホテル群が見えました。
おそらくこちらの暑さ(気温)も京都と大差ないのだと思いますが、やはり海の風があるぶん、少しは気持ちがいいですね。

それから鳥羽駅に戻って、今度は近鉄に乗ります。

鳥羽15:10発→賢島15:42着


近鉄特急は約10年ぶりの乗車です。
やって来たのは近所でもよく見る22000系ACEですが、座席は枕部分が固く、どうにも頭の位置が落ち着きません。
鳥羽から先は単線となって一気にローカル線の様相。幾つかのトンネルを抜け、連続するカーブを経て終点賢島に着きました。


賢島駅。
ロータリー直結だったのでこんな写真しか撮れませんでしたが、この賢島駅こそ、小学5年生時の学校行事で訪れた研修施設「みさきの家」の最寄駅なのです。その施設に向かうにはここから船の乗り継ぎを要しますが、幼かった当時、普段は縁のない海の風景、宿泊棟を闊歩するカニ、飯ごう炊さんで作ったカレー、「こんなにワイルドな自然があったのか!」と、見るもの全てが新鮮な光景として映ったことを覚えています。海から吹く風は当時と変わらず、次にここに降り立つことはあるのだろうか、そんなことを思いながら、とんぼ帰りで帰りの列車に乗り込みます。


そう、当時は行きがビスタカー(クジ引きで普通の平屋席に当たって残念だった思い出が)、帰りは伊勢志摩ライナーでしたが、今回は短区間ながら観光特急「しまかぜ」に体験乗車をすることに。
近鉄が式年遷宮へのアクセス手段として宣伝している以上、伊勢神宮最寄りの宇治山田以南はたとえ休日でも空席があるはずだと思い、鳥羽駅で空席を訊くと見事読みが当たったというわけです。

賢島16:00発→宇治山田16:40着


先ほどはじっくりと見ることが出来なかった車体を、この時は隅々まで。
現代に甦ったバブリーデザインと言うべきか、まさに「志摩の風」をイメージさせる爽やかなブルーに、アッパークラスの証であるさりげない金帯が上品さを漂わせます。


そんな「しまかぜ」、真正面から見ると、どことなくイルカのようにも見えます。同じくイルカをイメージしたJRの283系「オーシャンアロー」は丸みを帯びているので好対照と言えますが、近鉄線内ならば必ずしも装備を要するとは言えない前面の非常用扉は、やはり将来を見越してのことなのでしょう。


4号車のグループ個室は大窓の並ぶ贅沢な窓配置。この辺りは、長らく当地への観光輸送を担ってきた「伊勢志摩ライナー」に通じるものがあります。


乗車時間は短いので、停車時間も合わせて満喫するため早めに乗車。
指定された座席は運の良いことに先頭の6号車。ハイデッカーの車内に、飛行機や新幹線のグリーン車、それこそ「グランクラス」あたりを思わせる座席が並びます。


リクライニングは全て手元のスイッチで動き、更にはマッサージ機能も備えている豪華仕様。近鉄の本気を感じる設備です。
「しまかぜ」の乗車には通常の運賃に加えて特別料金が上乗せされる仕組みとなっていますが、実際に座ってみるとそれは納得に値するものでした。

そんな新型特急の感動に浸っていると、程なく発車の案内が流れ、宇治山田までのミニトリップがスタート。案の定賢島からの乗客は少なく、我々の6号車もゆったりとした時間が流れていきます。
次の停車駅・鵜方を出てから3号車のカフェコーナーに行きました。


カフェコーナーは上下階があり、先着順に2階から案内されるといったシステム。
カウンターの中では提供される軽食類の準備が着々と進んでいました。


乗車時間が短いということもあり、今回はホットコーヒーとカステララスクを。「しまかぜ」の複雑な前面造形を的確に表現したパッケージが見事です。
トレーやカップのふたは滑りにくいものが使用されており、揺れる列車内、特に鳥羽までのカーブが連続する区間でも安心して食事が楽しめました。


列車内のこうしたスペースで食事をするのはほとんど初めてのことで、淹れられたばかりの温かい珈琲を、流れゆく志摩や伊勢の豊かな自然を眺めながら味わうことが出来ました。
かつては多く見られた食堂車や列車内のサービス自体が縮小傾向にある現在、そうした「オプション」を敢えて新規に始めようとする姿勢からは移動時間を楽しいものにしようする意気込みが窺えます。
やがて何処からか、車内の名物メニュー「海の幸ピラフ」の香りが漂い始め、カウンターから姿を現したそれが我々の背後をスタッフの手によって客のもとへと運ばれて行きました。次の機会には是非賞味してみたいものです。


上質な時間こそ短く感じるもので、自席へ戻って一息ついていると宇治山田到着を告げる放送が。
荷物の支度をしてデッキに赴くと、同じことを考えていた「体験乗車」の家族連れや同好の士が意外にも多く見られ、「しまかぜ」人気の度合いが窺えました。
案の定、宇治山田では列をなして待っていた大勢の観光客が乗り込み、私の乗っていた6号車も満席に。先ほどまで寛いでいた自席も知らない誰かのものとなり、ここからが本番の「しまかぜ」は大阪難波を目指して出発、すぐ隣の伊勢市駅を目指して高架のカーブを駆け下りて行きました。


宇治山田駅。
貴賓室を備える国の登録有形文化財で、お伊勢参りの玄関口に相応しい堂々とした駅舎。近鉄の前身の一つ、「参宮急行」の響きが似合う佇まいです。

寄り道の近鉄はここまでで、徒歩でJR伊勢市駅まで移動します。
相変わらず陽射しのキツい時間帯ではありましたが、伊勢市と宇治山田のように大きな駅がこれだけ近接しているのもやはり伊勢神宮あってのことなのでしょう。ツーリズムの歴史も当地にあっては奥深いものです。


JR伊勢市駅、こちらは伊勢神宮や周辺の街並みに合わせた和風のデザインです。
こういったデザインは京都では散々目にするので特段何の感想も持たないのですが、威厳あふれる宇治山田駅を見てきた後だとどうしても見劣りします。両者の立場はここでも…と言いたくなりますが、秋にはキハ85系の臨時急行「いせ」が毎日運転されることから、JR東海もそれなりに力を入れるようです。
駅でお土産に赤福を買い(実は京都駅でも買える)、改札を入ってJRで帰路につきます。

伊勢市17:07(8分延発)→多気17:21(6分延着)


遅れていた快速「みえ22号」に乗車。
とは言えJRのキハ75も良い車で、快速列車にしてはなかなかのグレードを誇っています。少し前までは急行運用も持っていたせいか、車内の随所に優等列車にも通用する設備が見え隠れしているのがおもしろいところです。

まだ陽のある多気で降り、1月にも撮影したポイントへ。


多気駅は伊勢運輸区の中枢である一方、駅周辺は長閑な田園が広がっています。
このロケーションが気に入り、今回は友人を誘っての再訪と相成りました。


紀勢本線と参宮線が分岐した直後の地点。本来ならば反対側の大カーブを望む地点が順光なのですが、道中のこの景色が印象に残ったので留まって撮影することに。
やって来たのはキハ48で、畑の向こうに列車のシルエットが浮かび上がり、思い通りの一枚となりました。

多気18:35発→亀山19:40発

帰りは遠路新宮からやって来たキハ11の2連に乗車。ちょうど京都を始発で出て、紀伊半島を反時計回りに一周すると当たる便です。この時間帯は花火大会との流動とは全く逆のため、多気からでもボックスシートに着席することが出来ました。


亀山では乗り換えに少々時間が空いたものの、検査明けの211系第2編成に遭遇。
117系の引退に伴っていよいよJR東海最後の国鉄型電車となった同形ですが、当分は元気に走る姿を見せてくれそうです。
一方、気動車に関しては2015年度の新型置き換えが発表され、先ほど撮影したキハ48も来年度からは順次過去帳入りしてしまう運命。今回は行きと帰りにしか遭遇出来なかったので、次回は是非臨時急行「いせ」と絡めて再訪したいものです。

亀山20:21発(5分延発)→柘植20:50(5分延着)

柘植からは行きとルートを変え、草津線経由で帰宅することに。
時間は大差ないのですが、確実にやって来るクロスシートの車両に座ることで体力的はもとより精神的な負担も減らそうという目論見です。

柘植21:07発→草津22:04着

原色で残る117系6連に揺られて草津へ。
ここまで来ればもう関西圏、帰ってきたも同様です。

草津22:06発→京都22:28着

2分接続の新快速に乗り換え、またも友人とは京都で解散となりました。
やはりJRの普通列車利用では移動に時間がかかってしまいますが、それでも撮影が出来たほか、鳥羽の街並み散策、今をときめく(?)観光特急「しまかぜ」乗車と日帰りながらも盛りだくさんの内容でした。
関西に近接していながらもこれまで縁の薄かった三重県、今後も機会を見つけて訪問を続けていきたいものです。

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