学問空間

【お知らせ】teacup掲示板の閉鎖に伴い、リンク切れが大量に生じていますが、順次修正中です。

富永恭次のエピソードについて

2017-09-13 | ナチズムとスターリニズム
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 9月13日(水)07時48分17秒

>ザゲィムプレィアさん
富永恭次がモスクワに連行されたか否かについて、こういう文献にはこのように書かれている、といった投稿ならば歓迎できるのですが、私が引用した僅かな部分だけを見て推測に推測を重ねた意見を言われても、正直、対応に困ります。
富永の話は「スターリンの牢獄での不思議な出会い」とのタイトルの下で紹介されているいくつかの話題の中のひとつなのですが、『ヒトラーが恐れた男』全体を読まれて、こうした軽めのエピソードについてトレッペルがわざわざ全くの作り話を捏造する必要があると思われたなら、その理由とともに改めて投稿してください。

(追記)
富永が何語でバナナを要求したのかといえば、当然にロシア語だったはずです。
富永がロシア語ができることは自明で、そうでなければ東京裁判の証人候補にもならなかったでしょう。
また、英語・フランス語を使ったのは看守に聞かれたくなかったという単純な理由で説明できます。
「刑務所の幹部は、トミナガが彼の訊問の内容を喋るのを恐れた」というのもトレッペルの推定ですが、富永は東京裁判云々という若干特殊な事情があったとはいえ、トレッペルともう一人は、刑務所幹部側から見れば、どうせ死刑になる人程度に思われていたはずで、別に富永のお喋りを全然気にしなかったかもしれないですね。
富永が実際には陸軍中将なのに「トミナガ陸軍大将」とある点や「パリの大使館付陸軍武官」という経歴の食い違いも、富永自身が自分を偉く見せるために偽ったか、トレッペルの単なる記憶違い(実際に刑務所に入っていた時期から約25~30年後の回想)の可能性もあり、いずれにせよ重要な間違いではないですね。

※ザゲィムプレィアさんの下記投稿へのレスです。

Re:トレッペルと富永恭次 2017/09/12(火) 01:13:37
富永絡みの記述は疑問が多いですね。

1.富永は東京裁判で証人になるためにモスクワに連れてこられたとしていますが、「富永恭次 東京裁判」でググっても出廷した情報は見つかりません。
2.ソ連の証人として出廷した軍人に瀬島龍三がいますが、彼は証言前にモスクワに連れて行かれたとは言っていません
3.刑務所の幹部がコミュニケーションができないと判断して同房にしたと解釈できますが、おかしな文があります。
 「わたしたちはもちろん、日本語はわからなかった」を文字通りに解釈すれば、富永は日本語が分からないことになります。
 原文は「私たちは日本語でコミュニケートできない」なのでしょうか。そうだとすれば「わたしたちが英語を知らない」は「富永は英語を話さない」と
解釈するべきなのでしょうか。 いずれにしても確認せずに話せないと決めつけるのは無能すぎます。
スターリンとベリヤが君臨していた時代にそんな無能が刑務所の幹部になることはなかったでしょう。
4.Wikipediaによれば富永は熊本陸軍地方幼年学校出身で駐ソ連大使館付武官補佐官を経ています。彼の第一外国語はロシア語だったでしょう。
会話能力は不明ですが、トレッペルとロシア語で意思疎通できたでしょう。
しかし引用された文章から判断する限り、トレッペルは富永のロシア語能力を知りません。

これらを合わせると、富永がモスクワに連行されたか甚だ疑問で、トレッペルと面識があったとは思えません。
トレッペルが陸軍次官の経歴がある富永将軍がソ連に抑留されていることを知って、ゾルゲと絡めて創作したお話しと解釈するのが妥当でしょうか。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする