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樺山資紀・愛輔と白洲正子

2017-08-11 | 渡辺浩『東アジアの王権と思想』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 8月11日(金)14時07分4秒

八月に入って体調を崩した伯父(父の兄で、「本家」の最年長者)の見舞いに何度か行ったりしていたのですが、回復しないまま亡くなり、昨日が葬儀でした。
四月に私の父が死去し、葬儀と四十九日の法要で久しぶりに親戚に会い、今回の伯父の葬儀で更に多くの、四世代に亘る一族が集まった様子を眺めていると、やはりみんなどこか似た顔をしていて、普段あまり意識しない血のつながりみたいなものを感じさせられました。
ま、伯父の死はこのところの掲示板スランプとは特に関係はないのですが、自分にだって交通事故などの形で不慮の死はありうるのだから、チマチマと他人の批判などをして時間を無駄使いしていたらマズいな、自分にしかできないことを早く何かの形に纏めなければ、などと思ったりもしています。

>筆綾丸さん
>呉座氏の『応仁の乱』

亀田氏の『観応の擾乱』が売れるのは理解できるのですが、呉座氏の『応仁の乱』の売れ行きは謎ですね。
特に中世史に詳しくない一般の読者の場合、「第一章 畿内の火薬庫、大和」と「第二章 応仁の乱への道」で細かい説明にくたびれ果て、応仁の乱が始まる前に挫折してしまう人が多いような感じがするのですが、実際に最後まで読んでいる人はどのくらいなのですかね。

>ザゲィムプレィアさん
>樺山資紀は正しくは樺山愛輔ですね。

亀レスで恐縮ですが、樺山資紀は顔がものすごく怖いですから、いくら気位の高い公家の女中でも舐めた口の利き方はできなかったでしょうね。
リンク先に津本陽が『薩南示現流』で描いた橋口覚之進時代のエピソードが出ていますが、私はこの話を『白洲正子自伝』(新潮社、1994)で知りました。
リンク先の写真は、おそらく『白洲正子自伝』から取ったものでしょうが、白洲正子はこの時自分が非常に不機嫌な顔をしていたのは祖父の髭が顔にあたって痛かったからだ、みたいなことを書いていましたね。

http://www.k4.dion.ne.jp/~skipio/21essay2/shirasu3-kabayama.htm

他方、樺山愛輔は本当に紳士的な、悪く言えば柔弱な印象を与える容貌の人ですが、それなりに幅広く活動をしていて、いろんな分野に登場しますね。
少し前に話題にした深井英五の『回顧七十年』にも樺山愛輔が出てきました。

※下記投稿へのレスです。
「キューバ危機と anorgasmia」(筆綾丸さん)
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/9031
「Re:ツァラトゥストラはこう歌った」(ザゲィムプレィアさん)
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/9025
コメント
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