いつも明るく朗らかでありたい・・・
人を愛し、自分を愛し、繋がりを絶やさずに・・・
誰かのために役立ちたい・・・
心の中には在る意識です。それでも、その気持ちをずっと持ち続けることは難しいですし、こころは目には見えないものなので、
行動として表し続けることはもっと難しいです。
「 何があったの?」(いつ?誰に対して?どこで?どんなふうに?)
「 どう思った?」
「 どう感じた?」
この三つを自分に質問してあげます。
人間の意識の中には、例えばこうして、ブログを綴りながらも、読む人がどんなふうに受けとめられるだろうか?
どんなリアクションが返ってくるのだろう?と考えるところがあります。
つまり評価が気になります。自分がどんなふうに見られているかが気になるのですね。
事の善し悪しは別にして状況(言動にたいして)評価を受けていることに対して、自分の求めている評価と異なる時、見方が異なる時に、
自分の方が正しいということを相手に認めさせたくなります。
そこで、お互いにそういう考え方もあるんだね・・・と認め合えれば、たとえ意見が食い違っていても気持ちは和らぐでしょう。
ポイントは、色々な考え方、感じ方、価値観が違う人がいる。
目の前で子供が泣いていて、それに対して、
「 まあ、可愛そうに。」
「 人前で泣くなんて女々しい。」
「 そもそも親は近くにいないのか?なぜ泣いているんだ。」
「 うるさいなあ。」
「 声をかけてあげないと冷たい人間って思われるかなあ。」
と、感じ方は異なるのですね。同じ人でも心境によって異なるでしょう。
そして、感じることに正しいも間違いもありません。
“ そんなふうに思われるなんて心外だ ”
と感じると、深く落ち込みます。
他人の感じ方はどうにもなりませんが、やはり受けいれられない時は落ちこんで、どうにか他人の気持ちをコントロールしようと焦ることもあります。
コミュニケーションをとろうとして、相手にされなかったり、かみ合わなかったり、無視されたりすると、心が折れそうになるでしょう。
カウンセリングでは様々な人とお会いしますが、自分がクライアントさんの問題の渦中にあれば、きっと感じ方は異なります。
当事者になれば、自分のことをわかってもらいたい。認めてもらいたい。など心理的な欲求が多少はあらわれます。
過去にコミュニケーションが上手くいかないことで傷を抱えていると、人と深く関わりたくないと思うこともあります。
そのため、人を避けて自分の殻に閉じこもることもあります。
人間関係、コミュニケーションの問題はコミュニケーションで解決することが大事です。
目の前に現れているあらゆる問題はあなたに課せられた課題です。
落ちこまなくて済むことは難しいですが、落ちこんでも立て直しやすくするためには・・・
自分の気持ちを徹底的に聞くこと。自分の心に問いかけること。
「 私は何がしたかったのだろう。」
「 相手に何を望んでいたのだろう。」
「 これからどうしたいのだろう。」
それから、他者との関わりでは正しいか間違っているかの二極化は避けて、考えが違うことを認めること。
言葉は同じでも、言葉の持つ意味は、人それぞれ価値観、観念があって異なるのだと認めること。
でも、怖いのですね。
「 私はこう思う。」
で終わりたい。もっと言えば、拒否されたくないのでそれも言わずにいられるともっと楽??
勇気を持って・・・
「 私はこう思うけれど、あなたはどう?」
言葉にするかどうかは別にして、違う意見があっても構わないと心から思えたとき心の霧が晴れるでしょう。
いつも明るく朗らかに向き合いたい・・・
人を愛し、自分を愛し、繋がりを絶やさずに向き合いたい・・・
誰かのために役立つよう向き合いたい・・・
最初の三行の言葉のあとには、すべて向き合う=コミュニケーションが続きます。
深いところでは、誰もあなたの心を傷つけることはできません。あなたがそれを受けいれない限りは誰もあなたの心を傷つけることはできません。
言葉に意味があるのではなく、言葉を使う人、受けとめる人にとっての意味があります。
言葉は言霊(ことだま)
大切にしたいですね。
わかっている、みんなそれぞれ価値観が違うことはわかっているけど馴染めないの。しんどいの・・・
そんな時は、自分の心が喜ぶプレゼントを送ってください。
深秋を探しに、外に出てみますか?
音楽を聴きますか?
しばらく連絡していなかったお友達に電話してみますか?
チューニングを変えてみましょう。
違う展開があるでしょう。
山口市宮野(緑ヶ丘)の自宅で営む小さな心療カウンセリングルームはいつも野鳥が遊びに来る森が見えるところにあります
かきかわ統合医療相談室
人を愛し、自分を愛し、繋がりを絶やさずに・・・
誰かのために役立ちたい・・・
心の中には在る意識です。それでも、その気持ちをずっと持ち続けることは難しいですし、こころは目には見えないものなので、
行動として表し続けることはもっと難しいです。
「 何があったの?」(いつ?誰に対して?どこで?どんなふうに?)
「 どう思った?」
「 どう感じた?」
この三つを自分に質問してあげます。
人間の意識の中には、例えばこうして、ブログを綴りながらも、読む人がどんなふうに受けとめられるだろうか?
どんなリアクションが返ってくるのだろう?と考えるところがあります。
つまり評価が気になります。自分がどんなふうに見られているかが気になるのですね。
事の善し悪しは別にして状況(言動にたいして)評価を受けていることに対して、自分の求めている評価と異なる時、見方が異なる時に、
自分の方が正しいということを相手に認めさせたくなります。
そこで、お互いにそういう考え方もあるんだね・・・と認め合えれば、たとえ意見が食い違っていても気持ちは和らぐでしょう。
ポイントは、色々な考え方、感じ方、価値観が違う人がいる。
目の前で子供が泣いていて、それに対して、
「 まあ、可愛そうに。」
「 人前で泣くなんて女々しい。」
「 そもそも親は近くにいないのか?なぜ泣いているんだ。」
「 うるさいなあ。」
「 声をかけてあげないと冷たい人間って思われるかなあ。」
と、感じ方は異なるのですね。同じ人でも心境によって異なるでしょう。
そして、感じることに正しいも間違いもありません。
“ そんなふうに思われるなんて心外だ ”
と感じると、深く落ち込みます。
他人の感じ方はどうにもなりませんが、やはり受けいれられない時は落ちこんで、どうにか他人の気持ちをコントロールしようと焦ることもあります。
コミュニケーションをとろうとして、相手にされなかったり、かみ合わなかったり、無視されたりすると、心が折れそうになるでしょう。
カウンセリングでは様々な人とお会いしますが、自分がクライアントさんの問題の渦中にあれば、きっと感じ方は異なります。
当事者になれば、自分のことをわかってもらいたい。認めてもらいたい。など心理的な欲求が多少はあらわれます。
過去にコミュニケーションが上手くいかないことで傷を抱えていると、人と深く関わりたくないと思うこともあります。
そのため、人を避けて自分の殻に閉じこもることもあります。
人間関係、コミュニケーションの問題はコミュニケーションで解決することが大事です。
目の前に現れているあらゆる問題はあなたに課せられた課題です。
落ちこまなくて済むことは難しいですが、落ちこんでも立て直しやすくするためには・・・
自分の気持ちを徹底的に聞くこと。自分の心に問いかけること。
「 私は何がしたかったのだろう。」
「 相手に何を望んでいたのだろう。」
「 これからどうしたいのだろう。」
それから、他者との関わりでは正しいか間違っているかの二極化は避けて、考えが違うことを認めること。
言葉は同じでも、言葉の持つ意味は、人それぞれ価値観、観念があって異なるのだと認めること。
でも、怖いのですね。
「 私はこう思う。」
で終わりたい。もっと言えば、拒否されたくないのでそれも言わずにいられるともっと楽??
勇気を持って・・・
「 私はこう思うけれど、あなたはどう?」
言葉にするかどうかは別にして、違う意見があっても構わないと心から思えたとき心の霧が晴れるでしょう。
いつも明るく朗らかに向き合いたい・・・
人を愛し、自分を愛し、繋がりを絶やさずに向き合いたい・・・
誰かのために役立つよう向き合いたい・・・
最初の三行の言葉のあとには、すべて向き合う=コミュニケーションが続きます。
深いところでは、誰もあなたの心を傷つけることはできません。あなたがそれを受けいれない限りは誰もあなたの心を傷つけることはできません。
言葉に意味があるのではなく、言葉を使う人、受けとめる人にとっての意味があります。
言葉は言霊(ことだま)
大切にしたいですね。
わかっている、みんなそれぞれ価値観が違うことはわかっているけど馴染めないの。しんどいの・・・
そんな時は、自分の心が喜ぶプレゼントを送ってください。
深秋を探しに、外に出てみますか?
音楽を聴きますか?
しばらく連絡していなかったお友達に電話してみますか?
チューニングを変えてみましょう。
違う展開があるでしょう。
山口市宮野(緑ヶ丘)の自宅で営む小さな心療カウンセリングルームはいつも野鳥が遊びに来る森が見えるところにあります
かきかわ統合医療相談室