私たちが、過去のことを振り返って思い出すとき、それが自分にとって強烈な思い出であれば、その時の感情までリアルに
脳裏に浮かぶことがあります。
“ 親に構ってもらえなかった ”
“ 恋人に酷いことを言われた ”
“ 友人から騙された ”
そして、どんな思い出にせよ、過去の経験から導き出された自分なりの方程式を作り、それが独自の価値観になり、
たとえるならば、サングラスを作ってそのレンズを通して世の中を見ています。
みなさんは、どんなサングラスをかけていますか?
そのサングラスは、産まれた時からかけていたわけではありません。
慣用句では
「 色眼鏡で見る。」
先入観や感情に支配された観察と言う意味の言葉があります。
この言葉は、どちらかと言うと、偏った見方をするといった・・・あまり良い表現としてつかわれていませんが、
私は、自分なりの色眼鏡を持つことはとても素晴らしいことだと思っています。
他人の色眼鏡から見れば、
「 あんな男のどこがいいのよ。優柔不断で、はっきりしないし、マザコンで良いところないじゃない?。」
と言われることも、自分の色眼鏡をかけて見ると、
「 あの、ふんわりと綿菓子みたいなところが好きなのよ。お母さんを大事にしているのよ。素敵じゃない?。」
と思えたり・・・
「 あんた、騙されていたんじゃないの?。」と言われても、
「 私はあの人からいっぱい素敵なことを教わったの。私にない価値観があって、元気をいっぱい貰ったわ。」
と思えたり・・・
つまり、色眼鏡をかけることで、同じ人物、同じシチュエーションでも全然感じ方が違って見えて、それを教訓としたり、
癒しにしたり、様々なとりこみ方ができるのですね。
先日、カウンセリングにおみえになられた方は、ご近所のご住職さんから、気分転換に歩いてみなさい・・・
普段の景色を感じてみなさいと言われたそうです。
歩きなれた道でも、人によって視点は違います。路肩に咲く花に関心がある人。ご近所の洗濯物の干し方に関心がある人。
誰か出会わないかしら?誰かとお話したいなあ・・・と思いながら歩く人。
また、自分の心境によっても変わるのでしょう。
色を判別するのも、物の形がわかるのも、あなたの目を通して脳が認識していることです。
また、五感を通じてさまざまな事をあなたのハードディスクである脳が処理をしてソフトウェアである思考を通じて
表面化します。
過去の辛い思い出の棚おろしというタイトルを付けましたが、あなたの経験したことに対して、今現在はどう向き合って
いますか?
あるいは、自分に対してどんな納得のさせかたをしていますか?
今、向き合うべき問題は何ですか?
過去に選択して、あるいは、自分で選択の余地がなく決められたことについて歩んできたことについて、どう気持ちの
処理をつけていますか?
例えば、厳しすぎる親、頑固な親のもとで育って、何か口ごたえすればすぐに殴られた過去があるとします。
子供の頃は抵抗できなかった。自分で自分を守ることが出来なかった。そのことで、今も親を許せない時、どうすればいいでしょうか?
答えははっきりしています。あなたが今、感じている通りです。理不尽なことについては怒っても構わないのです。
しかし、過去の事実については置いていくしかありません。
子供の頃の何らかの家庭環境が、友人や恋人を選ぶ時の基準に反映することもあります。
恨みはあっても、心のどこかで、親の行動を、友人や恋人の行動を自分が治してあげないといけない。
自分が面倒を見てあげないといけないと思うことから、世代間での連鎖が起きることがあるのですね。
私も、こうして綴りながら、まさしく連鎖を起こしていると認識しています。父母は30歳の歳の差夫婦(父が年上)でしたが、
私自身も23歳年上の主人と結婚しております。
母は、昔よく言っていました。
「 若い時はいいけれど、歳をとれば介護生活。何もいいことがない。私と同じ人生を歩んじゃ駄目よ。女も自立しなくちゃ。」
そして、父亡きあとも、後悔の言葉を聞かされていました。
以前は、私も、あれほど嫌っていた母の愚痴を他人の前では言わなくても心の中で恨み節のように同じことを唱えていました。
誰に強制されて結婚したわけでもないのに、あたかも自分が犠牲者のように考えていました。
心理を学んでいくうちに、今では少なくとも、“ させられている ” という
感覚はありません。“ 進んで選択したこと ” として受け入れています。
37歳の時に夫は60歳で定年退職。その5年ぐらい前から老後問題、セカンドライフをどう生きるかについて考える機会を
もらいました。実は夫が退職を迎える少し前から、退職後の3年程はライフサイクルがかたまらず、葛藤の日々でしたが、
今はそこから抜け出してとりあえず...穏やかな日々です。
辛い過去の出来事についても、自分で選べなかったことに関しては事実として受けとめ、許せないことはそれはそれとして
置いていくしかありませんが、自分で選んだことに関しては責任は自分にあると潔く認めることです。
お父さんの暴力からは逃げられなかったかもしれませんが、今現在向き合っていることについて、何らかの苦しさを抱えて
いるとすれば、本当にそれは変えられないことですか?
あなたの色眼鏡が、変えられないのだと歪んで見せているのではありませんか?
心の断捨離。不要なものは置いていって、身軽になりませんか?
秋も深まりました。朝夕はめっきり冷えこむようになりまして、銀杏も色づきはじめました。
眼鏡の調整が必要な時は、穏やかな木漏れ日が差しこむカウンセリングルームをお訪ねくださいませ。
見出し画像は、先日柳井市で講話をさせていただいた折に平生町大星山で撮影しました写真です。視点を変えればこんなに
広い景色が目の前に広がっております。
当ルーム、山口県山口市緑ヶ丘は旧住居表示が宮野下です。閑静な住宅地に佇む普通の家です。
かきかわ統合医療相談室
脳裏に浮かぶことがあります。
“ 親に構ってもらえなかった ”
“ 恋人に酷いことを言われた ”
“ 友人から騙された ”
そして、どんな思い出にせよ、過去の経験から導き出された自分なりの方程式を作り、それが独自の価値観になり、
たとえるならば、サングラスを作ってそのレンズを通して世の中を見ています。
みなさんは、どんなサングラスをかけていますか?
そのサングラスは、産まれた時からかけていたわけではありません。
慣用句では
「 色眼鏡で見る。」
先入観や感情に支配された観察と言う意味の言葉があります。
この言葉は、どちらかと言うと、偏った見方をするといった・・・あまり良い表現としてつかわれていませんが、
私は、自分なりの色眼鏡を持つことはとても素晴らしいことだと思っています。
他人の色眼鏡から見れば、
「 あんな男のどこがいいのよ。優柔不断で、はっきりしないし、マザコンで良いところないじゃない?。」
と言われることも、自分の色眼鏡をかけて見ると、
「 あの、ふんわりと綿菓子みたいなところが好きなのよ。お母さんを大事にしているのよ。素敵じゃない?。」
と思えたり・・・
「 あんた、騙されていたんじゃないの?。」と言われても、
「 私はあの人からいっぱい素敵なことを教わったの。私にない価値観があって、元気をいっぱい貰ったわ。」
と思えたり・・・
つまり、色眼鏡をかけることで、同じ人物、同じシチュエーションでも全然感じ方が違って見えて、それを教訓としたり、
癒しにしたり、様々なとりこみ方ができるのですね。
先日、カウンセリングにおみえになられた方は、ご近所のご住職さんから、気分転換に歩いてみなさい・・・
普段の景色を感じてみなさいと言われたそうです。
歩きなれた道でも、人によって視点は違います。路肩に咲く花に関心がある人。ご近所の洗濯物の干し方に関心がある人。
誰か出会わないかしら?誰かとお話したいなあ・・・と思いながら歩く人。
また、自分の心境によっても変わるのでしょう。
色を判別するのも、物の形がわかるのも、あなたの目を通して脳が認識していることです。
また、五感を通じてさまざまな事をあなたのハードディスクである脳が処理をしてソフトウェアである思考を通じて
表面化します。
過去の辛い思い出の棚おろしというタイトルを付けましたが、あなたの経験したことに対して、今現在はどう向き合って
いますか?
あるいは、自分に対してどんな納得のさせかたをしていますか?
今、向き合うべき問題は何ですか?
過去に選択して、あるいは、自分で選択の余地がなく決められたことについて歩んできたことについて、どう気持ちの
処理をつけていますか?
例えば、厳しすぎる親、頑固な親のもとで育って、何か口ごたえすればすぐに殴られた過去があるとします。
子供の頃は抵抗できなかった。自分で自分を守ることが出来なかった。そのことで、今も親を許せない時、どうすればいいでしょうか?
答えははっきりしています。あなたが今、感じている通りです。理不尽なことについては怒っても構わないのです。
しかし、過去の事実については置いていくしかありません。
子供の頃の何らかの家庭環境が、友人や恋人を選ぶ時の基準に反映することもあります。
恨みはあっても、心のどこかで、親の行動を、友人や恋人の行動を自分が治してあげないといけない。
自分が面倒を見てあげないといけないと思うことから、世代間での連鎖が起きることがあるのですね。
私も、こうして綴りながら、まさしく連鎖を起こしていると認識しています。父母は30歳の歳の差夫婦(父が年上)でしたが、
私自身も23歳年上の主人と結婚しております。
母は、昔よく言っていました。
「 若い時はいいけれど、歳をとれば介護生活。何もいいことがない。私と同じ人生を歩んじゃ駄目よ。女も自立しなくちゃ。」
そして、父亡きあとも、後悔の言葉を聞かされていました。
以前は、私も、あれほど嫌っていた母の愚痴を他人の前では言わなくても心の中で恨み節のように同じことを唱えていました。
誰に強制されて結婚したわけでもないのに、あたかも自分が犠牲者のように考えていました。
心理を学んでいくうちに、今では少なくとも、“ させられている ” という
感覚はありません。“ 進んで選択したこと ” として受け入れています。
37歳の時に夫は60歳で定年退職。その5年ぐらい前から老後問題、セカンドライフをどう生きるかについて考える機会を
もらいました。実は夫が退職を迎える少し前から、退職後の3年程はライフサイクルがかたまらず、葛藤の日々でしたが、
今はそこから抜け出してとりあえず...穏やかな日々です。
辛い過去の出来事についても、自分で選べなかったことに関しては事実として受けとめ、許せないことはそれはそれとして
置いていくしかありませんが、自分で選んだことに関しては責任は自分にあると潔く認めることです。
お父さんの暴力からは逃げられなかったかもしれませんが、今現在向き合っていることについて、何らかの苦しさを抱えて
いるとすれば、本当にそれは変えられないことですか?
あなたの色眼鏡が、変えられないのだと歪んで見せているのではありませんか?
心の断捨離。不要なものは置いていって、身軽になりませんか?
秋も深まりました。朝夕はめっきり冷えこむようになりまして、銀杏も色づきはじめました。
眼鏡の調整が必要な時は、穏やかな木漏れ日が差しこむカウンセリングルームをお訪ねくださいませ。
見出し画像は、先日柳井市で講話をさせていただいた折に平生町大星山で撮影しました写真です。視点を変えればこんなに
広い景色が目の前に広がっております。
当ルーム、山口県山口市緑ヶ丘は旧住居表示が宮野下です。閑静な住宅地に佇む普通の家です。
かきかわ統合医療相談室