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ICANノーベル平和賞に思う

2017-10-08 11:01:06 | 日記・エッセイ・コラム

 偶然のことだが、最近作家の大江健三郎さんが1965年に出された「ヒロシマノート」を読み直していたところに、今年のノーベル平和賞の受賞者にICAN=「核兵器廃絶キャンペーン」が決まったというニュースが飛び込んできた。受賞までには長い道のりだった。このNGO組織の原点はヒロシマ・ナガサキにあったことは間違いない。日本からのヒバクシャの声は少なからず届いていたはずだ。 

 今年の7月に国連において「核兵器禁止条約」が123カ国の賛同によって採択された。しかし、核保有国であるアメリカなどが反対し、追随するかのように日本も反対の立場をとった。8月6,9日は日本にとってなんであったのか。今回のICAN受賞にヒバクシャを初め、多くの人々は祝福した。世界中が沸き立った。にもかかわらず、日本政府はコメントしなかったのである。何と卑屈で卑怯な存在か、改めて知る思いだ。

 今世界は、アメリカと北朝鮮のトップが盛んに汚らしい非難の応酬を受けて大きな不安を抱えている。どこの国がこの危険な状況を打ち砕いていくのか、本来なら日本政府が率先して取り組まなければならない責任があるはずだが。安倍氏は「国民の生命財産を護るために」と勢いづいた発言を繰り返し、北朝鮮に圧力と制裁を繰り返すが、国民は誰も本気で彼や彼の政党が護ってくれるなど、考えて観ないと思う。

 安倍氏の言動は、全く慎み深さや積極的な外交努力を費やしているとは思えない。大江さんの「ヒロシマノート」は、原爆投下による犠牲者を悼む共に、世界最悪の凄惨な様相の中で、茫然自失な人々の沈黙、自ら被爆しながらも治療に当たる医療従事者の怒りと救済の空しさを取材して述べている。

 大江さんはヒロシマ・ナガサキの阿鼻叫喚の原爆被災はアウシュヴィッツの「あの事件」以上に凄惨なものだと断罪している。このエッセイ風なノートは治療に当たった医師の思い、被災に遭った人々の証言、そしてヒバクシャのメンバーの思いをおよそ2年にわたる取材の報告書でもある。

 その中で、当時原爆病院の院長でもあり被爆した重藤博士が、唯一政治的発言をされたとして紹介した言葉がある。「世界の強国が核兵器を持って勝ち誇るにしても、それは長い歴史の上で、彼らの国の決定的な汚点となるであろうこと、日本に、その汚点を絶対許容しない志をもった政治家が表れて、核兵器を保有せず、それに反対する国家としての首尾を全うしてくれることを希望する」と述べたことを大江さんは感銘を受けたとして紹介している。

 核を持たないことに負い目を感じる自民党や閣僚たち、それでも今回の選挙で国会に送りたいのか、私たちの本気度が問われている。ICANの受賞の意義は、日本政府の無関心を装う哀れな反面ナ姿を観るが、自分にとってはヒロシマ・ナガサキはなんであったのか、何度もそこに立ち返り、本当の意味での平和を考えたい。聖書にこうある。「平和を創り出すものは幸いである」

やさしいタイガー