ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

静かな恐怖

2007-01-29 18:09:01 | ブログ

 昨日来、しんしんと降り積もる雪は、いっこうにやむ気配もなく、重たく厚い雲から間断なくボタン雪が降り続いている。ほっとした人、困った人、悲喜こもごもの思いを抱かせながら、多分このまま今晩もやむこともなく降り積もっていくだろう。東京では18度、梅が咲き平年より11日早いという。だから春が近いと歓ぶのは気象知らずの思いのようだ。梅の便りを聞き、やっと寒さから解放されると思ったら、どうも違うらしい。早咲きの梅はよくないという。受粉する虫たちはまだ冬眠中で、ましてや梅の花を頼りに生きている昆虫たちろのタイミングがあわないからだ。「早咲きは梅の不作」というのはこういうところからも影響を受けるようだ。

 昨日、全アメリカの副大統領だったゴア氏が製作した「不都合な真実」という映画を観た。宇宙から見ると、まるで豆粒ほどにもならない地球に90億人が住んでいる。その地球の永久凍土が溶け、森林は砂漠化し、石油の産出は、空気を汚染し、人類の手でこの地球を滅ぼす加害者であることを資料を通して訴えている。 世界の中心はアメリカだと自負する彼らの真実を自らはがし、未来の地球は破滅に向かっているのだと堂々と警告するゴア氏の勇気が地球を救う手立てになるのか、あれは「たわごとだ」と政治的に否定する政治力が勝つのか、もうしばらくで、良心的アメリカが見えてくるであろう。静かな恐怖が覗く。日本の政治指導者たちは、一体何に最も強い関心を持って平和に取り組もうとしているのだろうか。

 不都合な真実を告発できるゴア氏のような骨のある正義感と真実を求める政治指導者の出てくれることを期待しても無理なのだろうか。 悲しい国だ。

やさしいタイガー


朝は一日の感謝の始まり

2007-01-22 17:36:28 | ブログ

 モンゴメリー・クリフトの「赤毛のアン」の中に「朝があるってほんとに素晴らしいことね。朝はどんな朝だって面白いわね。その日のうちに何が起こるかわからないので想像の余地がふんだんにあるんだもの。」という会話が出てくる。朝という言葉ほど魅力的で謎めいている言葉もない、とさえ思う。

 今日も元気で起きることができた喜び。陽射しが緩やかに注ぎ込む窓に跳ね返る美しさ。自然の芸術を創りだしているようにさえ思う。生きていることへの限りない感謝が心ににじんでくる。さあ、今日はこれをしよう、と計画をししてデスクに向かう。

 ぼくはこんな素敵ね朝を迎えるとき、明治の美術の黎明期に札幌にやってきて、今の札幌南高校で図工を教えた林 竹次郎先生の「朝の祈り」という絵を想い出す。朝食の前に家族が丸いちゃぶ台を囲んで静かに心を一つにあわせ、神に祈る姿、質素な家の中に差し込む朝の陽光は、まるで幸せを差し込むような光の線だ。

 そんな先生だからこそ、図工の影響だけでなく、人間的に若者の心に何かを与えたのだろう。先生に教えを乞うた多くの生徒の間から後に著名な画家となって育つ。朝はすべての始まりであり、どのように朝を迎えるかによって一日が決まってくると思う。それは今日一日の感謝の始まりかもしれない。ぼくはこの年になってやっとそんな思いで朝を迎えられるようになった。

やさしいタイガー


待春

2007-01-19 08:38:25 | ブログ

 待春という言葉。何となくこの言葉が好きになった。文字通り春を待つという意味だが、歌に「早春賦」というのは、もうどなたでももうすぐ歌われている素敵な歌だ。待春に譜をつけて「待春譜」という大きな銅版のレプリカをご存知だろうか。この作品は今は亡き、畠山三代喜先生(北海道教育大学名誉教授)制作のおよそ畳半畳ほどの作品である。銅版の青さが重厚さを感じさせるが、先生のお人柄そのもののように優しい心温まる作品だ。

 全体が8の字に構成され、下の半分は少女がまるで冬眠しているように横たわり、その周りで小さな鳥が2,3匹「もうすぐはるだよ!」とチッチとそっと可愛い声で起こしているように見える。周囲の花もまだこんもりとしたふくらみだ。上半分は、ようやく目覚めた少女が周りにいっぱいに咲いた花を愛しみ、春を歓んでいる。鳥たちも一緒に何かを歌っているようだ。銅版という冷たいイメージとは違い、ふくらみや凹みを丹念に細かく叩きながら製作していく先生の姿を想像する。ぼくはこの先生ともずいぶん長いお付き合いだった。

 今年の雪国はどうも雪が少なくて、もうすぐ春がやってくるのではないかとさえ思うほどである。早春とはいえないが、今朝も窓に陽の光があたり、水滴に反射して美しい。ついボーっと眺めてしまう。今日もいい日よりのようだ。昨日の夜に静かに降った雪だろう、あたりが一層清潔に見える。それでいてどこかに温かみがある。これが待春というのかもしれないと、一人納得する清々しい朝を迎えた。

やさしいタイガー


世の中アイデアいっぱい

2007-01-13 10:54:06 | ブログ

その人がどんな方かはわからないが、ちょっと興味のある項目があると、つい登録して今ではメルマガが毎日,たくさん入り、読みきるだけでも1時間はかかる。どうせ暇だからそんなものでも読んで暇をつぶしているのも一つの時間のすごし方かもよ、と忙しい同年輩の人たちから揶揄されそうだが、世の中にはいろんな才能を持っている人がたくさんいて、しかも丁寧に教えてくれる。むしろ知識を豊富にするにはもってこいの情報だ。

 ぼくは書いたら話したりすることが多いので、貴重な資料ともいえる。特に江戸風俗や故事・名言などを読んでいると、つい楽しく、自分で納得したりしている。ちょうど今、近代美術館で浮世絵の解説をしているので、江戸の様子など勉強が重なる。最もこうしたことを昔のように、「勉強」というと、気が重たくなるので、このごろはそうは思わず、お楽しみの一つと考えて読んでいる。

 この溢れる情報の中で、ぼくにはちょっと縁が回ってこないのが、一夜にして金儲けをしたなどという体験者の話を読むと、「ほんまかいな」と疑ったりする。少なくともぼくの周りには一攫千金を果たした人とめぐり合ったことはない。もしかして内緒なのかもしれないが。せめて100円のコーヒーではなく、ソファにゆったり腰を下ろして何か物想いに耽りながら、少々高めのコーヒを啜る環境の中に浸りたいものだ。

 メルマガを読んでいると、結局お前さんが踏み出していないだけだよ、といわれているようだが、とくにぼくはそんな金儲けのためにメルマガを見ているわけではない。この手の情報の多さには驚くばかり。みなさんうまく活用ているのだろうか。賢い人と欲の皮の厚い人は世の中をうまく立ち回って成功しているのだろうね。

やさしいタイガー


雪嵐が去って快晴

2007-01-09 09:56:03 | ブログ

 地元の人はよく知っている。「結局元を取るんだよ」。いつ降るんだと案じる人も多いこの雪国が、気が狂ったような強風と吹き付ける雪で札幌も1日で銀世界に様変わりをした。しかしそれでもイベントをするにはまだまだ序の口の程度かもしれない。これでやっと少し安心して歩くことができる。どうも薄っぺらな雪の上は危なくって歩けない。いわば氷に上をすべるようなものだから。幸い今冬はまだ転んでいないが油断は禁物だ。

 しかしこの積もった雪ノ下には、もう確実に春の芽生えが息づき始めているに違いない。もう20年も前のことだが、雪を知らないぼくにとって、大通りを歩いていて、何気なく積もった雪の中に小さな穴を見つけた。それは片手も入らないような穴だった。その穴をふと覗くと、そこに新鮮な緑を見た。それは雪ノ下で眠っていた芝生の目覚めだと教えられた。ぼくはものすごく感激してじっとしゃがみこんでそのグリーンの鮮やかさに見惚れていたことを想い出す。

 自然は素晴らしい。それぞれが与えられた方法で命を保ち続ける不思議さ。これは雪国でしか味わえない感動かもしれない。時々もういやだ。この雪は。と自分で嘆きながら、今朝の真っ青な空を見ると、青と白の清潔なコントラストがまるで荒んだ心を洗ってくれるようだ。

 1月にはいると、何となく待春の思いがする。「冬来たりなば、春遠からじ」。そんなさわやかな気分にさせる大雪の朝だ。

やさしいタイガー