ブログ人 話の広場

日頃の生活のなかで見つけたことなどを写真もそえて

春が近づく

2012-02-27 09:34:21 | 日記・エッセイ・コラム

 ぼくは花の名前や魚、鳥などの名前をなかなか憶え切れないために、美に対する感覚があまりないのかもしれない、と自嘆しています。とはいえ若い頃から下手な横好きで水彩画をこつこつ描いていましたので、清流や松並木や庭を見るのが好きでした。

 けれどもこの樹はなんというのかな、といつも疑問を持ちながら、むしろ美しさに目を奪われていたように思います。

 今の札幌は、相変わらずの雪が降り続き、一向に季節の変わり目を見せてくれません。本州の西は、もう春のサインはあるような気がします。

 自然の素晴らしさは、自然そのものがぼくたちに「春が来たよ」とばかりに陽も風も光も衣を変えていってくれるのです。あの忌々しかった雪もいつしか溶けて川に注ぎ、やがて大河となって恵をもたらすのです。

 そんなふうに想うと、花や鳥の名前を知らなくとも春の中に囲まれているということを教えてくれる自然のありがたさをしみじみ思います。

 絵もそんな感じを抱きつつ描いています。いい仲間に恵まれて。

やさしいタイガー


もう「絆」という言葉を使うな

2012-02-26 09:43:43 | 日記・エッセイ・コラム

 このところ「きずな」という言葉が、余りにも乱用されているためか、もう使うのもはばかるような世の中になりました。

 私利私欲の塊のような国会議員が分派して絆という政党を作ったようですが、とても信用できる政党になるとは誰も思ってもいないでしょう。また人と地域の間には、絆が切れているという報道もあります。

 このところ記事としては大きな扱いではありませんが、実に深刻なことが起こっています。先日も母がくも膜下出血で倒れ、障害を負った子どもは自分で食事を取ることもできず、そのまま母の下で餓死するという報道を呼んだとき、衝撃的でした。

 社会福祉システムは見た目には整備されているかのようですが、あきらかに機能していない証拠です。少なくとも民生委員は、そのために地域にあるはずですが、ぼくの町内でも民生委員が何をしているのかさえわかりません。

 一杯抜け穴があるということは、それだけ絆が切れているということになります。悲しい出来事、しかも超先進国の一角に明日の不安を抱く人びとは誰に頼っていけばよいのか、 そのつっかい棒すら探せないで孤独に生きているのではないでしょうか。

 こうして日々をつつがなく過ごせることに無上の感謝を覚えますが、影の部分に陽が当たるようにするには、まずは無関心でいるということが一番いけないことなのでしょうか。

やさしいタイガー


いつまで続くこの寒さと雪

2012-02-24 19:13:34 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日から降っていた湿っぽい雪が電線に積り、その高さは15センチにも達していたようです。連日の雪にいささかうんざりしています。

 午後バスに乗って出かけましたが、車窓から見る風景は、行儀よく並んだ公園の樹々になんと雪の花。それは見事で美しいなあ、と心の中で感嘆したほどですが、それにしてもこの寒さ、いったいいつまで続くのだろうか、となんだか毎日損をしたような気持ちにさえなります。

 この寒さの中、あえて健康維持のために外を歩こうという気にはなれないのです。ぼくは小さなアパートに縮こまって過ごしています。せめて雪よけをする必要がないのが救いです。一軒屋に住み人は、さぞ雪よけが大変だろうと、ちょっと同情しています。

 中には家の前にどんなに雪が積もっていても、無関心という家もあり、見ていて違和感があります。いったいどういう家庭だろうかと。

 雪国に住むものの中には、雪一つでトラブルや不快感を近所に撒き散らしてしまうのです。日本人は、そんなとき特段の注意をするわけでもなく、ただ不愉快とにらんでいるのがせいぜいの抵抗でしょう。

 ちょっとした気遣いのできる人とできない人との間には、大きな隔たりがあるようですね。せっかく美しい雪景色を見ながら、一方では不快に受け止めるのはどうかと思うのですが、雪のせいではなく、人の行動がそうさせるのですね。

やさしいタイガー


水戸黄門さんは全国行脚したの?

2012-02-22 11:14:23 | 日記・エッセイ・コラム

 「これが目に入らぬか!」と葵の紋の印藤をみせて罪人を震え上がらせた黄門さんの裁きに喝采を送ったのは、現代社会で見る水戸光圀公の姿でした。長い間テレビの人気をさらっていた「水戸黄門漫遊記」は最近放映が中止になり、寂しく思っている方も多いのではないでしょうか。

 この水戸光圀公は江戸初期から徳川御三家の一藩として徳川将軍達を支えてきた重要人物です。江戸には老中家老たちが、でんと構えて威厳を保ち、武士の誉れを鼓舞するのですが、多々にして町民を虐げ、無理難題を吹っかけては自分たちの権力を押し出すのです。

 光圀公は、そういう驕った言動が大嫌いで将軍にさえ苦言を呈するのです。これも痛快なことです。たとえば4代将軍の綱吉が、母の桂昌院からあれこれ政治に口出しをされてもいいなりになり後世に悪例を残すのです。「生類あわれみの令」がそれです。光圀公はそうした悪例を町民に御触れと出すことに反対し、直言していました。

 ぼくは今頃になって、「水戸光圀」の上下を読みました。村上元三がある新聞に連載してきたものですが、読者が「いつになったら水戸黄門さんの活躍が出てくるのか」との投書が新聞に寄せられていたそうです。ぼくもそう思っていました。

 一向にそれらしい画面が出てきません。びっくりしました。水戸光圀は、生涯でほとんど旅などしていないのです。当時江戸詰めでしたから、せいぜい本家の水戸に行く程度だったそうです。

 ではどうしてこんな噂が広がったのか、なるほどうなづけるものがありました。

 光圀公の家臣である「佐々介三郎」と「安達覚兵衛?」がいて、上様が手がけた「大日本史」という本を作成すべく、この二人が全国を回り旅して資料を集める過程での日記などが残されていることから、介さん、覚さんと呼ばれるようになったようです。

 光圀公は傑出した人物で、生涯人を切ったのはたった一人、しかも家臣のものでした。藤井某は、上辺は忠実な家臣でしたが、次第に野心を起こし、水戸家の跡継ぎに自分の子どもを押そうとしていたのです。

 光圀はそうした下種な野心を抱く家臣を何度も戒め、注意し、いさめてきましたが、この家臣はいっこうに改めることもなかったことで、水戸藩を乱すという理由で刺し殺すのです。一滴の血も出さなかったと村上元三は書いています。

 光圀は大変気くばりのできる人で、その配慮は町民に至るまで平等の思想を貫いた名公だったようです。また先を読んだり、人心の掌握も見事でした。

 後顧の憂いを取り除いて家督を息子に譲り、光圀は引退し、水戸に帰り、研究に没頭するのですが、単なる隠居ではなかったのは、周囲の期待もあったのでしょう。

 70歳を越えて体調を崩し、死の床に付いたのです。胃がんだったそうです。光圀の他者から受ける人望と、ご本人の人間性などが絡み合って、どうやら黄門さんが出来上がったような気がします。

 今の時代も勧善懲悪の指導者が出てきてほしいものです。歴史は嘘をつかないのです。嘘をつく人は歴史を避けている人なのでしょうね。きっと。面白い本でした。

やさしいタイガー

 


読書三昧か暇つぶしの読書か

2012-02-19 10:09:24 | 日記・エッセイ・コラム

 このところ生活スタイルが変わったのかもしれませんが、今まであんまり読書などに時間を費やすことはなかったのですが、最近逆に読書の時間をたっぷりとってほぼ毎日何かを読んでいます。

 かつてはとても読書する時間などない、と言い、読書は閑ができたら読みましょう、などと思っていました。

 ところが最近は違ってきたのです。しばしば図書館に行き、ゆっくりと棚の本を眺めながら、数冊を選んで借りてはせっせと呼んでいるのです。

 自分では、何もあわてて読む必要はないと思いつつも、つい夢中になって読みふけってしまうというわけです。

 もっとも内容的には、型のこらないものが多いのですが、江戸時代の社会背景を知ることが多いのです。人はどんなに抑圧的社会に住んでいても、その網をかいくぐって人は巧みに生きていくものだと知らされます。

 これほど自由で開放的な現代なのに、なぜか窮屈感が漂っています。いろんなことを考えさせられています。

 読書は暇つぶしとは思いたくはありません。まだまだ知識や教養を摘んで人間を高めようと思い込んではいても、なかなか読書三昧と言うところまでは行かないようです。

やさしいタイガー