ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

なるちゃんバスケット

2016-09-11 | その他
お洒落なものは好きだけど、それに夢中になるほど、お金も時間もありませんが、時々行く美容室で、写真のきれいなぶ厚い月刊誌を見るのは、楽しみの一つで、そこから、今の洋服のラインや着物の感じを知ったりします。最新の婦人画報10月号に、あ!!と思わず目がとまるものがありました。それは「なるちゃんバスケット」です。誌面には美智子様と、幼稚園のころの浩宮様の写真があり、浩宮様が小さなバスケットを持っています。このバスケットが「なるちゃんバスケット」。「なるちゃん」というのは、浩宮様のこと。誌面にもあるように、この「なるちゃんバスケット」、当時、大流行したのだそうです。
これと同じようなバスケットが、実家にあります。万年筆のペンで「おのこまち」と書かれた、古い紙の入ったバスケット。そういえば、子どものころ母が「浩宮さんが持っていた」というようなことを言っていました。
母は早くから独り立ちした人で、洋裁の技術を見につけ、自分で身につけるものは全て自分で作っていました。当時、既製服が大量に出ていない時代、洋服は個別に仕立ててもらうものでした。プチ・オートクチュール!?今にして思えば贅沢ですよね。母は自分で作るので、当時流行のラインを取り入れて、中々、お洒落な服を作って着ていました。私は母が若い頃着ていた服が好きで、オーバーもコートも、今も持っています。大きなくるみボタンとか、すごくかわいいのですが、その服のラインを見ていると、お若い頃の美智子様の洋服に重なるものがあります。確かに、母も同時代を生きてきた世代です。上品なスーツやワンピース、いかにもお母さんがお出かけするといった感じの。このレトロな感じは今もとても好きです。
さて、「なるちゃんバスケット」もそんな母が私に買ってくれたもののようです。幼稚園にあがる前にはあったので、よく覚えていませんが、このバスケットを持つと、お出かけ気分になったのを覚えています。
婦人画報の誌面には、このバスケットの中に入っていただろう、お弁当が再現されていました。アルミの楕円のお弁当箱に三色弁当が入っています。美智子様が作られていたお弁当。なんて美味しそうなことでしょうか。
母の世代は、子どもの頃、戦時中で物がなくて、食べ物も服も十分になかった世代です。自分が家庭を持ち、子どもたちの着るもの、食べるもの、手をつくしてやりたいと思ったことでしょう。「なるちゃんバスケット」を持って、中にお弁当を入れて、母とおそろいの洋服を着ておでかけをする…。別段、裕福な家ではなかったですが、母の手が行き届いたところに、子どものころの時間があったことは、幸せだったと思います。
といって、自分がそのような丁寧なお母さんでいられるかというと全然で…唯一、ごはんだけはなんとか、しっかり作っていますが…。
なのに、バスケットに、母の時代の洋服に、今もひかれるのは、母の世代の「お母さん」のスタイルがなんだかいいな、ほっとするなと思うからでしょうか。スーパーの買い物袋もなくて、籐で編んだ買い物籠でお買い物に行く…。昭和は遠くなりにけり…。
(写真は、母が60年前に手に入れたバスケット。私の「なるちゃんバスケット」は実家に眠っています。)



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