ことのはのはね~奈良町から

演劇、アート、短歌他、町家での出会いまで、日々を綴ります。

奈良県立大学3/4シンポジウム

2017-02-15 | お知らせ
3/4(土)午後1時から開催される奈良県立大学のシンポジウムに、パネラーとして、今までの活動から話をすることになりました。コーディネーターの県立大の岡井崇之先生からのオファーなんですが、岡井先生は、私の故郷のご近所さん…。このたびの機会があるまで、奈良におられるとは知りませんで、びっくり。私より一世代お若く、専門はメディア論。奈良で充実した研究をぜひ!と思います。
さて、シンポのテーマは「地域文化の創造力/想像力」~ボディーワーク・演劇・アート。
私は演劇の話になりますが、短歌ににぎわいの家に、どちらかというと、言葉からいろんなジャンルを渡り歩いている感じで…。ただ、そもそも演劇は、言語、美術、音楽、などいろんなジャンルをつなぐ総合芸術。いろんなものを結びつける力があるジャンルです。また、小町座の活動は母親たちと、また子どもたちとの活動など、地元の暮らしの部分からの話もできるかなと思っています。
他のゲストは、ヨガ・ボディワークをされている富永千秋さん、アーティストの西尾美也さん。西尾さんは、昨年秋の現代アートの祭典、言祝ぐ奈良、で奈良町で布を使ったカラフルで楽しいアートを制作された美術家。にぎわいの家の近所で、細い路地奥にパッチワークの大きな家のような空間は、近所の方にも好評でした。若い先生方とご一緒して、
私も奈良の「今」を学びたいと思います。どうぞ、お越しください。
(このシンポはどなたでも参加できます。申込み不要。問いあわせは、奈良県立大学 地域交流センター地域交流室 0742-93-7022 
シンポの後、県立の先生方の発表もあります。)








 

「その名は、ギリヤーク尼ヶ崎 職業 大道芸人」を見て 

2017-02-12 | 演劇
びっくりしました。ギリヤーク尼ケ崎、86歳、現役で踊っているなんて…。名前を知ったのは、学生演劇をしてた頃。「尼崎」とつくギリヤークさんは、尼崎の人と思ってたら…函館出身の方でした。当時は、いわゆる「舞踏」が今よりも一般的に知られていたように思います。世界的に有名な「山海塾」の活躍や、京都には「白虎社」があり、深夜番組によく出演していまた。当時は、白塗りの舞踏を割合テレビで普通に見られていたのですから、面白い時代でした。奈良は桜井出身の舞踏家は、あの御大、麿赤児がいますね。そんな流れの中で、ギリヤークさんのことを知りました。舞踏公演というのでなく、路上で踊るのがギリヤークさんのスタイル。ちょっとこわいもの見たさみたいなところもあり…。失礼ながら、このテレビ番組を見るまで、今もご健在で現役ということも知らず、本当に驚きました。
番組はNHKのEテレの特集。「その名は、ギリヤーク尼ヶ崎 職業 大道芸人」。日々の暮らしの中で稽古を続け、毎年恒例の新宿での披露に向けてのドキュメンタリーでした。86歳のギリヤークさんは、弟さんの世話無しには暮らせません。原因不明の病気、後にパーキンソン病とわかるのですが、手の震えが止まらず、背中も曲がり、唾液も口から流れ出ている…そんな暮らしを弟さんが支えている。市営のアパート、年老いた兄弟二人の暮らしは、決して豊かとはいえません。老老介護の現場を見るようです。けれど、ギリヤークさんは、自分の体がどうだろうがも、暮らしがどうだろうが、踊ることしか前にない。曲がった背中を支えるためのコルセットや、骨と皮のような肉体が映るたび、見ているこちらが辛くなりますが、直にそんなこっちの感情なんて大きなお世話で、どんな体でどんな暮らしであっても、彼には全く関係無く、ただ「一途」な「踊り」への思いがあるのだと、見ているこちらもわかってきます。その「一途」を支える弟さんは、時に動作を促し、時に叱り、兄の世界とは関係無いものに見えますが、実は兄のベクトルと方向が違うだけで、弟もまた、兄の「踊る」「一途」さと同じ「力」を持っている、そう感じました。好きなことをしてきた兄と全く反対の生き方し、七十半ばになった自分が、兄の世話をしながら生きている。普通ならとても一緒にいられないな、と私などは思いますが、弟さんにしてみれば、あまりにギリヤークさんが「踊る」だけの人なので、このただ「踊る」だけを見届けよう、という、境地に至ったのかもしれません。ある意味、これはギリヤークさんの番組でなく、弟さんの番組のようにも思えました。「二人が別れる(死)」まで暮らしを前に進めること、それを担っている弟さんの時間が、垂直に屹立する兄、ギリヤークさんの時間と交わり、兄の踊りの本番に、今を生きる二人の時間が亡くなった母の過去の時間と合流してようやく、ギリヤークの芸、「念仏じょんがら」が完成する、そんなに感覚を受けたのです。
とまれ、毎年恒例となっている秋の新宿公演までの日々は、もう無理でしょうとテレビの前で思うくらい、壮絶でした。なのに毎日1時間、近所の公演での稽古はかかさないのです。弟に押されて車椅子で移動する彼のどこに、あんな踊る力があるのか、ただただ驚くばかり。しかも、本番の様子は、客もまきこみ、叫び、階段も上がり、じょんがら節の激しい音に全くひけをとらない、86歳がいたのです。彼の芸になぜ、こんなに胸を打たれるのか。何も隠すものがない、ただありのままの姿、赤いフンドシ、乱れた髪、曲がった骨を支えるコルセット、皺だらけで骨と皮の肉体…。何も隠すことのない、ギリヤーク尼ヶ崎の肉体と精神が、私たちの中に楔を打ってきます。価値感をひっくり返すのです。
「着飾ってなんぼ」「いい学校出てなんぼ」「給料これだけもらってなんぼ」…そういうものに「なんぼのもんじゃい!」と、まるで仁義なき戦いの菅原文太のような物言いになってしまいますが、そういうことなのです。いろんものに寄りかかり、見栄をはり、自分の周りにゴタゴタくっつているものを「なんぼのもんじゃい!」と一喝するような…そんな踊りです。
かつて「河原者」と呼ばれた人たちが、芸能をなりわいとした歴史がありますが、とにかく飯を食わねばならないのです。ならば、自分の身こそが唯一の糧となります。能も歌舞伎も、生き残るために、生きるために、新たな芸を生み、工夫をする…血の滲むような努力があったことでしょう。「芸」というものは、生きることの切羽詰まった形の一つとしても、見ることができるのではと思います。
その「芸能」の原初的な姿を、ギリヤーク尼ヶ崎の芸に見て、涙が出るのかもしれません。(この系譜に連なるのは、「江頭2:50」しかいない!?)
「芸」とは何もかもを取り払ったところにある「輝き」を見られる唯一の魔法、そんなことを確信する番組でした。
来年も新宿でギリヤーク尼ケ崎、咲けよ!!

立春の風景

2017-02-04 | にぎわいの家・奈良関連
節分の次の日が立春。節分は漢字の通り、季節の分け目。豆を撒き、邪気を払った次の日が「春」というのは、なんだか清々しいですね。奈良町の豆撒きといえば、世界遺産元興寺。にぎわいの家で、フランスの方が、スマホか何かで調べて、わさわざ日本語で、私に「豆撒きのまつりどこですか?」と尋ねられました。元興寺は「鬼も内、福も内」との掛け声だったような…。なにせ、元興寺は元興寺ならではの鬼、「ガゴゼ」がおりますからね。スタッフの西村さんが元興寺の絵馬を買ってきてくれましたが、今年は酉年ということで、コウノトリが鬼の赤ちゃんを連れてくるとという、なんともかわいらしいものでした。
さて、別のお寺で豆撒きを見た方の感想をたまたま聞きました。「何か以前の風情がなくなったなあ…。」とのこと。観光客の方のためのイベントで、地元の人が行って楽しむ感じではない、といったニュアンスでした。奈良は観光が大きな産業ですから、中々、難しいところです…。人が多くなれば、管理的になりそっけない感じになってしまうのも、やむを得ないところもあります。そういう奈良町も私が学生のころはひっそりとしていました。奈良町は暮らす人、訪れる人がいい距離が取れる町だと思います。そうした魅力をにぎわいの家は感じていただけると思うので、大きな行事でなくても?!是非、ご来館下さい。
さて、現在つし二階では、恒例のアート企画を展示中!今回、奈良町の民間信仰、「庚申さん」をモチーフに、アーティストの三好剛生さんが、立体作品を展開してくれています。こうした古くからの「民俗」的なシーンを、現代アートが咀嚼して今を生きる私たちに「形」を見せてくれるのは、「民俗」の今後への新たなアプローチにもなるかな、と考えています。三好さんの「庚申さん」作品、どうぞご覧下さい!

元興寺の絵馬

 三好剛生作品展「かのえさるはよあかし」