弱い文明

「弱い文明」HPと連動するブログです。 by レイランダー

死刑について、異論に答える―2

2008年02月16日 | 死刑制度廃止
 続いてまりんさんの森達也『死刑』(2/11)に寄せられた方のコメントに対して。

>はじめまして。初めてなのに、批判的なコメントを書く無礼を先ずはお詫び申し上げます。

 僕というやつに関する限り、初めてだろうと何回目だろうと、批判なさってくれて一向に構いませんので、お気になさらず。

 ただ、いただいたコメントの趣旨については、いわゆる感情論の域を出ないものである以上、僕としてあまり積極的に返答する気が起きません。それは正直に言わせてもらいます。
 一つ、簡単に言えば、こんなにひどい犯罪者なんだから死刑で当然でしょうが──という理屈を僕にいくらぶつけても無駄です。僕はあなたが知っているより、十倍も恐ろしい犯罪の話を、百倍も多く知っています。それでも、断固として死刑に反対なんです。

 実は、ここのエントリーを使ってまりんさんのコメントを取上げたのは、別の理由です。僕が気になったのは、
人権、人権と仰いますが
という、この部分なんです。ここからは反論というより、ダシに使ったような文章になるけど、まりんさん、ごめんなさい。

 この部分に、僕はものすごく違和感を覚えました。というのは、僕自身は「人権」なんて言葉を、死刑廃止の文脈で使うことはまずないからです。なぜないかというと、その言葉が頭に浮かばないからなんです。
 うっそー!と思いますか?いや、僕も実は意外なんですが、よくよく思い返してみると本当なんです。自分の廃止論の中で意識して「人権」を使ったのは、たぶん一度だけ、ホームページの方に書いた廃止論の中で、「刑を執行する刑務官の人権」という一箇所のみです。
 この箇所は僕としては、死刑賛成派がまさによく使う、「人権人権と言うが、踏みにじられた被害者の人権はどうするんだ」というフレーズに対応する形で、「それを言うなら刑務官の人権はどうなる」と持ってきたかったんですね。ほとんど売り言葉に買い言葉、っていうノリに近いものが僕の中ではあった。すでにこの世にいない被害者の人権をどうするもこうするもないだろう、それよりは生身の人間として今を生きている刑務官の人権に少しは思いを寄せたらどうなんだ、という。

 だけど、今回まりんさんにこう言われたことで、あれっ?って思い始めたんです。実は、こういう場面で言うところの「加害者の人権」自体、僕はあんまり深く考えていなかったし、今もあまり考えていない。なぜかというと、刑法適用に際しての「人権」というのは、もともと犯罪者(または容疑者)全般に対して考慮すべきことであって、死刑囚だから特別に考慮しなくてはならないわけではない。だから、それを死刑廃止の理由と直結するのはおかしいんじゃないか、と。
 現に僕は、いろいろな死刑廃止論を読んだけれど、その中に「人権があるから死刑はダメ」なんて直接的に書いてあったのを、読んだ記憶はないです。広く人間としての品位を傷つける刑罰をもってすることは、わたしたち皆が持っている人権をも傷つけてしまう、という文脈で結びつける場合がほとんどだったのではないか(アムネスティの論理なんかはそうでしょう)。つまり「人権があるから死刑はダメ」ではなく、「死刑も含めて、残酷な行為はダメ」というのが(ぶっちゃけた言い方ですが)人権の概念でしょう。
 そんな概念なんて、現代社会の広い大前提であって、逆に言うとそれだけでは死刑廃止の根拠になり得なくて当然。だからこそ、廃止論はそれ以外のことも一生懸命考えなくちゃならないし、多くの人がそうしてきたわけです。いわば、人権という骨格に肉付けするように。
 僕自身、自分の廃止論を組み立てるのに、先にあげた一例を除けば「人権」という言葉をまったく必要としない、どころか思い浮かびもしなかったのは、そういう事情からだと思います。

 それ以外で「人権」という言葉が死刑囚と交わるのは、適正な裁判が受けられないとか、その刑務所での待遇、たとえば処刑の日が秘密になっていること、家族にさえ最後の挨拶ができないとか、そうした問題に絡んで「人権侵害だ」っていう批判の形をとっているんじゃないでしょうか。つまり、広く受刑者としての人権問題ですね。死刑自体を「人権侵害だ」って言っているわけではない。っていうか、究極のところそうだとしても、それを言って済むなら廃止論は要らない、ってことです。
 もしもまりんさんがおっしゃるように、「人権」の掛け声だけを盾に廃止を主張しているふてえ野郎がいるなら、教えてください。そういう廃止論は、実は何も言っていないに等しい廃止論ですから、僕も嫌味の一つも言いたくなるかも知れない(笑)。が、今までのところ、ネット上のちょっとした書き込みとかを除けば、僕はそんな安直な廃止論にお目にかかったことがないのです(あるいは、あるんだけど、どうでもいいから記憶に残らないだけかな?・・・)。

 あるいはこれは、やはり誰かが(一人ではなく)どこかで話をすりかえているのではないか、という疑念も拭えません。「人権派弁護士」なんていう言葉を当てつけのように使う一部メディアの言論人が中心となって、廃止論者=人権を持ち出せばそれで済むと思っている連中、みたいなレッテル貼りを流行らせた結果ではないのかと。
 確かにそれに対応する現実が「人権派」(これを自称する人がいるなら非常におぞましい)の中にあったのかも知れません。ですが、僕に言わせれば、本当の廃止論者は、少なくともこの日本では、人権を持ち出せば「それで済む」ような幸せな立場に立ったことが一度もない人達です。それで済めばどんなによかったか、と思いつつ。

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15 コメント

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Unknown (ara)
2008-02-17 00:35:38
はじめまして、お邪魔虫です。
私は死刑推進論者です。
あなたの否定に対して真っ向から反対します。
日本の刑罰はほとんど、というより、世界の法律はすべからく応報を採用していると思います。
やったことの悪質さに比例した刑罰になっている筈です。
だれでも法律に触れることでなくとも、あらゆる機会で、やったことのツケ、言ったことのツケは払わねばなりません。相手がいれば、あれば、利息を付けてというのは当然過ぎるほど当たり前のことです。
これは、法律の為す事ではなくて、自然の掟に近いものです。
加害者は多く、死刑の存在を知覚しています。
それに対して被害者は多く、自分の身がここまでしか生きられない運命をその時まで理解できておりません。まずそこから、死刑による死と殺人による死とでは相違が実在しています。
同じこの世からの抹殺であったとしても、全く同等ではないでしょう・・・・
つまり、本当は利息を払わなければならないのです。
邪な殺人者をこの世に残して、幸せな人生を、幸せな家庭生活を送るかも知れなかった被害者をこの世から抹殺しては、世の無情です。

次に、加害者の仕打ちの影響です。
①まず被害者家族に一生忘れぬ恨み、後悔、憎しみの感情を植え付ける。そして、人生の最大の転換を余儀なくされるのだ。
②加害者家族にもその拭えぬ傷は、一生付き纏う。やはり、人生の最大の反省と、後悔とに苛まされ、大きく転換を余儀なくされるであろう。
勿論家族に留まらず、親戚にもその遺伝的形質には悪寒を感じさせずにはおかないだろう・・・・
③現場となった、現場にさせられた持ち主は恨みを何処にぶつければ良いのであろうか・・・・?
④捜査、裁判に関わる労苦、資金は天文学的なものであろう・・・?相当数の人間たちが一生背負っていかなければならない傷なのである。
などなど、ひとつの殺人がどれほどに人々のしわを形成していくのであろうか・・・・
事程左様にその影響力は莫大なのです。
死刑があっても無くても殺人はいつの世も発生します。
私たち一般人もいつかは、死の宣告を受けるときがやがては来ることでしょう、だから死刑というものをそれほど重視否定する必要もないのです。
死の宣告は、有から元の無の時代に戻るだけなのです。だから安直に愚かなる者たちによる殺人死という行為が、自然から認定されてしまっているのです、戦争も同じです。安直なる殺人があれば、安直な死刑があっても不自然ではないのです。
刑務官のご足労を語っておりますが、イヤなら民間に委託させればよいのです。
冤罪を考えるのなら、死刑に至るまでの道のりをしっかりと吟味すればよいのです。


存置論ならともかく (レイランダー)
2008-02-17 12:04:41
死刑“推進論”という立場があるとは、不勉強ゆえ今日この日まで存じ上げませんでした。しかしその割りに、
>私たち一般人もいつかは、死の宣告を受けるときがやがては来ることでしょう、だから死刑というものをそれほど重視否定する必要もないのです
というくだりを含め、今いちやる気がないみたいな、アンニュイな心情がそこかしこに見える点、奥ゆかしい限りです。

>③現場となった、現場にさせられた持ち主は恨みを何処にぶつければ良いのであろうか・・・・?

>イヤなら民間に委託させればよいのです

この2つ、腹がよじれました。すごいセンスです。今年はもう間に合いませんが、来年のR-1、応援してますよ。
笑い事ではありません。 (ara)
2008-02-18 07:52:46
ありがとうございます。
レイランダーさんへ追加です。
笑い事ではありません。
現場にされた地域住民たちの不信、不安感はPDSDとなって一生付きまとうことになるやもしれないのです。
その人の人格性にも大きな影響を与えてしまうのです。
被害者にしてみれば、自分たちが生計を営むに、そんな傷を負いながらも必死になって働き、生きなければならないのに、邪な加害者は3食昼寝つき、運動付きで働くことなく生きながらえることを、考えれば考えるほどにこの国家という理不尽を覚えずにはおられない事でありましょう。
まして、途中で解放でもされようものなら、その悔しさは頂点に達するのではないでしょうか・・・・?

だから、死刑という制度は被害者家族親類にも、加害者家族親類にも、現場周辺の、また加害者との接点を余儀なくされたおぞましい歴史に終止符を(忘れることはありませんが・・・・)打つことができ、且つ、新しい道に向かって行こうとする心の立て直しが進むのです。つまり一旦、引き摺ることなく思考停止を解除することが出来るのです。

不公平感がつのればつのるほど、恨みは永遠に引き摺るのです。

刑務官は仕事として割り切ってやるよりありませんが、イヤナラ拒否も出来る筈です、民主主義制度では強制はできません。
僅かでもそれなりの手当ては出ているでしょう。
それでも希望者がいなければ、民間に委託するしかないのです。

死刑を失くすのであるならば、復讐する者たちに国家が関与してはなりません。文化国家としてそれを防ぐ必要性からの死刑制度なのですから、維持すべきです。

最後に、死刑を失くすのであるならば、加害者との不公平な法体系を整備して、等価交換より余りある賠償を、加害者が無理ならば、国家が代行するべきで、その後、国家が加害者に請求するような制度を確立しなければならない。その後の国家が加害者に働かせて取り返すのは被害者側の認知するところではない。
しかし、現実に邪なる者たちに一生変換のためだけに働かせるのは容易ではない。

世界の流れの死刑廃止意図も分からぬものでもないが、それは国家が、不公正な、不公平な社会構造を脱皮して、被害者側等のケアを真剣に導く前提あってのことであって、そこまで日本社会構造が至っているのであろうか?いささか疑問であるのだ。
>araさん (レイランダー)
2008-02-18 10:32:30
自分の関心のあるテーマだからといって、人の話を聞かずに、自分の思いだけを延々と綴ることが許される場かどうか、よく考えていただきたい。
あなたがおっしゃっるようなことは、すべて承知の上で僕はここまで書いてきている(腹がよじれた2点は除いて)。反論したいなら、僕の考えのどこに対してなのか、具体的に指摘して行なってほしい。

まあ、本当はそれよりも、紹介した森達也の本を読んでほしいです。あなたが共感できることが一杯書いてあるはずです。
よく分からないんですが? (うろこ)
2008-02-18 15:37:07
araさんの言葉は人様のブログのコメントに書く内容ではないのは?
ご自分のブログを創設されて書かれた方がよろしいのではないでしょうか?

>レイランダーさん
管理人でもないのに他の方に言葉をかけていますので、不適切
なら削除して下さい。すみません。
だから・・・・です。 (ara)
2008-02-18 20:59:19
ではあなたのコメントメッセージに対して言わせていただきたく思います。

先ず、刑務官の人権とやら、ですが・・・
死刑をする場に於いての彼らの人権とは何を指しておっしゃるのでしょうか?
彼らは彼らでそれが仕事として割り切っているのでしょう・・・・
自衛隊員は自衛隊員で、相手(敵)を殺すことを仕事としています。そこに人権と呼ぶものがあるのでしょうか?
無用に酷使でもされようものなら、或いは意に反して
強制でもされようものなら、人権を声高に叫ぶのもあるべき事ではあるでしょうが・・・傍が想像豊かにして気の毒がっても、それは不毛の論理ではありませんか?
次に、死刑を含めて残酷な刑罰は駄目!と断罪なさっておりますが、方法論としては一考を要するところはありますが、では、お聞きします・・・
①あらゆる殺人に於ける残酷さは良いのですか?
②済んでしまったことは止むを得ないと言う認識なのでしょうか?
③生きとし生きるものはすべからく生かすのが、国家たる所以なのでしょうか?
④国家による「応報」という、犯罪の性質に応じた報いの刑罰制度は理解不能ですか?
私は死刑が残酷なものであるとは思っていませんが、方法としては考慮すべきものだとは思います。
むしろ永久に監獄へ入れて置く方が、植物人間的で、より残酷、無駄のように思います、百害あって一利なしでしょう・・・・
私たちでもガンのように死の宣告を受けることがあります、街へ出れば交通事故に合うかも知れません、
失業して、自殺に追い込まれるかも知れません、人生は不確かなものです。
何度も言いますが、やった事の重大性を影響性を考えれば、死刑にされてもやむを得ないのではありませんか・・・・「若気の至り」と言う都合の良い言葉がありますが、それで済まないこともあるのです。

ここの欄ではあまりあなたのご意見が伺えないので、気になった他のコメントで述べさせていただきましょうか・・・・
また、森さんの本とかを読みなさいと言われるご託宣ですが、私はあなたの論理に対して私の意見はこれこれこうなのですと、反論しているだけなので、営業的な本の推薦は結構です。
森さんがブログを書いていらっしゃるなら、わたしも意見を申し添えるかも知れません・・・・






緊急コメントさせて下さい (うろこ)
2008-02-18 22:58:15
今の日本の司法は死刑制度の「肯定」「廃止」を議論する以前の問題ではないでしょうか?司法も警察も腐っていると思います。
今の日本は冤罪ありまくりです。「それでも僕はやってない」という映画が実話にもとずいて描かれた事はよく知られていると思います。他にも調べてみれば「警察の違法捜査や証拠ねつ造」「正当性に欠いた裁判」などねじろ押しです。最近、某刑務所では刑務所の医師が囚人に性的虐待を行なっていた事件もありました。
権力側から圧力がかかって報じたのはいずれも地方新聞だけです。
そして司法のトップはあの法相です。「死刑を自動的に執行」と平然と言ってのけたり「冤罪」の意味さえ分らないあの人物です。この人物に「命」を左右する刑の判決をまかせられるでしょうか?私は絶対に「NO」です。
実はこの国会で「死刑執行の4年間停止」法案が提出される、という話を聞いたのです。
私はこの法案を全面的に支持します。
今の日本の司法、行政、警察捜査、特にあの鳩山法相には「死刑制度を扱う資格は絶対にない!」と思うからです。せめて冤罪率が0%になるか、司法のトップにたつ人物が信頼に足る人でない限り、死刑制度は停止しておくべきではないでしょうか?
制度のうんぬんはそれからでも十分に議論できる筈です。
主にうろこさんへ (レイランダー)
2008-02-19 02:31:38
>araさん
やはりあなたはピンでやるべきです。コンビでやろうにも、相方はどうツッコんでいいか途方に暮れるでしょう。というか、ツッコんでる端から「つまらん・・・」という気分が表に出てしまい、客を引かせるでしょう。
芸風としては、昔のつぶやきシローと今の鳥居みゆきの折衷型という感じでしょうか。今のところ「イタさ」を前面に出すより、仕方ないと思います。芸名でお困りなら、またご相談ください。

>うろこさん
気を使っていただき、すみません。まあ僕は慣れてるんで、大丈夫ですよ。

冤罪については、(日本に限らず)昔から脈々と起こり続けていることで、特に最近になって多い、というわけではないようです。おそらく、最近になってバレることが多くなってきたことは言えると思いますが、それがなぜなのかは僕はよくわかりません。
マスコミが関心を持つことが多くなったから、というのはあるかも知れません。もちろんそれは、全面的にではないにしても、世論の関心がバックにあるからこそ、でしょうけど。

最近「冤罪ファイル」という雑誌が創刊されたのをご存知ですか?
http://enzaifile.com/
季刊で380円です。
まだ全部読んでませんが、面白いですよ。それにしても、季刊とは言え、冤罪だけを扱う雑誌が成り立ってしまうんですから、我々一般人が思う以上に、ネタは豊富にあるということですよね。

死刑執行の「モラトリアム」については、僕も基本的に賛成なのですが、それに絡んで最近一つ思うところが出てきたので、いずれ書くつもりです。
Unknown (貧寒)
2008-02-19 05:47:03
初めまして。

araさんの刑務官に関しての意見にちょっと?

うろ覚えですが、現行の死刑のさいも、複数の刑務官が誰が執行の責任を負ったか解らない様なシステムに成っているはずです。江戸時代に首切り浅右衛門と云われた山田浅右衛門(この人というかこの家は、幕臣ではなく浪人身分でした。araさんのいう民間の死刑執行人ですね。)は首を切る度に吉原でハンパじゃない放蕩をしたそうで、なんやかんやと莫大な報酬(気持ち悪い内容も有るので省略)を得ていたのが明治維新以後は殆ど財産が無かったそうです。復讐が当然だった時代でも、自分と無関係な人間を殺すことには多大な重圧があったことが分かると思います。

昔の中国でも死刑執行人は被差別的な存在だったと思います。

この国では牛馬をする人にさえ如何なる差別があったか、乃至未だにあるか、良くお知りかと思いますが。
最後にします。 (ara)
2008-02-19 06:54:02
残念です。
こちらの方は、論理的なお方と思ってコメントをさせていただきましたが、何一つ私へのありがたいコメントがありませんでした。
私もただ罵声を浴びせに来ている訳ではないのです。
考え方の成長のためには、私のような意見に耳を傾ける必要もあるのではないですか・・・?
私の意見も、時々は振り返って噛み砕いてみてください・・・・これで失礼します。

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