エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

狛坂磨崖仏記 - 片目のケンケン

2015年10月07日 | 雑感

2013年8月13日 記 

 

 最近新聞で滋賀県栗東の狛坂磨崖仏の記事を読んだ。ここの磨崖仏を白洲正子がその著“かくれ里”で絶賛しているという。 

一度行きたいと思っていたので、友達のMにスカイプで様子を聞いたら、丁寧に行程を教えてくれて、「カタメのケンケンや、行ってこい」という。

“カタメのメンケン” とは、“片目をつぶってケンケンしても行ける程度の簡単なところ” というM独特の表現だ。

彼は高校時代は山岳部でいろんな山に登っている。私自身はほとんど山には行かない。彼の忠告を聞いてポカリスエット、あんぱん、他にあめ。 靴は私はハイキング用、家内と娘は運動靴、と我々にしたら用意万端だ。


 出発点の金勝寺から、まあ結果的には “カタメのケンケン”だったが、この山の土質は花崗岩だろうか、滑ること滑ること!私の靴でも滑る。家内と娘はなんとかひっくりかえらないようにと必死。おかげで暑さは倍増、疲れも倍増といった具合だ。


 やっとたどりついた狛坂磨崖仏は、中央に大日如来様、両側に菩薩様、そして上にも左の岩にも小さな菩薩様その他がおわします趣のある壁画だった。

作は平安時代とも奈良時代とも言われているが、詳細は不明だ。


家内が言った。「白洲正子さんだったらこれ見て、美的イマジネーションがふくらんで、さーと文章になるのね。私なんか歌ひとつうまれない」

彼女とは違い、歌詠みの私には即一首浮かんだ。

   “えんえん(炎炎)と 片目のケンケン 磨崖仏”

 

途中、不安定な二重重ねの巨大な石があった。重ね岩と名前がついており、壁面に仏像が彫られている。さらに一句。

   “重ね石、崩れてきたらペッシャンコ” 

 

“あはは” と家内と娘の笑い声を背後に聞きつつ帰路に着いた。


                         


最新の画像もっと見る

コメントを投稿