6/2の続き②です。
初めてこの林道に入ったとき、ここも来ていました。
草が生い茂り、そのときとは様変わりしてしまっている。
草の成長、すぎる生命パワー。
1週間で、これほど変わるとは・・・
ここはかなり違和感を感じた場所だ。
①で解析した、沢の奥で緩やかなカーブで渡って方向を変え、高度を上げていた場所のこともある。
車の轍跡のその先は途中までは進んでいけたが、途中から草がモッサモサなのだ。
それに周囲は土砂が崩れて流れてきて坂になったように、地形が変わってしまったように見える。
ここから先は、この電柱のある現林道とは異なるルートを軌道は通っていると思われる。
しかし、先週とは景色が変わってしまっている。
草丈がありすぎて、これを掻き分けて入っていくとなると、迷うこと必須。
あきらめて違和感の感じた場所に戻る。
ここも現林道とは異なるルートをたどっていたのではと仮定してみた。
そこで、最初に上ってきた進行方向から振り返って方向を確認。
自然に進む方向を見定める。
そうすると、こちらも自然なラインで結ぶことが出来る。
そのラインを進んでみた。
行けそうだけど、なんか違うかな!?
不自然な高低差もない。
草が生い茂っていて足元は良く見えない。
それなのに、歩いて進むのが苦にならない。
平坦なのだ。
草丈はひざ下くらいなので、問題ない。
視界もそこそこ開けている。
足下に注意を払いながら、もう少し進んでから判断しよう。
ジャングルぅ~!!
あれ!?
予想が外れたか!?
草丈が、だいぶある
しかし、見た目とは違い平坦だ。
まだ先に進んで行けそうなラインには大きな木々がない。
足場は落ち葉や草で、ふかふかな歩きごこち。
とにかく歩きやすいのだ。
あやしいぞ。
勾配がなく、フラットなんだよなぁ~。
もう少し進んでみての雰囲気で、行くか戻るか決めようとしていた。
って、いきなり景色が変わった。
この辺りはかなり薄暗い。
目が慣れてきて周囲の状況が理解できた。
あああぁ~土砂崩れの場所か・・・。テンション↓(TへT)↓
デタラメな地形に、なんか平衡感覚を失う。
この時点で、すごいものが写っているのだが、自分では解っていない
足場が悪いので高いところを歩いていて、ここから左側のほうへと進む。
土砂が崩れて荒れた場所だ。 ///orz///ズゥゥゥゥン
妙に気持ちが萎えて、さっさと帰ろうと思った。
この場を早く引き上げたほうが良いような感覚が込み上げる。
周りの景色がそうさせるのだ。
怖くなってきた。
いったん引き返えそうと、振り返ると・・・
低いところは掘割で湿地状態だったのだ。
ここ軌道跡だよ、ムフフ
ってことは、調査続行。
なんかあるかな!?
また振り返り、その掘割の行く先をよく見る。
行き止まりで、土砂が崩れているだけかと思った。
しかし、なんか違和感を感じる。
奥の斜面に自分の目のピントを合わせて、凝らしてみると・・・
どおあぁ~~~!!!
えええええぇ~!?
なんでこんなところに自然にないものが・・・
もしかして、もしかして、もしかして
動揺しているので、カメラをしっかり抑えられない。
なので、ブレまくってます。
っで、気が動揺しているんで転んでもいけない。
足場を確認しながら、ゆっくり近づいてみた。
はひぃ!?
コンクリートの構造物。
なんか小さい!?
思っていたものと違うイメージ。
だけど穴が開いているように見えてたし・・・
もっと大きな穴が開いているように見えたのだ。
木の根でした。(´▽`*)アハハ
近づいてみると、小さな穴が開いていた。
んんん・・・砂防の構造物の一部か!?
この辺りは崩れまくっているんで・・・
良く見ると、中は下がっていって広くなっているようだ。
カメラだけ差し伸べて中を撮影してみた。
携帯電話のカメラではフラッシュも弱いが、
撮影した画像を見ると、空間が広がっていた。
見た目の小さな穴からは予想だにしなかった大きな空間である。
釣鐘状のアーチになっている。
一部しか見えなかったので、思っていたモノとは違うものだと一瞬考えてしまった。
だが、こうやって確かめてみると、トンネルであることが解った。
奥は白く見えている部分で終わっている。
途中まで造って止めた!?
どうも内部が崩れて埋まっているようだ。
ってか、トンネル!?
この辺りで隧道と言えば、アレしかない。
いきなり、プレミアムな隧道に出くわしてしまった。
名前だけは知っていた、七影隧道の坑口に間違いない。
ジワジワと感動が込み上がるものがあるのだが、
それを押し潰すだけのなんとも言えないプレッシャーを感じるのです。
周りの景色がそうさせるのですよ。
正直、恐かったのだ。
本来ならば、飛び上がるほどの感極まりない感動を得て、奇声を発してしまうところなのだが・・・
津軽森林鉄道の隧道は数箇所あるらしい。
オイラのような若輩者には、敷居が高い遺構だと思っていたので、
出くわすことないだろうからと、
あまり事前での机上調査などしていなかったのです。
コンクリートの表面をアップで見てみた。
ヒビが入っているが手前の部分だけのようだ。
礫が大きいような!?
コンクリートが貴重な時代だったはず。
コンクリートの使用量を節約するためだったのでしょうか!?
長い年月もの間、この場で坑口を守ってきたと言うことは、
強度的にも礫の大きさや配合も問題なかったって事ですね。
にしては、内部の崩れはちょっと解せない。
周囲の土砂崩れの状況からすると、内部が破壊されるような力が加わったのか!?
トンネルなので、相当強靭に作られているはずですけどね。
この場所から振り返ってのバックショット。
崩れまくりの恐怖を感じる風景。
良くこんなところを入ってきたものだ。
無地に帰れるだろうか不安になったり・・・
プレミアムなモノを発見し、気分が高揚しつつも周囲の景観から恐怖も感じるという、
かつてない感覚に見舞われた。
とにかく落ち着いてゆっくり歩き、この場を去った。
車を停めているところまで戻り、リュックに入れていた水を飲む。
勝利の美酒ならぬ、美水をいただく。
これは昨日汲んだ、山の水だ。
やはり、何かしらのパワーが宿った水なのかも・・・!?
かなり汗を掻いて喉も渇いていた。
この水を持ち歩いていたのに、取り出して飲む余裕がなかったのは事実だ。
今、飲んでみた。
特に美味いわけでもなく、普通だった。
帰りの道は安堵感に包まれていたが、疲れも感じていたので慎重に運転した。
入ってきた林道の一番最初の案内看板を見落としていたが、
草が生い茂っていて、隠れていただけだった。
草の成長が著しい。
このように景色の目印や特徴が奪われてしまう。
しばらくは山の奥深くまでは入らないほうが良いと思いました。
国道に出ました。
目の前を走り去るハイブリットの車。
走り去ってしまったので、写真には写っていませんよ。
やっと、現代に戻った気がします。
軌道調査をしていると、
タイムスリップしているかのような不思議な感覚に見舞われる。
そういうのはオイラだけだろうか!?
今日、発見したものは名前だけ知っているのに等しいくらいのものだった。
この記事をまとめながら、改めて七影隧道について調べてみた。
自分の数少ない(一つだけだけど)資料から、
昭和17年度、4,546mを開設。(隧道 129m)
昭和22年度、4,900mに訂正。
昭和40年度、全線を廃止。
っとある。
この区間は、津軽森林鉄道時代の営林署管内名称と現林道名とも異なる。
この辺りの地名とも違うので、妙に引っかかっていたのです。
資料によれば(隧道 129m)を有する区間をオイラは歩いていたのだ。
(参考にした資料には、隧道名が記載されていない。)
間違いない、あれは(隧道 129m)の坑口だ。
(隧道 129m)のことを調べるとすごいことが解ったのだ。
この隧道は、なんと使用されることなく迂回されていた。
なので隧道名が記載されていないのかもです。
それが昭和22年度、4,900mに訂正されている理由だったのだ。
実は、正確には昭和17年度の開通は一瞬だけだがあったのだ。
Web上で調べると、隧道名が「七影隧道」であることに間違いはなかった。
もともと、ここは林道として明治32年に青森県で最初に開設されたらしい。
津軽森林鉄道が軌道を敷設し始めた年は明治39年からで、開通は明治42年だ。
この林道は峠を越えているので、明治39年にトンネルの計画もし設計まで行ったが実現まで至らず。
明治40年には、路面拡張と掘割をしたようだ。
大正15年には再びトンネル計画を出すが、実現せず。
やはり峠越えをするラインだと、軌道を設置する上で収支が合わないのだと思います。
しかし、この地域で運搬を安全かつ正確に搬出量を増大させるには、ここに軌道を敷設する必要があったようだ。
昭和17年に3度目は、全長129mのトンネル設計がされ実際に工事が進められた。
この時点で地盤が悪いにもかかわらず、全部木材の支保工で施工された。
竣工式を盛大に行う準備もしていたようだ。
しかし、その4日前に、くしくもトンネルの峠の中心部から北側の坑口にかけて約半分が土圧で崩れてしまったようです。
復旧を試みたが、粘土の崩壊で手の施しようがなかったようだ。
さらにトンネル自体も湧き水のために崩れてしまうという。
しかし、時代背景からか、是非がままに復旧工事は強行されたようだ。
昭和21年には、元の北側の坑口の位置から側方にずらした位置から、峠の中心部の完全な部分へと70mの隧道を堀り、接続をする工事を行う。
当然、物資不足の状況下であるから、コンクリートは使えず、ヒバ材を使った木造の巻き立てとした。
これは、津軽森林鉄道開通当初からある隧道でも同じ工法で、十分持ちこたえている箇所があり、その実績からのようだ。
しかし、木造の隧道で土圧で崩壊した経緯があるのに、同じ方法で復旧せざる終えなかったのは、半ば無理を承知での、かなり切迫した状況だったと思われます。
結果、あと5mほどで元の隧道と接続できるところまで進んだようだが、再び土圧力に耐えられず、崩壊してしまった。
オイラが見た南側の坑口は現存し、しかもコンクリートを使用していた。
入り口付近の5mほどはコンクリートを使用していたためだったと思われる。
なので、その奥からは木造の巻きたてなので崩れていたのだろう。
すべてがコンクリートで巻き立てられていれば、崩壊することはなかったと思いたい。
それから昭和22年度に4,900mとあり、454mの距離の差は、
この年から3年かけて崩壊不通の隧道をかわすように、大掘割で結ぶ路線に変更で工事が行われために延びた距離だったのだ。
っん!?
大掘割!?
土砂崩れで地形が変わってしまったようなところは、大掘割というか深い切り通しだったのでは!?
そこが一部崩れてしまったとなれは納得のいく景色になります。
あの先も進んでいける可能性が出てきた。
しかし、草丈が大きすぎるので視界を奪われ、方向を見失う恐れがある。
調査は時期を見なくてはいけないなぁ~。
そうそう行ける所でもないが・・・
ここは、当初の計画からとてつもない時間と、いわくつきで完成した軌道。
ようやく機関車で運行し木材を運び出せるようになったのだ。
さらに、この隧道は40年以上も前に写真で収められた記録があるようだ。
その後の存在は公の場に出ていなかったようだ。
3度の計画、竣工前の崩壊、復旧作業もむなしく
一度も使われることのなかった隧道。
長い年月に、忘れられ去られた隧道。
その存在も、ここ近年に発見されたモノのようです。
プレミアムな隧道をオイラは目にすることが出来たのだ。
こういうのは狙っても、なかなか探せるものではないと思います。
林道ごとに軌道の敷設に至る物語があると思われる。
今回発見した「七影隧道」のように使われなかったのは稀だと思うが、
工事が難航したところなどは、ほかにもあると思います。
そういった情報を得ると、今まで見つけた遺構の見方がかなり変わってくると思うのだ。
今回は、感慨深いものがありました。
=へばまんだのぉ~=
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