![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/de/22491f88c6911d733511a7e33bcff6ab.jpg)
長男君が 「レポートを書くので田並地区のかっぱの淵の写真を撮影してパソコン
に送って」とメールを寄越しました。なんで?あの子の選択した科目にそんな昔話
をレポートにするのがあるのか?と思ったけど、行かなきゃ撮影できません。
田並地区には古くからの 河童の話がありまして、昔の人は河童を土地の言葉で
『ごったれぼうし』と呼んだそうです。今のようにプールなんぞない時代ですから
子供たちは近くの川に泳ぎに行きます。当時は子供の水遊びに親がついて見張りを
することなどなかったので、子供が危ないところに行かないように『ごったれぼう
し(河童)』が出ると言う話をして水の恐ろしさを教えたのではないだろうか・・
と、参考にした本に書いていました。
かっぱの淵は天満神社の下からホンの少しの間に位置したようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/b8/5b681fd956ce97222ec6ab8498b283a0.jpg)
写真中央の外灯の後ろ、太い切り株が「ヨノミ(榎)」の木の名残です。
いまは このようにコンクリートで固められていますが昔は上の道も細く大人が
二人ほど横に並んで歩くといっぱいいっぱいで、左の山も雑木が茂り薄暗く一箇所
山から水が流れ落ちてくるところがあり、それは滴り落ちてくるくらいの水量で
昔の子供たちが手ですくって飲んでいたかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/bd/121c029b495c5a33ac2c462eaa7d89d3.jpg)
これがヨノミ(榎)の木?大きな木のようでしたが虫食いもひどいようですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/59/4e781aac7b4c7144d9abe545a39f5937.jpg)
この切り株が 昔話『かっぱの淵』の中にでてくるヨノミの木?です。 話に
言われるヨノミらしき切り株は二つ・・・どちらかな? つづく
に送って」とメールを寄越しました。なんで?あの子の選択した科目にそんな昔話
をレポートにするのがあるのか?と思ったけど、行かなきゃ撮影できません。
田並地区には古くからの 河童の話がありまして、昔の人は河童を土地の言葉で
『ごったれぼうし』と呼んだそうです。今のようにプールなんぞない時代ですから
子供たちは近くの川に泳ぎに行きます。当時は子供の水遊びに親がついて見張りを
することなどなかったので、子供が危ないところに行かないように『ごったれぼう
し(河童)』が出ると言う話をして水の恐ろしさを教えたのではないだろうか・・
と、参考にした本に書いていました。
かっぱの淵は天満神社の下からホンの少しの間に位置したようです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/b8/5b681fd956ce97222ec6ab8498b283a0.jpg)
写真中央の外灯の後ろ、太い切り株が「ヨノミ(榎)」の木の名残です。
いまは このようにコンクリートで固められていますが昔は上の道も細く大人が
二人ほど横に並んで歩くといっぱいいっぱいで、左の山も雑木が茂り薄暗く一箇所
山から水が流れ落ちてくるところがあり、それは滴り落ちてくるくらいの水量で
昔の子供たちが手ですくって飲んでいたかもしれません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/bd/121c029b495c5a33ac2c462eaa7d89d3.jpg)
これがヨノミ(榎)の木?大きな木のようでしたが虫食いもひどいようですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/59/4e781aac7b4c7144d9abe545a39f5937.jpg)
この切り株が 昔話『かっぱの淵』の中にでてくるヨノミの木?です。 話に
言われるヨノミらしき切り株は二つ・・・どちらかな? つづく
河童の話、いたずら河童にさせた約束、
「焼いた魚が泳ぐまで、炒った木の実が生えるまで、岸のヨノミの樹が対岸に届くまで」の話、
むかーし串本高校の冊子に投稿をした覚えがあります。
現在まで河童が何かしらいたずらをした話は聞かないので、淵のあなぐらでヨノミの枝が向こう岸につくのを待っているのかもしれません。この川は今はよく渇水するので 出るに出られないという説もありますが。
6丁目25番4さんは 串本高校卒業なんですね私もそうですが、いまは 串本古座高校となりなんか変な気分です。校舎も制服も校歌もかわり、記憶がアルバムみたいになってきました。高校の冊子に投稿したとありますが、その冊子が残っていればいいですね。
管理人様は、どんな本を参考にされたのでしょうか?
私は「昭和44年3月串本町公民館発行の”串本町民話伝説集”」を持っています。
串本高校に投稿した話、どのような形でしたのか覚えていません。
私は田並小学校、田並中学校、串本高校卒、です。
河童伝説は日本中にたくさんあるのではないかと思いますが、このお話も昔から今に伝え語られることを願いますね。
田並出身だそうですが、町内に住まわれているのでしょうか?それとも町内をでているのでしょうか?串本や田並は小さい頃と変わっていますか?私も串高生でした。
今は千葉県に住んでいます。家内は和歌山市出身です。若い頃はクルマでときどき帰省しましたけど今は半分寝たきりです。
千葉で望郷の思いに胸を焦がすだけです。
管理人様は気軽に田並の写真を撮影できる立場だからきっと田並在住かな?
HP「ちのと」も頻繁に見て居ます。
足跡も残しています。
串本公民館発行の民話集の「河童の話」
お送りしましょうか?
私のはHPという立派なものではなく、公開ブログ日記というもので、時には数日同じテーマで行って来たよ、見て来たよ、を勝手気ままに書きなぐり、時には先週今週のように怠けて書かなかったり・・・で、それでもたまたま偶然にこのブログを見てコメントを下さる方々にはいつも感謝しています。
ただ、ブログはHPのように管理人が特定されたり本名を名乗りはしないのです。「公開ブログ日記」と銘打ってはいますが、マナーやルールがあって
①個人情報はむやみに書かない。
②許可なく人の名前や写真を載せない。
③許可なく他人の文章や画像を載せない。
④人を誹謗・中傷することは書かない。など。
個人名を書くというのは、勇気がいることだと思います、狭い町内ですからなにが付随しておこるかわかりません。「ちのと」という山があることは知っていましたので、ブログを始めた時に登録名として使わせてもらっただけです。
6丁目25番4さんが教えてくれたHP「ちのと」を見てきました。管理人さんは見事に作り上げていましたね。その差が ブログとHPの差だと思います。
大切な民話集、6丁目25番4さんが持っておくものですよ。たぶん現存しているのはそうないと思います。
文中に 半分寝たきりとありましたが こうしてパソコンを使って故郷の情報を集めたり思いだしたりしている、その元気は田並人の気概かもしれません。私なんぞは風の冷たさに「寒い寒い」と、串本町内はきょうはすごく吹く風が冷たく、強風でした。背中を丸めて歩くのは、まだまだ続きそうです。