またしても間隔が空いてしまいました。。。
で、自分なりにどうして更新が進まないのか・・・自問してみました。
たどり着いた結論は、「中国在住時と違って、本当に伝えたい内容が少ない」ってコト。
現地に居れば色んな刺激があって、日本と違う視点で書けるネタがゴロゴロ転がってますからね。
そこで、今回からシリーズで「息子の中国留学(残留)物語」を書いて行くことにしようかと。
正直なところ、あまり身内のことを書くのは・・・と常々思っていたのですが、ウチの事例は極めて変わっていると言われることが多いし、たしかに特異な例だとも思うので。
まあ、どちらかと言うと、留学というより残留のほうが正しいのかも。。。
てなことで、久しぶりにシリーズものとして書き綴っていきますね。
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まず、パート1では、中国生活スタートを回顧。
時は、2009年10月。
上海万博を翌年に控えた中国・上海で、我が家の中国生活がスタート。
当時、ウチの息子は中学1年生。
他の日本人駐在員一家と同じく、当たり前のように日本人学校に転入しました。
転入した当時、たしか1学年に200人以上の生徒が在籍していたと思います。
加えて、上海の日本人学校中等部は、日本人があまり住んでいない浦東地区にしかなく、しかも小学部と併設。
そのわりに、校舎・校庭とも、とても狭い!!
こんなので授業できるのか??ってのが、正直な第一印象でしたね。
まあ、数年前に出来た学校だったので、施設は立派でキレイでした。
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しかも、日本人学校への登下校に当たっては、必ず送迎が必要。
そのため、歩いて行ける距離でもバスで登下校する生徒がほとんど。。。
ごくわずかに徒歩で通って来る生徒がいますが、その場合もお手伝いさんが送り迎えという家庭も多かったような。。。
我が家としては「こんなバカらしいことはない!」との考えのもと、中学2年の7月に校舎の隣の敷地にあるマンションに引っ越して、自ら送り迎えすることに(お手伝いさんなんて雇っていませんでしたし)。
そのほうが、余計な出費も抑えられますしね(笑)
といっても、そこは日本人家庭ばかりが住むマンションではないですよ。
当時の見た感じでは、日本人は1割も住んでなかったんじゃないかな・・・。
それにしても、海外において、法人の安全確保が最優先されるということは十分理解しますが、ここまで発展した中国、しかも最も国際的な都市である上海で、未来を担う若者たちをこんなに過保護にする必要があるのか・・・と感じたのを、今でも覚えています。
若い人材にこそ、発展する中国のいまを肌で感じてもらいたい、と今でも切に思っています。
ただ、ここで感じた違和感のようなものが、後に別の形で妙な納得に変わるのですが。。。
次回につづく
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