<中国ブログ>中国サイコウ 元/上海駐在日本人が綴る日中経済の状況など

中国駐在時代の経験・知識をもとに、
最高(サイコウ)の日中関係の再構築を目指し、
日本と中国を再考(サイコウ)する

息子の中国上海留学(残留)物語 パート10

2018-09-24 | 息子の中国上海留学(残留)物語
2013年6月、現地の中学校を卒業した息子。
筆者は帰国後の業務に追われ、特に卒業式に参加することもできず。。。

ただ、さすがに高等部の入学式には行ってあげたほうがいいだろうということに。
復旦大学附属中の校舎や寮には行ったことなかったですし、今回は本格的な引越しのようなものなので何かと揃えるものもあるし。。。

ということで、2013年8月末に上海へ。
不思議なもので、半年も経っていないのに、何となく懐かしい感じが・・・。
人間は「もう関わりが薄い」と割り切ると、急に縁遠く感じてしまう習性があるようで(汗)

息子が入学することになった復旦大学附属中学、中国の生徒にとってはかなりの難関校。
合格率も相当に高いとのことだった。
対して、国際部のほうは・・・というと、
他の大学附属校よりは難易度は高めだが、本科に比べると難易度は大きく違うらしい。
まあ、言葉のハンデがありますからね。
息子曰く、入試の問題はそこまで難しくなかったとのこと。

それでも、中国の方に息子のことを話すと「すごい優秀ですね!」と言われ、
いや・・・日本では「中の上」くらいの成績なんです、とも言えず。。。

息子の代の国際部は、日本人と韓国人が4割強ずつ、それに中国籍を有しない中国系の学生が2割弱という構成。香港系や台湾系ほか、ハーフの子もいますからね。
当然ながら、言葉の面で、日本人と韓国人は不利。
とりわけ、日本人学生は「読み・書き」は得意だけど「話す」が苦手という傾向に。
ウチの息子、他の生徒と比べて、中国語は圧倒的だけど、それ以外の科目は・・・という逆転状態。まあ、半分中国人って感じです。。。

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ちなみに、中国留学って、一体どのくらいお金がかかるのか・・・
あまり知られてないですよね。

これが結構高いんですわ(涙、涙)

中国の学校は2学期制(前期・後期)なので、学費等も2期に分けての支払い。
復旦大学附属の場合、学費が43,000元、寮費が8,000元で、計:51,000元。
これ、当時は円安が進んでいたこともあって、たしか約85万円くらいに。
しかも、半期ですからね。。。
加えて、学校で使うシャワーや食費などのため、デポジットを入れる必要がある。
このほか、留学生保険、帰国旅費、家庭教師代、お小遣い等々を入れると、半期で130万円くらいに。。。
単純計算ですが、3年間で800万円くらいかかったことになります。
軽い気持ちでは留学させられないですね。

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ちょうどこの頃、日本では高校の授業料が実質、無償に。
ホント、羨ましいなぁ・・・と思った記憶があります。
我が家とは雲泥の差です。。。

ちなみに、現地校のときは1月当たり30,000円くらいでしたね。
しかも、寮費も込みで。

復旦大学の学費が1年で23,000元なので、いかに国際部が高いかが分かるというもの。
おかげで、大学の学費は日本よりも安い感じですね。
物価が上がり続けているとは言え、生活費も日本より安いですから。

出世払いしてくれるといいのですが、、、
「子どもに過度な期待は禁物」というのが、どの時代も共通の原則かと。。。

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息子の中国上海留学(残留)物語 パート9

2018-09-16 | 息子の中国上海留学(残留)物語
息子が中学3年春の出来事を思い出したので、その話から。
もっとも、中国は9月始まりなので、2学期の始めですね。

実は、その年、筆者は帰国の予定になっていたので、中学卒業後をどうしようか・・・と。
そのまま残ると仮定すると、やはり高校は大学の附属に進学するほうがいいですからね。
息子が通っていた現地校にお世話になり過ぎるワケにもいかず。。。

で、筆者、ふと思いついたんです。
そうだ、息子は16歳。日本ではとっくに高校生の年齢だから、中国の高校にも日本人と同じタイミングで編入できるのでは・・・、と。
通常、日本人の留学生は3月に卒業後、4~6月は語学の勉強をして、9月からの新学期に備える。
これと同じように扱ってもらえれば、安心ですからね。

そこで、附属高校に問い合せて、進学の話を聞きに行くと・・・
先生:「息子さん、今の中学を卒業しないと、高校には入学できませんよ。」
筆者:「えっ、なんでですか?」
先生:「だって、中学の卒業証書がないでしょ。証書が入学時に必要なので。」

このやりとりで思い出したのが、日本人学校の担任の一言。
「卒業しておいたほうがいいと思うんですけどねぇ・・・」という言葉。

そうか・・・、そういうことだったのか。
ウチの息子、日本人学校の中学3年秋で転校、当時は現地校の中学3年だから、まさにどっちつかずで中学を卒業していない状態(涙)。

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でも、ホント不親切ですよね。。。(まあ、コッチの言い分ですけど)
常識的に考えて、こういう注意すべきことって、教えてくれてもいいと思うんです。
保護者は慣れていませんから。
結果的には、それを聞いていても、現地校への進学を諦めることはなかったので、別にいいっちゃあいいんですけど。。。

でも、そのとき、息子に
「やっぱり日本人学校、卒業しておいたほうがよかったんじゃない?」
って言われて、「イタイところ突かれたー」って思ったのを今でも思い出すんですよね。

そして、2013年春、筆者は約3年半の任期を終え、帰国の途に。
この時点で、息子は中国留学というより、中国残留となりました。
タイトルを留学(残留)としているのは、そのためです。
実際、中国時代の知り合いには「息子さん、中国残留孤児の現代版だね」なんて、からかわれましたから(爆)。


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ただ、ひとつ大変だったことも。
親が帰国となると、中国での息子の身元引受人がいなくなっちゃうんです!
なんでも、高校からは学校が引き受けてくれるらしいが、ウチの息子が通っていた学校は日本人は一人で、そういうサービスはやってない、とのことで。。。
この辺りは駐在経験がある方は分かると思うんですが、中国は異常なほど融通が利きません。

で、最終的には、中国の現地スタッフにお願いし、快く受けてもらい、問題解決。
と思ったんですが、そこは中国。
またまた色々と証明書やらの書類を提出しろ、と言われ・・・。
このとき、公証役場に初めて行きましたね、いい勉強になりました。

まあ、そんなこともありましたが、息子は無事、上海復旦大学附属中学の国際部に合格。
2013年9月から、晴れて高校生になるのでした。

次回から、高校編へ。

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息子の中国上海留学(残留)物語 パート8

2018-09-15 | 息子の中国上海留学(残留)物語
前回記事の続き。
隣の中国人ご夫婦との食事をしながらの話し合い。
中国人の奥さんが通訳をしながら話を進めていくことに。

まず、当時の息子(日本では中学3年)の状況をおさらい。
10月の国慶節明けの新学期から中学2年生として現地の学校に編入。
中国語がまともに話せない状況ながら、中国語での授業。
自宅が遠かったこともあり、水曜日と週末以外は寮生活。
上海でほぼ一人で行動することになったこともあり、日常生活は問題ない状態。

話し合いでは、隣のダンナさんが「まともに授業を受けられない状態なので、一刻も早く日本人学校に戻すか、日本に帰国して勉強させたほうがいい」と。
奥さんのほうは淡々と通訳してくれています。

コチラは、心配してくれることは有難いものの、このまま通学させるしかないので、なかなか分かってもらえないことをもどかしく思っていると、奥さんが冷静な指摘。

「この子は中国語がほとんど喋れない状況で、しかも日本人が一人しかいないのに、本当によく頑張っていると思う。中国語の日常会話レベルも1か月でずいぶん上達した。」と。

「ただ、日常会話と授業とでは語学レベルが全く違う。いまの中国語レベルでは、授業を全く聞いてない、あるいは理解できてないはず。もしかしたら、寝ているかも知れない。」と。

全くもって、そのとおりかと・・・。
教育関係に携わっている奥さんからすると、あまりにも無謀なことのように映ったのかも知れませんね。

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なので、筆者も正直に気持ちを伝えることに。
(奥さんには通訳を介さずに話ができるのが救いでした)

「今回の転校に当たっては、本人の意向を重視した。準備が悪かったのは確かだが、それも自分が招いた結果だし、それに対応しようと必死に努力している。親としては、こうやって頑張ることが大事だと思っているので、最悪、留年しても仕方がないくらいの気持ちだ。」と。

すると、奥さんが大きく頷きながら、
「そういう気持ちなら安心した。息子さんにはぜひこの状況を乗り越えて成長してほしい。そのためには、HSK(中国語版TOEIC)の試験勉強をさせたほうがいい。大変だと思うが、中学の勉強と並行して語学学校にも通って、きちんとした構文やヒアリング力を学べば、授業の理解度も格段に向上するはずだから。」と。

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ホントに指摘が全て的確です。。。
早速、語学学校に申込み、中学生版ダブルスクールがスタート。
家に帰ってくる水曜日と週末を中心に語学学校に通うことに。
特に週末は4~6コマくらい受けていましたね。

思い返せば、息子にとっては、この頃が最も過酷だったかも。。。
でも、そのわりには楽しそうに生活してたんですよね、なぜか。
推測するに、大変な分やりがいもあったし、知識欲みたいなものが初めて刺激されていたのかも。

で、3か月後にはHSK5級を受験し、問題なく合格。
※HSKは最上級が6級
このとき、筆者も親の意地で一緒に受験し、5級には合格(面目躍如)。

その後、息子は6級にも一発合格。
一年も経たないうちに、家族で最も中国語を話せることに。。。
おやはや、若いってスゴイですね。吸収力が絶大です。
勿論、本人の努力があってこそ、ですが。
この辺りは、小学校時代にソフトボールでゴリゴリに鍛えられた根性が生きてきたのかも。

そんなこんなで、息子は中学3年に。
次回に続く・・・

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息子の中国上海留学(残留)物語 パート7

2018-09-14 | 息子の中国上海留学(残留)物語

ほぼ準備ゼロでローカルの学校に転校することになった息子。
でも、泣き言を言っている場合ではない。
何と言っても、戻る場所はないもので。。。(涙)
(前述のとおり、日本人学校は「去るものは追わず」です)

とはいえ、救いは息子がイヤイヤ学校に行ってる感じが無かったこと。
ストレス耐性が強いのか、はたまた鈍感なのか・・・?

ひとつラッキーだったのは、国慶節明けすぐのタイミングで「体育祭」があったこと。
ウチの息子、小学校時代にソフトボールクラブでゴリゴリに鍛えられていたこともあって、走るのは得意。上海でも軟式野球クラブのキャプテンやってましたし。

しかも、上海の子どもたちは小さい頃から勉強漬けの毎日。
都心部の学校は東京と同じで、校庭も狭いので、運動は苦手な子が多い。

そんなこんなで、徒競走でぶっちぎりで一位になったようで、その部分ではいきなり一目置かれる存在に。ラッキーですね。

ただ、これにはもう一つウラがあって、本人は中学3年の身体で中学2年生のレースに参加してるので、まあ勝って当たり前かと。。。

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で、肝心の勉強のほうは不安が解消されないまま・・・。
しかも、この学校、当時の自宅から地下鉄とバスを乗り継いで、片道1時間半くらいかかってしまう。しかも、朝は渋滞が激しく、バスが進まないこともしばしば。

そんな事情を考慮して、校長先生が「平日は寮に入ったほうが楽じゃない?」と。
すると、息子が「うん、そうやね」と。

えっ、全然喋れないのに、寮で生活できるの??
でも、横にいる同級生たちも笑顔で歓迎してくれてるようなので、とりあえずやってみようということになり、、、バタバタと入寮作業に。
といっても、ベッドやらデスクやらは完備されてるので、持ち込むのは身の回り品だけでしたけどね。

最初の週末に帰ってきたとき、「寮の生活はどうなんや?」と聞くと、
息子:「勉強時間は長いけど、自由時間のときはオレがみんなに野球を教えてやってるんよ」と。
うーーん、なんとも大らかな性格。。。
で、勉強のほうは・・・?
息子:「みんなが親切に教えてくれるよ。宿題が山のように出るけど、分かるわけもないんで全部写しとる。」と。。。

あ~~、この状態、いつまで続くのやら・・・(爆)。

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その頃、向かいの部屋のご夫婦とは家族ぐるみのお付き合いをしていた。
このご夫婦、少し変わっていて、ダンナさんが家事担当、奥様は外で仕事。
お二人とも50代でしたね。
ダンナさんは自宅で株式投資などに勤しんでいたようです。
奥様は有難いことに日本への留学をサポートするような仕事に就いていたので、日本語も流暢に話せる。

ウチの嫁とダンナさんが仲良しだったこともあって、息子の件についてはエラく心配してくれて、、、ホント、有難い限りでしたね。
ダンナさん曰く、「とにかく息子は言葉が分からないから、授業中も寝てるかも・・・、いやきっと寝てるはずだ。悪いことは言わないから、すぐにでも日本人学校に戻したほうがいい」と。とにかく熱心に心配してくれました。

でも、もう戻れないんです、日本人学校には(涙、涙)。
(これは冗談で、戻る気はさらさらありませんでしたけどね)

この状況を見かねた奥様から「ちょっと皆で話しましょう」とのご提案が・・・。

次回に続く。。。

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息子の中国上海留学(残留)物語 パート6

2018-09-10 | 息子の中国上海留学(残留)物語

中学3年の夏休みが終わり、上海日本人学校の2学期がスタート。
ちなみに、日本人学校の2学期は日本より1週間ほど早く始まる。
何故って・・・休みがたくさんあり過ぎるから。
日本人学校は、日本と同じように夏休み・冬休み・春休みがあって、中国の祝日(旧正月や国慶節など)もキッチリ休むから、ホントに休みばっかって感じ。
そのわりに、学校の指導たるや・・・(と、この辺りの不満は最後の章で)。

10月の国慶節明けには、ローカルの中学に転校するので、息子に
「中国語は死にもの狂いで勉強したんか?」と聞くと。
「うん、まあね」と。。。
おい、そんな生半可なことじゃあ話せるようになんかならんだろ。
現にオレも結構勉強したけど、仕事で喋れるレベルには到底達してないんだぜ。。。

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そんな折、学校のお迎えに行った嫁が、担任の先生にこう言われた、と。
「やっぱり中学は卒業してたほうがいいんじゃないですかね?後々、困ることにならないといいんですが・・・」

おいおい、大した進路指導もしなかったのに、今さら何を言うんだ。
せめて「どこが困る可能性があるのか、教えるのがスジだろ」とキレかけたが、もう転校するんだから放っておこう、と。

ちなみに、日本人学校、一度転出すると二度と受け入れてくれないらしい。
例えば、現地校にチャレンジしてみたけど、やっぱり中国語の壁が高くて挫折したんで、また戻りたい、なんてことは許されないとのこと(確かめたワケではないですが)。
まあ、そんな事態にならなかったんで別にいいんですが、なぜダメなんですかね?
日本人の子女が志をもってチャレンジした際の受け皿にもならないなんて・・・、誰のための学校なのか、と呆れてしまう(筆者だけかな・・・)。

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そんなこんなで、国慶節が終わり、いよいよローカルの学校への転入の日。
肝心の中国語のレベルは・・・というと、
全く上達してない(涙)。危機感ゼロ。。。
どうやら夏休みは遊びほうけていたらしく、、、どうするんだか。。。

当然ながら、先生に会っても、同級生に会っても「ニーハオ」「謝謝」のみ。
こんなので授業とか受けられるのか。。。
不安を通り越して、絶望に近いところからのスタートか・・・と。

次回に続く・・・

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