ほぼ準備ゼロでローカルの学校に転校することになった息子。
でも、泣き言を言っている場合ではない。
何と言っても、戻る場所はないもので。。。(涙)
(前述のとおり、日本人学校は「去るものは追わず」です)
とはいえ、救いは息子がイヤイヤ学校に行ってる感じが無かったこと。
ストレス耐性が強いのか、はたまた鈍感なのか・・・?
ひとつラッキーだったのは、国慶節明けすぐのタイミングで「体育祭」があったこと。
ウチの息子、小学校時代にソフトボールクラブでゴリゴリに鍛えられていたこともあって、走るのは得意。上海でも軟式野球クラブのキャプテンやってましたし。
しかも、上海の子どもたちは小さい頃から勉強漬けの毎日。
都心部の学校は東京と同じで、校庭も狭いので、運動は苦手な子が多い。
そんなこんなで、徒競走でぶっちぎりで一位になったようで、その部分ではいきなり一目置かれる存在に。ラッキーですね。
ただ、これにはもう一つウラがあって、本人は中学3年の身体で中学2年生のレースに参加してるので、まあ勝って当たり前かと。。。
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で、肝心の勉強のほうは不安が解消されないまま・・・。
しかも、この学校、当時の自宅から地下鉄とバスを乗り継いで、片道1時間半くらいかかってしまう。しかも、朝は渋滞が激しく、バスが進まないこともしばしば。
そんな事情を考慮して、校長先生が「平日は寮に入ったほうが楽じゃない?」と。
すると、息子が「うん、そうやね」と。
えっ、全然喋れないのに、寮で生活できるの??
でも、横にいる同級生たちも笑顔で歓迎してくれてるようなので、とりあえずやってみようということになり、、、バタバタと入寮作業に。
といっても、ベッドやらデスクやらは完備されてるので、持ち込むのは身の回り品だけでしたけどね。
最初の週末に帰ってきたとき、「寮の生活はどうなんや?」と聞くと、
息子:「勉強時間は長いけど、自由時間のときはオレがみんなに野球を教えてやってるんよ」と。
うーーん、なんとも大らかな性格。。。
で、勉強のほうは・・・?
息子:「みんなが親切に教えてくれるよ。宿題が山のように出るけど、分かるわけもないんで全部写しとる。」と。。。
あ~~、この状態、いつまで続くのやら・・・(爆)。
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その頃、向かいの部屋のご夫婦とは家族ぐるみのお付き合いをしていた。
このご夫婦、少し変わっていて、ダンナさんが家事担当、奥様は外で仕事。
お二人とも50代でしたね。
ダンナさんは自宅で株式投資などに勤しんでいたようです。
奥様は有難いことに日本への留学をサポートするような仕事に就いていたので、日本語も流暢に話せる。
ウチの嫁とダンナさんが仲良しだったこともあって、息子の件についてはエラく心配してくれて、、、ホント、有難い限りでしたね。
ダンナさん曰く、「とにかく息子は言葉が分からないから、授業中も寝てるかも・・・、いやきっと寝てるはずだ。悪いことは言わないから、すぐにでも日本人学校に戻したほうがいい」と。とにかく熱心に心配してくれました。
でも、もう戻れないんです、日本人学校には(涙、涙)。
(これは冗談で、戻る気はさらさらありませんでしたけどね)
この状況を見かねた奥様から「ちょっと皆で話しましょう」とのご提案が・・・。
次回に続く。。。
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