LE REGARD D'ALAIN DELON

アラン・ドロンさんの魅力を探ります。

『LA PISCINE』(1)

2008-07-22 | THE SOUNDTRACKS

皆様お久しぶりです。
そして暑中お見舞い申し上げます。
このような熱い日々にはぴったりの映画『太陽が知っている』のサントラ盤が
6月にフランスのユニバーサル・レーベルで発売されました。
これまで公開当時に日本でLPが発売されたのみという幻の作品であった本作が
CDとして世界初のリリースとなったわけですが、
今回から2回に分けてこの作品について取り上げたいと思います。
今回はまずこのCDのライナー・ノーツから本作に関する部分の前半をご紹介していきます。

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1968年、ミッシェル・ルグランは妻と子供たちとともにカリフォルニアの陽光の下にいた。
彼は新鮮な仕事を求めていたのだ。
当時もう衰退期に入りつつあったヌーヴェヴァーグの数々の映画で彼は実績を積み、
さらにはジャック・ドゥミー監督の「ロシュフォールの恋人たち」で華々しい成功を収め、
いよいよハリウッド進出というリスクに挑んでいたのであった。
だが新天地での成功にはそう時間はかからなかった。
ノーマン・ジュイスン監督の高度に洗練されたスリラー『華麗なる賭け』の偉業により
ミシェル・ルグランは初のアカデミー賞を受賞していたのだった。

ジャック・ドレー監督が『太陽が知っている』の音楽を依頼しにロスまでやってきたとき、
ミッシェル・ルグランはこのチャンスを大いに喜んだ。
それは彼がアメリカに旅立ってから初めてのフランス映画からのオファーであったからだ。
「この作品に対する私の記憶は非常に詳細であると同時にあいまいでもある。」
作曲家はこう笑って答える。
「私はロスで脚本を読み終えて、すぐにフランスへ飛んだよ。
行った場所はサントロぺの近くのラマチュールで、そこで映画のロケ撮影が行われていたんだ。
そして撮影が終わったばかりのフィルムを見て私はとても魅了された。
閉ざされた扉の奥で展開されていく現代の悲劇、邸のそばにはプールがあり、
感情のはざまで狂おしく錯綜する4つのポーンの間で繰り広げられる人生のチェス・ゲームが展開されていた。
アラン・ドロンとモーリス・ロネが演じる主人公たちの間には
昔の遺恨を表面上は隠しながら次第に競争心が増大していくのだ。

「私は私自身と姉のクリスチャンヌの二人の声を使ったメイン・テーマを作曲した。
それはまるでドロンとロミー・シュナイダーという、
痛ましい破たんした二人のカップルを声で表現したようなものであった。
私たち二人のコーラスは永遠の荘重さを幅広く表現し、また宗教的な荘厳さも同時に併せ持っている。
さらには不快感をも生み出し、無言の温かく包みこむような感情を表そうとする音楽だ。
メイン・タイトルは正に静けさと官能のテーマである。
そのあとコーラスの調子はわずかに悪くなり、ハーモニーは曇り、不調和が表面に現れる。
私の興味は火山が今にも噴火しようとし、すべてを流してしまうのを表現することだった。」

一部をフランスで、一部をアメリカで書き上げられた『太陽が知っている』のスコアであるが、
1968年12月にパリのDavout Studioでまず録音された。
コーラス隊と何人かの高度な技術を持ったソロイストたち(バイオリンのステファン・グラッペリ、
オルガンのエディー・ルイス、ピアニストのモーリス・ヴァンデールなど)が結集され、
作曲家自身が組み立てたメカノのおもちゃのような魅力的なオーケストラを
ジャック・ドレー監督が初めて目にしたとき、
彼の頭の中に生まれた疑念は、すぐさま心配事へと変わっていった。
「ドレーはセッションの間、文字通り自分の立場を失っていた。」
ミッシェル・ルグランは思い起こした。
「彼がスタジオで耳にしたものは彼を驚かせた。
曲そのものに対してではなく、むしろ曲の扱い方に対してであった。
彼は繰り返し私に聞いてきた。
“なぜコーラスを使うんだ?どこからこんな発想が出てきたんだ?”ってね。
私は彼を説き伏せようとした。そして説明したんだ。
撮影が終わったシーンに後から付ける音楽は
どんなものだって明らかにリアルなものにはなりえないんだってね。」
さらに私はこう言った。
「ジャンヌ・モローが『死刑台のエレベーター』の中で歩くシーンに
マイルス・デイヴィスのトランペットの音が聞こえてくるだろう?
でもスクリーンの上でジャンヌの隣に彼はいないじゃないか。」
だがこの言葉にもドレーの心に大きな変化は起こらなかった。
ジャック・ドレーはこう考えた。
この音楽が導く方向性はあまりにも過激(急進的)であり、
彼自身の映画に対する考えや美学からはあまりにも極端すぎるものであると。
とにかくドレーは豊富な抒情的なセンスを併せ持つ映画作家ではなかった。
むしろ彼は鋭くて厳しくて、かつ氷のように冷たい
『太陽が知っている』のような主題の映画に完全に適する作家であった。

「彼は静かで常に慎み深い男であった。そして彼が感情を表に出すところを私は見たことがなかった。
私について言えば、彼の作った映画のシーンからはあまりに遠くに反抗してしまっていた。
私は高く飛んで行ってしまっていたんだ。」

ミッシェル・ルグランは一部彼のオーケストレーションの規模を縮小し、
スタジオに戻って、今度はコンボ演奏に編成し直した。
この変化にも拘らず、ジャック・ドレーは音楽と映像をミックスする際、
ルグランの曲のほとんどを結局は採用しなかった。
時間にしてせいぜい20分、12シーンに広げただけであった。
それでもこの20分には作曲家に内包するものを垣間見ることができた。
そこには人のモラルを探究するような物語から犯罪の物語に滑り落ちていくこの映画のストーリーに対して、
作曲家の熟練の技によるスコアが寄り添っていたのだ。

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後半の各曲の解説に続きます。

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2 Comments

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書中お見舞い! (ジュリアン)
2008-07-23 13:23:24
暑中お見舞い申し上げます!
ユニバーサル・フランスからのとんでもないプレゼントのおかげでいい夏を過ごしてます。
この作品にピッタリの暑い日が毎日続いてますね。
ドレーには採用されなかったもののこの作品でのルグランは神がかってるって感じ。確かに作品には合わせにくいとは思いますが発想が凄すぎます。
埋もれてしまうことなく今の時代にリリースされた事にほんと感謝です。
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神がかっていますね。 (チェイサー)
2008-07-23 17:56:03
ジュリアン様の仰るように「神がかり」的な音楽が
このCDには収録されていますね。
もう何回繰り返し聞いたことでしょうか。
ただしドレー監督が描いていたルグランの音楽は
こういうものではなかったということですね。
これはこれで正しい選択だったと思います。
映画のクールなイメージとはかけ離れていると思いました。
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