惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

素人哲学の現状(基本仮説・心身問題の解)

2012年10月14日 | 素人哲学の方法
●基本仮説(心身問題の解)

対象的(客観的・物理的)領域と主体的(主観的・幻想的)領域は同一の、ただひとつのの現実(世界・宇宙)についてのふたつの異なる像の体系である。そして、これらふたつの領域は互いに本質的な不確定性関係をもつ。すなわち、一般に、一方の領域における任意の決定可能な像は他方の領域において確定された像を結ばない。

・補足説明
たとえば後者(主体的領域)における「わたし」は前者(対象的領域)において決定可能ないかなる対象物にも(完全には)一致しない。一方、前者における特定のヒト個体としての物体(つまり、生理学的ないし解剖学的な「人体」)は後者における「わたし」についての(完全な)記述を与えない。要するに「人間存在は機械ではありえないし、機械は人間存在たりえない」ということである。

ただし、このことは現実の対象的(客観的・物理的)像(記述)の体系に(物理学の体系に属しえないという意味で)いかなる神秘的な命題を導入することも要求しないし、正当化もしない。つまり、物理学が総体として対象的領域に関する像(記述)の閉じた体系をなすものであるならば、任意の「わたし」に関する完全な物理記述は存在して唯一に定まる。この基本仮説が述べることは、まったく単純に、その物理記述は一般に有限の記述(もしくは、閉じた記述)にはならない、ということである。

この仮説がそもそもどこから着想されたかを言っておくことは理解の助けになるはずなので書いておく。いたって単純な話で、我々は誰でも主体的に行為を選択するが、「物理に選択の余地はない」。物理学における最も基本的な実在であれ、それを組み合わせたいかなる巨大な対象物であれ、その振る舞い(運動)を選択するということはない。そうと見なさない限りほかのどんな適切な形容も与えられないような振る舞いをもつということは決してない。
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