朝から電話してきた息子。
アパートの水が出ないと言うので、
自分で管理会社に電話させました。
管理会社が修理に来ることを確認して
学校に行って帰ってきたら、
流し台の水が全開で出しっ放しだったそうです。
これ、よくやってしまうんですね。
水だったし、
溢れさせることもなかったから良かったけど、
電気やガスだったら大事でした。
修理のときや、
災害などで止まったときは、
復旧する前に元栓を閉めておくことを
1番問題が少ないカタチで経験したのは良かったかな
と思ったのでした。
管理会社に電話して、
元水栓の開閉を確認するように言われて、
( ずっと住んでるのに改めて見ても意味ないと思うけど )
パイプスペースを見に行ったら、
隣のおねぇさんも同じように見に出て来たらしい。
「 水出ませんよねぇ! 」
とかなんとか会話したらしいが、
それだけだったみたいです。
私が、今の息子くらいの歳のときだったら
これはチャンスとばかりに ・ ・ ・
今朝起きたときから
なんでこんなに肩こりかと思ったら、
昨日サイモンさんと2人で結構会話したんですね。
・ ・ ・ 13分の11くらい言ってること解らんけど。
常にエーゴにビビっている私は、
全身硬直させながら
サイモンさんの語りかけに立ち向かって
今日は肩こり!
“ 運命 ” みたいなことをあまり思わないれけど、
何かの必然に引っ張られることってあるんだろうか?
と思った今月の 『 茅の会 』 。
福島県飯舘村に山津見神社ってのがあるんだそうです。
原発事故で避難区域になっている所にある
オオカミを祀る神社だそうです。
たまたま山津見神社を訪れる機会があった
和歌山大学の加藤先生が、
拝殿の天井に描かれたオオカミの画を見て、
記録を残さなければいけないと考えたのだそうです。
カメラマンでパートナーのサイモンさんに
写真を撮るように依頼して
何百枚の天井画を写真におさめたのが2月。
そして、
4月初めにこの拝殿が火事で全焼してしまいました。
この天井画の記録は
サイモンさんが撮った写真以外何もないのだそうです。
その話と、写真を拝見しました。
地震も、原発事故も不幸な出来事だけど。
原発の問題がなければ加藤先生が訪れることがなくて、
原発の問題がなくても
火事にあうことはあったかもしれないわけで。
火事の直前にサイモンさんが写真を撮っていたことは
不幸な中でも大変大きな意味があることで。
これは、残す必要があると考えた
大きな力を持った誰かがそうした。
と思えることも無理からんことかと感じます。
「 他に記録がなかったということは、
研究対象になる価値がなかったということですけど、
それは研究者にとっての価値でしかない。
だから、本当に価値のないモノだったとは言えないんです。
これは貴重な記録ですね。 」
というような意味の江本さんの言葉も重いものでした。
私はヒトの顔 ・ 名前を覚えるのが苦手。
と言うよりは、ほぼ致命的なレベルです。
うちの奥さんは、
ヒトの顔や名前に敏感と言うか、
無意識に認識して記憶してしまえるようです。
日曜日の夜、
テレビで8時から会津の殿様が、
9時になってチャンネル変えたら
空自の広報官しているのが気持ち悪いらしい。
私は、ぜぇ~んぜん問題ないけど ・ ・ ・ 。
常識っていうのはいい加減なもので、
正しくないことも多いんですね。
建物が立て込んだ街中は風が通りにくそうで、
農村地帯の障害物がないところの方が
風の通りが良さそうな気がしませんか?
常識的に!
今の季節のような外に風が吹いていない日は、
風がないんだから障害物があってもなくても
家の中に風は通らない。
ところが、町家だと家の中に風が吹いているんですね。
昨日ですが、湯浅町の町家の1階で座っていると
けっこう 「 涼しい 」 と意識するくらいの風がありました。
空気が動いている。
って言う方が正しいんだろうと思いますが。
原因は、
町家特有の吹抜けとか、
中庭とか、
路地だとか、
狭くて高さがあることで起こる空気の圧力差
( だけではないだろうけど ) だったりするんですね。
これは、先人が生活の中で身に着けた
知恵だと思いますが、
今どきの
法律を守って建てた戸建て住宅の隣家との間隔では
町家と同じ効果は期待しにくい。
だから同じ効果を
1件の独立した家の中で
つくり出さないといけないんですけど、
具体的に書くのは難しいけど、
空気のための狭い通路をつくってあげること
なんですね。