【 アリストテレス氏が、
その、 認識なり、 知たりなり、の、
宛居 アテイ ・ 対象 、と、 なったり、
成り得たりする、
『 存在 』 、 ら、へ、対して、
『 非 存在 』 、 と、
呼び宛 ア ててある、 ものら、 には、
我々でもあり、 意思系などとしての、
我々をも、 含んである、
観念系ら、へ、 対する、
外因性ら、 だけ、 が、
含まれ得て、 あるのでは、 無く、
観念系らから、 観念な、 質としての内容、
を、 与えられて、
観念系らにおいて、 それ自らの成り立ちを、
得る事のできる、 物事らの一定度合いも、
含まれ得て、 あり、
しかも、
アリストテレス氏、 ら、 には、
その、 言葉らに明らかにされてある、
思案系らを観る限りにおいては、
観念系らへ対する、 外因性ら、と、
内因性ら、とを、 区別し、
内包し、 宛居ともする、
在り得る、 一定度合い以上の、
分析型の、 体系知、ら、 が、 欠けている。
それでも、
時としての間 マ 、を、 自らに、 欠いてある、
時点 、ら、 など、へ、 宛てがわれて、 成る、
観念らの規定性らなり、
観念な、 規定性ら、なり、 をして、
論理性を、 成し、 行う事における、
基準系として、
特定の思案系らを、 我彼 ワレカレ へ、
成し、現して、 観せる事において、
その、 観念な、 規定性ら、に、
より、 沿う、 度合い、を、 積み増して、
より、 論理的な整合性を成す形で、
その思案系らを、 成し、現す、 事において、
時としての間である、 時間 、 が、
無い 、 に、 等しいものである事を、
能 ヨ く、 思い分けて観せ得ており、
観念な、 事柄ら、 という、 もの、 等へ対して、
時間 、 という、もの、ら、 が、
より、 観念な、 付帯性を成して、
在り得て来てある、 事へ、 宛てても、
分析型の、 体系知を成して、観せ得てもある。
時間 、 は、 観念系らにおいて、
事柄らの何らかの度合いら、へ、対して、
目安として、 機能させられて来てある、
観念性 ≒
観念な、 質としての内容、を、
観念系らから、 与えられて、
観念系らにおいて、 それ自らの成り立ちよう、
を、 得て、 ある、 物や事、 に、
在り得る、 物や事 、 とか、 その度合、 など 、
でも、 あり、
因果系の観念ら、や、 時系列の観念ら、
などを、 構成する、 観念な、 物事ら、へ対して、
付帯する、 関係性らを成して、
観念系の主らに、 観られ得て来てある、
もの、 でも、 ある。
我々が、 自らの、 観念な、 感じようら、
や、 観ようら、 の、 そのもの、 において、
成り立たせて、 来てある、
自らの、 今として、 在る 、 時の間 マ 、
たちは、
その、 観念性の、 感じようら、 や、
観ようら、 に、 おいて、
在り得て、 来てある、 だけ、 であって、
その他の、 どこ彼らに、
それ自らの成り立ちようらを得て来てある、
訳では、 無い 。
そうした、 時間らの、どれ彼ら、が、
それ自らの成り立ちようらを、 得られて、
在ったり、
在り得たりする、 所らには、
我々の、 そうした、 観念性の、 感じようら、
や、 観ようら、 に、 類する、 ものら、
が、 成り立って、 居たり、
成り立って、 在り得たり、 し、
我々でもある、 観念系ら、に、 類する、
ものら、が、 在り得て、 あったり、
在り得たりする、 のであって、
そうしたものらの一切が、 無い、 所ら、には、
そうした、時間、ら、は、 無い 。
そうした、 時間、 ら、が、 無くても、
因果系の観念ら、や、 時系列の観念ら、
などを、 構成する、 観念な、 物事ら、や、
そうした、観念ら、の、 宛て、と、 成り得る、
観念性の、 物事ら、や、
観念性の物事らを投影して、 観宛てられ得る、
観念な、 質としての内容、を、
観念系らから、 与えられて、 我々の各々へ、
現前させられ得る、 物事ら、は、
時間的な持続性のそのもの、とは、
関わりを、 無しに、
それ自らの成り立ちようら、を、
得たり、 得ないままに過ごしたり、
得続けたり、
その通りに、 得続ける事を、
あらためられたり、 などし、
観念系の主ら、の、誰彼、 が、
そうした、 ものら、へ、 自らの、
観念系の、 自作の、 時間、ら、を、
投影して、 観宛てようが、 観宛てまいが、
それらに関わりを無しに、
その、 誰彼の直に左右し得ない側の、
その、 投影性の成される事などに、
影響されない場合の、
そうした、ものら、は、
その通りに、 あったり、 在り得たり、
などするのである。
そうした、 我々の観念系ら、の、
自作の、 時間、ら、を、
それを欠いてある、 ものら、へ、
投影して、 観宛てる事は、
我々の誰彼らにおいて、 成され得ては、
来てある。
観念な、 運動などの度合いを観積もるなどする、
場合らの系らなどにおいて、
投影され得て来てある、 時間的な持続性ら、は、
目安として、 機能させられる等して来てあり、
それ自らに、 時間性を欠いてある、
観念性の、 質としての内容、を、
観念系らから、 与えられて、 在り得る、
物事ら、 へ、 宛てがわれて、
時間的な持続性らは、
観念系の主らの誰彼において、
関係性らを成して、 観られ得て、 来てあり、
そうしたものらへ、 宛てての、
付帯性を成され得ても、 来てある 。
試みに、 観念系の主らの誰彼が、
自らの、 今としてある時の間 マ 、 の、
永さ、 を、 量 ハカ り観る事を成して、
時計をにらみ、
例えば、 12時の、 丁度を、
その、 初めの際 キワ 、 と、 思い決めて、
その、 終わりの際を、 量り決めようとしても、
瞬間ごとに、
一定の時としての間を、 自らに、
成してある、
観念性の、質としての内容を、 成されてある、
感じよう、 なり、 観よう、 なり、の、
そのもの、が、 在る事を、
切れ目を無しに、 成し続ける、 だけ、 であって、
今として、在る、 時の間は、
それを、 創り出してある、
観念な、 感じようら、や、 観ようら、 の、
そのもの、 においては、
定かに、 一定の時としての間を成しては、
居ても、
時計的な時間の度合いにおいて、
量り定められる、 宛てのものとしては、
必ずしも、 対応は、 しない。
実際に、 あなた、が、
自らの、 今としてある、 時間、を、
時計的な時間の一定の永さ、 で、
量り決めようとしても、
それらとは、 別の観念性らを創り出して、
それらとの、 観念な、 関係性らを創り出したり、
出来合いの観念性ら、と、
それらとの、 関係性ら、 を、 成して、
それらの系らへの、 感じようら、 や、
観ようら、 をも、 成し、
実感を覚えさせるものとして、 機能させる、
などしたり、 し得てある、 ので、 なければ、
出来ない、 はず、 であり、
それは、
自らの、 今としてある時間、を、
それ自らにおいて、 成してある、 観念性ら、と、
時計的な時間の系らや、
それを構成する、物事ら、などの、
観念性ら、とが、 それぞれな、
別な、 もの同士 、 であり、
観念系の主らにおいて、
観念な、 関係性ら、 の、 もとに、 置かれる、
宛てに成り得ても来てある、
というだけで、
互いに、 それ自らを、 その通りに、
成り立たせて、ある、
観念な、 規定性らなり、 秩序性らなり、の、
異なり合ってある、 もの同士 、 だから、
でもある。
いずれにせよ、
日本国民たちは、 より早くに、
日本国民たちの足元の、 地下へ、
より、 どこからでも、
より、 速やかに、 落ちついて、
歩み降りてゆき得る、 避難経路ら、と、
より、 快適に住める、 避難所らとを、
作り拡げてゆく、 公共事業らを成す事により、
日本の、 財務省の役人ら、と、 与野党の、
主な政治家らとが、
英米のカネ貸しらの主張する事らを、 そのまま、
自らもまた、 オウム返しにして、主張し、
実行もする事において、
日本政府の財政における 、 緊縮 、 を、
繰り返し、 成す事を通して、
彼らへの、 主 アルジ の立場にある、
日本の主権者としての日本国民たちへ、
物価だけではなく、 その労働らへの賃金らの水準へも、 より、 押し下げる向きへ圧力をかける、
要因らの系である、
デフレ不況性 、を、 押し付け続けて来てある、
その、 デフレ不況性 、を、 解消し去ってゆく、
と共に、
日本国民たちの防衛性の度合いを飛躍的にも高めてゆくべき、 ぎりぎりの状況にも、 ある 。
地上を襲い、 地上をおおい得る、 あり得る、
災害らへ対して、
地上に、 避難所らや、 避難経路らを設定して、
日本の主権者たちを、 それらへ誘導する事は、
人食い虎どもの住む、 密林へ、
人々を誘導する事に類する行為であり、
日本の主権者として、 日本国民たちの一般 、
へ対する、
個々の日本国民においても、
執事なり、 召し使いなりの立場にある、
公務員などの、 者らにおいても、
成す事が、 許されない 、
日本国民たちの一般の、 あり得る、 福利ら、を、 より、 能くも、 最大限にも、 成す事を、
約束して、 日本の社会に、 存在し、 存続する事を、 日本国民たちの一般から、 許されてある、
筋合いにある者としての、 義務 、 に、
違反性を成す、 行為であり、
それが、 作為型では、 無く 、
無知性と痴愚性とにもよる、 不作為型の、
行為であっても、
それへの責めを負うべき、 筋合いを、
その主らの側に、 成すものである事に、
変わりは、 無い 】 。
◇ 負電荷な 電子対なら 奪う、酸
逆な、 陽子を 引き取る、塩基・・。
☆ 湧き水の 濁りに続く 山津波
無い、水どもが 湧くも、先触れ・・。
◇ 連れ去るに 浜から沖へ 離岸流
脇へ泳げば ひろえる命・・。
☆ 水に塩 糖分も欠け 熱を去る
風も欠ければ 沸く、 熱射病・・。
☆ 【 関ケ原の戦い 】 ;
石田三成氏、 と、 小早川秀秋氏 ;
子孫が、 400年ごしの“和解”/
滋賀・観音寺 ;
2017/ 10/30 ( 月 ) 00:52:22.94:
☆ 画像 ; 石田秀雄さん(左)が、
秀秋氏を、 「勇将だ」、と、たたえ、
小早川隆治さん(右)と、 固い握手 ;
☆ 千6百年、の、 「 関ケ原の戦い 」
、 で、 西軍を率いた、 石田三成氏、と、
東軍に寝返ったとされる、 小早川秀秋氏、の、
各々の子孫員が、 29日に、
三成氏にゆかりの観音寺 ( 滋賀県は、
米原市 ) 、 で、 会談した。
映画の、 「 関ヶ原 」 、 の、 公開を記念し、
同市が開いた座談会で、 実現。
両家の伝承や、 秀秋氏は、 当初から、
東軍だった、 との学説も紹介され、
和阿 ワー ≒ ファン 、 らが聞き入った。
石田秀雄さん ( 67 ) 、が、
秀秋氏を、 「 勇将だ 」 、と、 たたえ、
小早川隆治さん ( 76 ) 、と、
固い握手。
約400年越しに、 “和解”した。
配信 2017.10.29 21:40 更新
産経WEST
http://www.sankei.com/west/news/171029/wst1710290058-n1.html
@ 三成どんの子孫は、 殺されなかったん?
@ 石田三成どんの子孫は、
津軽藩の藩士になっている。
@ 殺されていない。
津軽藩の家老になった家系もあるし、
娘の流れは、 現皇室にも繋がっている。
@ たしか、 子どもが、
津軽藩に匿われたあとに、
孫の代あたりで、 弘前藩主で、
50人位の子どもを こさえた、 お殿様がいて、
すごく、 子孫は増えていたような覚えが。
@ 津軽藩は、 代々に、 隠れて、
秀吉どんを弔 トムラ ってたんだよな 。
@ これからは、 ノブヤボ ≒
信長の野望 、 で、 津軽家を選ぶわ 。
@ 石田氏の、 長男は、 坊主になって、
生き延び、 次男と三女が、 津軽藩に匿われて、
家老の杉山家と、 津軽藩主への側室になっとる。
@ ちょっと、 微妙な和解やね 。
子孫が許しても、 光成どんは、 許せんだろ 。
@ そう思う。
後世の人が、 勝手に、和解とか、 いうなと。
@ 日本語で、 論弁を成していても、
日本人モドキらには、
先祖らが、 敵同士な人々が、
先祖らの成した事らを、 水に流し合い、
共通の子孫員らを成し合いさえもする、
日本の武家員らなどの精神性などは、
理解し難い宛てのもので、
頓珍漢な論弁をさらしてしまう 、
という事も、 ある 。
@ 世紀の裏切り者として、
日本国民の全てが、
歴史の教育で、 学ぶんだからなあ。
秀秋自身には、 裏切り者としての自責の念は、
多少なりとも、 あったろうけど、
400年以上をたっても、 裏切り者として、
その名を、 全国民が知るなんて、
思ってなかったろうな。
@ 関ヶ原で、 土壇場で、 裏切った、
というのは、 間違いで、
今の研究では、 松尾山に陣取った時点で、
すでに、 西軍と交戦していた、
というのが、 有力な説やで。
@ そう、最近の知見が、知りたい。
最近、 歴史街道か何かの、
コンビニで売ってるような本でも、
紹介されてた説だな。
裏切り中納言 、 との呼び方は、
京阪あたりから出た。
今も昔も、 太閤びいきの土地柄だからなw
@ その前に、 大谷どのに謝れ。
@ これな 。
@ 小早川金吾の家は、 無嗣断絶したので、
子孫は、いないぞ。
石田治部少の長男の重家どんは、 関が原後に、
出家し、 子孫は、無い。
次男は、 津軽・弘前藩で、
杉山家として存続なので、 石田姓ではない。
@ >三成氏の長男である、 石田重家 、
という人物ですが、
関ヶ原の戦いの際は、 まだ、 10代の前半と、
若かった事もあり、
僧侶になる事を条件に、 助命されています。
石田重家氏についての公式な記録では、
彼には、 妻子はいない事になっている、
みたいですが、 石田秀雄さんいわく、
重家氏には、 当時に、 身ごもった妻がおり、
その後に、 家康どんの次男の、
結城秀康氏のはからいで、
彼が治める越前 ( 今の福井県 ) 、
に移され、 同地で、 出産。
その後に、 彼の子孫は、 新潟県の妙高にて、
庄屋 ( 地方の有力者の事 ) 、 になった、
と、 言われています。
@ 会津藩士らは、 国替えで、
会津を離れた一方で、 農員たちは、
会津藩からの圧政に、 恨みを持ち 、
政府軍の手引きをした・・、
が、 その農員らの子孫らが、 なぜか、
薩摩らを恨んでいる、 という状態w
@ 朝廷軍への手引きをしたのに、
薩摩と長州の出の、 明治政府の幹部らが、
朝廷の敵として、 日本の各地の者らから、
貶 ケナ される立場に成った、
会津の人々への捕漏 ホロウ 、を、
ろくにする事ができなかった、から、
という事も、あろう 。
@ 小早川家は、断絶したけど、
裏切り者の一族として、 残らなかっただけ、
よかっただろな。
そのまま存続してたら、 子孫員らは、いまだに、
裏切り者のくせになんて、言われてたろ。
http://sans-culotte.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=17326684
@ 元の所有者だった秀秋氏の遺児の、
秀行氏は、 秀秋氏の兄の、
木下勝俊氏の六男として、 養育され、
長じて、 備中足守藩の家老となった際に、
土肥 ドヒ 姓に、 改称したそうです。
@ 三成どんは、 近江北部じゃなかったか。
@ 滋賀県は、 長浜市、の、 石田町の人 。
@ むしろ、 大谷吉継どんの方が、
子々孫々までの怨みが残ってそう 。
@ 小早川秀秋には、 子供がいないから、
改易だったよな。
@ 側室の子の子孫と主張している人はいる。
@ 明智光秀どんの子孫と、
小早川秀秋どんの子孫の苦労話の方が、
盛り上がるんじゃね?
どっちも、 裏切り者の家系ってことで、
濃い話を聞けるかもよ。
@ もちろん、 会談に出される、
お茶菓子は、 柿
≒ 石田三成氏が、 関ヶ原の戦い 、に、
敗れて、 捕らえられ、
処刑の場まで、 連れて行かれる途中で、
その役の者らへ、 茶湯だかを求めた時に、
その中の1人が、 湯は、 無いが、
喉がかわいたのなら、 柿があるから、
柿をやる、 と、 言うと、
石田三成氏は、
『 柿は、 痰の毒であるので、 いらない 』 、と、 答えた。
警護の者は、
「 すぐに、 首を切られるものが、
毒断ちをして、 何になる 」 、 と、 笑ったが、
三成氏は、
「 大志を持つものは、
最期の時まで、 命を惜しむものだ 」 、
と、 泰然としていた、 という 。
漢方では、 柿は、 痰の毒ではなく、
薬だそうだ。
この逸話は、 「 茗話記 」 、 などに、
出てくる 。
@ 小早川は、 元から、
松尾山にいた西軍を追い出して、布陣したから、
西軍の諸将から、 最初の時点で、
あいつは、東軍だ、と、 認識されてた、
可能性が、 大なんや 。
大谷吉継どんの小早川対策は、 裏切り以前の問題。
@ 賤ヶ岳の七本槍の連中は、 ことごとく、
裏切ってんな 。
@ 糟屋どんは、 裏切ってないぞ 。
@ 2万5千以上の兵力を押しとどめていた、
吉川よりも 、
1万5千の兵力で、 裏切った小早川が、
虐められる風潮には、 草が生える 。
@ 不戦より、 裏切りの方が、
インパクトあるからね、 仕方ないね 。
@ 徳川が、 ネガキャンしたからなあ 。
@ 足止めは、 単純に、
自軍戦力のマイナスだけど、
裏切りは、 マイナスと、
相手戦力のプラスにもなるからね。
@ 関ヶ原の元凶とも言える、 上杉が、
減封で済んでいる、 という、理不尽 。
@ 東軍に、 上下を倒すだけの余裕が、
ないから、 しゃーない 。
@ 三成どんと大谷吉継どんの、
茶の逸話が、 創作と知った時の、
ガッカリ感は、 異常やった 。
@ こマ? あの話が、好きなのに...。
@ 秀吉どんが、 やった事が、
石田三成氏のやった事へ、置き換えられて、
伝わった、 とも、言われているし、
本当にあったかも知れない、
とも、言われている
≒ 大谷刑部 ギョウブ 氏が、
武将らとの茶会の席で、 武将らと、
同じ茶碗で、 茶を回し飲みする際に、
ハンセン氏病にかかっていた所から、
膿 ウミ を、 その茶へ、垂らしてしまった。
その後の武将らは、
ハンセン氏病にかかる訳には、行かないので、
その茶碗から、 茶を飲む振りをするだけで、
口を付けなかったが、
石田三成氏の独りだけは、
その茶を飲み干した、 という。
@ 戦国時代の逸話なんて、 八割方、
創作やぞ。
@ その、創作らを成した主らには、
その話らに共感できる精神性らがあった、
という事も、
その創作ら自体も、 歴史事らの一定事らである、
という事も、 意義のある事だ。
@ 一次資料とも言える書状で、
ヤバい内容が載ってたり、
他所の大名から、 変人扱いされてる、
伊達政宗どんは、 はっきり言って、 異常だ。
@ せやで、 脱糞も、 嘘にしておこう 。
@ 脱糞って、 山岡荘八どんの作った話って、
聞いた事があるンゴ 。
@ 徳川の重臣の、 大久保家の者が、
創作した逸話やぞ。
@ そうなんか、サンガツ 。
@ 三河後風土記 、 だった 。
【 合戦の最中 サナカ に、
大便や、尿を出す事は、
それらを理由に、 敵らからの攻めようらを、
差し止めて貰えない、 事から、
単なる、 生理現象として、 成されて、
ごく当たり前な事であって、
より、 戦いへの不安な思いに、
囚 トラ われずに、
より、 きちんと、 落ち着いて、
茶湯や、飯を、 飲み食いする事が、 できた、
武者らほど、
合戦の最中に、 大小便を出しながら、
戦う率を高め得たはずでもある。
徳川家康氏だけが、 合戦の最中に、
生理現象を成していた、
可能性がある訳ではなくて、
排便を理由として、
合戦を差し止められる事が、 無い、
状況らにおいては、
合戦の最中においても、 排便するしかない、
という事から推して、
合戦中の排便は、
その当時の当事者らの一般においては、
ごく当たり前な、 単なる、生理現象として、
観成されており、
大久保氏も、 そうした事を判り得てあった上で、
徳川家康氏が、 武田勢との、
三方ヶ原 ミカタガハラ の戦い、において、
脱糞したように述べてある、 とも、
考えられる。
幕末における合戦らの、どれかにおいて、
板垣退助氏だったかが、
味方の侍たちへ、
『 小便は、 戦いながら、やれ。
戦に集中して、 小便などに構うな 』 、
といった趣旨の事を、 述べてから、
戦へ取り掛かった、 との事だが、
排便を理由として、 戦事らが、
差し止められるものでは、 無い、 からには、
それが、 当たり前な事であって、
一定数以上による、 合戦の最中に、
排便が、 無くて、 当たり前だ、と、
考える方が、 より、 あり得る事らを観る、
考えようを、 欠いてある 】 。
@ よく、 戯務 ゲム ≒
ゲーム 、 とかで、
大谷吉継どんの事を、
刑部って呼んでるけど、あれって、職業?
、で、 あってんの?
上杉謙信公の関東管領みたいな感じで。
@ 官位のことやで 。
内府 = 内大臣 、 みたいなもんや 。
@ 大谷吉継どんは、 実際に、 朝廷から、
官、 従五位下 ジュゴイのゲ 、 の、
刑部少輔を貰ってるからな 。
@ 長曾我部家、 秀吉どんに侵攻されて以来、
負け戦ばかりで、 可哀想 。
@ やっぱ、
鳥なき島の蝙蝠 コウモリ 、 なんやね 。
@ 石田三成氏と細川忠興氏は、仲が悪かった。
当の石田三成氏自らが、
「 幾ら、なんでも、 仲が悪すぎじゃね? 」
、 と思うほどに、 悪かった。
そこで、 三成どんは、 殊勝にも、
こう、思い立った。
「 そうだ! 仲直りをしよう! 」 。
三成どんは、 前田玄以どんに仲介をしてもらい、
忠興どんと、 一席を設けて、
仲直りをすることとなった。
さて、 その席でのこと。
忠興どんが、 先に、着座していると、
三成どんが入ってきた。 手に、 盆を持って。
その盆には、 柿が載せてあった。
そして、 仲直りの挨拶もせずに、 静かに、
その盆を、 忠興氏の前に置き、
「 越中守は、 柿が好物だと聞いたので、
持参いたした。 それがしのことは、 気にせず、
食して頂きたい 」 。
忠興氏は、 顔を真っ赤にして、
怒って、 出て行った。
残されたのは、 何で出て行ったのか、
まるで解ってない三成どんと、
あまりの三成の行為に、 頭痛がしてきた、
前田玄以どんであった。
@ 仲の悪い奴から、 珍しく、
誘いがありました。
誘っておきながら、 奴は、遅刻してきました。
来るなり、 挨拶も、遅刻の詫びも、 なく、
いきなり、 お前の好物をもってきたから、
食え、 と、 言われました。
おちょくってんのか、 この糞野郎、になるわな。
挨拶して、 呼んだ趣旨を述べてから、
心づくしです、って言って、 柿を出せば、
仮に、 内心では、 毒が盛られてある事などを、
疑っても、 食うだろうにw
@ 秀吉どんは、 こういう人をこそ、
何とかして上げたい、と、 保護者のような、
心持ちで、 三成氏を取り立てていたのかもな 。
三成氏は、 本当に、 裏表を無しに、
人に接するように心掛けても居たのだろう。
その、 認識なり、 知たりなり、の、
宛居 アテイ ・ 対象 、と、 なったり、
成り得たりする、
『 存在 』 、 ら、へ、対して、
『 非 存在 』 、 と、
呼び宛 ア ててある、 ものら、 には、
我々でもあり、 意思系などとしての、
我々をも、 含んである、
観念系ら、へ、 対する、
外因性ら、 だけ、 が、
含まれ得て、 あるのでは、 無く、
観念系らから、 観念な、 質としての内容、
を、 与えられて、
観念系らにおいて、 それ自らの成り立ちを、
得る事のできる、 物事らの一定度合いも、
含まれ得て、 あり、
しかも、
アリストテレス氏、 ら、 には、
その、 言葉らに明らかにされてある、
思案系らを観る限りにおいては、
観念系らへ対する、 外因性ら、と、
内因性ら、とを、 区別し、
内包し、 宛居ともする、
在り得る、 一定度合い以上の、
分析型の、 体系知、ら、 が、 欠けている。
それでも、
時としての間 マ 、を、 自らに、 欠いてある、
時点 、ら、 など、へ、 宛てがわれて、 成る、
観念らの規定性らなり、
観念な、 規定性ら、なり、 をして、
論理性を、 成し、 行う事における、
基準系として、
特定の思案系らを、 我彼 ワレカレ へ、
成し、現して、 観せる事において、
その、 観念な、 規定性ら、に、
より、 沿う、 度合い、を、 積み増して、
より、 論理的な整合性を成す形で、
その思案系らを、 成し、現す、 事において、
時としての間である、 時間 、 が、
無い 、 に、 等しいものである事を、
能 ヨ く、 思い分けて観せ得ており、
観念な、 事柄ら、 という、 もの、 等へ対して、
時間 、 という、もの、ら、 が、
より、 観念な、 付帯性を成して、
在り得て来てある、 事へ、 宛てても、
分析型の、 体系知を成して、観せ得てもある。
時間 、 は、 観念系らにおいて、
事柄らの何らかの度合いら、へ、対して、
目安として、 機能させられて来てある、
観念性 ≒
観念な、 質としての内容、を、
観念系らから、 与えられて、
観念系らにおいて、 それ自らの成り立ちよう、
を、 得て、 ある、 物や事、 に、
在り得る、 物や事 、 とか、 その度合、 など 、
でも、 あり、
因果系の観念ら、や、 時系列の観念ら、
などを、 構成する、 観念な、 物事ら、へ対して、
付帯する、 関係性らを成して、
観念系の主らに、 観られ得て来てある、
もの、 でも、 ある。
我々が、 自らの、 観念な、 感じようら、
や、 観ようら、 の、 そのもの、 において、
成り立たせて、 来てある、
自らの、 今として、 在る 、 時の間 マ 、
たちは、
その、 観念性の、 感じようら、 や、
観ようら、 に、 おいて、
在り得て、 来てある、 だけ、 であって、
その他の、 どこ彼らに、
それ自らの成り立ちようらを得て来てある、
訳では、 無い 。
そうした、 時間らの、どれ彼ら、が、
それ自らの成り立ちようらを、 得られて、
在ったり、
在り得たりする、 所らには、
我々の、 そうした、 観念性の、 感じようら、
や、 観ようら、 に、 類する、 ものら、
が、 成り立って、 居たり、
成り立って、 在り得たり、 し、
我々でもある、 観念系ら、に、 類する、
ものら、が、 在り得て、 あったり、
在り得たりする、 のであって、
そうしたものらの一切が、 無い、 所ら、には、
そうした、時間、ら、は、 無い 。
そうした、 時間、 ら、が、 無くても、
因果系の観念ら、や、 時系列の観念ら、
などを、 構成する、 観念な、 物事ら、や、
そうした、観念ら、の、 宛て、と、 成り得る、
観念性の、 物事ら、や、
観念性の物事らを投影して、 観宛てられ得る、
観念な、 質としての内容、を、
観念系らから、 与えられて、 我々の各々へ、
現前させられ得る、 物事ら、は、
時間的な持続性のそのもの、とは、
関わりを、 無しに、
それ自らの成り立ちようら、を、
得たり、 得ないままに過ごしたり、
得続けたり、
その通りに、 得続ける事を、
あらためられたり、 などし、
観念系の主ら、の、誰彼、 が、
そうした、 ものら、へ、 自らの、
観念系の、 自作の、 時間、ら、を、
投影して、 観宛てようが、 観宛てまいが、
それらに関わりを無しに、
その、 誰彼の直に左右し得ない側の、
その、 投影性の成される事などに、
影響されない場合の、
そうした、ものら、は、
その通りに、 あったり、 在り得たり、
などするのである。
そうした、 我々の観念系ら、の、
自作の、 時間、ら、を、
それを欠いてある、 ものら、へ、
投影して、 観宛てる事は、
我々の誰彼らにおいて、 成され得ては、
来てある。
観念な、 運動などの度合いを観積もるなどする、
場合らの系らなどにおいて、
投影され得て来てある、 時間的な持続性ら、は、
目安として、 機能させられる等して来てあり、
それ自らに、 時間性を欠いてある、
観念性の、 質としての内容、を、
観念系らから、 与えられて、 在り得る、
物事ら、 へ、 宛てがわれて、
時間的な持続性らは、
観念系の主らの誰彼において、
関係性らを成して、 観られ得て、 来てあり、
そうしたものらへ、 宛てての、
付帯性を成され得ても、 来てある 。
試みに、 観念系の主らの誰彼が、
自らの、 今としてある時の間 マ 、 の、
永さ、 を、 量 ハカ り観る事を成して、
時計をにらみ、
例えば、 12時の、 丁度を、
その、 初めの際 キワ 、 と、 思い決めて、
その、 終わりの際を、 量り決めようとしても、
瞬間ごとに、
一定の時としての間を、 自らに、
成してある、
観念性の、質としての内容を、 成されてある、
感じよう、 なり、 観よう、 なり、の、
そのもの、が、 在る事を、
切れ目を無しに、 成し続ける、 だけ、 であって、
今として、在る、 時の間は、
それを、 創り出してある、
観念な、 感じようら、や、 観ようら、 の、
そのもの、 においては、
定かに、 一定の時としての間を成しては、
居ても、
時計的な時間の度合いにおいて、
量り定められる、 宛てのものとしては、
必ずしも、 対応は、 しない。
実際に、 あなた、が、
自らの、 今としてある、 時間、を、
時計的な時間の一定の永さ、 で、
量り決めようとしても、
それらとは、 別の観念性らを創り出して、
それらとの、 観念な、 関係性らを創り出したり、
出来合いの観念性ら、と、
それらとの、 関係性ら、 を、 成して、
それらの系らへの、 感じようら、 や、
観ようら、 をも、 成し、
実感を覚えさせるものとして、 機能させる、
などしたり、 し得てある、 ので、 なければ、
出来ない、 はず、 であり、
それは、
自らの、 今としてある時間、を、
それ自らにおいて、 成してある、 観念性ら、と、
時計的な時間の系らや、
それを構成する、物事ら、などの、
観念性ら、とが、 それぞれな、
別な、 もの同士 、 であり、
観念系の主らにおいて、
観念な、 関係性ら、 の、 もとに、 置かれる、
宛てに成り得ても来てある、
というだけで、
互いに、 それ自らを、 その通りに、
成り立たせて、ある、
観念な、 規定性らなり、 秩序性らなり、の、
異なり合ってある、 もの同士 、 だから、
でもある。
いずれにせよ、
日本国民たちは、 より早くに、
日本国民たちの足元の、 地下へ、
より、 どこからでも、
より、 速やかに、 落ちついて、
歩み降りてゆき得る、 避難経路ら、と、
より、 快適に住める、 避難所らとを、
作り拡げてゆく、 公共事業らを成す事により、
日本の、 財務省の役人ら、と、 与野党の、
主な政治家らとが、
英米のカネ貸しらの主張する事らを、 そのまま、
自らもまた、 オウム返しにして、主張し、
実行もする事において、
日本政府の財政における 、 緊縮 、 を、
繰り返し、 成す事を通して、
彼らへの、 主 アルジ の立場にある、
日本の主権者としての日本国民たちへ、
物価だけではなく、 その労働らへの賃金らの水準へも、 より、 押し下げる向きへ圧力をかける、
要因らの系である、
デフレ不況性 、を、 押し付け続けて来てある、
その、 デフレ不況性 、を、 解消し去ってゆく、
と共に、
日本国民たちの防衛性の度合いを飛躍的にも高めてゆくべき、 ぎりぎりの状況にも、 ある 。
地上を襲い、 地上をおおい得る、 あり得る、
災害らへ対して、
地上に、 避難所らや、 避難経路らを設定して、
日本の主権者たちを、 それらへ誘導する事は、
人食い虎どもの住む、 密林へ、
人々を誘導する事に類する行為であり、
日本の主権者として、 日本国民たちの一般 、
へ対する、
個々の日本国民においても、
執事なり、 召し使いなりの立場にある、
公務員などの、 者らにおいても、
成す事が、 許されない 、
日本国民たちの一般の、 あり得る、 福利ら、を、 より、 能くも、 最大限にも、 成す事を、
約束して、 日本の社会に、 存在し、 存続する事を、 日本国民たちの一般から、 許されてある、
筋合いにある者としての、 義務 、 に、
違反性を成す、 行為であり、
それが、 作為型では、 無く 、
無知性と痴愚性とにもよる、 不作為型の、
行為であっても、
それへの責めを負うべき、 筋合いを、
その主らの側に、 成すものである事に、
変わりは、 無い 】 。
◇ 負電荷な 電子対なら 奪う、酸
逆な、 陽子を 引き取る、塩基・・。
☆ 湧き水の 濁りに続く 山津波
無い、水どもが 湧くも、先触れ・・。
◇ 連れ去るに 浜から沖へ 離岸流
脇へ泳げば ひろえる命・・。
☆ 水に塩 糖分も欠け 熱を去る
風も欠ければ 沸く、 熱射病・・。
☆ 【 関ケ原の戦い 】 ;
石田三成氏、 と、 小早川秀秋氏 ;
子孫が、 400年ごしの“和解”/
滋賀・観音寺 ;
2017/ 10/30 ( 月 ) 00:52:22.94:
☆ 画像 ; 石田秀雄さん(左)が、
秀秋氏を、 「勇将だ」、と、たたえ、
小早川隆治さん(右)と、 固い握手 ;
☆ 千6百年、の、 「 関ケ原の戦い 」
、 で、 西軍を率いた、 石田三成氏、と、
東軍に寝返ったとされる、 小早川秀秋氏、の、
各々の子孫員が、 29日に、
三成氏にゆかりの観音寺 ( 滋賀県は、
米原市 ) 、 で、 会談した。
映画の、 「 関ヶ原 」 、 の、 公開を記念し、
同市が開いた座談会で、 実現。
両家の伝承や、 秀秋氏は、 当初から、
東軍だった、 との学説も紹介され、
和阿 ワー ≒ ファン 、 らが聞き入った。
石田秀雄さん ( 67 ) 、が、
秀秋氏を、 「 勇将だ 」 、と、 たたえ、
小早川隆治さん ( 76 ) 、と、
固い握手。
約400年越しに、 “和解”した。
配信 2017.10.29 21:40 更新
産経WEST
http://www.sankei.com/west/news/171029/wst1710290058-n1.html
@ 三成どんの子孫は、 殺されなかったん?
@ 石田三成どんの子孫は、
津軽藩の藩士になっている。
@ 殺されていない。
津軽藩の家老になった家系もあるし、
娘の流れは、 現皇室にも繋がっている。
@ たしか、 子どもが、
津軽藩に匿われたあとに、
孫の代あたりで、 弘前藩主で、
50人位の子どもを こさえた、 お殿様がいて、
すごく、 子孫は増えていたような覚えが。
@ 津軽藩は、 代々に、 隠れて、
秀吉どんを弔 トムラ ってたんだよな 。
@ これからは、 ノブヤボ ≒
信長の野望 、 で、 津軽家を選ぶわ 。
@ 石田氏の、 長男は、 坊主になって、
生き延び、 次男と三女が、 津軽藩に匿われて、
家老の杉山家と、 津軽藩主への側室になっとる。
@ ちょっと、 微妙な和解やね 。
子孫が許しても、 光成どんは、 許せんだろ 。
@ そう思う。
後世の人が、 勝手に、和解とか、 いうなと。
@ 日本語で、 論弁を成していても、
日本人モドキらには、
先祖らが、 敵同士な人々が、
先祖らの成した事らを、 水に流し合い、
共通の子孫員らを成し合いさえもする、
日本の武家員らなどの精神性などは、
理解し難い宛てのもので、
頓珍漢な論弁をさらしてしまう 、
という事も、 ある 。
@ 世紀の裏切り者として、
日本国民の全てが、
歴史の教育で、 学ぶんだからなあ。
秀秋自身には、 裏切り者としての自責の念は、
多少なりとも、 あったろうけど、
400年以上をたっても、 裏切り者として、
その名を、 全国民が知るなんて、
思ってなかったろうな。
@ 関ヶ原で、 土壇場で、 裏切った、
というのは、 間違いで、
今の研究では、 松尾山に陣取った時点で、
すでに、 西軍と交戦していた、
というのが、 有力な説やで。
@ そう、最近の知見が、知りたい。
最近、 歴史街道か何かの、
コンビニで売ってるような本でも、
紹介されてた説だな。
裏切り中納言 、 との呼び方は、
京阪あたりから出た。
今も昔も、 太閤びいきの土地柄だからなw
@ その前に、 大谷どのに謝れ。
@ これな 。
@ 小早川金吾の家は、 無嗣断絶したので、
子孫は、いないぞ。
石田治部少の長男の重家どんは、 関が原後に、
出家し、 子孫は、無い。
次男は、 津軽・弘前藩で、
杉山家として存続なので、 石田姓ではない。
@ >三成氏の長男である、 石田重家 、
という人物ですが、
関ヶ原の戦いの際は、 まだ、 10代の前半と、
若かった事もあり、
僧侶になる事を条件に、 助命されています。
石田重家氏についての公式な記録では、
彼には、 妻子はいない事になっている、
みたいですが、 石田秀雄さんいわく、
重家氏には、 当時に、 身ごもった妻がおり、
その後に、 家康どんの次男の、
結城秀康氏のはからいで、
彼が治める越前 ( 今の福井県 ) 、
に移され、 同地で、 出産。
その後に、 彼の子孫は、 新潟県の妙高にて、
庄屋 ( 地方の有力者の事 ) 、 になった、
と、 言われています。
@ 会津藩士らは、 国替えで、
会津を離れた一方で、 農員たちは、
会津藩からの圧政に、 恨みを持ち 、
政府軍の手引きをした・・、
が、 その農員らの子孫らが、 なぜか、
薩摩らを恨んでいる、 という状態w
@ 朝廷軍への手引きをしたのに、
薩摩と長州の出の、 明治政府の幹部らが、
朝廷の敵として、 日本の各地の者らから、
貶 ケナ される立場に成った、
会津の人々への捕漏 ホロウ 、を、
ろくにする事ができなかった、から、
という事も、あろう 。
@ 小早川家は、断絶したけど、
裏切り者の一族として、 残らなかっただけ、
よかっただろな。
そのまま存続してたら、 子孫員らは、いまだに、
裏切り者のくせになんて、言われてたろ。
http://sans-culotte.seesaa.net/pages/user/m/article?article_id=17326684
@ 元の所有者だった秀秋氏の遺児の、
秀行氏は、 秀秋氏の兄の、
木下勝俊氏の六男として、 養育され、
長じて、 備中足守藩の家老となった際に、
土肥 ドヒ 姓に、 改称したそうです。
@ 三成どんは、 近江北部じゃなかったか。
@ 滋賀県は、 長浜市、の、 石田町の人 。
@ むしろ、 大谷吉継どんの方が、
子々孫々までの怨みが残ってそう 。
@ 小早川秀秋には、 子供がいないから、
改易だったよな。
@ 側室の子の子孫と主張している人はいる。
@ 明智光秀どんの子孫と、
小早川秀秋どんの子孫の苦労話の方が、
盛り上がるんじゃね?
どっちも、 裏切り者の家系ってことで、
濃い話を聞けるかもよ。
@ もちろん、 会談に出される、
お茶菓子は、 柿
≒ 石田三成氏が、 関ヶ原の戦い 、に、
敗れて、 捕らえられ、
処刑の場まで、 連れて行かれる途中で、
その役の者らへ、 茶湯だかを求めた時に、
その中の1人が、 湯は、 無いが、
喉がかわいたのなら、 柿があるから、
柿をやる、 と、 言うと、
石田三成氏は、
『 柿は、 痰の毒であるので、 いらない 』 、と、 答えた。
警護の者は、
「 すぐに、 首を切られるものが、
毒断ちをして、 何になる 」 、 と、 笑ったが、
三成氏は、
「 大志を持つものは、
最期の時まで、 命を惜しむものだ 」 、
と、 泰然としていた、 という 。
漢方では、 柿は、 痰の毒ではなく、
薬だそうだ。
この逸話は、 「 茗話記 」 、 などに、
出てくる 。
@ 小早川は、 元から、
松尾山にいた西軍を追い出して、布陣したから、
西軍の諸将から、 最初の時点で、
あいつは、東軍だ、と、 認識されてた、
可能性が、 大なんや 。
大谷吉継どんの小早川対策は、 裏切り以前の問題。
@ 賤ヶ岳の七本槍の連中は、 ことごとく、
裏切ってんな 。
@ 糟屋どんは、 裏切ってないぞ 。
@ 2万5千以上の兵力を押しとどめていた、
吉川よりも 、
1万5千の兵力で、 裏切った小早川が、
虐められる風潮には、 草が生える 。
@ 不戦より、 裏切りの方が、
インパクトあるからね、 仕方ないね 。
@ 徳川が、 ネガキャンしたからなあ 。
@ 足止めは、 単純に、
自軍戦力のマイナスだけど、
裏切りは、 マイナスと、
相手戦力のプラスにもなるからね。
@ 関ヶ原の元凶とも言える、 上杉が、
減封で済んでいる、 という、理不尽 。
@ 東軍に、 上下を倒すだけの余裕が、
ないから、 しゃーない 。
@ 三成どんと大谷吉継どんの、
茶の逸話が、 創作と知った時の、
ガッカリ感は、 異常やった 。
@ こマ? あの話が、好きなのに...。
@ 秀吉どんが、 やった事が、
石田三成氏のやった事へ、置き換えられて、
伝わった、 とも、言われているし、
本当にあったかも知れない、
とも、言われている
≒ 大谷刑部 ギョウブ 氏が、
武将らとの茶会の席で、 武将らと、
同じ茶碗で、 茶を回し飲みする際に、
ハンセン氏病にかかっていた所から、
膿 ウミ を、 その茶へ、垂らしてしまった。
その後の武将らは、
ハンセン氏病にかかる訳には、行かないので、
その茶碗から、 茶を飲む振りをするだけで、
口を付けなかったが、
石田三成氏の独りだけは、
その茶を飲み干した、 という。
@ 戦国時代の逸話なんて、 八割方、
創作やぞ。
@ その、創作らを成した主らには、
その話らに共感できる精神性らがあった、
という事も、
その創作ら自体も、 歴史事らの一定事らである、
という事も、 意義のある事だ。
@ 一次資料とも言える書状で、
ヤバい内容が載ってたり、
他所の大名から、 変人扱いされてる、
伊達政宗どんは、 はっきり言って、 異常だ。
@ せやで、 脱糞も、 嘘にしておこう 。
@ 脱糞って、 山岡荘八どんの作った話って、
聞いた事があるンゴ 。
@ 徳川の重臣の、 大久保家の者が、
創作した逸話やぞ。
@ そうなんか、サンガツ 。
@ 三河後風土記 、 だった 。
【 合戦の最中 サナカ に、
大便や、尿を出す事は、
それらを理由に、 敵らからの攻めようらを、
差し止めて貰えない、 事から、
単なる、 生理現象として、 成されて、
ごく当たり前な事であって、
より、 戦いへの不安な思いに、
囚 トラ われずに、
より、 きちんと、 落ち着いて、
茶湯や、飯を、 飲み食いする事が、 できた、
武者らほど、
合戦の最中に、 大小便を出しながら、
戦う率を高め得たはずでもある。
徳川家康氏だけが、 合戦の最中に、
生理現象を成していた、
可能性がある訳ではなくて、
排便を理由として、
合戦を差し止められる事が、 無い、
状況らにおいては、
合戦の最中においても、 排便するしかない、
という事から推して、
合戦中の排便は、
その当時の当事者らの一般においては、
ごく当たり前な、 単なる、生理現象として、
観成されており、
大久保氏も、 そうした事を判り得てあった上で、
徳川家康氏が、 武田勢との、
三方ヶ原 ミカタガハラ の戦い、において、
脱糞したように述べてある、 とも、
考えられる。
幕末における合戦らの、どれかにおいて、
板垣退助氏だったかが、
味方の侍たちへ、
『 小便は、 戦いながら、やれ。
戦に集中して、 小便などに構うな 』 、
といった趣旨の事を、 述べてから、
戦へ取り掛かった、 との事だが、
排便を理由として、 戦事らが、
差し止められるものでは、 無い、 からには、
それが、 当たり前な事であって、
一定数以上による、 合戦の最中に、
排便が、 無くて、 当たり前だ、と、
考える方が、 より、 あり得る事らを観る、
考えようを、 欠いてある 】 。
@ よく、 戯務 ゲム ≒
ゲーム 、 とかで、
大谷吉継どんの事を、
刑部って呼んでるけど、あれって、職業?
、で、 あってんの?
上杉謙信公の関東管領みたいな感じで。
@ 官位のことやで 。
内府 = 内大臣 、 みたいなもんや 。
@ 大谷吉継どんは、 実際に、 朝廷から、
官、 従五位下 ジュゴイのゲ 、 の、
刑部少輔を貰ってるからな 。
@ 長曾我部家、 秀吉どんに侵攻されて以来、
負け戦ばかりで、 可哀想 。
@ やっぱ、
鳥なき島の蝙蝠 コウモリ 、 なんやね 。
@ 石田三成氏と細川忠興氏は、仲が悪かった。
当の石田三成氏自らが、
「 幾ら、なんでも、 仲が悪すぎじゃね? 」
、 と思うほどに、 悪かった。
そこで、 三成どんは、 殊勝にも、
こう、思い立った。
「 そうだ! 仲直りをしよう! 」 。
三成どんは、 前田玄以どんに仲介をしてもらい、
忠興どんと、 一席を設けて、
仲直りをすることとなった。
さて、 その席でのこと。
忠興どんが、 先に、着座していると、
三成どんが入ってきた。 手に、 盆を持って。
その盆には、 柿が載せてあった。
そして、 仲直りの挨拶もせずに、 静かに、
その盆を、 忠興氏の前に置き、
「 越中守は、 柿が好物だと聞いたので、
持参いたした。 それがしのことは、 気にせず、
食して頂きたい 」 。
忠興氏は、 顔を真っ赤にして、
怒って、 出て行った。
残されたのは、 何で出て行ったのか、
まるで解ってない三成どんと、
あまりの三成の行為に、 頭痛がしてきた、
前田玄以どんであった。
@ 仲の悪い奴から、 珍しく、
誘いがありました。
誘っておきながら、 奴は、遅刻してきました。
来るなり、 挨拶も、遅刻の詫びも、 なく、
いきなり、 お前の好物をもってきたから、
食え、 と、 言われました。
おちょくってんのか、 この糞野郎、になるわな。
挨拶して、 呼んだ趣旨を述べてから、
心づくしです、って言って、 柿を出せば、
仮に、 内心では、 毒が盛られてある事などを、
疑っても、 食うだろうにw
@ 秀吉どんは、 こういう人をこそ、
何とかして上げたい、と、 保護者のような、
心持ちで、 三成氏を取り立てていたのかもな 。
三成氏は、 本当に、 裏表を無しに、
人に接するように心掛けても居たのだろう。