エネスコの管弦楽の全集を手に入れてからそれを
しばらく聴いて、マーラー、ブルックナーもやっぱり
聴かずにいられず、
とくに、ヤッシャ・ホーレンシュタインという指揮者の
全体に暗く、静かに激しく、とても緻密な
楽団演奏にしびれて、そればかり聴いていたが、
突如として、
マイルス・デイビスの70年前後の音源に浸りだした。
最初に
●「マイルス・イン・ザ・スカイ」1968年。
これは、思い出深い。
1969年、ぼくは高校3年。秋になって、みんな受験勉強
にどっぷり浸っているときに、文化祭で
「ジャズ喫茶」を作った。テーマは「黒人とジャズ」。
ひとりで教室ひと部屋借りて、壁一面に
相倉久人や平岡正明の文章を写して、べたべた貼って
でっかいギターのアンプをスピーカーにして
大、大音量で、この「マイルス・イン・ザ・スカイ」や
コルトレーンの「至上の愛」をかけていた。
校長が入ってきて「こんなやつも、おるんや」というような
つまり訝しさまるだしで、何か感想を言ったように記憶
している。
あのころ、マイルスの凄さやラディカルさは、きっと
わかっていなかった。
“電気”に走って、音を増幅する、ロック色のマイルスが
日和見に見えた。
なんのなんの、いまからこの
70年前後のマイルスを眺めたら、修羅のようではないか。
●「ゲット・アップ・ウィズ・イット」1970年〜
●「アット・フィルモア」1970〜
えっ、もう、37年も前の音源か。
こんなにも前に、ジャズが正しい終末であったのか。
終末を生きて、破裂している。
マイルスは、どの時代もジャズ史の人的ドキュメントで
終末に、破裂していた。
1956年のマラソン・セッション。
ぼくは、中3で、これにいかれた。
1959年の
「カインド・オブ・ブルー」。
高校生のぼくには、何度聴いてもよくわからなかった。
ただ、何度聴いたかわからない。
いまは、ジャズのアルバムのベスト1だと思っている。
昔は、もちろんレコード。
これがCDにはじめてなったときに買った。
国内盤の定価が、3800円だった。
それで、最近、買い換えた、新しいCDでは、
もうかつての音源とは、まったくの別物のように
音の洗練度が違う。
●「ビッチェズ・ブルー」1969年
●「オン・ザ・コーナー」1972年
●「アガルタ」1975年
と聴き続ける。
こんな音楽、破裂・混沌・狂気、侠気、、、、、、、、の
音楽を、どんなやつが聴いているのだろうかと
ふと思う。
くたくたになる。