文屋

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■あの貿易センタービルが無いということが、その場に立っても信じられなかった。

2006年09月11日 15時39分37秒 | 日録雑感


90年代初めのころのいつの日だったか、私は、貿易センタービルの
103階にいた。カルチャーセンターの企画で、高名なジャズ評論家の先生と
行く、ニューョークジャズツアーに同行した。
そのメインイベントが最上階での、ディナーと現地のジャズピアニストによる
ライブだった。10名ほどの人間が、そのひとときを得たのだから贅沢な時間
だった。
窓からは、天からの角度のようにハドソン川、イーストリバー、スタッテン島、
ニュージャージー、自由の女神などが一望できた。
いろいろな写真を撮った。ほぼ垂直に真下の通りと車の姿を見た。
真下を覗き見したときの感覚が、異様だった。
あんな光景は、きっと見ることができないだろう。
地上ではない。天上でもない。この世の感覚ではない。
別の角度からは、隣の双子ビルの屋上あたりが見えた。
あれも、あの世のようだった。
あの夜の写真は、探せばどこかにあるはずだが、なんだか、怖くて
探していない。
二年前に、もう一度あの場所を訪ねたときはただの
巨大な穴になった空き地だった。
バッテリーパークあたりの感じがまったく違う。
マンハッタンの南端を見ても、あの墓石みたいに冷たい二塔の建物が
喪失や消失の象徴のように、なにもない。
あの巨大な空き地を見て、なんだかただ歩きたくなって、
トライベッカのSOB,sまで、暗い通りをひたすら歩いた。
なにか、巨大なものが失われた町のように深く感じられた。