どうせ、というか、残念ながらというか、キャンディーズは、ピンク・レディーとの対比で書くと、やっぱり分かりやすいのでアリマス。
1976年8月25日。
ピンク・レディーの「ペッパー警部」が発売されました。
その一週間後の9月1日。
キャンディーズの「ハート泥棒」が発売されました。
ワタシ、この時、6歳。
「ペッパー警部」のヒットはリアルタイムで記憶がアリマス。
夜でしたがね、国道五号線から、産業道路に入ったあたりで、クルマのラジオから流れて来ましてな。「ナンジャ、コリャ~!!!」とコドモゴゴロにも衝撃が走りました。(ワタシが運転していた訳ではナイぞ。念のため。)
ところが、同じ頃に発売されていた筈の「ハート泥棒」については、リアルタイムでの記憶がナイ。解散前の最後の半年には、ほぼ全てのキャンディーズのシングル曲は知ってたから、その頃には、この曲も知ってたと思いますが、リアルタイムでのキャンディーズの記憶は多分「やさしい悪魔」(1977/3/1)からナノですね。
つまり、ワタシはキャンディーズより、ピンク・レディーを先に知っていたコトになる訳です。まぁ、ビートルズよりも先に、ずうとるびを知ってしまったワタシなので、それに比べリャまだイイんですけどサ。
で、この印象の薄さが、やっぱりキャンディーズだったンだろうなと思うのデスね。
ピンク・レディーのスペシャルに対して、キャンディーズのジェネラル。
阿久悠・都倉俊一という固定作家を使い、特異と言うか突飛な、イメージ戦略で固めたシングルを連発してたピンク・レディーに対し、キャンディーズについては、ユニークだ、とか、オモシロイというイメージは全然ないし、特定の作家の印象もあんまりナイ。(強いて言えば、印象的な作家は穂口雄右氏なんでしょうが、それにしたって、全シングル18曲のうちの半分にも関わっていない。)
つまるトコロ、キャンディーズは、行き当たりバッタリに売られた、古いシステム末期の最後の大きな果実だったような気がするのね。
ピンク・レディーの戦略は、広告屋の戦略十訓的な、計算されたモノとも見えますが、ナベプロのキャンディーズは、早い話が、「モノが良けりゃ、あとは、テキトーに宣伝すりゃ、売れるンだろ」的な大雑把さを感じます。
二番煎じな曲が多いってのも、その根拠。
例えば、1975年、「年下の男の子」の大ヒットの次の「内気なあいつ」。
そんで、1976年、「春一番」大ヒットの次の「夏が来た!」。
歌詞もサウンドも、前のヒット曲を受けて、極めて安易に方向を決められたコトが、アホウじゃない限りすぐ分かる。
でも、その二番煎じな「夏が来た!」こそが、今のワタシにとって、最も魅力的なキャンディーズの楽曲なのヨ。
何故ならば、30年間、ワタシは、この曲を忘れていた!
逆接的な「何故ならば」デスが、ソコこそが肝。
もう、お分かりですね?
(つづく)
←ブン、ブン、ブンと、クリックお願い致します。
1976年8月25日。
ピンク・レディーの「ペッパー警部」が発売されました。
その一週間後の9月1日。
キャンディーズの「ハート泥棒」が発売されました。
ワタシ、この時、6歳。
「ペッパー警部」のヒットはリアルタイムで記憶がアリマス。
夜でしたがね、国道五号線から、産業道路に入ったあたりで、クルマのラジオから流れて来ましてな。「ナンジャ、コリャ~!!!」とコドモゴゴロにも衝撃が走りました。(ワタシが運転していた訳ではナイぞ。念のため。)
ところが、同じ頃に発売されていた筈の「ハート泥棒」については、リアルタイムでの記憶がナイ。解散前の最後の半年には、ほぼ全てのキャンディーズのシングル曲は知ってたから、その頃には、この曲も知ってたと思いますが、リアルタイムでのキャンディーズの記憶は多分「やさしい悪魔」(1977/3/1)からナノですね。
つまり、ワタシはキャンディーズより、ピンク・レディーを先に知っていたコトになる訳です。まぁ、ビートルズよりも先に、ずうとるびを知ってしまったワタシなので、それに比べリャまだイイんですけどサ。
で、この印象の薄さが、やっぱりキャンディーズだったンだろうなと思うのデスね。
ピンク・レディーのスペシャルに対して、キャンディーズのジェネラル。
阿久悠・都倉俊一という固定作家を使い、特異と言うか突飛な、イメージ戦略で固めたシングルを連発してたピンク・レディーに対し、キャンディーズについては、ユニークだ、とか、オモシロイというイメージは全然ないし、特定の作家の印象もあんまりナイ。(強いて言えば、印象的な作家は穂口雄右氏なんでしょうが、それにしたって、全シングル18曲のうちの半分にも関わっていない。)
つまるトコロ、キャンディーズは、行き当たりバッタリに売られた、古いシステム末期の最後の大きな果実だったような気がするのね。
ピンク・レディーの戦略は、広告屋の戦略十訓的な、計算されたモノとも見えますが、ナベプロのキャンディーズは、早い話が、「モノが良けりゃ、あとは、テキトーに宣伝すりゃ、売れるンだろ」的な大雑把さを感じます。
二番煎じな曲が多いってのも、その根拠。
例えば、1975年、「年下の男の子」の大ヒットの次の「内気なあいつ」。
そんで、1976年、「春一番」大ヒットの次の「夏が来た!」。
歌詞もサウンドも、前のヒット曲を受けて、極めて安易に方向を決められたコトが、アホウじゃない限りすぐ分かる。
でも、その二番煎じな「夏が来た!」こそが、今のワタシにとって、最も魅力的なキャンディーズの楽曲なのヨ。
何故ならば、30年間、ワタシは、この曲を忘れていた!
逆接的な「何故ならば」デスが、ソコこそが肝。
もう、お分かりですね?
(つづく)
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この辺は時代の差なのでしょうね。一般的に見ればやっぱりピンクの方が売れてましたからね。僕と同世代にはキャンディーズ派が多いと思います。(^^)
夏が来た! 良いですね。久しぶりに聞いてみよう!!
それは、つまりレコード・デビュー前からってコトですね!う~ん、真性ですね~。羨ましい。
キャンディーズ解散の時、ワタシは8歳だったのですが、同級生の中では、キャンディーズ派は少数でした。やっぱり、ピンクレディーと違って、コドモ受けを、あんまり狙ってなかったデスよね。
逆に、だからこそ、今でも聴ける楽曲も多いデスよね。「夏が来た!」は、ものスゴク普通の曲で、そこがとっても良いなぁと思います。