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もみじ饅頭

2015-02-26 | Weblog
もみじ饅頭

 おやつにもみじ饅頭を食べる。
しっとりとした皮とあんこよくあっていた一
品だった。

 これも先だって行った旅行のおみやげで、
主に家族に食べてもらうために買って帰った
のだが、折角だから私も頂いている。
 広島のお土産といえば、牡蠣に関する製品
かもみじ饅頭となってしまいがちだ。
あまりにも一般的で面白みにかけるかもしれ
ないが、長い間生き残り続けてきているお土
産や名物というものには、それなりの理由が
あると思う。

 家族に買って帰ったものは、色々な味が楽
しめる、詰め合わせセットのものにした。
 食べきるまでに、家族に飽きられてしまっ
たら、それは寂しそうなので、色々な味を楽
しんでいるうちに無くなってしまいそうなこ
ちらにした。
 同じおみやげ物売り場には、こしあん一色
の物があった。しかし、粒あんのものは無
かった。

 私は粒あん派なので、少し悲しく思いなが
ら、売り場を見ていた。その後、他の土産物
を扱うお店に何度か立ち寄ったが、ついぞ
粒あんばかりの箱は見つからなかった。
 はてこれはどうしてなのだろうか?と思い
ながら食べていると、商品の解説が目に付い
た。

 その解説によると、昔かの初代総理大臣・
伊藤博文が宮島に来て、もてなしにまんじゅ
うを出した女性店員の手を見て、カワイイも
みじのようだと言った、ということを元に、
もみじの形をしたまんじゅうを開発したとか。
 こういう逸話は、大抵誇張が入るものだろ
うから、ほどほどに信じることにする。
まあしかし、こういう偉い人をもてなすため
のお菓子として出されたというのは、信ぴょ
う性が高いのではないだろうか。
現在と違い、昔は甘い物は今よりもずっと高
級な物だっただろうし。
 それならば、粒あんよりも一手間も二手間
もかかっている、こし餡が標準であることに
納得できる。
 お土産のもみじ饅頭を食べた家族は、その
へんで買える物とは、皮の美味しさが違うと
いうことだった。
基本的な部分に、伝統というものの値打ちが
出るのだろうと思う。

 それにしても、たまに耳にする「名物に美
味いものなし」という言葉、あれは嘘だと思
いました。

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