constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

『危機の二十年』のコンテクスト

2011年08月27日 | nazor
国際政治学の「古典」であり、必読文献であったが、日本語訳に問題が指摘され、長らく入手困難な状態にあったE・H・カー『危機の二十年』の新訳が、10月に岩波文庫から出版される。新訳を担当する原彬久は、カーと並んで国際政治学の「古典」であるハンス・J・モーゲンソー『国際政治――権力と平和』(福村書店)の翻訳に関わった経験もあり、人選として適任といえるだろう。

また井上訳の435頁から560頁へと分量に増えていることから、単に従来よりも大き目のフォントに変更するだけの改版にとどまらず、2001年に刊行されたマイケル・コックスの詳細な序文が付された英語版が底本として使用されていると推測できる。1990年代に入って著しい進展を見せている国際政治学の学説史研究において、ユートピアニズム対リアリズムというカーが『危機の二十年』で提示した図式の脱神話化が進み、平板なユートピアニズム理解の見直しとともに、『危機の二十年』をはじめとするカーの国際政治関連の著作も批判的な再読の対象となり、それが「カー・リヴァイヴァル」と呼ばれる潮流を形作っていることは、もはや国際政治学を学ぶ者にとって周知の事実と化している(たとえば、『外交フォーラム』22巻2号、2009年が「E・H・カー―現代への地平」と題する特集を組んでいる)。コックスの序文によって、こうした近年のカーをめぐる研究状況の見取り図を知ることができるのは初学者にとって有用であろう。

国際政治学の導入教育で学ぶ「常識」に対する修正主義は進んでいる。たとえば、1648年のウェストファリア条約に近代主権国家(体系)の成立を見る理解は、スティーヴン・クラズナーのようなリアリストからも、あるいはベンノ・テシィケのようなネオマルクス主義者からも、批判的な眼差しを向けられている(クラズナー「グローバリゼーション論批判――主権概念の再検討」渡辺昭夫・土山実男編『グローバル・ガヴァナンス――政府なき秩序の模索』東京大学出版会, 2001年、およびテシィケ『近代国家体系の形成――ウェストファリアの神話 』桜井書店, 2008年)。とはいえ、依然として教科書や入門書などでは、こうした修正主義的研究を視野に入れた記述が十分に浸透しているとはいいがたい。同じくカー『危機の二十年』によって整理された論争構図が、リアリズムを軸とする、いわゆる「大論争史観」として国際政治学の学説史を規定し、教育的な利便性も加味されて、今でも強い影響を与えている。「古典」と評価されることによって、『危機の二十年』の脱コンテクスト化が避けがたいが、それでも二重のコンテクスト化、すなわち書かれたコンテクスト(同時代的意義)と読まれるコンテクスト(今日的意義)それぞれに目配りをした読みが求められる。

・追記(9月15日)
『世界』や『思想』の巻末掲載の「これから出る本」で予告されていた『危機の二十年』の新訳であるが、岩波書店10月の新刊案内に掲載されておらず、理由は定かではないが、刊行延期になった模様。
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