吟遊詩人の唄

嵯峨信之を中心に好きな詩を気ままに綴ります。

広大な国-その他- から

2016-10-05 11:49:39 | 嵯峨信之
生まれることも
死ぬことも
人間への何かの遠い復讐かもしれない
この問いは世々うけつがれて
かつて一度も答えられたことがない
ざわめく血の森のなかへ姿を消したものは
はてしない迷路をいつまでも彷徨う
そのとき死を願え
そして言え
行きつくところなくして
大いなる土地ついに見当たらずと

小さな灯/嵯峨信之

2013-10-24 22:55:02 | 嵯峨信之
人間というものは
なにか過ぎさつていくものではないか
対いあつていても
刻々に離れていることが感じられる
眼をつむると
遠い星のひかりのようになつかしい
その言葉も その微笑も
なぜかはるかな彼方からくる
二人は肩をならべて歩いている
だが明日はもうどちらかがこの世にいない
だれもかれも孤独のなかから出てきて
ひと知れず孤独のなかへ帰ってゆく
また一つ小さな灯が消えた
それをいま誰も知らない

生きるということ/嵯峨信之

2009-02-09 13:14:07 | 嵯峨信之
すべてが一回かぎりのものだ
遠くの野づら 空を掠める一羽の鳥 横切つた水路

さらにもう一度と思っても
再び同じことはくりかえさない

日は照っている
山なみも青くゆるやかにつづいている
小道を
バッタが跳ねた
木から葉が一枚舞い落ちる

ぼくは素直に生きようと思う
空気の教え 水の諭し 光の導きによって
木の葉 草の葉のそよぎとともに生きよう

ああ 人間は自己の影を越えて先きへ進むことはできない
日々 欣びは遠く 憂いは近い

でも
ぼくはたしかにいま生命の近くにいる

箴言/嵯峨信之

2008-12-09 15:37:29 | 嵯峨信之
愛はある周辺から始まるが
死は直接その中心に向かってやってくる
愛は所有のたえざるくりかえしだが
死は所有そのものをしずかに所有する
愛は死に奉仕しながらその中でゆき暮れる
死は愛に近づきつつ遠ざかる
そして人間はその二つのものの唯一の通路である

空/嵯峨信之

2008-12-04 12:53:54 | 嵯峨信之
どんな小さな窓からも空は見える
どんな大きな窓からも空は見える
その二つの大きな空は垂れさがったおなじ一つの空だ
わたしはその空をひき下ろそうとしたが
空はどこまでもつづいてはてしがない

いつも
どこにいても
白い空はわたしを閉じこめている
一つの大きな心のように

しかし わたしになにか気に入ったことがあると
青いいきいきした空が
わたしの心のなかの遠くに見える
その空はきっとわたしが生まれた日の空だ
もしそうでなければ
その遠い空をながめていると
きゅうにこう眠くなるはずがない

声/嵯峨信之

2008-11-25 16:34:49 | 嵯峨信之


大凪の海で出会ったのだから
ふたりは
どこの海よりも遠い

櫂は
心の中にしまっておいても
夜中になるとひとりでに水面をぴちゃぴちゃたたいている

ふたりは話し合うのに
はじめて自分の声をつかった
生まれたときの真裸の声を

やがてふたりは港にはいるのだろう
あれほどの深い時をありふれた幸福にかえるために
ふたたびめぐり合うことのない自分を海の上に残して

野火/嵯峨信之

2008-11-25 16:02:27 | 嵯峨信之




孤独
それはたしかにみごとな吊橋だ
あらゆるひとの心のなかにむなしくかかっていて
死と生との遠い国境へみちびいてゆく
そしてこの橋を渡って行ったものがふたたび帰ってくる日はない
それは新しい時空の世界へたち去るのだろう

一本の蝋燭がふるえながら燭台のうえで消える
もし孤独のうえでとぼしい光を放って死ぬのが人間のさだめなら
その光はだれを照らしているのだろう
あの遠い野火のように
ひとしれぬ野のはてで燃え
そしていつとなく消えてしまう火
時はどこにもそれを記していない
時もまた一つの大きな孤独だ
たれに記されることもなく燃えさかり
そして消えてしまうものは尊い

旅情/嵯峨信之

2008-11-25 09:53:34 | 嵯峨信之


ぼくにはゆるされないことだった
かりそめの愛でしばしの時をみたすことは
それは椅子を少しそのひとに近づけるだけでいいのに
ほんとうにそんな他愛もないことなのに
二人が越えてきたところにゆるやかな残雪の峰々があった
そこから山かげのしずかな水車小屋の横へ下りてきた
小屋よりも大きな水車が山桜の枝をはじきはじき
時のなかにひそかに何か充実させていた

ぼくたちは大きく廻る水車をいつまでもあきずに見あげた
いわば一つの不安が整然とめぐり実るのを
落ちこんだ自らのなかからまた頂きにのぼりつめるのを

あのひとは爽やかな重さで腰かけている
ぼくは聞くともなく遠い雲雀のさえずりに耳をかたむけている
いつのまにか旅の終りはまた新しい旅の始めだと考えはじめている

GAZA