最初のトルコは約10年前で、日本からイスタンブールへ飛びさらに
コンヤへと向かった。
コンヤにはメヴラーナ教団の聖廟と本部が置かれている街でもあり、
この教団員は旋回に会わせて祈り長いスカート状の裾が広がって踊り
の様に見える事から日本での別名は旋舞教団と言われている。
コンヤの街中
メヴラーナ教団の本部が有る丘とそこからのコンヤの町
メヴラーナ教団の本部
メヴラーナ教団の聖廟
コンヤの街はイスタンブールから見ると、落ち着いた地方都市と言っ
た感じに見えた。
イスラム教国では有っても憲法上はイスラム法では無い為、酒が飲め
るし女性のアバヤ(頭から被る)やスカーフ着用の義務は無い。
まあ、トルコ建国の父と言われる初代大統領ムスタフ・ケマル・バシャ
(ケマル・アタチュルク)が酒好きで死因が肝臓障害とも言われている。
食事は日本人には合う様に思えたが、さすがに豚肉は無かったと思う。
トルコ料理
街中のショッピング街を歩いていたら、露天の叔母さんに呼び止められ
言葉が通じない中「ジャパニーズ」は通じた様で、店頭に並べて売って
いたお米を葉っぱに包んでいた料理(ドルマとか言っていた)を貰って
食べたりした。
近頃はテロとかで何かと騒がしいが、当時はそういう事も特に無くて、
コンヤから車で5時間ぐらいかけてイスタンブールへと向った。
イスタンブールの話は別の機会に・・・。