雅子皇太子妃・徳仁皇太子・愛子内親王の現状は”第二の女系天皇問題”安倍元総理暗殺は第3の敗戦、愛子天皇は終末の敗戦だ

※当ブログでは明治典範にも違反する生前の譲位に抗議し、ブログタイトルは違法即位後も同タイトルとします。

小和田雅子氏の不審な入内の経緯に始まる皇室自壊工作のシナリオ[前]

2008年11月11日 11時11分11秒 | 未分類および旧ツイッター投稿など
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★初対面の場・エレナ王女歓迎の茶会の出席者名簿に手書きで「小和田雅子」…こんなことが許されるのか?
★昭和末期から行われていた,国民への売り込み.
★今上両陛下や護衛官の目を盗んでの“再会”.
★女性・女系天皇計画との連動.
★「順調に回復…」「引き続き温かく見守って…」「自信」「決意」…代替わりまでの執拗な時間稼ぎ工作.
★愛子天皇への道をつなぎとめておこうとの工作.
★徳仁天皇が小和田に操られる危険.


雅子妃殿下ご自身の反日性・左翼性,ならびに入内に際しての不可解さは既に以下


 


http://bluefox-hispeed.iza.ne.jp/blog/entry/108472/


 


にて指摘したとおりだが,入内にまつわるさらに不可解な点,ならびに女性・女系天皇問題との関連も忘れてはならない.


まず,雅子妃についてのメディアの扱いには,昭和末期当時のものにすでにプロパガンダの意図を感じる.
雅子妃をことさらに美化し,さも「皇太子妃にふさわしい」人物であるかのような情報操作が当時から行われてはいなかったか.


たとえば,


FOCUS1986年(昭和61年)10月17日号


 


http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20070323143903.jpg


 



>>外務省に清原級ルーキー


 


http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20070323144249.jpg


 


などと,たかが外務省の1新人職員に大げさな見出し,しかもこの号には浩宮殿下も同時に掲載されていた.


 


http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20070323144047.jpg


 


この同時掲載は偶然の一致とも思えるが,この号のFOCUSが発売されたのは後述するように初対面の場の直前であるとなればそうとも言い切れまい.
国民の脳裏に2人を関連づけさせるような印象操作が仕組まれたとも考えられよう.


ちなみに雅子氏がたかがウインナー3本をいためているふりをしているとしか思えない写真をわざわざ載せている.
(その下はウィリアム王子の料理姿であり,雅子氏のやっていることがやらせでしかないことが明白だ)


 


http://www.yuko2ch.net/mako/imgbbs3jik/img-box/img20070226172802.jpg


 


さらにその後も下記


 


http://wiki.livedoor.jp/dosukono/d/%a5%de%a5%b3%a5%aa%a5%bf%b2%e8%c1%fc%bd%b8%a1%ca%b2%ed%bb%d2%b4%d8%b7%b8%a1%cb%a3%b1


 


の中に示されているが,当時の浩宮殿下にというより,国民への“売り込み”が執拗に行われていたと思わざるを得ない.


こうしたプロパガンダは平成に入ってからも続いている.
1992年(平成4年)5月,他エントリにも引用しているが


 


http://www2.asahi.com/national/birth/photo/08.html


 


赤ちゃんが下にいるのに危ない写真を,さも料理好きのようにアピールしているつもりであろうか?


この他にも非常識な振る舞いを美化するような印象操作報道が相次いだ.
(蛇足だが,「心無い中傷だ」という文言も,使いようによっては「虚偽である」かのような印象操作になってしまう.)


そしてそういった意識操作報道は今でも続き,愛子内親王殿下についてまでも行われている.
女性週刊誌の「はにかみステップ」「あっ,髪型が同じ!」などという,非常識を美化するような書き方はもう呆れてものも言えないが,同時に執念深い政治的工作の意図を覚えて慄然ともする.



さて,こういった執拗なプロパガンダの裏にあるものは何だろうか?
それは,小和田雅子という工作員を皇室に送り込むことにはじまった,無血革命(白色革命)による皇室解体である.
(組織などの中に入り込んで内部から制度を変えて変革させてしまうことを,白色革命,無血革命という.別の例では外国人参政権だ.)


その根拠だが・・・.
まず浩宮殿下との出会いでいかがわしいのは以下の話である.


    『皇室・家族論』芹沢俊介著 洋泉社発行 112ページより
      『小和田家の娘』現代(93年3月号)岩瀬達哉


1986年10月16日、スペイン・エレナ王女歓迎の茶会に出席し浩宮殿下と顔合わせしているわけですが,           
「タイプ打ちされた、そのパーティーの出席者名簿に、手書きで書き加えられていたのが、雅子さんであった」
(『小和田雅子さん素顔の29年』より)


外国の王女を招く,それも日本のご皇族も出迎えるパーティーに,出席者名を手書きで書き加えるなどということが許されるのであろうか?
これならテロリストでも自由に入り込める.


しかもこれは先のFOCUSの発売にタイミングを合わせるかのようだった.
ということは,何らかの意図があったと思われても仕方ないだろう.



少し時間的に戻るが,小和田恒がA級戦犯を断罪したのは1985年(昭和60年)


 


http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/f498b6d23fc6578c8328b1187d1c605c


 


だった.
当時の小和田雅子氏の意思自体がどうであったとしても,こんな反日売国官僚の娘が皇室に入るとなれば,反日勢力がこれを利用しようと思いつくのが当然であろう.


さらに平成に入って,両陛下の目を盗んでの密会.これには反日省庁・外務省が関与している.


『6月のプリンセス』(読売新聞社社会部)


>>
それにしても、その情報は驚くべき内容だった。
―天皇・皇后両陛下が山形国体の開会式出席のため羽田をたった十月三日の昼前、
皇太子さまは、後部座席を黒いフィルムで目隠ししたあずき色のワゴン車に身を隠し、
赤坂御用地の巽門を出た。運転していたのは側近の職員。
門を守る皇宮警察の護衛官も、皇太子さまが乗っていることには気づかなかった。
ワゴン車の後ろには山下和夫東宮侍従長のマイカー、ベージュの「カペラ」が続き、
高速道路を経由して千葉県市川市に向かった。
やがて二台の車は、新浜香鴨場に到着した。
―そこで待ち受けていたのが、小和田雅子さんだった。
ここはふだん、外交団などの鴨猟接待に使われる。
皇太子さまは雅子さんと一緒に昼食を取り、野鳥が泳ぐ池の周りを散歩したり、
輪投げをしたりして過ごした。そして最後にプロポーズをしたようだ。
―立ち会ったのは、元外交官で国際協力事業団総裁の柳谷謙介氏や
山下東宮侍従長などごく少数。
皇太子さまが東宮仮御所内にいるような偽装工作もほどこしたから、
侍従たちでさえ、この秘密作戦には気づいていないはずだ。
<<


何故両陛下の目を盗むようにする,護衛官も気づかない,これは重大なことではないのか?
しかも上記の内容からすると,皇太子殿下ご自身をも騙す様に連れ出したと言うことになる.


さらに,既に書いたとおり
「Taurosのインターネット案内」様の記事より18

 


http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4444/surf18.html


 


>>
国会での質疑:126回国会、衆議院・大蔵委員会(93・04・23)
正森成二・衆議院議員(日本共産党):宮内庁に伺いますが、報道されているところでは、小和田雅子さんの祖父、江頭さんは一時期、現在のチッソの社長だったということから、宮内庁は水俣病の原因となった企業であることから、皇太子妃にはふさわしくないという判断だった、水俣病発生後の就任であったとしても、御夫妻で熊本に行かれとき歓迎して貰えるかなどの意見が説得力を持ったと報道されております。別の報道では、雅子さんの件はおあきらめくださいと皇太子様に当時の宮内庁首脳が伝えたこともあった、ということが書かれております。


宮内庁長官・官房審議官・古居儔治:昭和61年以降、小和田雅子さんが皇太子妃候補の一人として皇太子殿下と親しくお会いになられた時期がありましたが、昭和63年に雅子さんが外交官補として海外研修のために英国に赴任され・・・江頭豊氏がチッソの社長等の地位にあったということについても、やはり慎重を期すべきではないかというようなことから、御交際は中断した時期も・・・しかしその後、江頭豊氏につきましては、チッソの社長等に就任されました時期等の関係から致しますと、水俣病の発生に直接関係がありません・・・また皇太子殿下の強いお気持ちを体して、小和田雅子さんを皇太子妃候補としたところでございます
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【この項続きます】

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