プラネタリズム

ども、遊星です。世の中のもろもろを風景にして書き連ねる

未来を眺める(11)

2011-11-17 21:27:17 | Weblog
1999年ごろのデジタルカメラは、200万画素クラスのものが出てきた位で、まだ価格も高かったようである。



2000年ごろになるとカメラ付きケータイ電話が発売されるようになるが、それ以降、デジタルカメラの普及が急速に進み、現在ではフィルムカメラは表舞台から姿を消している。

デジタルカメラの高性能化、低価格も進み、今では1万円以下で、1600万画素のコンパクトデジカメが買える時代である。



また、携帯電話のカメラも今や800万画素くらいが普通で、1000万画素を超えるモデルもいくつか存在している。

だいたい800万画素くらいあればもう十分で、ケータイ電話でもこの位の画像は撮れる。





むしろ、1000万画素を超えてくるとほとんどオーバースペック気味で、ケータイ電話のカメラでそんなに画素数はいらないと、もうそろそろ気付いてもいいと思う。


未来を眺める(10)

2011-11-16 21:39:12 | Weblog
1999年といえば、ドコモでiモードが開始された年であり、携帯電話のキャリアもドコモの他はツーカーやIDO、Jフォンだった時代である。第三世代通信(3G)や、折りたたみケータイもまだの頃であったが、その頃の雑誌の記事を見直してみると面白い。



なんといっても見出しが「もはや“電話”とは呼べない驚異の機能と小型ボディを獲得した最新携帯電話!!」とある。

当時の人達に、今のスマートフォンを見せたらどう思うだろうか。
はたしてスマートフォンを「電話」だと認識できるだろうか。
それ程までに、この10年での情報端末関連の進歩は著しいわけだ。

携帯電話は今や現代人にとっての外部記憶装置であり、持ち運ぶインフラであり、社会のあり方を変えるほどの破壊力を持ったコミュニケーションツールにまでなっている。

ただ一方で、携帯電話を「仕方なく持っている」という部分も少なからずある。
携帯電話は「持っている」のではなく、ややもすると「持たされている」のだ。

ビジネス上で、あるいは家族・友人との関係上、携帯電話は今やマストアイテムであり、「携帯電話を持っていない人」を探す方が難しい。解約しようと思えばいつでも解約できるのにもかかわらずである。

そもそも何で電話を持ち歩かなくてはいけないのか。なんで電話を常に携帯しておく必要があるのか。
そんなことを考えるのは、昔の人は携帯電話なんてなくてもちゃんと生活できていたことを思うからだ。
あるいは人間は、携帯電話を持つことで知らずのうちに「進化」を遂げたのかもしれない。

未来を眺める(9)

2011-11-15 20:52:53 | Weblog
トヨタ新HV、燃費世界一…リッター35キロ(読売新聞) - goo ニュース

記事のとおり、トヨタが12月下旬に発売予定の小型ハイブリッド車、アクアは12月2日に開幕する東京モーターショーに出展されるが、燃費がJC08モードで35kmとなるらしい。

これはプリウスの32.6キロメートルを上回って、日本車最高を誇るとともに、世界最高にもなるという。
価格は170万円。このクラスにはホンダのフィットハイブリッドがあるが、デザイン的にも悪くなさそうだから、そこそこ売れると思われる。なんていったってプリウスがバカ売れしているので、トヨタはハイブリッドではもう怖いもの無しだ。

もとはと言えば、初代プリウスが1997年に発売を開始。そしてホンダのインサイト(初代)が1999年に発表。インサイト(初代)の燃費は当時のガソリン車として世界最高の35km/L(MT車)(10・15モード)だった。

その後、プリウスはモデルチェンジを重ね、現行のプリウスの燃費は38km/L(10・15モード)、32.6km/L(JC08モード)を誇る。

ところでこの燃費のJC08モードは、10・15モードよりも一般的に1割程度低い数値となり、実際の燃費に近いとされる。それからすると、この「アクア」のJC08モード燃費35kmという数字は、驚くべき数字である。下手したら小型バイクよりも燃費が良いということになる。

さて、過去をひもとけば、3リッターカーという言葉があった。



100kmを3Lの燃料で走れる省燃費車のことで、欧州でかつてこれに向けた開発が行われたわけだが、当時はフォルクスワーゲンのルポ(3気筒ディーゼル)、ホンダの「インサイト」が3リッターカーの筆頭だった。

初代のインサイトは2シーターで、アルミボディであったが、現行のインサイトは5人乗りで燃費の方は27.2km/L(JC08モード)となっている。

燃費競争という部分においては、今はトヨタに軍配が上がっているというわけだ。

未来を眺める(8)

2011-11-13 21:32:54 | Weblog
パーソナル・デジタル・アシスタント(PDA)とは、個人情報を管理・活用するための機器のこと。
携帯端末という意味では、携帯電話の高機能化や、スマートフォン、タブレットPCの普及により、PDAの範囲は曖昧になってきている。

PDAといえば日本ではシャープのザウルスシリーズがトップの座を守っていた。
「ザウルス」はアップルコンピュータと手書き認識の研究開発で協力し合い、アップルコンピュータがNewtonを開発。シャープは「ザウルス」を開発した。
また、ウィンドウズCE搭載のモバイル機器や、パームOS機器なども1990年代後半に登場し、PDA市場は活性化した。

エプソンの「ロカティオ」は、1999年に発表。GPS機能、デジカメ、PHSを内蔵している。インターネットへの接続もできるので、Webブラウジングや電子メールもできる。



つまりは、PDAの佇まいとしての、大きな画面やタッチ操作、ペン操作、高機能性といったものは既にこのころからあって、アップル・ニュートン以後、各社がそれぞれ、使い勝手やサイズなどの点においても様々な機器の開発を進めていたようである。

アップル社はPDAから手を引いていたが、2001年に登場した携帯音楽プレーヤーのiPodは、PDAでこそないが、ニュートン以来の事実上の携帯機器への参入である。また、その後のiPhone、iPadへと続く商品群の先鞭であり、iPod touchというものもある以上、ニュートンの末裔といえる。

さらに、iPodのOSで協力したPixo社は、アップルでニュートンの開発に携わっていた2人の技術者が作った会社といわれる。

Pixo社は携帯電話事業者向けのソフトウェアを手掛けていた会社で、2003年に米Sun社に買収されたものの、Pixo社が開発したソフトウェアは、iPodのユーザー・インタフェースの実装に利用されたという。


未来を眺める(7)

2011-11-13 20:57:05 | Weblog
スティーブ・ジョブズはアップルコンピュータ社を設立するも、1985年にアップル社から追放されてしまう。
当時、アップルコンピュータの社長を探していた創業者のスティーブ・ジョブズは、当時ペプシコーラの事業担当社長をしていたスカリーに白羽の矢を立て、アップルに引き抜いた。
1983年、スカリーはアップルの社長に就任。
1984年にはマッキントッシュが発表されているが、アップル内の権力闘争の中で、1985年にジョブズはアップル社から追い出されるような形になってしまう。

アップル・ニュートンが発表されたのは1992年。世界初の個人用携帯情報端末(PDA)として、当時のCEOジョン・スカリーがPDAの定義と共に発表した。

PDA(携帯情報端末)とは、スケジュール、ToDo、住所録、メモなどの情報を携帯して扱うための小型機器で、PDA(Personal Digital Assistant/Personal Data Assistance)は、アップル・ニュートンの開発を推進したジョン・スカリーによる造語である。

今にして思えば、この携帯情報端末(PDA)の機能は携帯電話やスマートフォン、タブレットPCに備わっているものであり、アップル・ニュートンはその先駆けといえる。

もっとも、ニュートンもそもそもPDAを目指していたのではなかった。ニュートンの開発時点ではPDAという分類がなく、開発の後半で携帯端末というコンセプトになったという。

ただ、ニュートンは商業的には成功しなかった。高価であったことと、携帯するには大きすぎたことが原因といわれる。また、PDA市場自体も「Palm」が登場するまでの間ニッチ市場のままであった。

その後、アップルはPDA(携帯機器)からは撤退する形となっていたが、スティーブ・ジョブズのアップル復帰以降、iPod、iPhone、iPadと、携帯機器の分野でリードする商品を市場に送り出すことになる。



未来を眺める(6)

2011-11-11 21:46:26 | Weblog
話はいきなりWindows8へと進む。

今のところ、ギガジンの記事以降、新しい動きがよくわからないが、要するにWindows7の後継で、開発中のOSである。

注目すべき点は、前回まで繰り返し述べてきたユーザーインターフェースの大幅な刷新である。
この開発中のOSはパソコン及びタブレット端末用となっている。
特徴は、Windows Pnone 7などで採用されるようになったMetroUIを全面的に採用し、ユーザーインターフェースがWindows95以来、大幅に刷新されるということ。

要するに、iPhoneやiPadのように、タッチ操作を基本として直感的に操ることができるということだろう。

ここまでのパソコンの歴史を振り返ってみても、アップルがユーザーインターフェースの革新を行い、マイクロソフトがそれに追従してきた、ということが繰り返し起こっているようである。

このことによって、Windowsによるタブレット端末の開発が進むだろうし、デスクトップパソコンやノートパソコンにしても、今後はマルチタッチ操作が行えるような、マウスやタブレットの進化が進むと思われる。

ただ、アップルはタッチ操作における特許をいくつも取得しているようだから、追従していく陣営は、かなりのやりづらさがあると思われる。


未来を眺める(5)

2011-11-01 21:18:14 | Weblog
Windows95まで話が進んだところで、話を少し戻すことにする。

今でこそパソコン(パーソナルコンピュータ)という言われ方をされているが、1980年代中ごろまでは「マイコン(マイクロコンピュータ)」などと言われるものがあった。
マイコンはCPUとしてマイクロプロセッサを使用したコンピュータのことで、BASICのプログラミングを行えるようなものだったと思われる。

その後、パソコンが8ビットから16ビットへと移り、ホビーパソコンと称される、家庭での趣味や娯楽のためのパソコンの普及が進むことになる。
そのころの番組、「パソコンサンデー」は子供ながらに、「大人が楽しそうに機械をいじっているさま」を面白く見ていた。

パソコンサンデー


ちなみにファミコンが登場したのは1983年。8ビットCPUで、ソフトの容量、音源、表示色など、ゲーム機のスペックとしては驚くべき低さである。逆に、この低スペックのゲーム機から、「スーパーマリオ」や「ドラゴンクエスト」、「ファイナルファンタジー」などの名作ゲームが出てきたのは、今にしてみれば「大したもの」だ。

今でこそパソコンはインターネットのための端末という使われ方が主だが、80年代のころはまだ「パソコン通信」の時代であった。パソコンにモデムや音響カプラなどを接続して、電話回線を経由してサーバーにダイアルアップ接続し、電子メールや掲示板、チャットなどを利用した情報交換が行われた。
Windows95の大ヒットにより、インターネットの門戸が広げられたが、当時のダイアルアップ接続、ISDNやテレホーダイなどというのも今となっては懐かしい。