プラネタリズム

ども、遊星です。世の中のもろもろを風景にして書き連ねる

印象派とジャポニズム(2)

2007-01-29 22:27:56 | 美術・カメラ
のちに印象派と呼ばれる若い画家たちが、伝統的な絵画から脱却し、新しい光の表現を追及しようとしていたのが1860年代のパリである。

一方、長かった鎖国政策が解かれ、日本の美術は1867年にパリで開かれた万国博覧会で紹介される。
また来日したヨーロッパ人が日本の美術品を持ち帰ったりして、フランスでは一つの「日本ブーム」が起こる。
なかでも浮世絵が高い評価を得、とりわけ北斎と広重は絶賛された。

浮世絵は、はっきりとした図柄と、大胆な構図、影の表現を持たないこと等が表現上の特徴であると言われる。広重の「東海道五十三次」のように、遠近法も取り入れられた。
時代が進むと、写真技術や印刷技術の発達により、次第に浮世絵産業は衰えてしまう。
しかし、写真や印刷のおかげで浮世絵がヨーロッパに知れ渡った側面もあり、歴史とは皮肉なものである。

印象派とジャポニズム

2007-01-26 20:36:05 | 美術・カメラ
モネ<<ラ・ジャポネーズ>>(1876)

印象派を語る上で、ジャポニズム(ジャポニスム・日本趣味)を抜きには語れないだろう。
ジャポニズムとは、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、日本の影響を受けた西欧芸術におけるひとつの現象のことである。
ジャポニズム、特に日本の浮世絵は印象派の画家たちに多大な影響を与えた。
モネは熱心な浮世絵のコレクターであり、当時流行していた日本趣味をモチーフにした絵画も描いている。妻カミーユの着物姿を描いたこの<<ラ・ジャポネーズ>>は、第2回印象派展で大きな話題を呼んだ。
ゴッホはポスト印象派として位置づけられているが、やはり浮世絵に強い影響を受け、忠実な模写も行っている。

印象派は、ルネサンス以来の写実主義から開放され、光と色彩を強調して「見た感じ」の面白さを追求する独自の絵画表現を追及した。そこには、浮世絵的な画面構成や色彩感覚なども色濃く影響している。

浮世絵に見られるような平面的かつ装飾的な空間構成は、やはり19世紀末にヨーロッパで花開いた新しい装飾美術であるアール・ヌーヴォーにも影響を与えたといわれている。

このようにして、印象派に端を発した西洋美術界の一大ムーブメントは、近代美術から現代美術へと至る大きな潮流を生み出す。

開国とともに、日本の文化がジャポニズムとして西洋諸国に紹介されたわけで、その意味では日本は美術の輸出国であったわけだ。
ただ、西洋でジャポニズムが起きていたころ、明治維新後の日本は文明開化によって急速な西欧化が起こっていたことは言うまでもない。

第1回印象派展

2007-01-23 21:03:39 | 美術・カメラ
第1回印象派展は、1874年に開催された。
印象派展は、作品発表の場を求め、みずからの作品の販売を望む、若手画家たちによる試みとして始まった。
中心メンバーには、モネ、ルノワール、ピサロ、ドガ、シスレー、セザンヌなどのそうそうたる顔ぶれが連なっている。しかし、この当時、この画家たちの知名度はほとんどゼロに等しかった。

「第1回印象派展」の正式な名称は、「画家、彫刻家、版画家などによる共同出資会社の第1回展」である。
このとき、展覧会にはモネの「印象、日の出」が出展されていた。
展覧会を観た批評家のルイ・ルロワは、モネの「印象、日の出」という題名をもとに、「印象派」と揶揄して彼らを呼んだ。このことが「印象派」という名前の由来となる。

印象派展に参加した画家たちは、当時のサロンに代表される体制に反発する意味もあったが、あくまでの目的は、自分達の作品の売却であった。にもかかわらず、「印象派」の作品は当時の批評家に酷評され、実際には絵の買い手はほとんどつかなかったという。

印象派の幕開け

2007-01-20 20:36:58 | 美術・カメラ
写真の技術が進歩する一方で、西洋の美術界では、大きな変革が起きようとしていた。
印象派の誕生である。

権威のようなものからの脱却をはかり、みずからの表現を追い求めた印象派の画家たちの試みは、ポスト印象派、新印象派などの広がりをみせ、またキュビスム抽象絵画などと続く、一つの潮流を生み出した。

印象派は、ルネサンス以来の「写実主義」からの脱却を図り、みずからの表現方法を探求していった。
写実をするだけならば、写真(カメラ)を用いればよい。
ただ、カラー写真が普及するよりもだいぶ以前に、印象派の画家たちは、「色」「光」というものについて、様々な実験をキャンバス上で行っていたのである。

写真~黎明期

2007-01-17 22:24:28 | 美術・カメラ
さてそれでは、肖像画から肖像写真へと移り変わったのはいつのことなのだろうか。

写真の黎明期、フランスのダゲールはダゲレオタイプという方式を1839年に発表、その後の肖像写真ブームの引き金となった。
このダゲレオタイプ(銀板写真)は複製を作ることができない一枚限りのものであったが、その後も写真技術に関する発明が相次ぎ、扱いやすいものになると、写真は世界に広がり、また大衆化していった。

日本ではそのころ幕末から開国へ向かう時期であったが、そのころの肖像写真としては、第十五代征夷大将軍徳川慶喜や、坂本龍馬の写真が思い起こされる。

坂本龍馬を写した有名な写真は、上野彦馬という、日本初の写真家として知られている人物が写したものである。

ちなみに、銅像にもなっている西郷隆盛の写真は残っておらず、本当の西郷の顔は、今となっては定かではない。

肖像画と写真

2007-01-15 20:05:48 | 美術・カメラ
ポートレートという言葉がある。
肖像、もしくは肖像画の意味であるが、現在では、人物写真という意味で使われることがほとんどだろう。

ルネサンス以降のヨーロッパにおいて、絵画が芸術の一部分として認識されると、貴族達は自分のステータスを表現するために、画家に肖像画を描かせた。
肖像画は大きな需要があり、産業として確立するほどとなり、同時に、対象を正確に描く写実主義が大いに流行った。
前述のように、このルネサンスを発端とする写実主義(リアリズム)は、19世紀半ばまで強い勢力を持つことになる。

ちなみに、世界で最も有名な肖像画はダ・ヴィンチのモナ・リザであることは誰も疑いようが無いだろう。
また、比較的最近に描かれ、そして史上最高額で取引されるのは、クリムトの描いた肖像画だろう。

しかし、写真技術の登場により、この肖像画産業は急速に衰退することになる。

ルネサンスと遠近法

2007-01-14 11:12:06 | 美術・カメラ
絵画と写真に共通することは、二次元(平面)に空間を表現する、ということである。

絵画で用いられる遠近法ルネサンス期のイタリアで確立され、その後の西洋美術の潮流となる。

遠近法は簡単に言ってしまえば、近くのものが大きく見え、遠くのものが小さく見える、といったもので、それ自体はごく当然のことである。ルネサンスの頃にこれが理論化され、透視法や消失点などの考え方が見出された。

また、近くのものに焦点が合い、遠くのものがぼやけている、という表現も遠近法の一種で、空気遠近法と呼ばれる。

平面に描いたものを立体的に見せるのに、忘れてはいけないのが「影」の存在である。

ルネサンス以降、画家はこれらの技術を駆使して、平面のキャンバスに立体的な空間を表現してきたわけだが、ちょうど写真の普及と時期を同じくして、絵画の潮流は大きな転換期を迎えることになる。印象派の登場である。

カメラ・オブスキュラ

2007-01-11 19:10:56 | 美術・カメラ
さて、やっとカメラの話。

カメラの要となる印画法が開発されたのは19世紀の中ごろのことであるが、カメラの原型ともいえるカメラ・オブスキュラの歴史はかなり古い。

カメラ・オブスキュラは原理的にはピンホール・カメラのようなもので、その原理は古代から知られていたようだ。このカメラ・オブスキュラは絵画を描く手法に次第に取り入れられ、15世紀の人物であるレオナルド・ダ・ヴィンチもこれを研究していたようである。

最初の頃のカメラ・オブスキュラは部屋ぐらいの大きさの装置だったようだが、次第に小型化されていった。17世紀の画家、フェルメールは綿密な画面構成で知られているが、このカメラ・オブスキュラを用いていた可能性がある。
このように、画家によって利用されていたカメラ・オブスキュラという装置が、印画法の開発によって、カメラに発展し、「真実を写し撮る」という意味での今日の「写真」に発展した。絵画と写真の関係を語る上で、このことは実に興味深い。

ところで、近代美術において、写真と芸術というものはどのように関連づけられるだろうか。
「見えないものを見」、「届かないものに触れる」ことが芸術の真髄だとすれば、歴史の一部分を切り取り、見たままをそこにとどめる「写真」というものは、果たして芸術の歴史においてどのような位置づけになるのだろう。

(つづく)

アフリカ突入

2007-01-09 22:45:29 | 乗り物
さて、通称パリ・ダカ
いよいよアフリカステージに突入したようですが。

ここで気になるマシンをチェック。
二輪の方では、BMWのエントリーが無いようですが、理由はよくわかりません。

四輪の方では、もちろん三菱パジェロとVWトゥアレグの高速対決も見物ですが、面白いクルマでエントリーしているチームもいます。

気になるのが、FIATのパンダ4×4。
こういったコンパクトカーでラリーを走るっていうのは、心意気が良いですね。
健闘を祈ります。
そして、シトロエンの2CV
このクルマはもうクラシックカーの部類に入ると思いますが、超ロングセラーのクルマで、最近でもたまに見かけることがあります。
どんな改造が施してあるかは知りませんが、こんなクルマでサハラ砂漠を走るというのは、冒険という他ありませんな。
でも、昔の車というのは、悪路走破性という点では秀でていると思われ、また、構造が簡単という点では、壊れてもすぐに直すことができる、ということもあるので、考えようによっては最強かも知れませんな。

パリ・ダカ2007

2007-01-06 13:29:53 | 乗り物
さて、パリ・ダカを走る、気になる日本人選手はというと、

まず池町選手。
この人はもともと2輪でラリーに出ていて、その実力から、ここ何年かは4輪でパリ・ダカに参戦している。
この池町氏、ラリーストとしては最も脂ののっている時期と思われ、昨年はベイジン-ウランバートルラリーで、バイクで優勝している。
今年はプライベーターとして、パジェロで参戦するらしい。

そして、三橋淳選手。
この三橋選手ももともとバイクでパリ・ダカに出場していたが、日産から声がかかり、4輪でパリ・ダカに参戦するようになる。
今年は市販車無改造クラスで、ランクルを走らせるようだ。

池町選手といい、三橋選手といい、なんだか楽しんでラリーをやっている感じが伝わってくる。
もともと過酷なラリーなだけに、楽しくやらなければ、最後までやり通せないのだろう。

ところで、池町選手も三橋選手も、日産のドライバーだったのだけれども、当の日産は、どうやらラリーから撤退してしまったようだ。

まあゴーンさんの一声があったんでしょうけど。F1に比べれば、ラリーはあまり会社にプラスにならないっていうことでしょうか。