売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

『ミッキ』第12回

2013-06-18 09:00:42 | 小説
 今回は『ミッキ』12回目です。美咲たちは初めて歴史研究会の先輩たちと、山に登ります。
 作中にメマトイに触れていますが、暑い時期になると、メマトイが顔の周りを飛び交い、非常にうっとうしく思います


            6

 ゴールデンウィークの最後の日、私は集合時刻より早めに、高蔵寺駅南口のJRバス乗り場の近くに行った。少し雲があったものの、まずまずの天気だった。
 母はお弁当を作ってくれた。一リットルのペットボトルに入れたお茶は、冷凍室で凍らせておいた。
「低いといっても、山だからね。気をつけて行ってくるんだよ。今日は足元がよく見えるように、メガネかけていきなさい。見えずに石につまずいて、転んどってはいかんから」
 出かけるとき、母は私に注意した。
「はい。でも、河村さんという人が、そのコースを何度も歩いて、よく知っているから大丈夫よ」
 私は母を安心させるように、メガネをかけた。
 集合場所には、もう河村さんが来ていた。河村さんは休みなので、左右の耳たぶに青いピアスをつけていた。河村さんがピアスをつけているのを、私は初めて見た。山登りなので、かなりラフな格好をしていた。緑色の大きなザックを地面に置いていた。
 しばらくして、宏美がやってきた。時間ぎりぎりで、松本さんが現れた。
「マッタク君、ぎりぎりね」と河村さんが言った。
「でも、遅刻じゃないぞ」
 携帯電話の画面で時刻を確認して、松本さんが言った。
「今日はマッタク君が唯一の男性だから、私たちを守るナイトよ。しっかり頼んだわよ」
「頼りないナイトだけどね」と松本さんが返した。
「河村さん、休みの日はピアスつけてるのですね。すてきです」
 宏美もやはりおしゃれのことは気になるのか、河村さんに言った。耳たぶにピアスホールがあることは宏美も気がついていた。髪の色は染めているのではなく、生来の色だということは、私が話してある。
「はい。学校には内緒ね。ホールがあることは、先生も気づいてるけど、服装検査のとき、見えないように隠していれば、文句は言われないから。最初見つかったときは叱られたけど、開けちゃったのはもうふさがらないから、大目に見てくれてる」
「服装検査のとき、どうやって隠してるんですか?」
「肌色の絆創膏を小さく切って貼ったり、ファウンデーションを厚く塗って、ホールを塞いだりしてますよ」
「真面目そうに見えて、ちょい悪だったりしてね」と松本さんが口をはさんだ。
「でも、そんなところが、河村さん、とてもすてきです」
 宏美も私と同じような感想を抱いた。
 
 バスの発車時刻となり、私たちはバスに乗り込んだ。ゴールデンウィーク中だけあって、前に植物園に行ったときより、バスはずっと込んでいた。それでも全員席に着くことができた。
 私たちは終点の植物園までは行かず、二つ手前の高森台6というバス停で下車した。そこでほかにも何人もの人が降りた。みんな道樹山から弥勒山の方に向かう人たちだろう。
「もう少し手前のバス停で下りて、桧(ひのき)峠から登ってもよかったけど、舗装した車道歩きが退屈だし、歩く距離も長くなるから、今回は細野キャンプ場から登ることにしました」
 河村さんがコースについて、一言言い添えた。
 バス停から東の方に、下り坂を進んだ。目の前に、採石のため、山肌が削り取られた山が見えた。大きくえぐり取られた跡が、痛々しい。今日最初に登る道樹山は、その左にある山だ。坂道の上の方から見る道樹山は、民家の屋根の上にそびえており、非常に大きく立派に見えた。東谷山よりはるかにでかい。そんな大きな山に登れるのかしらと、少し不安になる。
 坂を下りきると、丁字路を左に折れた。田畑の向こうに、愛知、岐阜県境をなす山並みが間近に見える。道樹山、大谷山と続いている。弥勒山は大谷山に隠され、見えなかった。今日はその県境の尾根を歩くのだ。

  大谷山(左)と道樹山です。美咲たちはこの山を歩きます。

 しばらく直進し、〝太郎坊秋葉大権現〟の石碑があるところを右に曲がった。少しずつ登りになっていく。まもなく細野のキャンプ場に着いた。キャンプ場にはたくさんの子供たちがいた。駐車場も満杯で、入りきらない車が路上に駐車していた。
「トイレはこのあと、下山後の植物園にしかないから、済ませておいてくださいね」と河村さんが注意した。女性三人がまずトイレに行った。松本さんがザックを見ていてくれた。
 全員がトイレを済ませてから、軽い準備運動をした。特にストレッチは入念にやった。河村さんがいなかったら、準備運動などしないまま歩き始めるところだった。
 先頭は松本さん、その後ろが私。それから宏美、河村さんの順で歩いた。河村さんはときどきどちらへ行くのか、松本さんに指示を出した。また、松本さんの歩く速度が速いときには、もう少しゆっくり、と声をかけた。河村さんがパーティーのリーダーだった。
 途中に壊れた水車や二宮尊徳の像があった。登山口に神社があるせいか、お稲荷さんや祠があった。
 今日は沢に沿った道を歩いた。沢は連休前半に雨が降ったので、けっこう水量が多かった。近くに以前は縁者不動の滝という、滝行をするお滝場があったが、六年近く前の東海豪雨で崩壊したそうだ。その滝を見に行った。二段になった立派な滝だ。崩壊前は二段ではなく、一つの大きな滝だったのかもしれない。今の時期は滝を浴びると、水が冷たくて、一〇秒も我慢できないほどだそうだ。
 東海豪雨で、今日歩く沢コースも、かなりひどく崩壊したという。今ではもう復旧し、歩くのに危険はない。
 右手に道樹山に通ずる、立派な階段の道があった。ほかの人たちは、階段を登っていった。しかし、その尾根コースは階段が多いので、沢沿いのルートを行く、と河村さんが言った。沢沿いのルートの方が、登山道としても楽しいそうだ。先日の東谷山も階段ばかりできつかったので、宏美も私も階段じゃないほうがいい、と賛成した。
 登山道では、小さなハエのような虫が顔の周りを飛び回り、鬱陶しかった。河村さんが、それはメマトイという、ショウジョウバエ科の昆虫の中でも、顔の周りにまとわりつく虫だと教えてくれた。
「なんか私の周りがいちばん多いような気がするけど、汗かきだからかしら」
 私の周りに、十数匹もまとわりついている。
「蓼食う虫も好き好き、というからね」
 宏美が笑った。そういう宏美の周りにも多くの虫が飛んでいる。
「ちょっと、蓼食う虫だなんて、ひどくない?」と私は宏美に抗議した。
「私にも真偽はわからないけど、涙に含まれるタンパク質を舐めるために、目の周りにまとわりつく、と聞いたことがあるわ。中には寄生虫を媒介するのもいるから、虫が目の中に入らないよう、注意が必要なの」と河村さんが説明した。
 登山道で他の登山者に会うと、誰もが「こんにちは」と挨拶をした。
「山道では、登山者同士、知らない人にでも、挨拶を交わすのが礼儀よ」と河村さんが教えてくれた。
 しばらく歩くと、どっと汗が噴き出した。私はときどきウエストポーチからフェイスタオルを取り出して、顔の汗を拭った。ザックを背負った背中は、汗でびっしょりだった。
 沢の水の中を歩くルートもあるが、少し慣れていないと、転倒したりして危険だという。それに今日は水量も多い。だから、少し沢から離れたルートを取った。
 やがて、沢の流れに竹の樋を通して、水を汲めるようになっているところに出た。最近雨が多かったため、水は豊富に流れていた。
「はい、この水場で少し休憩します。四人だと狭いから、もし人が来たら、邪魔にならないよう、よけてくださいね」と河村さんが言った。
 私はデイパックの中から、凍らせたお茶を入れたペットボトルを取り出した。ちょうど今飲む分が融けていたので、冷たいお茶を飲むことができた。少し味が濃かった。
 水はこまめに、少しずつ補給するよう指示されていた。
 松本さんがカップ麺用に、ここでペットボトルに水を汲んだ。河村さんが不織布のお茶パックを取り出して、「水を汲むとき、これをペットボトルの口のところに当てて濾過すれば、ゴミやほこりが入らないわよ」と教えた。
「ああ、なるほど。彩花、いろいろ気がつくね。ありがと」
 松本さんは竹の樋から流れる水をペットボトルに汲んだ。しかし、お茶パックをあてがうと、なかなか水がペットボトルに入らない。
「口のところのお茶パックを少し押して凹ますといいよ」
 河村さんがアドバイスをした。そのとおりやったら、水の入りがずっとよくなった。
「さすが。よく知っている。脱帽」
 松本さんは河村さんに最敬礼した。
「その水は、生では飲まないで。たぶん大丈夫とは思うけど、山が浅いので、ひょっとして大腸菌などがいるといけないから。煮沸しちゃえば、全然問題ないけど」
 河村さんが松本さんに注意した。
 河村さんも青い大きなアルミの水筒に水を満たした。
 流れの中に手を入れてみると、非常に冷たく、気持ちよかった。

   水場です。私もここの水でよくコーヒーを淹れます。撮影したのは、雨の直後なので、水量が多くなっています。今はプラスチックの樋ですが、『ミッキ』の2006年当時は竹の樋でした。

「あ、もうかんすがいる」と私が叫んだら、みんなに「かんすって何?」と問いかけられた。
「え、かんすって知らないんですか」
「知らないよ。何のこと?」と松本さんが言った。
 みんながかんすを知らないだなんて、意外だった。
「名古屋弁で蚊のことですけど、かんすって言いませんか? うちの家族はいつも、かんすって言ってますけど」
「そんなもん、知らんがや」と松本さんがわざと名古屋の下町言葉で言った。
 そういえば、四人の中で、名古屋の下町育ちは私だけだった。母は岡山県の出身だけれど、結婚前から名古屋に住んでいる。名古屋弁といっても、「かんす」は春日井や知多では使われてないのだろうか。
「そういえば、アラレちゃんに『かんす』って、出てましたね。ハエは名古屋弁でヒャーブンブというのかな」と松本さんが、人気漫画のことを持ち出した。
 一〇分ほど休憩してから、私たちはまた登り始めた。ときどきウグイスの鳴き声が聞こえる。私が実際のウグイスの声を聞くのは、初めてだった。少し行くと、道が二つに分かれていた。河村さんが後ろから、「はい、そこの道、右ね。道樹山に行く道です」と指示をした。
 これまでの沢に沿った道ではなく、完全に森の中に入っていった。右の下の方が沢になっているようだ。道の左右に笹が生い茂っていた。下は枯れた落ち葉で敷き詰められていた。途中、松本さんが左の方に行きかけたので、「あ、右に行って。その道も行けないことないけど、わかりにくくなるよ」と河村さんが声をかけた。
 ちょっと見たところ、左のほうがはっきりしているが、少し上に大きな倒木があった。上の方は道がわかりにくくなっているようだった。
 さらに行くと、「秋葉山頂アト5分」という道標があった。左に行けば、大世神山とある。秋葉山というのは、道樹山のことだろう。
 それからすぐ、先ほどの階段から行く尾根道に合流した。大きな四阿(あずまや)の休憩所があった。
「もうすぐ道樹山の頂上だから、そのまま休まずに行きます。道樹山への最後の登りですよ」
 河村さんの言うとおり、急な道を少し登ったら、道樹山の頂上だった。頂上には御岳(おんたけ)神社のお堂が建っていた。山頂は高木が生い茂り、ほとんど展望がなかった。ここが四二九メートル、春日井市で二番目に高いところだ。
 頂上で小休止となった。汗かきの私でなくても、みんな汗びっしょりだった。あまり風はないけれど、木立で日陰になっているので、休んでいると、すっと汗が引いた。風がないようでも、微かな空気の流れが、気化熱を奪っていくのだろう。
「ああ、疲れた」と宏美がどっかりとお堂の前に腰を下ろした。
「そんなところに座って、バチ当たらない?」と私が宏美に注意した。
「大丈夫。神様はお心が広いから、許してくださるよ。でも、あとで少しお賽銭入れておこう」
「でも、この前の東谷山のときと、疲れ、そんなに変わらない感じじゃない? 高さは二倍以上あって、ずっときついはずなのに」
 私は宏美に話しかけた。
「そういえばそうね。この前のほうがもっと疲れた感じがする」
 実際、東谷山よりずっと長い道のりだったのに、不思議とそれほどきついと感じなかった。階段がなかったせいかもしれないが、やはり河村さんのペース配分が適切だったためだろう。この前は、山歩きの経験などまるでなく、ただやみくもに歩いていた。


  
   
 道樹山頂上。山頂は樹林に覆われ、展望はありません。宏美が腰を下ろしたお堂です。


 道樹山の頂上で、父から借りたデジタルカメラで、登頂の記念撮影をした。河村さんも小型のデジカメを持参していた。松本さんと宏美は、携帯電話に付属するカメラで写していた。
 フルーツパークや東谷山で写した失敗写真について、寮の執務室で、パソコンのディスプレーに大きく出力した写真を見ながら、父がいろいろ説明してくれたので、少しは写真がうまくなったような気がした。会社のパソコンを使っても、その程度のことなら支障はないだろう。写真を印刷するときは、自宅のプリンターに切り替える。
 五分間の休みのあと、私たちは次の目的地、大谷山に向けて出発した。いったんぐっと下って、少し登り返した。

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