売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

完成

2012-11-13 15:23:57 | 小説
 中編『永遠の命』、とりあえず脱稿しました。けっこう苦労しました
 400字詰原稿用紙換算で、120枚ぐらいになりました。ただ、もう少し手を入れて、もっと完成度を高めるつもりです。
 
 今回は『幻影』第28章を掲載します。いよいよ事件が大きく動き出してきます。



          28

 吉川麻美(あさみ )は男友達の繁藤安志に、まとまった金が入る予定だから、どこかへ遊びに行こう、と誘われた。
 少し前、全身にいれずみをしているソープ嬢から一千万円を貢がせる、と言いながら、こちらはうまくいかなかったようだ。けれども今度は相手の弱みをしっかりつかんでいるので、絶対間違いない、と言っていた。
 繁藤は二年以上前、やはり背中に大きないれずみを背負った女から、二千万円を搾り取っている。いれずみを彫った女は、なかなか堅気の男は相手にしてくれないので、結婚を餌にしてやれば、簡単に食いついてくる、などと豪語していた。それでもこの前は思うように欺せなかったようだ。やはり相手は海千山千のソープ嬢だから、さすがの悪党の繁藤も、手こずったのだなと、麻美は勝手に解釈した。
 繁藤は女性を欺すために、何度も相手の女性と寝る。自分という女がありながら、他の女と寝るだなんて許せない、と麻美はいつも繁藤に不満を漏らすのだが、相手から貢がせた金で、いろいろなものを買ってくれるので、それほど文句は言えない。それに、錦三の二流キャバレーに勤める麻美は、客のご機嫌を取るため、ときどき客と外泊するので、あまり繁藤のことをうるさく責めることはできなかった。
 しかしその日は、待ち合わせのホテルのラウンジに、時間がかなり過ぎても繁藤は現れなかった。携帯に電話をかけても、応答がない。
「女を待たせるなんて、最低」
 麻美は一時間待ったのに現れない男に憤慨し、ホテルのラウンジを出た。
 頭に来たので、麻美は何かおいしいものでも食べて、後で食事代を繁藤に請求してやろうと思い、馴染みのフランス料理店にでも行こうかと考えたが、一人で食事をする侘しさを思うと、とても高級レストランに行く気にはなれなかった。
 今は寒い時季で、風邪やインフルエンザが流行っている。ひょっとしたら熱でも出して寝込んでいて、来られなかったのかもしれない、と考え直し、麻美は繁藤のマンションを覗いてみるか、という気になった。
 欲しかった真珠のネックレスを買ってくれると言うし、あまり邪険にはできない。
 麻美は栄のホテルから、タクシーで熱田区一番町にある繁藤のマンション、ハイム白鳥(しろとり)に行った。麻美は運転免許証を取得していない。デートのときはいつも繁藤の車で移動する。
 繁藤の部屋は、中古で安く買ったという、やや古いマンションだった。古いといっても、居住性はわるくない。
 麻美は出入り口を開けるため、オートロックシステムの暗証番号をプッシュし、マンションの中に入った。
 三階にある繁藤の部屋のインターホンのボタンを何度か押しても応答がない。
「留守にしているのかな。私との約束をすっぽかして、どこに行っているのよ。あとでさんざん文句を言って、高いものを買わせてやるから」
 勝手知ったる他人の家、上がり込んで待っていよう。そう考えて、預かっている部屋の鍵で解錠し、部屋に入ろうとしたら、ドアが開かない。おかしいと思い、鍵を逆方向に回すと、ドアが開いた。
「あれ、鍵を掛けずに出てったのかな。不用心ねえ。それとも、コンビニにでも行って、すぐ帰るつもりなんかな」
 昼間だというのに、玄関の明かりが点いていた。いつも繁藤が履いている靴が置いてある。
「こんな明るいのに、電気点けっぱなしで」
 そう思いながら、麻美は「今日は、安志、いる?」と声を掛けた。
 返事はなかった。麻美はかまわず上がり込んでいった。
 手前の部屋に入ろうとすると、開け放したドアから、足が見えた。
「あれ? こんなところで寝ているのかな?」
 麻美はいやな予感に襲われ、恐る恐る部屋を覗いてみた。倒れている繁藤の姿を見て、麻美は悲鳴をあげた。

 今日はミドリ以外は公休日なので、昼ごろまでルミのマンションで眠っていた。シャワーを浴びてから、四人はルミの車で、近所の中華レストランに遅い昼食を食べに行った。
 ルミはシャワーを浴びた後も、なかなか服を着せてもらえず、背中にみんなの視線の集中砲火を浴びた。
「ルミもついに背中までいっちゃったのね」とミドリがルミの背中の天女を見ながら言った。
「タトゥーアーティストになれば、自分の身体で練習しなければならないから、トヨさんみたいに、自分の右手が届くところ、タトゥーだらけになりそう。そのうちにミクを追い越しちゃうよ」
「私たち、ミクと出会って、運命変わっちゃたかな。私もタトゥー入れちゃったし」とケイが独り言のように言った。
「すみません。こんな私と知り合ったばかりに、みんなをタトゥーの世界に引きずり込んでしまって」
 美奈は少し申し訳ないような気持ちになった。
「あ、ごめん。そんなつもりで言ったんじゃないから。ミクの心、傷ついちゃったら、ごめん。謝る。わるいこと言っちゃった。許してね。私だってタトゥーがきれいで、自分の身体に入れたくて、自分の判断で彫ったんだから、決してミクが引きずり込んだんじゃないよ。ほんとにごめんね」
 ケイが失言を認め、謝った。
「私だって中学生のころからタトゥーに興味を持って、入れたくてたまらなかったんだから。二〇歳(はたち)になった記念で、胸に蝶を入れたんだよ。漫画家ではなかったけど、ミクのおかげでタトゥーアーティストという絵を描く仕事への道が開けて、私はミクに感謝してる」
 ルミは持ち前の明るさで、沈み込みそうな雰囲気を和らげた。
「背中の天女、早くきれいに色を入れたいな。今から完成が楽しみ。天女の周りには私の名前にちなんで、桜をいっぱい散らしてもらうんだ」
「そうそう、これからはルミじゃなくて、さくらと呼ばないとね」
「ミドリのこともこれからは葵さん、って呼ばなきゃね。特に未来の旦那の前では、ミドリ、なんて絶対言えないよ」
「大丈夫よ、彼には私の仕事のこと、もう話してあるから。承知の上で結婚してくれるんだ」
「ああ、ごちそうさま。妬けますね。私も早く包容力のある彼氏、見つけたいな」
 ケイがおどけた言い方をしたので、みんな大笑いだった。
「ところで、ミクの彼氏、どうしてる?」とルミが訊いた。
「あ、彼。別れました。本性見て、幻滅しました」
「え? ミクにしては、いやにあっさりしているじゃないの。ミク、そんなことがあったら、後を引きそうなタイプなのに。あ、そうか。浅見光彦みたいと言っていたあの刑事さんに鞍替えしたのね。確かに背が高くて、優しそうな感じで、浅見光彦に似たタイプだわ。ミクは浅見シリーズのファンだもんね」
「ケイさん、いやだ」
 美奈は顔を真っ赤にして否定した。
「ソープのことはともかく、やっぱり全身いれずみがあっちゃあ、刑事との恋は無理ですもの。このことに関してだけは、いれずみしたこと後悔してる」
「あ、ミク、やっぱりあの刑事さんのこと、好きなんだ。でも、こればかりはミクの言うとおりだよ。警官は結婚相手にもうるさいそうだから。身内や親戚に左翼や『や』がつく職業の人がいるだけでも結婚は難しい、というから。ただ、絶対できないことはないみたい。本人が昇進を諦めてでも結婚したい、というのなら、不可能ではないようだよ」
 ケイがそう諭した。
「でも、私のせいで三浦さんの将来を閉ざしちゃうわけにはいきませんから。私はいれずみに理解がある男の人を探します」
 ルミが「少し寒くなってきたんで、服を着させて。風邪ひいちゃいそう」と訴えたので、話はそこで打ち切り、昼食に向かうことにした。
 食事を終えてから、美奈はルミに自分の車が置いてある駐車場まで送ってもらい、みんなと別れた。ミドリは出勤なので、駐車場で別れて、そのまますぐ近くのオアシスまで歩いていった。ルミはケイを自宅まで送っていった。

 夜遅い時間、インターホンのチャイムを押す音がしたので、出てみると、三浦だった。今日は相棒の鳥居と一緒ではなく、三浦一人だった。今ごろ何の用だろうか、事件の関係かなと思いつつも、少し心がときめいた。
 三浦を玄関の中に招じ入れると、「美奈さん、安藤が殺された」といきなり切り出した。鳥居がいないので、三浦は木原さんではなく、美奈さんと呼んだ。
「安藤、本名、繁藤安志というのですが、昨夜遅く、熱田区の自宅マンションで、頭を鈍器のようなもので殴られて、殺されていました」
 まるで推理小説でも読んでいるような台詞が三浦の口をついて出た。
「安藤が殺された? しげとう、というのが本名なのですか?」
 美奈の頭はなかなかそのことが理解できなかった。夢の世界にでもいるような感覚だった。しかし徐々に現実の世界に連れ戻されていった。三浦に対する淡い思いも、今は吹き飛んでしまった。
 安藤が死んだ? 殺された?
 安藤は私からお金を欺し取ろうとしたり、首を絞めて殺そうとした憎むべき男だ。しかし、死んだと聞いても、美奈は安藤に対する憎しみはまったく湧かなかった。ざまを見ろ、という気持ちも起きなかった。
 安藤が殺されたということが現実味を帯びて実感されると、美奈の目からぽろぽろ涙があふれ出した。そして、美奈は床にしゃがみ込み、声を出して泣き出した。
 憎いはずの安藤なのに、なぜこんなに悲しいのだろうか? なぜこんなに涙が出るのだろうか? 美奈にはわからなかった。ただ、無性に悲しかった。
 三浦はしばらく優しい眼差しで美奈を見守り、泣き止むのをじっと待っていた。美奈がようやく落ち着いたところで、用意していた質問をした。
「そこで、昨夜、美奈さんはどこにいましたか?」
 三浦は感情を込めないで、あえて事務的な口調で言った。変に同情しないほうが、美奈のためでもあった。
「それ、アリバイ、ってことですか?」
「今はまだ繁藤と美奈さんの関係は現れていませんが、やがてはわかることです。僕としては、美奈さんがこの事件とはいっさい関係がないことを早く知りたいんです」
「私、疑われているんですか?」
「なんといっても繁藤に殺されかけたんですからね。動機はある、と言わざるを得ないでしょう。もちろん僕と鳥居さんは美奈さんのことは疑っていませんが、関係がわかれば、他の人はそうは思わないでしょうね。今鳥居さんともう一人の刑事が、うちの事件で重要参考人として追っている人物が殺された、ということで、神宮署の方に行ってます。昨夜、一〇時から一二時の間、どうしてました?」
三浦は重ねて美奈のアリバイを尋ねた。
「よかった。昨夜ならアリバイがあります。その時間帯は仕事でずっとお店にいました。証人も大勢います」
「どこのお店ですか?」
 そう訊かれ、美奈はちょっと戸惑った。ソープランドでコンパニオンをしている、ということを、三浦に話したくなかった。しかし、どうせすぐわかることなので、思い切って言った。
「中村区寿町のオアシス、という店です。中村日赤のすぐ近くです。仕事が終わってからは、前に刑事さんも会ったことがあるケイさんやルミさんたちと、飲みに行きました。馴染みのバーなので、店の人も証言してくれると思います」
「なるほど。アリバイは完璧のようですね。よかったです。安心しました。僕も美奈さんを追いつめるようなことはしたくないから。いちおう店の人に当たって、裏はとらせてもらいます。これも警察の仕事ですので、わるく思わないでください」
「はい。本当は刑事さんに私の仕事のこと、ばれるの、ちょっと辛いんですが。でも、事件が昨夜でよかったです。公休日だったら、一人で自宅にいることが多いので、アリバイを証明すること、できませんから。電話はときどきあるけど、携帯じゃ、家にいたという証明にはなりませんものね」
 そう言ってから、安藤、本名繁藤安志が殺されたというのに、よかったという言葉を使ったのは不謹慎だったか、と気がついた。かりにも、一時は心も体も許した男だった。
「あ、何のお構いもせず、すみません。すぐコーヒー淹れますから。コーヒー、お飲みになりますよね」
 美奈は何の持て成しもせず、玄関先で立ち話をしていたことに気づいた。
「気を遣わないでください。でも、もう少し話を聞きたいから」
 三浦はキッチンに通された。部屋はどちらかといえば質素で、きちんと整頓されていた。風俗嬢は普通のOLよりずっと収入が多いから、贅沢な暮らしをしている人が多いと聞いているが、美奈はそれほど贅沢はしていないのだ、と三浦は感じた。
いい香りをしたコーヒーが二つ、テーブルに運ばれた。
「ミルクとシュガーは要りますか?」
「いや、僕はブラックで」
 三浦は一口飲んで、「なかなかいけますね。美奈さん、コーヒーの淹れ方、うまいですよ」とほめた。
「美奈さんは仕事の後、よく飲みに行くのですか?」
「いえ、いつもはファミレスで軽く食事したり飲み物を取るだけです。昨夜は、特別でした」
「特別って、何があったんですか?」
「仲間のルミさんが、タトゥーアーティストとして、この前の卑美子さんのスタジオに弟子入りすることになったんです。それで、ささやかな激励会を開いたんです」
「なるほど。あのスタジオの雅子さん、いや、卑美子さんと言ったほうがいいかな、鳥居さんも昔からの知り合いだったそうだし、僕たちは何か不思議な縁があるんですね。美奈さんもそこでタトゥーを入れたんですか。今は勤務中なので、いつかプライベートな時間にでも、ちょっと見せてほしいな」
 美奈は三浦が自分に関心を持ってくれていることが嬉しかった。不思議な縁、という言葉が美奈の心に印象的に響いた。三浦とのプライベートな時間をぜひ作りたいと思った。
 話は本題に戻った。
「その繁藤という人、間違いなく安藤だったんですね」
「ええ、美奈さんに提供してもらった写真と同一人物と断定していいでしょう。発見者の女性が、繁藤が最近いれずみした女性から一千万円を欺し取ろうとして、失敗したと言っていた、と話していました。美奈さんのことですね。実際市役所に勤務していたこともありました。問題を起こし、懲戒処分を受けたので、四年前に退職してます。運転免許証からも、繁藤安志というのは、偽名ではなく、本名だということが確認できました」
「私には免許証は持ってない、と言ってましたが、それも嘘だったんですね。免許証を見られると、本名や住所がばれてしまうので、そうさせないための」
 何もかも嘘だったんだ。私には、単にお金を欺し取るだけの目的で近づいたんだ。
 美奈は涙が溢れてきた。しかし、それは悔しいだけの涙ではなかった。ひどいやつだとはいえ、たとえひとときでも心を許した男の死に対する、哀悼の涙でもあった。
「ひょっとして、繁藤を殺した犯人が、千尋さんを殺した、という可能性はありませんか?」
「さすがですね。僕も美奈さんと同じことを考えていたんだ。ただ、あまり先入観にとらわれてはいけないけど。鳥居さんにはそう注意されました。繁藤は何人かの人を欺したり恐喝したりしていたようなので、どこでどういう恨みを買っているか、わからないし」
「でも、当時千尋さんを欺していた繁藤は、たまたま犯人が千尋さんを殺害するところを目撃して、恐喝していた。その犯人が恐喝にたまりかねて繁藤を殺してしまった、なんてことはあり得ますよね」
「発見者の女性も、繁藤が大金が入るようなことを言っていた、と証言しています。繁藤が誰かを恐喝していて、逆に殺されてしまったということはあり得る話です。ただ、今回の犯人が橋本さんを殺害した犯人と同一だと断定するのは、危険かもしれない。今のところ、繁藤と千尋さんを結ぶ線は、美奈さんと発見者の女性のいれずみに関する証言だけで、物的証拠がありませんし、今回の犯人と千尋さんとのつながりもまだわかりません。しかし、僕としては十分あり得る線だと思っています」
「早く犯人が捕まるといいですね。千尋さんを殺した犯人も」
「神宮署ではまだ外之原峠の事件との関連までは考えてないようですが、こちらとしては橋本さんと繁藤の共通する人間関係も視野に入れて捜査するつもりです。あと、千尋さんが勤めていた足立商事も何らかの関係があるかもしれませんね」
 三浦は美奈を信頼しているので、自分自身が抱いている捜査方針を美奈に語った。
「また何か気づいたことがあれば、連絡してください」
 こう言い残して三浦は美奈の部屋を後にしようとした。
「刑事さん、私、全身にいれずみしてるし、ソープに勤めているし、こんな女、軽蔑してませんか?」
 別れ際、美奈は三浦に尋ねた。自分でもなぜこんなことを訊いてしまったのか、不思議だった。勝手に口が動いてしまったように思われた。
「いや、美奈さんは純粋で、いい子ですよ。いい子、なんて子供みたいに言ってすみません。少なくとも、僕は美奈さんのこと、嫌いじゃありませんし、軽蔑もしてません」
 嫌いじゃありません、と言われ、美奈は嬉しかった。好きという言葉でなかったのは残念だったが、そこまで期待するのはおこがましい。
 美奈は一度ゆっくり三浦と、事件のことを離れて話したいと思った。

 三浦はその後、オアシスに足を運び、美奈の言っていたことの確認をとった。
 オアシスに着いたのは、閉店時間間際だったが、店長の田川、フロント係の沢村や同僚のコンパニオンなど複数の証言を得た。
 三浦は美奈に変な疑いが行かないよう、言い方には十分配慮した。
 殺人の被害者が、ここの店に出入りし、たまたまミクさんの名刺を持っていたため、刑事の仕事として、機械的にアリバイを確認したまでだ。ミクさんが事件に関わりを持っているということは、最初からまったく考えていない。この聞き込みは、単にシロをシロとして消去するための作業に過ぎない、と説明した。
 美奈は午前一時近くまで勤務しており、繁藤が殺された可能性がある時間帯には、一歩も店の外に出ていない。美奈のアリバイは成立した。
 中には、「私、メガノン、いえ、ミクとは仲が悪いんです。ミク、人気があるので、ちょっと妬ましく思えて。ほんとは彼女、すごくいい子なんですけどね。でも、仲が悪い私が証言するんだから、絶対嘘じゃありません」と強調してくれるコンパニオンもいた。
 また、その日はミドリが出勤だったので、彼女からもその後バーに行き、午前三時ごろまで一緒にいた、という証言を得た。それは美奈の話とまったく矛盾しなかった。
 ミドリは、最近までミクが付き合っていた男が殺されたことに、大きなショックを受けた。いくらもう別れたとはいえ、心優しいミクにとっては、大変な悲しみだろうな、と美奈を思いやった。
 それでもミドリは、「この人がミクが惚れている、浅見光彦みたいな刑事さんか。確かにハンサムでかっこいい人だな。ミクとうまくいけばいいけど」と女性らしい、好奇な目で、三浦を見ていた。

 三浦が帰ってから、美奈はしばらくぼんやりとしていた。私はやはり三浦さんのことが好きなのだろうか。刑事という職業なのに、威圧感がある鳥居とは違い、三浦には温かさを感じる。
 初めて雪の外之原峠で会ったときのことを思い出す。千尋の遺体が埋まっていた現場を一目見ようと、愛知・岐阜の県境をなす山林に入っていったとき、突然後ろから声をかけられ、びっくりした。それが三浦との出会いだった。
 そして卑美子のスタジオでの再会。篠木署での訴え。
 三浦との対話はほんのわずかな時間に過ぎず、その上話題は殺伐とした殺人事件のことだった。
 にもかかわらず、なぜ美奈の心はこれほどまでに三浦に惹かれるのだろうか。安藤の、芝居とはいえ、熱心で執拗な口説き落としにより、少しずつほだされていったのとは、対照的だった。
 安藤と一緒にいるときでも、絶えず三浦のことは意識に上っていた。しかし、三浦のことを考えるときは、まったく安藤のことは思い浮かばなかった。
 好き。好き。私は三浦さんが大好き。私をその腕の中にしっかり抱きしめてもらいたい。
 安藤を失い、ぽっかり空いた心の穴を、三浦は十分すぎるほど埋めてくれた。
 しかし、結局どうしても刑事と全身いれずみのソープレディー、という境遇の違いに気づかされてしまうのだった。いくら三浦が嫌いではない、と言ったところで、現実の壁は厚い。
 美奈はいつの間にかうとうとしていた。
誰かがいる気配を感じて、美奈は目を開けた。
 千尋だった。
 千尋が何かを訴えている。しかしいつも悲しそうな目をしていた千尋とは違っていた。千尋の遺体が発見されて以来、千尋の様子が少しずつ変化している。以前のような、ただ悲しそうな目をしているだけの千尋ではなかった。千尋の境界が少しずつよくなってきているのだろうか。
「美奈さん、お願いします。事件を解決してください。もう少しです」
 美奈は千尋がそう訴えている声が聞こえたように思えた。

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