〈前置きとして〉
「若い人達は2人以上の子供を持ちたいという極めて健全な考えを持っている」とのたもうた、柳沢厚労相。女性を「産む機械、装置」にたとえた発言については「陳謝」を繰り返しているが、「健全発言」のほうは陳謝・撤回を拒否している。7日の衆院予算委員会で、「みんなが子どもを持ちたくないと意思表示をしたら、私は困ってしまう。その言葉を撤回しなければならない理由が分からない」と述べたそうだ。何度でも言うが、この人はホントにわかっちゃいない。最初の問題発言に関して、「うっかり(何の悪気もなく)機械なんて言葉を使ってしまったからマズかっただけ」と思っているだけなのだ。
「おばさんをお嬢様と言っているだけの言葉にだまされない!」ととくらさんは怒っておられたが、柳沢厚労相はまさしく その手の表面的な言い換えだけでモノゴトが解決すると思っている御仁の典型。「ジジババ」を「お年寄り」と言い換え、「おんなこども」を「ご婦人やお子様」と言い換えたりして、それで文句ないだろと思っているのだ。
〈公僕の価値判断は越権行為〉
それはともかくとして、「健全」発言の方である。「機械・装置」発言以上に、不愉快きわまりない。なぜ不愉快かと言えば、明確な価値判断が入っているからだ。
私は沸騰しやすい「小さなポット」だけれど、それでも親戚のジイサンバアサンが「子供は2人以上持ちたいっていうのが、やっぱり健全な考え方ではなかろうかのう」と言ったのであれば、いきなり烈火の如く怒ったりはしない。そういう考え方を持つのは、いわば個人の自由であるから(その考え方は違うと噛みつくかも知れないが)。柳沢厚労相にしても、自分の家族の集まりか何かで言うのは自由。しかし厚生労働大臣の立場で、公の席で言ったというのが最大の問題なのだ。
私は選挙権を持ち、税金を納めている国民の一人として、「公僕」に「勝手に価値判断する権利」を与えた覚えはない。それは越権である。(そんなこと言われれば自由にモノが言えなくなるじゃないかって? 当たり前です。公僕というのは、そのぐらい縛りのきつい立場なのだということを自覚してもらわないと困る)
〈後ろめたさとほろ苦さ〉
私は子供というものを持っていない。考えれば考えるほど親という存在になることに腰が引け(自分がよっぽどろくでもない子供だったからかも知れない)、この年まで(苦笑)子供を持つという選択をできないままで過ごしてきた。だからこそ、というべきだろうか。私は子供を育てている、あるいは子供を育てて独立させた友人知人達に対して、常に後ろめたい、ほろ苦い思いを抱いている。
だが、これだけは断言できる。後ろめたいのは、「自分は不健全だ」と思っているからではない。「見る前に跳べ」なかった自分のことを顧みるつど、勇気ある決断をした友人達に無条件で敬意を表するからである。いわば、自分が面倒なことから逃げてきたような気がするわけだ。ほろ苦いのは、ひとつ楽しみを捨てていたんだなと思うからだ。
私の高校時代からの友人のひとりが、少し前に癌で手術した。一応手術は成功したが、はっきり言って予断を許さない状態。その手術前に彼が真っ先に言ったのは、「子供つくらなかったことを、ちょっとだけ後悔しているんだ……」。彼は二十代前半で結婚したのだが、(私とは理由も感覚も違うと思うけれども)さんざん迷った末に子供は作らないという選択をした。その選択を間違っているとまでは思わないだろうが、「子供を持ち、育てるということもしてみたかったな。きっと楽しかったと思う」と言って、深々とため息をついた。人生のターニング・ポイントを回ったひとりの男が、「大きな忘れ物をした気分」について――表面的にはサラリと冗談に紛らせた口調で漏らしたのだ。その気持ちは、私には痛いほどよくわかる。
そして、後ろめたいのもほろ苦いのも(小泉前首相の真似じゃないけれども)私の「心の問題」である。他人にとやかく言われる筋合いはない。健全だの不健全だのと、シタリ顔で言って欲しくない。ましてや、我々の税金で雇っている「公僕」には。
ひらべったい表情で、手垢にまみれた言葉で語って欲しくない問題のひとつ――おそらくは代表的な問題のひとつ、なのだ。人間という存在に対する愛情と憎悪のはざまで揺れ動きながら、ひとは子供を持つ、あるいは子供を持たないという選択をする。結婚してもしなくても後悔するだろうと言った昔の哲学者がいたが、子供を持つことも同じ。乏しい脳髄を絞り上げるようにして考え、考えた揚げ句にひとはひとつの道を選択する。その責任は性根を据えてとるべきであるが、他人に、ましてやオカミに健全だの不健全だのと言われる筋合いはない。
〈みんなが子供を持ちたがらなくなったら、って?〉
みんなが子供を持ちたがらなくなったら、ますます少子化が進む。それでは困る――という考え方を持つ人は(多いか少ないか知らないが)いるようだ。でも、それはためにする類の極論だと思う。「みんなが子供を持ちたがらない」なんてことが、本当にあり得ると大臣は思っているのかね。私の友人知人は、圧倒的に子持ちが多い。中には5人もの、現代では珍しい大勢の子供を持つ友人もいる(あと1人2人欲しいそうで、仲間はみんなで勝手にしろと好意的にからかっているのだが)。ついでに言うと、シングル・マザーやシングル・ファザーもいる。
出来る限り大勢の子供が欲しいと思うのも、子供はいらないと思うのも、配偶者はいらないから子供だけ欲しいというのも個人の自由。オカミに口出される話じゃあない。子供が(できるだけ大勢でも2人でも何でもいいけど)欲しければ欲しいなりに、子供が欲しくないなら欲しくないなりに、生きていける土壌を作るだけが、あんたがたの仕事なんだってば。そして子供を産み育てたい人達の応援するために、税金の負担をする気持ちも用意も充分にあるさ。別に年取ってから、次世代の人達に養ってもらおうなんぞという下心があるわけじゃあない。未来へ希望をつなぐ投資は、今を生きている私たちの責務だと思うからだ。
〈少子化、別にいいではないか〉
話があちこちブレ続けて、ようやく今日書いておきたかった話にたどりつきつつある。そう、少子化の問題。
結論から先に言うと、私は少子化がなぜそんなに問題になるのかわからないのだ。人口が減る? 別にいいじゃん、というのが私の素朴な感覚である。人間は、絶滅寸前の生物ではない。(こんなこと言うと語弊があるかも知れないが)地球のためには少し減った方がいいかも知れないぐらいだ。パンダじゃないんだからね、大丈夫ですよ。あんまり野放図に増えすぎたので、自然に歯止めがかかっているのではないかという妄想すら抱くことがある。
ほかの国は人口が減らないのに、日本だけが減ることに危惧を抱いている人もいるのかも知れない。でも私は――あまり日本という「国」に執着はないので、それも別にいいじゃないか、と思っているのだ。正直なところ。
子供に毛の生えた年齢の頃、老子の「小国寡民」にちょっとだけ憧れたことがあった。浮き世のゴタゴタの中で当時の切ないほどの純粋さは失ったけれども、今でもほんの少しそれに魅かれるものはある。日本などという「国」が張る肩肘を失い、ひっそりと息づくようになった時、この国が持っていた本当の宝物が鈍い光を放ち始めるかも知れない(うへ。私も愛国者なのかなあ? 嘘みたい)。
今夜もまた、とりとめもない戯れ言でありました。
実際,日本の人口のグラフを見れば分かる通り,明治に入ると日本の人口は急速に増えていきました。
# あぁ,外は右翼団体(暴力団)の街宣車がうるさい。また警察に電話してやろうか……。
ところが,生物学を学んだ人なら分かると思いますけど,/型に急速に個体数が増えていくと,ある所で急にいきなりお互い共食いを始めたり(人間だと戦争にあたりますね),食料や酸素(人間だと温暖化とか資源不足にあたります)不足で一気に絶滅へ走ってしまうのです (詳しい話は http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-80.html に易しく書いてありますので,興味のある方はどうぞ)。
つまり,実際には動物というのは個体数が急速に増えだした場合,Sを斜め横にした _/~ または _/\ のような形で個体数が減りながら維持されるか,あるいは絶滅するかというパターンになります。もちろん,実験動物に使われる大腸菌なんかは一晩で絶滅して,朝実験室に行ったらしくしく涙をこぼしたこともあります。
逆に言えば,1億人も増えた日本人,13億人も増えた中国人がどうして絶滅しないかと言えば,後者の場合は徹底的に食料を増産しかつ資源を有効利用して,農村戸籍と都市戸籍(元々戸籍という概念は日本から輸入したもの)とに分け,都市戸籍を持つ者だけに資本主義を与え,農村戸籍を持つ者は社会主義のまま食料増産と兵役のみに従事させるという,あからさまな種内分別政治が行われているという訳です。日本でも,南日本や北東北・北海道の出身者が自衛隊員のほとんどだという現実を見れば,その地方の人口が減れば即ち兵士になる者がいなくなるという政治的な理由となる訳です。
安倍内閣や小泉内閣の大臣たちが口を滑らせて,ついこんな「ホンネ」を言ってしまうのは,私が上に書いたことが彼らの共通認識だということの裏返しなんですよ(笑)
個人の心に踏み込むこと。それに対する反発。
今日の華氏さんのお話を読みながらそんな気がしました。
この国の一番の問題は決して少子化ではないのです。
今の若い世代の人たちは、環境問題、核問題など世界の終わりと直面しながら生きています。
私たちが育ってきた時代には、まだ、未来があったのです。
科学は進歩し、技術は発達し、希望という言葉が生きていた時代です。
人の子の親となり、今の時代を生きていくのは、正直かなりきついです。
為政者たちは国民に要求するばかりで仕事をしない。
それどころか、格差社会を助長するばかり。
そんなところに少子化なんて言ってもらっても。
一番やらなければいけないことは、いい世の中を作ること。
それができないうちは子供を産めなんて言えるはずがないのです。
今日のお話よかったです。
言いたかったことは違うのです。
産むとか産まないとか、そういうことではないのです。
子供って「授かるもの」だって言いたかったのです。
だから、なんと言うか、政治家の皆さん、産むとか作るとか、そういう言い方やめてほしいと。
男と女が平等になどなれるわけがないのに、平等論を振りかざして男社会の中に踏み込んできた。
その結果が少子化であり、団塊の世代のリストラ。
セクハラだって女が男と対等に渡り合おうとしなければ起きない。差別はあって当たり前。
男性には子供は産めないから、女に頑張ってもらおうという発言の何がいけないんだか。
子供は産みたくない、仕事したいと言う、わがままな女ばかりだと日本は滅びるんですよ?
少子化の原因は、女が役に立たないプライドを持って社会に出たせい。
柳沢大臣も石原都知事も森氏も当然の事を言ったまでで、その本質を見抜けないひと多いんですね。
私はフェミニズムというのは、人間が生きていく上でごく当然の、基本的な考え方だと思っています。決して女性だけの問題ではない。出自や性別その他いかなる理由によっても差別されないというのは、憲法の基本理念であり、同時に人間が懸命に獲得してきた理念でもあります。すべての人は(無神論者の私が言うのはオカシイんですが)神の前で平等であり、また法の前で、共同体の中で平等である。
本質……それなりに見抜いているつもりですよ。柳沢厚労相以下、当然のことを言ったまでとあなたは言われるが、本質は「個人の尊厳を――その他大勢の個人の尊厳を最重要視するかどうか」だと私は思う。
ちなみに「男は産めないから女に頑張ってもらわねば」とおっしゃいますが、人間は単性生物ではないので、聖母マリアでもない限り、女性だけでは産めないのですよ(笑)。
もうひとつ、私自身は自分の現実的な付き合いの中で、「子供は産みたくない、仕事したい」という女性は知りません。ある種の歪んだ幻想ではないかと思います。
うちにはさらに、
>生殖機能がない女なんて論外でしょう。
>ヒステリックな女どもは見苦しい。生理中ですか?笑
>だから女はバカにされるんです。
>頭の良い女は柳沢大臣肯定派です。私の嫁のように。
>ああ、後 中絶する女にも問題はあるね。
>レイプされても産んで欲しいよ。
>人間の本能なんだから。
とか、珍説大暴走状態です。ちなみに2児のお父さんだそうです。
フェミニズムの思想の源流って,イスラームにもあるんですよ。イスラームでも戒律を固く守るシーア派の女性が黒いベールを被っているのは女性差別が原因でなくて,男性にあらぬ妄想を抱かせないためなんだそうです(それでもあらぬ妄想を持つような人が漢魂さんなのかな(笑))。比較的戒律がゆるやかなスンナ派(語尾を i と読むのは英語読みでアラビア語では a)でも,基本的には女性を大切にする思想が根底にあります。
旧ソ連が成立した際に,周辺のイスラーム諸国でも社会主義革命が起こり,ソ連に加入してきました。ところが困ったことに,ロシアではロシア正教と政権との腐敗によって革命が起きたため,ロシア正教を「民営化」つまり「宗教は麻薬だ」という宣伝をしてた所だったのですな。そこでスターリンの独裁までのソ連政府の法務省では民法・刑法にできるだけイスラーム法を取り入れ,イスラームに関してはある程度寛容な態度を示さざるを得なかったという事実があります。その際,イスラーム民法の,結婚の際に花婿が予め離婚した際の慰謝料や子どもの養育費などを宣誓した書類を長々と書き連ねる,という方法が全ソ連にて行われるようになったのです。
そういう意味では日本は民法に関してはソ連に劣るとも言えるでしょう(笑) とにかく,フェミニズムを主張するだけで嫌がらせを書き込む人が多くて困ります。私のブログも凄いですよ。
土曜の深夜から日曜の明け方にかけて、こんなコメントを書き込んでいる二児の父親って、全然健全じゃないと思うのは私だけでしょうか?
早く寝ろって。
実は私は、華氏さんも含め、少子化が進んでも構わないと考えているひとが多いことに、とてもびっくりしております。少子化が進んで大いに困ると考えており、それはなかばみんなの共通の認識ととらえていた私は、正直のところおおいに困惑しております。ま、そういう私も現在独身で子供のいないひとりなワケですが。そのあたりはまだ学生の身なので・・・。
この少子化に対する意識の違いが何から来るのかは、正直よくわかりません。単に私の心配のし過ぎなのか、皆さんが少子化の弊害を甘く見ているのか、または単に世代が違うことに起因するのか・・・。人口の減少は緩やかだとは言っても、高齢者の人口は急激に増加し続けているわけだから、深刻だと思うのですが・・・。