
一昨日「自己責任という言葉を使うな」という記事を書いた。私が「生活習慣病」という言葉が嫌いな理由――をウダウダと書き殴ったのだ。この言葉がいつから一般に使われるようになったのかよく覚えていないが、「自己責任」なる言葉の蔓延と軌を一にしているのではないか、というのが私の感触である。そして、
【生活習慣病になるのも、リストラされるのも、子供抱えて路頭に迷うのも、過労死するのも自己責任。馬鹿言うんじゃないっ! この国はいつから、こんなうそ寒い国になったのだろう。】
と書いたのだが……その矢先に、「過労死も自己責任」と言わんばかりの奥谷禮子氏の発言をめぐって、衆院予算委員会で論議があったそうだ。この問題に関してみやっちさんが「過労死は自己管理不足?」と題するエントリをTBしてくださったが、ほかにも大勢の方が目を剥いておられるだろう。わかっちゃいない人が、ここにもいた。
〈遺族の前で同じことを言ってごらん〉
奥谷氏は人材派遣会社の社長で、厚生労働大臣の諮問機関である「労働政策審議会」の委員のひとりである。問題になったのは『週刊東洋経済』1月13日号のインタビューで、「経営者は過労死するまで働けなんて言いません。過労死を含めて、これは自己管理だと思う」と語った部分など。ちなみに奥谷氏はホワイトカラー・エグゼンプションの積極的推進論者で、分科会では「労働者を甘やかしすぎ」などの発言をしているという。
むろん、経営者は「過労死するまで働け」とは言わないだろう。死ぬ気で働け、みたいなことを言った人はいたような気もするが。昔々の為政者だって、民にどんどん死なれちゃ困るから(労働力が減るし、ヤケを起こされても面倒なので)「生かさぬよう殺さぬよう」という微妙なバランスで絞っていた。
「過労死などされたら寝覚めが悪いから、なるべくしないで欲しい」と思っているはずだ。経営者だって鬼でも悪魔でもないのだし、社員はドレイだとも機械だとも思っていないだろうから(ドレイや機械扱いする、ということはあるにせよ)。「なるべく死なないように働いて欲しい。でも万一過労死という事態が起きても、競争に勝ち抜くためには、それはそれでやむを得ない。名誉の戦死、の扱いをしてあげるから、迷わず成仏してネ」というあたりが、最も本音に近いのではあるまいか。
ブログで以前父のことを書いた覚えがあるが、私の父は40歳を目前にして過労死(くも膜下出血で死亡)している。だから自己管理の問題などと言われると、猛烈に腹が立つ。
父は朝は早く夜は遅く、日曜もしばしば出勤していた(当時は休日は土日でなく日曜だけ)。帰宅が深夜近くなる日が続き、3日ぐらい父の顔を見なかったことも稀ではない。むろん昼食のみならず夕食もほとんど外食。何を食べていたのか知らないが、要するに栄養バランスの悪いものばかりだったろう。結核の既往があり、あまり丈夫でない人だったから、母は働き過ぎを心配したらしいが、もう少ししたら楽になるというのが彼の口癖だったようである。だが、彼は死ぬことでしか楽になれなかった。
疲れていたと思う。それならたまの休日はゆっくり休めばいいようなものだが、彼にとって休日は子供と遊ぶ日だった。特に遠出するわけではなかったが、公園だの、電車で2駅か3駅程度の遊園地だのに行き、帰りには本屋によって好きな本を選ばせてくれたのを覚えている。一緒に犬の散歩に行き、雨の日はよく、家の中でゲームをした。
私の父が死んだのは、自己管理が悪かったのですか。そうですか。
社会に出てからも、周囲で何人もが過労死した。たとえば去年も知人のひとりが(この人とは友人というほどの仲ではないので、後で知らされたのだけれども)。勤め先の銀行が合併し、仕事が過剰になった上、職場の人間関係はややこしくなり、さらに通勤は遠距離になるなどで心身の疲労が重なったあげくのことだった。辞めたい、と家族に漏らしたこともあるそうだ。それでも高校生の子供がいて、家のローンがあって、この年で辞めたら次の職場はみつからないだろうとしう不安もあり、働き続けた末に彼は突然死んだ。過労死寸前まで働き、鬱病になって自殺した人もいる。奥谷さんあなた、彼らの遺族の前で、とうちゃんは自己管理が悪かったんだよと言えるか。
「勝ち組」の言葉だなあ、とつくづく思う。奥谷さん、あなたのような人であれば、きっちりと自己管理できるかも知れない。しかし選択肢が限られ、えらい方たちのおっしゃる自己管理なんて絵に描いた餅だよという労働者も世の中には多いのです。競争に勝った人達はすぐ、自分の能力が優れていたから、人一倍努力したから、徹底的な自己管理にも努めたから、今の自分があると言う。負けた人間は能力が、努力が、なかったからだと。
そりゃ、能力はあるのだろうし(少なくとも私よりはあるな、ウン)、努力もしただろう。自己管理もしたのでしょう。それは認める。だが勝ち組なるものに入れなかった人達が、能力も低く努力もせず、自己管理もできないダメ人間のような言い方をするのは不遜を通り越して、人間としての基本的な部分が疑わしい。
◇◇◇エントリと関係のない雑談◇◇◇
nizanさんが、高橋和巳『邪宗門』にかかわるエントリをTBしてくださった。ありがとう。あ、朝日文庫で手に入るのですか。誰かがかっぱらって行ったことばかりしつこく覚えていて、どこかで文庫になっていることなど考えてもいませんでした(汗)。私もこの本は愛読書の1つで、初読はnizanさんと同様10代の終わり頃。その後、何度か(といっても3度ぐらいだが)読み返した。
鮮明に残っているシーンのひとつが……(これも何度か書いた覚えがあるが、まあいいや。読んでくださってる人少ないし)……戦争中、弾圧されて解体させられた「ひのもと救霊会」の人達がちりぢりになり、その一部の人達が素人劇団をやっていた時の話。その劇の中に、「国には国の掟あれど、我らにはまた我らの道」というセリフがあった。劇の筋立ては陳腐で、演技もヘタクソという設定になっていたが、それだけになお、このセリフの部分は私の中に強烈な印象を残し――今も残っている。
国には国の掟あれど。











失礼な。少数精鋭といってくだされ(って反論になってない)。
一部の兵士がやったことで陸軍としては関知してない。秘書が私個人の祝電として送ったものに過ぎない。NHKが忖度してやったこと。過労死は自己管理が悪くて勝手に死んだ。
そういえばどこかの都知事の息子の絵描きさんも、都知事が命令したんじゃなくて、
大芸術家の息子さんにやってもらうのはいかがで?
いやあ、そうかねぇ。ボクは気が進まないんだけどねぇ、ハッハッハッ・・・みたいなやりとりがあったそうですね。
「東京原発」の都知事、いいですよぉ。
・・・・である事がはっきり証明されましたな。
もう少しで幸せになれそうな字である。
―――星野富弘
今日のエントリー、なんだか胸が詰まります、、、
父の事、私も思い出します。
父は大往生でしたがそれでもやはり寂しい。
それから、
奥谷発言のこと。
ちょっと考えてみます。
こんなの、後からだったら何とでも言えますよね。
こういう表現、安っぽい「自己啓発」や「ハウツーもの」の書籍を読むとたくさん出てきます。
腹立たしいことこの上ありません。
ふざけるな!!と言いたい人がほんと、多すぎますね。
リュウセイmk2さんのおっしゃっているようなことは、私もよく感じます。自己啓発だの自己実現だのは(個人的な感覚ですけれども)大嫌いじゃ〜。