減価する通貨が導く近代超克への道

自然破壊、戦争、貧困、人心の荒廃・・・近代における様々な問題の根本に、私たちが使う「お金の非自然性」がある

エコ経済システムを作るきっかけは、地域がロスト・ジェネレーションの痛みを共有することからはじまる

2008-02-02 12:40:34 | Weblog
以下は関さんのブログ「代替案」の記事
「廃県置藩後の社会」および「赤木さんの「希望は戦争」について一言 ―新年のあいさつに替えて―」に関連するお答えです。非常に興味深い記事ですので、はじめての方はまずはそちらをご一読下さい。

私も基本的に「廃県置藩」を進め、州の導入は必要ないと思います。ただ、私は三層構造「村・藩・くに」の中で「村」を一番重要視しています。これが地方自治の最も重要な単位です。規模としては中学校の校区相当をイメージしています。この規模であれば、「身の丈」の直接民主主義がなりたちます。親も子も老いも若きもそれぞれに役割と責任を負います。「村」は、「藩」がなくてもぎりぎり自給自足できる最小の「自立」共同体です。ここでいう「自立」とは、『防犯・防災・祭(武人役)』『教育・立法・司法(賢人役)』『経済・行政・保険(商人役)』の全てを共同体内の住民が分担して自給自足できるという意味です。それぞれの分野にリーダーの「かしら」をおき、「としより」「おとな」「わかて」「こども」の4世代が全分野に関与します。また各世代に「まとめ役」をおきます。もちろん各分野のかしらと村長、まとめ役は民主的方法で選ばれます。

藩は基本的には村間の調整機関であり、各村が連携して対応すべき課題(大規模防災・防衛体制・村間利害調停のための司法・立法、地域インフラ整備・産業高度化等に係る行政指導)を担当します。「くに」は同様に藩間の調整機関となります。究極の小さな政府指向です。通貨も藩札からではなく、まず「村札」を発行します。各村の「村札」経済が活発になって、各村のリーダーが「藩札」があったほうがよいと思う合意ができてから、藩札を発行するという流れです。しかし、藩札の使用で何か問題が起きたときは、すぐに「村札」で経済鎖国ができる能力と権利を共同体は有することとします。

組織というのは、大きく仕切っても、小さく仕切っても、大抵そのうち2割がよく全体をみて働いて、残り8割程度は、その2割メンバーの働き・指導に依存して生活するという形になります。これはありんこから人間までおおよそ「社会」を形成する生物に特有の「法則」です。ですからなるべく、構成メンバーどうしが互いの「顔」がわかるような小さな組織(役)に分けることで、どの分野でも2割の人(かしら・まとめ役とその候補)が良く働くようになり、8割の人が2割の人を尊敬しながら、安心して生きる社会になる、という考えです。つまり「鶏口となるも牛後となるなかれ」で、各村・各分野・各世代に、大勢のリーダーやリーダー候補が生まれる環境を作ります。もちろん村長とかしらは、「寄り合い」を作って、互いのコミュニケーションを厚くします。一方、村は平時には外に対して開いており、人々の移動は基本的に自由です。また、情報やモノもITネットワークを活用して、村外からいつでも手に入れることができます。以上が私の想定する「開かれた地域共同体」です。

参考リンク
・「開かれた地域共同体」についての粗雑なイメージ (晴耕雨読)
・国民の八割(平和党公式ブログ)

ちなみに有利子である「日本円」と「地域通貨」をバランスさせるには、後者は無利子ではなくて、マイナス利子であることが重要です(陰陽の貨幣の力をつりあわせるイメージです)。無利子であっても、貨幣の「退蔵」は可能です。そうなるとモノと貨幣の交換速度が遅くなり、地産製品の再生産や労働力需要を押し上げません(現在導入されている多くの地域通貨に社会を変革する力がないのはマイナス利子でないことが一因でしょう)。このあたりは、ちょっとすぐには想像できないかもしれませんが、実際に導入すればすぐ判明することと思います。かつて、オーストリアのヴェルグルでは、マイナス利子の紙幣(月初めにその額面の1%のスタンプを貼らないと使えなくなるシステム)を労働証明書として出して成功しましたが、今ならIT技術とネットを使って、「自然通貨ポイントカード」などとして導入すればずっと使いやすくなるはずです。

参考リンク
・ヴェルグルの労働証明書(アンチロスチャイルド同盟)

私は以上のようなシステムを作るきっかけとしても、財政赤字や少子高齢化で苦しむ地方の自治体、「村」にあると考えています。まず、村民の自主改革意識を前提として、自治体が「エコ・介護事業人材派遣業」を、組合・地元企業・自営業が「エコ公社」「介護公社」を立ち上げて、最低限の日本円と地域通貨の「ハイブリッド給料」でワーキングプワー等の「金融被災者」を雇います。村民は、働き手を確保し、地域の自然環境維持・活用と老後の安心を手に入れ、「金融被災者」はやりがいのある仕事と安心・安全な食べ物・住処が保証されます。上手くいけば、自治体の赤字を増やさずに、これまでお荷物だった産業が、地域環境と社会を復活させる産業となり、都会の賃金労働者が地方に移住したロスジェネ世代を「うらやましく」思う日々が来るかもしれません(当然ながらエコ事業を進めれば、温暖化対策にもなり、CDMで都会の企業との取引も可能となります)。ポイントは、地元が一体となって自主改革へ向かう気概を持つこと、そして地方の良質な自然環境こそが実はひとを養う大きな「資源・資本」であったことに気付く(思い出す)ことだと思います。

参考リンク
・ネットカフェ難民などの失業問題(平和党公式ブログ)
・「日本には資源がない」などという勘違い(平和党公式ブログ)

あとは政府が地方に持続可能な内需産業を造り、それを伸ばすことこそが、最終的に日本を救い、世界を救うということに気が付くだけです。
また良く勘違いされるのですが、自然主義経済・エコ経済システムは資本主義経済やケインズ的政策を否定するものではありません。並存が可能なシステムです。相手の不完全さを補完しつつ、包み込まれると同時に、包みこむ関係です。これは以前示したこちらの図を見ていただければ、消費者・生産者・労働者・住民は日本円(外部市場)とEマネー(エコマーケット)のどちらを選ぶことも自由であることがお分かりいただけると思います。

自然の豊かな地方に「エコ経済システム・開かれた共同体」を包摂すると同時に、世界市場で通用するハイテク製品と芸術作品(サブカルチャー含む)を作る国家、これが近未来の日本の姿ではないでしょうか。

参考リンク
・世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略VOL188(復活!三輪のレッドアラート)

すでに条件は揃いつつあると思います。
しかし、そこに生まれ変わるには、ワーキング・プワーやいわゆるロスト・ジェネレーションの痛みをもっと多くの人が切実に味わう必要がある。世の古びた「既得権」にしがみつく人々、次の世代を育てる本来の責務を忘れ、保身とごまかしに染まった人々、あなた達こそが「痛み」を味わう必要がある。己が地面に叩きつけられる前に、ロスト・ジェネレーションと心象を重ね合わせることができたものだけが、トランス・モダンな変化を幸せへと導くことができるだろう。

参考リンク
・「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。

参考リンク引用
・ロスト・ジェネレーションに捧げる詩(『海舌』the Sea Tongue by Kaisetsu)
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心配しなくて良い。
もうすぐ、周囲の皆が、あなた達の隣人になる。
じっと、しているだけで良い。
決して、他人、特に政府を頼っては駄目だ。
自分の頭で考えて、自分だけでできる暮らしをしている、あなた達は先駆者だ。
アジア通貨危機後の東南アジアで、私は現地で多くのロスト・ジェネレーションと生活を共にした。それより前、韓国の光州事件の時も、私は、やはり、当時のロスト・ジェネレーションと共に、ソウルに居た。南米の苦悩は、多くのNGO活動家から見聞きしてきた。
過去の戦争を引きづった人生を続けておられる方々も、誠実に直視する方こそ、やはり、ロスト・ジェネレーションだ。
日本のロスト・ジェネレーションの皆さん。
皆さんは、国際連帯している。
あなた達の心象風景は、アジア、アフリカ、南米の民と共に在る。
ホリエモンも無一文、いや、早く借金を背負って、ロスト・ジェネレーションの仲間達と暮らすことだ。ロスト・ジェネレーションと共に暮らすことが、唯一、ホリエモンの知性が輝く時だ。
タイの貧民街から外交官テストに合格した少女が居ることを私は知っている。姉から貰ったボロボロのマレー語の教科書で勉強している中国人の小学生を私は多く知っている。家にテレビも無い子供が、金持ちの家でCNNに噛り付いている光景をインドネシアやフィリピンで見たことが大いに在る。
エジソンも、あなた達の同胞だ。アインシュタインも、あなた達の隣人だ。ライス国務長官も、あなた達と同じ心象風景を共有できるだろう。
もうすぐ、80%の日本人が、あなた達の同胞となる。
世界を席巻するフラット化の結末だ。
庶民は、世界中、皆、同じ背の高さで暮らすんだ。
いや、今は歓楽街でソファーに踏ん反り返っている連中や朝昼晩と馬鹿げたテレビに興じている御夫人達が、今度は、あなた達に頭を垂れる時が迫っている。
今度は、あなた達が慈悲深い目で、この新しい同胞に接してあげて欲しい。
勿論、これまで、やられた付けは、きっちり、返してもらえよ。
ロスト・ジェネレーション!
良いネーミングじゃないの。
あなた達には未来がある。辛さを経験する時間が在った。
でも、新しく来る日本人の80%の連中には、「未来も無いのだ。」
だから、温かく迎えてあげようよ。
生贄には、しないであげて欲しい。


(注:朝日新聞の特集記事を読んで。)
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12 コメント

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大体のイメージは出来上がりましたね (ろろ)
2008-02-03 13:21:05
通貨発行権のない地方分権は、「中央政府からの財政支援のない中央銀行支配」という最悪の結果を招くでしょう。



それは、結局東京に集まる貨幣(外貨)を入手するために過剰在庫のリスクを多分に抱えた一次・二次産品(モノカルチャー)を生産せざるを得ないという「ドメスティック南北問題」を強化するだけです。



明治以降普遍化「させられた」売り手と買い手の関係の固定化…これこそが近代化の本質だったのでしょう。つまり、中央による地方の化です。これは人為的現象であり、史的唯物論の文脈でしかものを考えられない学者どものフォーマットでは解決できません。



必要なのは地域通貨発行権を含めた「真の地方分権」であると、本記事を拝読し改めて認識しました。地方自治の仕組みなどというのは、本質を隠すための瑣末な技術論…ということになりそうですね。
返信する
コメント、ありがとうございます。 (花ブナ)
2008-02-03 22:23:33
>ろろさん

>通貨発行権のない地方分権は、「中央政府からの財政支援のない中央銀行支配」という最悪の結果を招くでしょう。

まさに三位一体の改革の正体はこれでしょうね。
おっしゃるとおり、必要なのは通貨発行権を含めた「真の地方分権」=地方経済の民主化だと思います。

問題は、確信犯が本質を隠して、地方分権を唱えると同時に、単にアホな知識人や利権政治家がその流れに便乗していることと、これまで地方に「補助金」と言う名の「麻薬」が打たれ続けてきたことでしょう。

本来、政府からの補助金は、親が子供を扶養するように、(扶助として)必要なときに必要な人に必要な形で与えられるべきなのです。それがそうならずに「麻薬化」するのは、根本的に近代国家の政府が国民の親などではなく、中央銀行(世界の金融選民ゲーム立案者達の出張機関)の御用聞きである、という問題に突き当たります。

よって、取るべき戦略は、政府や企業が中央銀行の単なる御用聞きとならずに、うまくその力を利用し、国内の産業基盤を維持・発達させることができる人を是々非々で支援・支持・育成することであり、さらにそれだけではうまく行かないことを前提として、『虎の尾』を踏まない程度に地方における新たな自治・経済基盤と人材を探して、いざと言う時に支援・協力することかと思います。中央と地方でこの両方の戦略が進行するのがベストです。将来のスタグフレーションが怖いのではなく、それを「良い方向」の国内改革に向けられなかった場合が怖いと思います(最悪はやはり誰かを懲らしめるために「名誉ある戦争」へとかり出されることでしょう)。

このような世の中において、従来の唯物史観含む近代的学識・常識に染まった学者や知識人が役に立たないことは間違いないでしょう。彼らにはせいぜい変な口出しをしないように要所要所で批判して、その限界を自他ともに認めてもらうしかないと思います(まあ無理かもしれませんが)。

そして今後とにかく必要なのは、頭が柔軟で、かつ地元の人々の信頼を得ることのできるリーダーが地方にいることと、自立した自治への目覚めが始まることだと思います。福島県矢祭町や宮崎県綾町などが良い例だと感じています(もちろん大阪府は最悪)。

あとは、ロタや宮古島のような遠くの離島ではなく、国内のワーキングプワーを金をかけずに集めることができて、すぐに住めるようにするところでやるのも大切だと思います。
返信する
通貨発行権 (kwin)
2008-02-26 14:12:06
はじめまして。
通貨発行権となると困難であるので、株券を発行して、これの交換を電子カードの技術を利用して行う、といったようなことをする必要があるのではないでしょうか。
「減価」する通貨という特性は死守する必要があると思います。
返信する
コメントありがとうございます (花ブナ)
2008-02-26 19:04:06
>>kwinさん
>通貨発行権となると困難であるので、株券を発行して、これの交換を電子カードの技術を利用して行う

そうですね。エコバンクは通貨発行権を有するというより、円による地元産業への投資に対して、株券を発行すると考えた方が色々とスムーズでしょう。

http://blog.goo.ne.jp/banabuna/e/fa76fe260b42462bee53973113151764
この図の中にある供託・投資⇒Eマネー発行(電子カード管理)の部分を供託・投資⇒株券発行(電子カード管理)と読み替えていただければ、OKだと思います。

減価する株券の意味は、今はわからなくても、スタグフレーションなどが目に見えてきたときに理解されるでしょう。

あとは、ヴェルグルと同様に自治体やエコ人材派遣組合が労働者に対して「勤労感謝ポイント」(電子カード管理)を付与するという形になると思います。

お金やマネーというよりは、財やサービスと交換可能なクーポン・バウチャー、トレーディングポイントみたいなイメージの方が近いかもしれませんね。

>「減価」する通貨という特性は死守する必要があると思います。

はい。その通りです。
返信する
はじめまして (N.S)
2008-03-26 23:48:47
こんにちは(こんばんは)、はじめまして。
初めての書き込みです、どうぞよろしくお願いいたします。
「減価する通貨」という考え方はすごいと思いました(それとも、この様な考え方自体は、みんなも既に知っている常識の範囲内のことなのでしょうか?)。しかも1930年代に既に採用されていて、成功までした制度だったとは・・・将来の経済のあり方(枠組)はこれかな、と直感的に思いました(そして、直感を大事にしたいと思います)。
ブログの記事を全て読みきれていないことや、「減価する通貨」の本質に対する私の理解不足が原因なのですが、「あれ?この点に関してはどうなのかな?」という疑問点がでてきました。

まず、「減価する通貨」を用いた場合、「インフレ」が制度の内部に自動的に含まれることになるのか、ということです。通貨が減価するということは、貨幣価値が下落していくことだと私は理解していますが、(商品の価格が通貨が減価する前後で変化がなくとも)このとき自動的にインフレが発生することになってしまうのでは、と。そして、この様な自動的に発生するインフレは、そのままにしておいても大丈夫なのかなぁ、と。
もちろん、インフレが絶対悪だなんてことではありません。そして、「貨幣が減価するからこそ、減価通貨の所有者は早く減価通貨を商品と交換しようとし、その結果、貨幣の回転数が上がっていき、通貨という経済の血液が滞りなく循環していく」ということには、私も異議なしです。

次は、「減価する通貨」を実際に社会に流通させる時、政治力がかなり必要になってこないだろうか、ということです。通貨(減価しない通貨)を現在握っている者が、「減価する通貨」の発行・流通を認めると、その者の権力(通貨を握っていることから生じる権力)がかなり弱くなってしまうと私には思えるからです。相当な圧力がかかってくるのではないのかと・・・。でもそんな圧力には負けたくないです、本当に。というか、このままいくと、本当に日本経済が壊滅的な状況になってしまう・・・

後は、最小単位の地域の間で「商品と減価通貨のやりとり」を行ったとき、これは「現在国家間で行われている貿易に相当するもの」と考えていいのでしょうか?そうだとすると、最小単位の地域が、交易に関してあたかも一つの「国家」のような役割を果たすことにもなる、と考えてもいいのでしょうか?というのも、地域間でもしも交易による摩擦等が残念ながら生じてしまった時、それが地域間の亀裂になってしまわないだろうか、と思われたからです。もちろん、仲裁者が間に入ってきて、後まで尾を引く亀裂にならない様に解決すると思っていますが、日本の周辺には例を挙げるまでもなく油断ならない国家がひしめいていますので、こういう亀裂を利用されると何かまずいことになる可能性もある、と思えましたから・・・

それと、「村」の規模が中学校の校区相当だということには、私は大賛成です。「村」の規模は現在の地方自治体(市や町など)よりも相当小さな規模になっていると私は理解していますが、こうしておかないと「減価通貨」が「まさにその地域で」回転数を上げて循環するということにならないですから。「まさにその地域で」通貨が十分に回転することで、シャッターを閉じたままの商店が大半の地方の商店街も、息を吹き返す可能性が相当高くなる、と。(こんな理解でいいでしょうか?)

すごく初歩的な質問を長々としてしまいました。減価通貨と自然主義経済に関してまだまだ初学者の身ですので、貴方のブログにこれからもしばしば立ち寄ったり、いろいろ質問したりするかもしれませんが、どうかよろしくお願いします。



返信する
>N.Sさん (花ブナ)
2008-03-28 22:07:52
コメントありがとうございます。

おっしゃるとおり、「減価する通貨」に支えられる経済はきっと将来の新たな経済枠組みになると思っています。

それから、「直感で」というのもすごく大切です。実のところ私もはじめは直感でした。

「減価する通貨」による経済は、お金よりも財やサービス、そしてそれを作り出す人や自然そのものの価値が高くなるシステムであるというのが最大のポイントです。この意味を根っこから理解するには既存の「貨幣」に依存した経済の常識から一度離れなければいけません。頭を柔らかくして理解する必要があります。だからある種の「あ、っそうか」みたいな「直感」が必要なんです。

とはいえ、ヴェルグルのような実践例があるように「減価する通貨」の発想やその理論化の試みについては意外と深い歴史があります。

N.Sさんの質問や指摘は全て重要なことばかりです。実は私が以前から整理して書きたいと思っていたことが多く含まれています。

ですので、単なるコメントではなくて、新たなエントリーを立てて、一つずつ丁寧に答えていきたいと思います。色々仕事も忙しい時期のため、少しお時間をいただくかもしれませんが、後日改めて質問・ご指摘にお答えする記事をアップしたいと思います。

なにとぞしばらくお待ちくださいませ。

また、「減価する通貨」をベースとした経済システムの考察などについては、ここのリンクに示してある廣田氏のブログ・ホームページや著書「地域通貨入門―持続可能な社会を目指して」が非常に詳しいです。

また、「減価する通貨」に基づく「自然主義経済」の普及を目指す日本唯一の政党「平和党」の公式ブログも一読をお勧めします。
返信する
はじめまして (さかまた)
2008-04-15 02:00:09
何故かこちらのブログからトラックバックができませんでいたので、コメントにてご挨拶させていただきます。
実は私も通貨の現状に疑問や問題を感じ、ネットワークのシステムを使って、現状の資本主義の欠陥を補完できないか?と、常々考えブログにアイデアを書き連ねています。
最初はネットワーク上での情報のフェアなやり取りをすることを考えていたのですが、次第にゲゼルの理論やLETSなどの理論を知り、コンピュータ上で数値のやり取りをすることで、新たしい概念を持った通貨が生まれるのではないか?と考えるに至りました。
よろしければお暇な時にでも見てやってください。また、コメントなど頂けると大変うれしい限りです。
RSS登録をさせていただきましたので、今後とも定期的に拝見させていただきます。
返信する
ネット上の新たな通貨システムの誕生に賛同します! (花ブナ)
2008-04-15 23:57:52
コメントありがとうございます。
また、ブログ拝見させていただきました。

http://sakamata.blog.so-net.ne.jp/2006-06-30
>>>>>>>>>>
現在の通貨の概念や取引の方法には根本的な欠陥があると思う。
だからその欠点を補ったネットを使った新しい通貨取引の概念を現実にしたい。
そんで、これが現実になれば、多分世界はハッピーでピースな感じになるかも。
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ネット上ではありますが、同じ志を持つ方にお会いできてうれしいです。また、『新しい通貨の可能性.ppt(見出し案)』等の記事を拝見して、さかまた様が、すでに具体的で重要なポイントを把握されていると思いました。私も1年ぐらい前に、「通貨の問題とその解決法(らしきもの)」が頭に浮かんだとき、幾度か「眠れない夜」をすごしました。それ以来、少し本業に支障がでています(笑)。まさに、(トンデモと思われるぐらい)世紀を揺るがす壮大な発想・計画だと思うのですが、だからこそ肩の力を抜いて、地道にいくしかないと思います。

http://sakamata.blog.so-net.ne.jp/2008-04-13
>>>
長い道路を掃除する時こそ、足元だけを見て確実に奇麗にして行こう
<<<

本当にそう思います。さかまたさんのバランス感覚に共感します。

実際、通貨の問題は、根を詰めて考えすぎると日常生活の心理バランスがとりにくくなります(貴ブログの『近況など』で語られている心境がよくわかります)。最近は、長期戦であることを踏まえて、まず心身のバランスを保つことに留意したほうが良いと思っています。頭だけでなくて、身体全体で基礎力をあげるようなイメージで。

具体的な方法としては、他の方へのコメントでも紹介してますが、高岡英夫氏の「ゆる体操」が、お勧めです。大げさですが、これで私はかなり救われました。

・参考『蔓延する心の問題は「ゆる体操」で解決できる!  高岡英夫』

高岡氏の理論や方法は、古武術などの実践的思想に裏づけられています。大きな意味で、そうした身体的感性を取り戻しつつ、心身の基礎力と直感を鍛えることが、上記の問題を緩やかに超える道ではないかと思うようになりました。

最近のハッカー(IT達人)たちも良い仕事をするには、武道や禅の精神が必要だといっていますから、あながち見当違いではないと思います。
・参考:ハッカーになろう
http://cruel.org/freeware/hacker.html

正直、私自身は、ほとんどITスキルを持っていません。
それでも「減価する地域通貨」を普及させるにはネット上で電子通貨として取引に利用できるシステムが絶対に必要だと思っています。いずれ実践する機会を得たときには、そういうスキルを持った方で、かつ減価する通貨の意義や自然主義経済を理解していただける方を探さねばと思っていたところです。なので、本当に出会えてうれしく思います。

これまでの地域通貨の事例を調べて、それがなかなか普及しない要因は、1)減価という仕組みの導入がわずらわしいこと、2)地域における通貨担保(生産できる農産物や再生可能資源、提供可能なサービス等)の把握や生産者・労働者の登録およびその情報交換が閉鎖的・硬直的であったこと、3)供給サイドと需要サイドを直結させ、情報の透明性と相互理解に基づいたトレード(価値・価格の合意)を形成するのが難しかったこと、にあると思っています。

正直、「活動家」の皆さんは、人と人の関係や価値観というものを理念的・理想的に捕らえすぎるがゆえに、上記のようなコンセプトを具現化できていない(近代的利便性や市場経済のシステムを軽視・蔑視している)と感じます。

「減価する地域通貨」によるトレードが、上記の問題を克服した情報交換・電子金融システムに支えられれば、Web上に自主的で分散的な「市場」がどんどん創発されていくのではないでしょうか。

減価する地域通貨による経済システムは、管理者・生産者・消費者の垣根や役割の『固定化』が解消されてこそ、強みを発揮するものだと思っています。リアル社会の「人・モノ・サービス」がWeb上(仮想世界)で一旦「情報化」され、脱中心化した「市場」で「減価する通貨」を介して取引される。通貨に利子は付いていないから、インフレもデフレも起きず、人間の活動と自然の恵みに応じて「通貨流通量」は成長曲線の安定レベルに“自然に”落ち着くようになる。う~ん、すばらしい!

ただ、バーチャルな「自然市場」がうまくいくかどうかは、どれだけしっかりとリアルな「担保」を確保できるかだと思います。突き詰めれば、減価する通貨(自然通貨)の担保とは、財やサービスを生み出すことのできる人および人間関係としての社会そのものだと思います。なので、モノやサービスやアイデアを作り出せる理解者や地元の人達との関係を少しずつ厚くしていこうと思っています。

狙いは「バーチャル」と「リアル」のコラボレーションだと思います。
でもって世界征服と(笑)

実際にどこまでお役に立てるかどうかはわかりませんが、お互いにマイペースで進みましょう。

いつごろまでに我々のコンセプトが実現していれば良いかは、下記が参考になるかもしれません。

・平和党公式ブログ「2043年までの予測」
http://blogs.yahoo.co.jp/heiwaparty/36788145.html

11年後までに、NPOを立ち上げていただき、平和党が地方自治体の長を取っていれば、コラボ可能ですね。そのとき日本の地方から、世界が変わります。

今後ともよろしくお願いします。
返信する
返信ありがとうございます (さかまた)
2008-04-16 02:32:48
大変丁寧なご返答ありがとうございました。
私も実はITスキルと言われるものは高くはありませんが、どんな仕組みのものを作るかを、開発者の方に伝える事を仕事にさせていただき、開発者の方との接点を持つ機会に恵まれました。
これからは、私の考えに共感していただけそうな開発者の方を探しに、いろいろな方とお話をして行こうと考えています。
また、バーチャルな数値のやり取りから、いかに価値を持たせ実経済にシフトさせるかについては、大変難しい問題を山程はらんでいる為、一概にこうとは言えないのですが、おそらくある時点で創発的な現象が発生することで、なるようになるのではないかと、楽観視しています。
色々と書きたいこともあるのですが、夜も遅いので、いずれこちらのブログから発信させていただきます。
こちらこそ今後ともよろしくお願いします。
返信する
私もいずれ創発は起こると思います (花ブナ)
2008-04-16 19:48:56
コメントありがとうございます。

分散型社会においては、さかまたさんのように開発家や専門家にビジョンや仕組みを伝えるトランスレーター、コミュニケーションメディアとなる方々の重要性が増してくると思います。

バーチャルと実経済のリンクについては、以下の記事が参考になるかもしれません。

連山:脱石油時代の農業(高橋祐助)
http://www.teamrenzan.com/archives/readers/takahashi/post_351.html

「半農半X」「現物支給~引換券⇒地域共通通貨」「そうだ、会社作ろう!⇒非営利目的の農業中間法人」などのコンセプトは、私たちが見ているものと同じでしょう。小さなネットワークでこれを達成するには、やはりITによる情報の融合がキーになると思います。

あとは、同記事のコメントの中にある
>>>>>>
地震保険は地震の後、薬は病気が蔓延してから良く売れるそうです。もし投資家を集めるなら賢くない彼らが危機を自覚するまでは待つ方が安全です。メディア制空権の次は、知の制海権(事業デザイン)、その次が資金の兵站線を作るのが安全です。空から攻撃されれば詐欺師やカルト宗教家のレッテルをマスコミが張ります。日本の食糧自給率がこのようになったのには理由があり、その多くは仕組まれたものだと考えた方が賢明です。
<<<<<<<

という部分を踏まえ、時期を見極めることも重要だと思います。
『非営利目的の農業中間法人』に対するニーズは、地震などの天変地異がなくとも、食料・エネルギー危機やニート・失業/退職者問題の深刻化、年金・医療保険制度の崩壊、自治体の破綻などにより徐々に高まるでしょう。
またそうしたニーズが広がらなければ、私たちのコンセプトも、あまり理解されないと思います。創発的現象が加速するのは、上記のようなニーズが深まってからでしょう。それまでは、あまり無理せず、まずは小規模でも仕組みを動かすことのできる人脈やコミュニティーを作っておくことだと思います。

金融資本主義により極度に営利化・中心化・唯物(脳)化したシステムは、いずれ限界に達し、その反作用として、非営利・脱中心・唯心(身体)的なシステムが強く求められる時代が来ると思います。

先に紹介した平和党だけでなく、そのことに気がついている人は徐々に増えています。

参考:『海舌』 the Sea Tongue by Kaisetsu
http://blog.kaisetsu.org/?eid=637018
>>>>>>>>>>
 これは、市場化された場における共同体主義、の観点からも、有意義な視点である。
 極度に単一化され、裁断された地球共同体システムに、アンチ・市場主義として「現れる」のが、原始的な共同体、コモンズであり、このコモンズは、一種の「精神的犠牲」の共同体となることが推論されてくる
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以上を理解すれば、今はトンデモと思われていることが、いずれ慧眼であったと評価されることが来るのではないかと思います。

http://sakamata.blog.so-net.ne.jp/2008-01-20
>>>>>>>>>
私はこれからは営利だけを追求して、自分だちの利益のみを考える個人、および団体は
社会的に立ち行かなくなると思っていますし、またそうあってほしいと思っています。
企業という営利団体では、そんな理想を貫くのは難しいのかなと感じて、他の手段を
模索している間に、NPOというキーワードが引っ掛かりました。

岡田斗司夫氏が、『世界征服は可能か?』という本でも書いていましたが、これから世界を席巻(征服)する為の集団は、まさに自分だけの豊かさを追求しない団体であると結論付けています。
そんな世界征服を目指すNPOなんて団体をこさえて、怪しげなIT系のなにかをやる、
っていうのはちょっとカッコよくないですか?

そもそも作りたいのは、将来に渡り、関わった人の功績が評価されるシステムなので
最初に関わった人は多分高く評価してもらえるんじゃないかな的、取らぬ狸の皮算用付き。
早いうちに名乗りをあげておくと、うまく行った時、多分お得ですよ(笑)
<<<<<<<<<

その通りですね。
楽天的に世の中が私たちについてくるのを待ちましょう。
返信する