どんぽのばぶさん61~

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

デイサービスで朗読 始めの一歩跳びました

2019-07-15 23:16:29 | 介護あれこれ
デイサービスで朗読 始めの一歩跳びました




デイサービスに就職して今日でまる3カ月です。
ご利用者さんにとって午後の時間帯は「趣味活動の時間」です。
ご利用者さんの中には以前から「朗読を聴きたい」と熱望している方もあったそうです。
就職の際のオリエンテーションで内情を聞いた時、
「この職場内で朗読できるものならば朗読をしたいです」と希望を述べました。
ご利用者さんにとって趣味活動の選択肢が増えることは良いことなので、
具体的に朗読(会)を試みてみましょう…ということで今回始めの一歩跳びました。

午後の2時からおおむね20~30分ほどの時間枠で行いました。
事前の告知をする機会がないままの「朗読タイム」でしたが、
ふたを開けてみれば本日のご利用者様の四分の一の方が聴いてくださいました。

本日の演目は
① 花咲山(斎藤隆介・作)      7’01”
② 頭に柿の木(日本民話)      8’26”
③ ワルグチエンザ(曵田原 宏・作) 4’46”
④ 形(菊池寛・作)         6’44”

でした。全体では28’55”の上演でした。

前日には4時間かけて35作品ほどをラインナップしておきました。
当日朗読を聴いてくださるご利用者さんの顔触れや雰囲気の気配を見て、
あるいはどのようなお話がお望みかのリクエストを募って行うか…というバージョンも考えておきました。

今日の成り行きでどの作品を選ぶかどの順序で全体を構成するか『即決』しました。
当初3作品で朗読タイムをまとめようと思っていたのですが、あと1分で終わりという時、
後から新たにお一人仲間入りされた方がありましたので急遽4つ目の作品を朗読しました。
おかげさまで好評をいただき「次回も聴かせてね」と再演のご希望も得ました。

やぶしたのよんちゃん(次男坊からすの恩返し その4)

2019-06-24 23:34:29 | 介護あれこれ
やぶしたのよんちゃん(次男坊からすの恩返し その4)




私の母は昭和2年生まれ、昨日で満92歳、立て板に水のごとき多弁な人ではありません。
どちらかというと言葉数の少ない母です。母は8人兄弟の6番目です。
一方私の父(故人・大正12年生まれ享年66歳)は7人兄弟の6番目。

今回は先週母から聴き取った話をまとめてみます。
母の思い出話から察するに、私は母の父(私にとっては祖父)に抱かれたことはあったようですが
赤ちゃんだった当時の私に記憶としてくっきりと残っているようなエピソードはありません。

母の思い出話には圧倒的に父(祖父)の残像がたびたび出てきます。
母の母(私にとっては祖母)の思い出はほとんど語られません。
私の母は『父親っ子』だったのかもしれません。
女親(祖母)は女親で家計のやりくりやら何やかやで裏方のすべてを一手に引き受け
子育ての前面に出て来られるような暇がなかったのかもしれません。

私の母は6番目の子どもであったわけですから、父(祖父)にしてみれば子どもたちに対しても
既に子育ての経験智の豊かな父親の接し方をしていたのだろうと思います。

太平洋戦争勃発前のテレビなんかない時代です。
よく囲炉裏端に子どもたちが4~6人並んで座っちゃあ、祖父からいろいろな話を
面白おかしく聴くというのが当時の毎夜の楽しみだったようです。

祖父からは『子供は叱るもんじゃあない。よおく言って聞かせて諭すもんだ』という哲学が
口癖のように何度も語られていたようです。
この育児姿勢は私の母にも受け継がれ基本的な子育てのポリシーの骨格をなしていて
私もそのように育てられたと思います。
この口癖「子供は叱るものじゃあない。よおく言って聞かせて諭すもんだ」は私の母の育児姿勢に
土着的な感覚として継承されていたと思います。

介護のバイトの勤務が休みの毎週水木の二日間(実質的には火曜日の夜から木曜日の昼過ぎまで)、
私は実家に帰って母の話に耳を傾けます。いわゆる傾聴のようなひと時です。
「傾聴」とは、カウンセリングやコーチングにおけるコミュニケーションスキルの一つです。
母の話をただ聞くのではなく、注意を払って、より深く、丁寧に耳を傾けること。
自分の訊きたいことのみを優先して訊くのではなく、母が話したい話題を誘い出し・拾い出し、
母が伝えたいことを、受容的・共感的な態度で真摯に“聴く”ひとときです。
何しろ朴訥の語り手の母ですから聴き取るのにはえらく暇がかかります。
聴きながら頭の中では話の断片の編集を試みることで、母の人生の丸ごと理解を深めると同時に、
祖父から母に、母から、私に伝承されてきているであろう『子育て哲学のDNAの実態』を
掴み取ろうとスリリングに傾聴しています。

さて「やぶしたのよんちゃん」のおはなしです『よんちゃん』とは『米蔵』さんの愛称。
私の祖父が近所の人々からこのような愛称で呼ばれていたようです。
何より興味深いのはこの話を私(65歳)は母(92歳)から初めて聴き取ったおはなしなのです。
祖父は人の話をじっくりと聴き留める能力にたけた人だったようです。
いろいろ困りごとやら心配事や相談事などあるたびに村人が訪ねてきたようです。
それだけ人望も厚かったのでしょう。
祖父の家の近所に子どものいない一組の夫婦があり、頻繁に夫婦喧嘩をしたそうです。
その夫婦は喧嘩になると
「どっちのほうが悪いか、いっぺんやぶしたのよんちゃんの家に行って聞いてもらうべえ」
と出かけてきたそうです。祖父は是々非々で対応していたようです。

遅まきながら「鶴の恩返し」ならぬ「カラスの恩返し」の始めの一歩です

2019-05-30 19:51:50 | 介護あれこれ
遅まきながら「鶴の恩返し」ならぬ「カラスの恩返し」のはじめの一歩です


木下順二さんの「鶴の恩返し」という作品がありますが、
ばぶさんの「(次男坊)カラスの恩返し」のはじめの一歩踏み出しました。
私は3人兄妹の真ん中で2歳年上の兄(故人・享年47歳)と3歳年下の妹がおります。
社会人になった時から「次男坊ガラス」のお気楽で自由に気ままに
やりたいことを見つけ、やりたいように生きてきました。
29年前父(享年66歳)亡き後、母の面倒は妹夫婦が見てくれているものですから
それに甘えて私はお気楽の自由気ままを決め込んで相も変わらず
好きなことを好きなようにやり続けてきました。

…が、ここ一二年で特に状況が大きく変わってきました。

一昨年には自分自身が脳卒中(脳内出血)を経験したこと、
去年9月に私自身も「高齢者」の仲間入りとなったこと、
転職し保育の仕事にピリオドを打ち、「老々介護」の彼方を見据え、
志も新たに、都立の職業能力開発センターで介護の勉強をし、
卒業の後、4月中旬よりデイサービスセンターの介護スタッフとなり、
後期高齢者の方々の自立支援のお手伝いをするようになりつつも、
肝心の実母に対しては何にもしてきていなかったじゃないかと猛省。
今年92歳になる母が最近だいぶ弱くなって妹の負担が富に増している実情。
母への感謝と今まで介護をし続けてくれた実妹の労力に報いなくてはと一念発起です。
「鶴の恩返し」ならぬ「カラスの恩返し」のはじめの一歩踏み出しました。