“わがふるさと” 2005年10月06日 01時32分51秒 | 春夏秋冬 例年よりやや遅れた春の訪れとともに、渓谷一帯はブナやカエデなど、広葉樹の 淡い緑がまぶしい。切り立った壁面から、みずみずしい若葉をいっぱいに広げた 木々は、太陽の光をいっぱいあびていた。 初夏の青空に浮かぶ河原湯橋の赤も、美しいコントラストを描く。背後に連なる 奥羽の山々も、緑を増していった。 そして静かに季節は変わり山一面が赤いじゅうたんに変わる。 エメラルド色に輝く須川湖、さわやかな風に奥深い秋を感じる。 ここに初めてカミさんと二人だけで遊びに行きました。 でっかい爆弾おにぎりをもって。 もしかして続く。 ここで一句 「夕焼けに 思わず歌った 赤とんぼ 理解できたは 13の秋」 « “どんぐりころころ” | トップ | 今日は、超忙しいです。 »
21 コメント(10/1 コメント投稿終了予定) コメント日が 古い順 | 新しい順 赤とんぼ (scoppu) 2005-10-06 07:30:15 解説すると、どんな意味ですか? 返信する 童謡について (ニッキ) 2005-10-06 08:34:38 有名な童謡「赤とんぼ」の歌詞は、「夕焼け小焼けの赤とんぼ、負われてみたのはいつの日か」秋の夕陽に照らされながら夢中になって赤とんぼを追っかける、「こども達」を歌ったものと思っていました。つまり、こういうことだと思います。「おしん」の世界を見ればなるほどと思います。「負う」…つまり「おんぶされたのはいつの日か」と言うことです。昔はお姉ちゃんが、弟または妹を子守りするのは当たり前でした。その、子守りされていた子供が、歩けるようになって赤とんぼを見たときお姉ちゃんの背中で赤とんぼを見た頃を懐かしく思い出したと解釈しています。また「ふるさと」の歌詞は「うさぎ追いしかの山、こぶな釣りしかの川」ですが、うさぎをおいしく食べる歌ではありません。山では、冬には「うさび追い」でうさぎを獲って食べる習慣があります。「うさぎ汁」じゃありませんが、私が子供の頃の「ふるさと」は『うさぎ~美味しい~かの山』と歌っていたので恥かしい限りです。からすを歌った「七つの子」も、子供達は正確に理解して、歌っているのは少ないと思います。七才のカラスの子なのか、七羽のカラスの子なのか?中学になって初めて童謡がわかったということを詠んだ一句です。今朝、質問されて、「童謡」の意味が解らず「動揺」しています。 返信する おひさです^^ (介護人たま) 2005-10-06 10:09:10 奥様と二人で、こんな素敵な場所へピクニック…う、うらやましいです…。ところでうちの祖母は、山ほど童謡が歌えても、意味はわかっていないのが多いみたい…(病気の性質のせいもあるのだろうけど、かわいいです) 返信する Re,おひさです^^ (ニッキ) 2005-10-06 12:42:54 >ところでうちの祖母は、山ほど童謡が歌えても、>意味はわかっていないのが多いみたい…病気の為でもなく理解するには無理な歌がありあます。大人でも正確に理解している人も少ないと思います。 返信する へぇ~ (Mondo) 2005-10-06 13:34:34 『負う』なんですね。『追う』だと思ってました。『赤とんぼに追われた』=『赤とんぼにおっかけられた』と、解釈してましたよ(笑)よくよく考えると変な話ですよね。『どんぐりころころ』といい・・・よくご存知ですよね。一体 その知識はどこで仕入れているのですか? 返信する Re,へぇ~ (ニッキ) 2005-10-06 15:13:50 童謡には不思議な歌詞があります。なぜか、もの悲しくなるような感じがします。七つの子も、七才の子が正しいと記述してますが、疑問が残ります。七才のカラスは成鳥なんです。りっぱな親鳥です、作者は両方ねらったのかも知れません。あるいは人間の年齢に置き換えて歌えばつじつまがあいます。>一体 その知識はどこで仕入れているのですか?ただ、物好きなだけです。学がないので疑問に思うことはときどきメモして後で調べてはいます。 返信する 赤とんぼは (chieri) 2005-10-07 09:31:58 旋律もキレイですよね。写真のような場所でとんぼを見てみたいです。 返信する Re,赤とんぼは (ニッキ) 2005-10-07 18:09:25 >旋律もキレイですよね。このメロディーの中に、悲しさが感じられます。上2枚は7月です、下は秋ですが残念ながら赤とんぼはいませんでした。私の子供の頃は赤とんぼのことを「あけず」と読んでいました。正確には「秋津」あきづと言うみたいです。 返信する 本記事より (とんちかん) 2005-10-10 22:38:32 童謡のほうがにぎわっていますね。改めて歌詞を見るとそうですね。別に記事にすればいいのに、たとえば「おとぎ話」のシリーズとか面白いと思うのですが。 返信する Re,本記事より (ニッキ) 2005-10-11 00:14:53 そうなんだよなぁ。>別に記事にすればいいのに、たとえば「おとぎ話」のシリーズとか面白いと思うのですが。そうだ、桃太郎なんか面白い記事になりそうです。 返信する 自転車で (ぢぞう) 2005-10-21 11:01:30 19日に「わがふるさと」にお邪魔しておりました。栗駒山荘周辺の紅葉は、まさに絶景でございました。国道398号の新道は、もうあと一歩で開通ですねぇ。帰りに皆瀬に新しく出来た蕎麦屋さんに寄りました。私の他には客が誰もいませんでしたが、ぜひ元気に頑張ってもらいたいナァと思いました。 返信する Re,自転車で (ニッキ) 2005-10-21 11:10:52 じつは、まだ行ったことがないのです。話には聞いていました。カミさんの実家が引越しして、このにいます。そのうちに食べにいきます。栗駒周辺は絶景だと思います。 返信する とんぼのことですが… (通りすがり) 2005-11-13 00:11:28 トンボの古語はあけずです。このことばは東北や沖縄には今なお残っているようですよ。あきずって言うのは多分当て字でしょうね。本来は蜻蛉(あけず)のはずですよ。 返信する Re,とんぼのことですが… (ニッキ) 2005-11-13 02:47:09 通りすがりさんこんばんは。どちらも正解だと思います。コメントするときに実は迷いました。私の持ってる辞書にはとんぼの古いよび方に「秋津」あきつと載っていました。gooで検索してみてら、通りすがりさんのご指摘の通りに出てきました。蜻蛉(あけず)ででてきました。ためしにGoogleで「秋津」を検索しても出てきます。今手元にある、(株)日本文芸社発行の現代国語辞典には載っていませんでした。とんぼ(蜻蛉)と載っていました。通りすがりさん、ご訪問いただきありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたします。 返信する Unknown (通りすがり) 2005-11-13 10:19:10 考えてみたら、昔の言葉は音に字を適当に当てますから漢字はさほど重要でもないのですよね…。たしかに「あきず」、「あけず」どちらも正解と思われますね。 返信する Unknown (通りすがり) 2005-11-13 10:24:10 そんなことを書いてから、こんなのも見つけました。「秋津」で「あけず」と読んでいるのですね…。http://www.hyakuchomori.co.jp/benricho/ayashi/pages/9910.html 返信する Unknown (通りすがり) 2005-11-13 10:30:30 すみません。もう一ついいでしょうか。実は赤とんぼの詩の解釈なんですけど、背負われて見たのは「ねえや」の背中です。実は姉のことはねえやとは呼びません。じいや、ばあやと同じく他人です。昔の子供は幼くしてよその裕福な家に働きに出かけていました。女の子の仕事はたいてい子守と相場が決まっていたようですね。 返信する Unknown (通りすがり) 2005-11-13 11:23:01 良いのがありましたよ^^http://www5f.biglobe.ne.jp/~futakoz/versoj/v-douyou/akatombo.htm 返信する 通りすがりさんへ (ニッキ) 2005-11-13 22:49:09 自分の姉ではないと言うのに、おさとのたよりが引っかかりました。 >この歌でよく問題にされるのは3番です。「ねえや」は大家(たいけ)に雇われて、>その家の幼い子どもたちの面倒を見たり、炊事の手伝いなどをした年若な女中です。>他人である女中が嫁にいってしまったら、なぜおさと(実家)のようすが>わからなくなってしまったのか……その理由がわからないというのです。>この解釈をめぐって、これまでいろいろ意見が交わされてきました。>たとえば、おさとはねえやの実家だという解釈があります。たしかに、>子どもがねえやを慕っていた場合、ねえやの実家と交流があったというのは、>そう珍しくないケースでした。じつは私がこの体験をしています。私は5人兄弟の真ん中でした。上の姉は5歳の時病死しました。私の生まれるまえです。すぐ上の姉は内のある家で生活していました。私は隣の姉ちゃんに小学校に入るまで子守りをしてもらっていました。私には祖父祖母がいなかったので、両親は貧しくて働かなければならなかったのでした。また、子供は地域のものという暗黙の了解みたいなことが感じられる所でした。下の弟妹は私達が子守りできるようになり、どこにも預けないでそだちました。だが、ある日弟がヤケドしました、熱湯をあびてしまったのです。これは両親が悪いわけどもなく、姉と私が悪いわけではないともいえません。10年前に一緒に風呂に入った時悪いことしたなぁ、思い出しました。弟は恨んではいません。あれ、変なこと書いちゃった。この「赤とんぼ」には小さい頃の思い出が蘇えってきます。まいっか。 返信する 記録的な大雪で (shoegirl) 2005-12-19 01:16:35 この写真の景色も、今日はどんな雪模様を見せているのでしょうか。もう人間の力の及ぶ場所では無い感じなのでしょうね。 返信する Re,記録的な大雪で (ニッキ) 2005-12-19 08:51:24 >この写真の景色も、この写真の場所にはいま行く事が出来ません。雪おろしツアーを参照して、こんな状態だと思います。http://blog.goo.ne.jp/b-blog/e/f094275c603b12002082c352ca39ba6e雪国の宿命でしょうか?そのお陰でスキー場はにぎわっていると思います。 返信する コメントをもっと見る 規約違反等の連絡
「夕焼け小焼けの赤とんぼ、負われてみたのはいつの日か」
秋の夕陽に照らされながら夢中になって赤とんぼを追っかける、
「こども達」を歌ったものと思っていました。
つまり、こういうことだと思います。
「おしん」の世界を見ればなるほどと思います。
「負う」…つまり「おんぶされたのはいつの日か」と言うことです。
昔はお姉ちゃんが、弟または妹を子守りするのは当たり前でした。
その、子守りされていた子供が、
歩けるようになって赤とんぼを見たとき
お姉ちゃんの背中で赤とんぼを見た頃を懐かしく
思い出したと解釈しています。
また「ふるさと」の歌詞は
「うさぎ追いしかの山、こぶな釣りしかの川」ですが、
うさぎをおいしく食べる歌ではありません。
山では、冬には「うさび追い」でうさぎを獲って食べる習慣があります。
「うさぎ汁」じゃありませんが、私が子供の頃の「ふるさと」は
『うさぎ~美味しい~かの山』と歌っていたので恥かしい限りです。
からすを歌った「七つの子」も、子供達は正確に理解して、
歌っているのは少ないと思います。
七才のカラスの子なのか、七羽のカラスの子なのか?
中学になって初めて童謡がわかったということを詠んだ一句です。
今朝、質問されて、「童謡」の意味が解らず「動揺」しています。
う、うらやましいです…。
ところでうちの祖母は、山ほど童謡が歌えても、意味はわかっていないのが多いみたい…
(病気の性質のせいもあるのだろうけど、かわいいです)
>意味はわかっていないのが多いみたい…
病気の為でもなく理解するには無理な歌がありあます。
大人でも正確に理解している人も少ないと思います。
『追う』だと思ってました。
『赤とんぼに追われた』=『赤とんぼにおっかけられた』
と、解釈してましたよ(笑)
よくよく考えると変な話ですよね。
『どんぐりころころ』といい・・・
よくご存知ですよね。
一体 その知識はどこで仕入れているのですか?
なぜか、もの悲しくなるような感じがします。
七つの子も、七才の子が正しいと記述してますが、
疑問が残ります。七才のカラスは成鳥なんです。
りっぱな親鳥です、作者は両方ねらったのかも
知れません。あるいは人間の年齢に置き換えて
歌えばつじつまがあいます。
>一体 その知識はどこで仕入れているのですか?
ただ、物好きなだけです。学がないので疑問に思う
ことはときどきメモして後で調べてはいます。
写真のような場所でとんぼを見てみたいです。
このメロディーの中に、悲しさが感じられます。
上2枚は7月です、下は秋ですが残念ながら
赤とんぼはいませんでした。
私の子供の頃は赤とんぼのことを
「あけず」と読んでいました。
正確には「秋津」あきづと言うみたいです。
改めて歌詞を見るとそうですね。
別に記事にすればいいのに、たとえば「おとぎ話」
のシリーズとか面白いと思うのですが。
>別に記事にすればいいのに、たとえば「おとぎ話」
のシリーズとか面白いと思うのですが。
そうだ、桃太郎なんか面白い記事になりそうです。