夏への扉、再びーー日々の泡

甲南大学文学部教授、日本中世文学専攻、田中貴子です。ブログ再開しました。

サバティカル日記(四月はまるで新入生)

2012年05月08日 | Weblog
 某日。研修先の大学に向かい、受け入れてくださるO教授に連れられて関係各所にご挨拶し、念願の図書館を案内していただく。図書館は、以前、建て替え前にお邪魔して『渓嵐拾葉集』の善本を見せていただいたことがあるが、新築なった図書館はとても美しく、しかもゆったりとしている(以前の建物では、貴重書室を開けると鳩が凍死していたこともあった由)。K南大が「負けてる・・・」と思ったのは、この図書館の規模だけではない。女子トイレがすべてウオシュレットになっているのだ。学生サービスをするならこうだろう、と思うことしきり。
 なぜかO先生が医務室へもご案内くださるので「?」と思いつつついてゆくと、本を見すぎ
て倒れそうになったらここにベッドがあるから、との配慮であった。これはきっと、過去にサバティカルに来た誰かがほんまに倒れたことがあったからだろう。真相は知らず。倒れるほどの量の蔵書であることを知るのは、もう少し先のことなのだったが。

 某日。週に三日ほど研修先の図書館に通い、あと一日はほかの場所に資料を見にゆき、一日は博物館や美術館、あるいは映画演劇等を見る日にする、というスケジュールがほぼ固まりつつある。しかし、翌日さしたる予定がない、という毎日であると、しばしば夜中にごそごそ調べものをするくせがつき、必然的に早朝はつらい、という悪循環にはまりもする。本格的に行動するのは午後というパターンになりそうだ。朝はゾンビが墓場から立ち上がるようにして起きることしかできないのがいつもの私なので、午前中は午後からの仕事の準備するくらいしか無理である。午前中に執筆できる人がうらやましいし、自分がすこぶる効率の悪いことをしているのは承知なのだが・・・。
 10年ほど前、書下ろしをしていた夏休み、7時に起床して8時半から12時まで執筆に励んだのはよかったものの、午後はぐったりして使い物にならなかったことがあった。これなら、午後に仕事しても分量は同じだと割り切ったほうがよいかもしれない。
 案外時間があるようでいて、映画演劇等にゆく余裕がないのが想定外。一つのことに集中すると誰も止めてくれないのがよくないらしい。はじめから飛ばすのはやめようと思う。

 某日。きなこが不満をもらすので、自宅にいて完全休息する日を設ける。きなこは、私が読んでいる本があると近寄ってきて、すきをついてその上に乗って自分に注意を向けようとするので、新聞はくしゃくしゃ、本は毛だらけ。猫は昔、本やら経典を守っていたんやろうが、うちでは本はあまりに各所に散らばっているので、きなこはそれが貴重なものだと認識していないようだ。よく、附箋をかじって遊んでいるのだが、そのため附箋をどこにつけたのかわからなくなる。
 仕方なく、きなこの気をそらすために粉末のまたたびを購入したら、「緑茶フラボノイドが入ってお口さわやか」という製品だった。匂いを嗅いだきなこの鼻に、深緑色の粉末がついていた。これ、白い猫だったらとれないよねえ・・・。

 某日。メモ代わりに使うデジカメの具合が悪くなったので、寺町にゆく。ヨドバシなどの大手に押されて、かつての電気街に残るはミドリ電機のみ。電球やらを買うのにはここが一番近いのだ。デジカメの新製品を見ていると、「メイクが出来る」というものがあった。これは、後で写真に口紅やアイシャドウを付ける加工が簡単に出来るという製品らしい。勝手に顔を認識して好みの色を施せるというので、店員さんに「猫の顔にもメイクできますか?」と尋ねると困っていた。カメラが何をもって「顔」と認識するのか、興味がある。
 結局、ニコンのお手軽なものにした。それでも、文書の字くらいはきれいに映る。説明書を読んでいると、ペットモードというのにすれば、犬猫の顔にピントがあったらシャッターが切れる、というので早速やってみる。きなこの連写の一枚が、今日の写真です。どう?こののびのび加減は。

 某日。某懇親会に出席し、そこで久しぶりに出会ったNさんと泉湧寺と東福寺の特別公開へ。このときの模様はツイッターに書いたので省略。誰かが、「弁円さんの顔は、どこかの大学のお坊さん教授にいそうな感じ」といっていたが、まさに、七条大宮の交差点で出会いそうなお顔である。

 某日。ずっと放置していた、五木寛之の『親鸞 激動編』の下巻を読む。本当はちょっとバカにしていて読まなかったのだが、激動編はほぼフィクションで、往年の五木寛之が書いていた伝奇ふうの小説の味わいがあった。『風の王国』や『日の影村の一族』とかね。体制に与しない人々への共感は『親鸞』にも続いているようだ。しかし、関東に赴いた親鸞を陥れようとする黒面法師が「黒念仏」という黒ミサみたいな儀式をする場面では思わずのけぞった。「南無阿弥陀仏」ではなく「南無闇陀仏」と唱えるところなど、『日の影村の一族』の「てんてるぼうず」という謎の言葉と双璧のではないか。(「てんてるぼうず」というのは、「天照」(アマテラス)の子孫を「亡ず」(滅亡させる)という意味)。
 五木さん、もっとこんなの書いてください。

 某日。研究上のつぶやきはツイッターで書いてしまったので、どうにもつまらない四月の日記となった。この月は、書庫で迷ったり、書架で頭を打ったり(天井が低いのだ)、新入生気分満喫であった。動きやすいような格好ばかりしているので洋服を楽しむ気分にならないのが、これまた新鮮。

最新の画像もっと見る