夏への扉、再びーー日々の泡

甲南大学文学部教授、日本中世文学専攻、田中貴子です。ブログ再開しました。

猫カフェならぬ・・・

2009年02月28日 | Weblog
 とうとう二月も終わりの日になった。例年、なぜかこの日に締め切りということが多く、徹夜明けばかりだったのだが、今年はやや穏やかである。嬉しいことに土曜日に当たっており、この日に送っても誰もいないだろうから、月曜日まで延びる、と勝手に理解しているのだ。

 さて、ちょっと思ったことがあるので、少し書いておく(いささか書きつく)。
昨日の夕方、食事しながらTVの地方ニュースを見ていたら、京都にも話題の猫カフェが登場、といった特集があった。
 猫カフェというのをご存じない方に、念のため解説すると、これはお茶やコーヒーを飲みながら(あるいはとくに注文しなくてもいいところもあるようだ)、たくさんの放し飼いにされた猫と自由にたわむれることの出来るカフェのことである。猫と暮らしたくても事情が許さない人などに人気であり、いわゆる「いやし」の場として各地に生まれている(この「いやし」ということばは嫌いだ。「いやしい」に似ているし。そもそも、猫は人間を一方的にいやしたりしません)。
 私も、二年くらい前、猫好きの友人と二人で大阪に買い物に行ったとき、とある猫カフェをたずねてみたことがある。マンションの、いささか狭い一室の一部屋がアクリル板で区切られており、荷物を預け、手を消毒してから入る。猫がかなりの数、勝手な行動をとっている。それを触るのはいいのだが、ごはんやおやつを与えるのは禁じられていた。
 昼間だったので、ほとんどの猫は思い思いの場所で就寝中。元気な若い猫がお相手してくれる。聞けばすべてが純血種というが、人には馴れている。
 そこで気づいたのだが、友人と私とでは猫の好みが正反対ということだ。彼女は鼻筋が通ったすらり型が、私は鼻ぺちゃで丸い顔のややぽっちゃり目が好きらしい。従って、猫のとりあいということが起こらなかったのである。
 お茶代(入場料)は一時間600円だった。二人とも自宅に猫がいるにもかかわらずこういうところに来るのはおかしいね、と話し合ったが、

 これって、所帯を持っている男性がキャバクラに行くのと似てない?

ということになった。精神的な浮気である(ただし、猫の「おさわり」あり)。好みの子がいると、ひいきしたくなる。アフターは出来ないけど。

 元に戻って、伏見の猫カフェであるが、ここも似たようなつくり。だが、私が思わず、

  これは・・・

と目を皿にしたのは、ガラス張りのキャットウオークがお客さんの頭上にあり、下から猫の姿態が眺められるということだった。ガラスにぺったんと押しつけられた猫たちのお尻や肉球がじっくり「鑑賞」できる。
 またしても、はた、と膝を打った。

 これは猫のノーパン喫茶である。

 ノーパン喫茶というのは、かつて話題をさらったソフトな風俗産業である。パンツをはいていないウエイトレスが、鏡張りの床の上を歩くと、お客さんの視線は下方へ釘付けというあんばい。この発祥が関西であることは確認されているようだが、井上章一氏によるとどうも京都らしい。えげつない商売は大阪、というイメージがあるので、大阪発祥と誤解している人が多い、という。
 そんなにまでして他人の女子のスカートの中が見たいのか、とも思うが、盗撮などということが出来ない時代の、いってみればのどかで滑稽な風景だった。
 ふだん見ることの難しい猫のお尻や肉球をじっと見上げるお客たちの目は、あのときの男たちに酷似しているように思えた。
 そういえば、猫カフェだって猫に危害を加えるようなことさえしなければ「おさわり」自由、見るのも自由、だっこも出来る、というのだから、キャバクラに似ていないことはない。
 
 『小悪魔ageneko』

なんていう雑誌が出来たりして。

 「ageneko嬢のアイラインはぐっと太く・黒く」

といった特集に、ペルシャ猫が登場して技能を指導するとかね。

 ちなみに、内地のキャバクラは「おさわり」禁止が普通らしいが、札幌では許されているということを、北海道警察署を舞台とした佐々木穣氏の小説で知った。ならば、猫カフェは札幌風・猫キャバクラである。たしかに、猫はそのやわらかな肢体と毛皮の触感を愛でてこそ、であろう。
 次に出来るのは、もしかすると、男子猫ばかり集めた女性客限定の、

 猫ホストクラブ

だろうか。
 うちのきなこのような、人見知りせず、人なつこく、馬鹿なようでカシコイところもあり、「ブサカワ」といわれつつも「その手の顔」が好きな人にはたまらない、という男子なら、きっと毎月ナンバーワンを張れる、かな?
 おさわり自由だし、膝にも乗るよ。お話だって出来る。アイコンタクトは女子心をとろかす大きな目で・・・。
 大学が不況で倒れて失職したら、猫ホストクラブやろうかな(ま、冗談。しかし、大学教師が失職することを考えねばならないご時世なのである)。

 「ドンペリピンク、いただきました~」

ではなく、猫のために客がいろいろご馳走を頼んでやるのだ。
 でも、色恋営業はなしである。だって、きなこはもうすぐ去勢手術をするんだから。あ、永遠の少年になったら、BL好きにもてるかも。

 少し余裕が出来ると、アホなことばっかり考える、春近い日。
 くりこは床暖房の上で伸びている。きなこは、ボール遊び。
 ああ、そろそろ仕事しよう、っと。

きなこのきょうだい、続々登場

2009年02月15日 | Weblog
 二月は、私学の教員にとって「地獄の季節」である。二月初旬から入学試験とその業務があり、休みナシ。続いて卒業論文と修士論文の査読と口頭試問、大学院の後期入試、その他会議たくさん、と、例年のことながら疲弊の極地である。大学は研究と授業だけしてればいい、などと思っている人は、まだ意識が明治時代にとどまっているといってよい。
 ほぼ蟹工船、あるいは自衛隊の強化合宿のような日々で、今年は甚だしく体調をくずしてしまった。そのあいまに原稿を書く。お給料が保証されていることのありがたさはもちろんあるが、お給料でさえ今後どうなるかわからない。ポスドクや非常勤でつないでいる方々は、専任にさえなれば何か変わると淡い期待を抱いているかもしれないが、専任とて現状は厳しいよ。
 で、今、はなはだしく人間嫌いの状態である。「人あたり」したという感じであろうか。もともと、私はあまり人がたくさんいる場所は苦手で、近年はパニック障害も持病となったので、人混みや満員電車は避けている。
 こういったときに、力になってくれるのが猫たちである。なにしろ、猫との同居は幼稚園生以来四十年以上に及ぶので、なまじ人間よりやすらぐ。猫が必ずしも「癒し」(この言葉は好きではないが)のためにだけ存在するのではないにしても、愛玩動物として人間が無理矢理改造してしまった彼らは、それなりのケアと、人間社会における役割があるはずだ。
 もちろん、私にとっては友であり、家族であり、子どもである。
 ところで、きなことともに育ったトトくん(ブルーのエキゾチック)のおとうさんのブログを見ていたら、共通の父親(猫のね)を持つ猫さんの家族のかき込みが見つかった。そして、あの写真集出しまくりの「めめ」ちゃんも、きなこと父を同じうしている。
 ということで、今回は裁判員制度について書こうと思ったのだが、力が続かないので、きなこの最新映像を公開してお茶を濁すことにした。ただし、このブログは私の身辺雑記なので、きなこやくりこの動向を写真でお伝えすることはめったにないことを付け加えておきます。