夏への扉、再びーー日々の泡

甲南大学文学部教授、日本中世文学専攻、田中貴子です。ブログ再開しました。

年末・年始のご挨拶

2009年12月31日 | Weblog
この一年、ブログをご愛読くださったみなさまに御礼を申し上げますとともに、

お年賀状は失礼しますので、これにて年始のご挨拶に代えさせていただきます。

思えば2009年はいろいろなことがありましたが、いつもくりこときなこに助けられ

てきました。彼らの待つ家に帰ること、また、彼らとともに休日をすごすことが

どんなに大切なことであるか、痛感した一年でもありました。

2009年の御礼とともに、2010年もどうぞくり・きな、そして私をよろしくお願い

申し上げます。

*写真は、布団カバーを洗濯しようとはがした直後の風景です。くりこはいつも

お布団で寝ていますが、きなこがそっとやってきて至近距離で寝ていました。く

ちゃくちゃのお布団で恐縮ですが、二人が2010年も元気ですごせるよう祈る私で

す。それにしても、きなこ、大きくなりました。

いわゆる「立川流」を使った小説

2009年12月25日 | Weblog
 このブログで松本清張の『密宗律仙教』といわゆる「立川流」について述べたが、その後、知り合いの同志社大学院生Kくんから、司馬遼太郎にも「立川流」を扱った小説があることを教えてもらったので報告しておく。
 それは、『最後の伊賀者』(講談社文庫)に入っている「伊賀者」という小説。私は司馬遼太郎があまり好きではないのでまったく知らなかったが、筒井順慶などの出てくる、やや山田風太郎を思わせるような筋立てであった。Kくんによると、この小説の初出は不明だが、元本の出版年から1963年1月から6月頃ではないか、とのことだった。司馬が何をもとにしてこれを書いたのか、興味があるが今のところわからない。

 さて、最近文庫化された朝松健『ぬばたま一休』(朝日文庫、2009年)にも「一休髑髏」という「立川流」を題材とした短編が入っていた。朝松健は、推理作家協会賞短編部門候補となった『東山殿御庭』という短編集を読んだことがあったので、時代推理専門かと思い込んでいたが、本文庫の解説で百冊もの著作があることを初めて知った。一休と森女とが探偵役となる伝奇小説も多いようである。
 「一休髑髏」は、一休宗純が髑髏を杖にかけて大路を歩いた、という例の話をもとにしており、その髑髏が「立川流」の本尊として使われたものとして新しく小説化したものである。黒々とした髑髏は、「和合水」が塗り重ねられ、その上に漆で曼荼羅が描かれていたため。この髑髏の持ち主の九条家の姫の怨念譚となっており、室町の怪異世界を描いている。
 もちろん、一休の時代まで「立川流」が生き残っていたのかは疑問であるし、色々な人間の語りで構成された短い小説なので、やや夢枕獏ふうの軽い感じになっているのは私の好みではなかった。
 ただ、室町時代を舞台とする小説は最近下火になっているので、異色の作品として迎えられるのではないかと思う。なお、一休が探偵役をする推理小説には、ほかに鯨統一郎の『金閣に密室』がある。これは幼少期の「とんち一休」が登場する。

 ほかに「立川流」を使った小説を思い出した。京極夏彦の『狂骨の夢』である。これは大幅増補された文庫になっているが、私が読んだのはノベルス版の方である。いつもの京極堂が出てくるものだが、謎の一つが、海に連日人の頭が浮かぶのだが、それが最初は白骨、次ぎは金色の髑髏、そして生首、と、次第に「肉がついてくる」というものなのである。もちろん、金色髑髏は「立川流」の本尊であり、それが謎解明の鍵ともなっているが、「立川流」を知っている人間にとってはごく初めに筋が読めてしまい、犯人が当てやすいと思われた。増補版の方はそこが改定されているのかもしれないが、改めて読む気力がないのでそのままになっている。

 髑髏とか白骨といったものは、猟奇的な興味をかきたてるせいかよく小説に使われるが、「立川流」はそうした「あやしさ」を象徴するものとして時代小説にぴったりであると思われがちなのだろう。しかし、「立川流」は「いわゆる」という枕詞をつけないといけない名称であることは再三言っている通りであり、かつ、安易な「邪教」呼ばわりをすることも今後は戒められるべきだと思う。「邪教」なら、「隠し念仏」(「隠れ念仏」とは別のもので、五木寛之が昔書いていたことがあると記憶する)などほかにも題材は多いのに、なにゆえ「立川流」のみがもてはやされるのか。創作と研究との間にある溝を垣間見る思いがする。

悩めるきなこ?

2009年12月23日 | Weblog
 きなこ、エキゾなのにそんなに「しわ」が気になるか?

 君のしわを伸ばしたら、エキゾでなくなるよ。

 「・・・ママ、こんな雑誌買ってるのが悪い」ときなこ。

 だって、「しわのばしテープ」がおまけについてたんだもん。
 
 あんまりうまく貼れなかったけどね。君は真似しないように

西教寺調査の思い出

2009年12月22日 | Weblog
 今月二日、伊藤正義先生がお亡くなりになりました。余りに急なご逝去でした。

先生は二十数年前、まだ大学院生の頃から大阪で行われていた中世文学研究

会や近江西教寺の悉皆調査に参加させていただき、以後も博士論文審査まで

とてもお世話になった方ですので、私の恩師と呼ばせていただいてもかまわ

ないでしょう。二十七日に「偲ぶ会」が神戸でありますが、先生のお仕事に

ついてはこれから顕彰されると思いますので、多くを語ることはしません。

 そこで、ここではおそらく1987年か88年だと思われる、恒例の西教寺調査

の記念写真を載せておくことにしました。ご遺族や、いっしょに写っている

方々の了解をとらずに載せるのは失礼かと思いましたが、すでに記念的写真

となっていると思われましたので、あえて掲出しましたことをご理解いただ

きたく思います。

 西教寺の悉皆調査は、私が参加してからも若い人が増え、結局十二年以上

続いたと記憶しています。いつも八月のはじめ、二泊三日で行われました。

この写真は、調査がすんでほっとした出席者がお寺の境内でくつろいでいると

きに写してもらったものです。蜩の声がカナカナカナ・・・と響き、それを

聞くと「今年も無事調査がすんだなあ」という気分になったものです。その後、

年によっては阿部泰郎さんの手配で近江のお寺や仏像見学のエクスカーション

に行きました。生の資料を拝見でき、実地で学ぶのは今思い出しても楽しく

てなりませんでした。

 一日の調査を終えて宿に帰ると、すき焼きを囲んでの飲み会が始まります。

その後も飲み会は延々続き、お酒がなくなったからといってみなで宿を抜け出

し、もう閉まっている地元の酒屋の戸を叩いたりしました。また、布団を敷い

た部屋で男性陣が「鯖折り」の実演をしたり、されたり、本当に全員が若かっ

た時代でした。もちろん、そんな「百鬼夜行」の所行に伊藤先生は加わること

なく、すき焼き宴会が終わると琵琶湖ホテルに戻って行かれました。

 先生は煙草を好まれ、調査中にときどき縁側に腰掛けて紫煙をくゆらせてお

られました。そしてたまに横に座ってお茶などで一服している人がいると、ぽ

つりと各自の研究について意見をおっしゃていました。貴重な時間でした。

 伊藤先生について語るとあまりに長くなりますので、今では大御所や中堅

になって活躍している研究者たちが若かった頃、伊藤先生を慕って集まって

いたことを写真でごらんいただき、先生のことを偲ぶよすがとしたいと思い

ます。


{中世文学研究者がこれほど揃った写真は、一種の歴史でもあると思います
ので、お名前をあげておきます。無許可ですみません}

後列左から(敬称略、所属は現在のもの)
牧野和夫(実践女子大学)、廣田哲通(元大阪女子大学)、小林健二(国文学研究資料館)、山崎誠(国文学研究資料館)、佐伯真一(青山学院大学)、伊藤正義先生、寺島修一(武庫川女子大学)、黒田彰(佛教大学)、阿部泰郎(名古屋大学)、大谷節子(神戸女子大学)、私、落合博志(国文学研究資料館)、黒田彰子(愛知文教大学)
前列左から
岡田三津子(大阪工業大学)、藤井奈都子(愛知学院大非常勤)、伊東玉美(白百合女子大学)、橋本直紀(羽衣学園大学)

{このみなさん、出身校はそれぞれに異なります。いわゆる「学閥」などまったくなく、人々を受け入れていらした伊藤先生の人徳がわかるようです。なお、今と比べると、女性陣は私をのぞいてほとんど変わっていません。男性陣はおつむが白くなった方が多いですね}

小沢昭一×篠田正浩トークショー@江戸東京博物館

2009年12月20日 | Weblog
お知らせです。といっても私は出演しないのですが。

江戸東京博物館ホールにて、「放浪する芸能者たち」と題して、小沢×篠田

という豪華顔合わせのトークショーが、幻戯書房の主催で行われます。

日時  12月22日(火) 19:00~20:45

予約が必要です。予約、お問い合わせは幻戯書房へ電話かメールで直接お願い

いたします。なお、参加費は500円で、当日会場にてお支払いください。

電話 03-5283-3934
メール genki@genki-shobou.co.jp

篠田正浩氏は最近、幻戯書房から『河原者ノススメ』という中世・近世芸能の

本を出版されており、新聞などの書評で好評のようです。会場では篠田氏の

サイン会もあるそうです。

ふるってお申し込みください。


{付記}
幻戯書房は辺見じゅん氏によって作られた出版社で、凝ったセレクションと装

丁へのこだわりで知られています。私の連載「近代知識人の見た中世」(仮)

は、来年6月頃、幻戯書房から出版される予定です。ただいま、鋭意増補訂正

中です。こちらもぜひよろしく。

猫惑星最接近遭遇

2009年12月20日 | Weblog
こ、これはどうしたことでしょうか。

くりこときなことが、足をくっつけてテーブル下で再接近

くりこは単に眠かったらしく、きなこが後で横に来てごろんと寝転んでも、物

うげにちらりと見ただけ。きなこは、なぜいつも怒るクリねえがこんなに寛

大な態度なのか、不思議な顔です

以前、「惑星直列」とか、彗星が地球にぶつかるかも知れない、といった天体

事件がありましたが、これぞ最接近です。

床暖房は、すべての猫人にあたたかい愛をもたらす、のかもしれません。

二階建てです

2009年12月17日 | Weblog
微妙な距離で一年の同居生活を迎えたふたり。

今日も今日とて、テーブルの上と下とで二階建て状態です。くりこは不審な

やつをのぞき込み、きなこは「くりねえ、あそぼー」と無邪気にくりこを

見つめています。

なお、最近、きなこのトイレ事情に激変が・・・。なぜかくりこのトイレが置

いてある場所の近くでねそべることが多かったきなこですが、トイレは玄関近

くに別にあり、そこで用を足していたのです。ところが昨夜、新聞紙を激しく

かく音で目覚めると・・・なんと、きなこがくりこのピンク色のトイレでお小水

をなさっておりました。きなこはプラスティックの猫トイレになじまず、新聞紙

を敷きつめたダンボールでしかしなかったので、ややお掃除に困っていたのです

が、ようやくトイレを認識したらしい。

早速、ブルーのきなこトイレをくりこ用と併置してみました。さて、どうなり

ますやら。単に「他人のトイレがよく見えた」だけのような悪い予感がします。

きなこのプレゼント

2009年12月15日 | Weblog
 少しご無沙汰してしまいました。

 頭の横にサクラの木が生えて、それを抜いた後にできた池でカエルが百匹

ほど泳いでいるような感じの頭痛が続いており、これはまずい、と思っている

矢先・・・。

 きなこが、透明なしゃかしゃか袋に入っていたので、緑のリボンでプレゼン

ト仕様にしてみました。もちろん、きなこは「ボクをママにプレゼントするよ」

などとは思っていませんが、君がいてくれるのが私にとってすごいプレゼント

なんだよ。

 クリスマスが何ら人生に関係なくなって長いですが、お坊さんもお寺の本堂

でクリスマス会をなさる昨今(本当です。高校の同級生のお家は京都の名刹

でしたが、母上がクリスマスケーキを配って歩いてました。天台宗の学僧に

お坊さんだけのクリスマス会に招かれたこともあり、それは浜大津のおかまバー

で行われました。彼は「メリー・ブッタマス」といって乾杯してましたっけ)、

たった一人の猫の「彼」と、年上の二人の女(私とくりこ)は、一年の息災

(決して「無病」でも「息災」でもなかったが・・・)を、今流神仏集合の

行事で確かめ合うのでした。

 ちなみに、京都市ではロームという会社で毎年イルミネーションが繰り広げ

られます。無料で散策できる上、京都にしては非常に豪華。西大路五条だった

と思います。車は止められませんので、公共交通機関か自転車でどうぞ。

 最近、やたらイルミネーションに青色が多いですが、青色LEDなんですね。

LEDは読書灯として大変優秀であることを付け加えておきましょう。寝床で本

を読むとき、とっても便利。

きなこ、上洛一周年です

2009年12月09日 | Weblog
 あっ、きなこが若返ってる

 ついに若返り手術、あるいはボトックスを打ったのか?

 いえいえ、これは一年前、神奈川県から我が家にやってきたきなこの幼い頃

の写真です。子どもでした。新幹線の中で小さく鳴いていました。今の大きな

顔からするとびっくりものです。

 元気に一年をすぎ、ますます大きくなるきなこ。血もつながらず、種も違う

三人家族は、助け合ってこれからも生きてゆきます

いちおう、師走のご挨拶

2009年12月09日 | Weblog
 テンプレートのみ、クリスマス仕様に変えました。記事は、まだ書く元気が

ありません。書きたいことはあれど、まずは論文と原稿が先っと。

 「たまきはる」と「建礼門院右京大夫集」と「とはずがたり」が年末までと

りついている予定。「建礼門院右京大夫集」は、改めて読むとネタがたくさん

拾えました。これは近代国文学研究と活字本の問題に連なりそうです。

 渡唐天神を中心に広がる室町の世界の大きいことも再実感。百鬼夜行絵巻と

中国絵画の論も書かないと。体が動かないし、時間がないのがもどかしいも

のです。

 お悔やみも、また。私の三人の「恩師」は、もうお二人、浄土へ旅立たれま

した。こんな野良猫みたいな奴を、よく見捨てずにいてくださったものでした。

「中世知識人の見た世阿弥」論を完成させて、ご批判いただきたかった。

 もちろん、先師が研究に先鞭をつけた禅竹もやらないといけないでしょうね。

禅竹って、近代ではあんまり評価されてないのはなぜだろう?

 思うこといろいろな師走です。