ブログあつたかい

しんちつが神の心にかなハねば いかほど心つくしたるとも (12-134)

地震に関してのおさしづ 一寸気になって・・・刻限

2011年03月27日 14時24分55秒 | あつたかい図書室
明治24年に 濃尾地震が起こっている。この時愛知大教会へ被災の見舞いに、ご本部から出張下されている。
そのおさしづを読むと、「これまでに話し、刻限事情にも諭したる。」との言葉があり、一寸気になって調べてみた。

その「刻限」のおさしづには、
「内へ戻ったらしんばしらに伝えくれ。」とか、「さあ/\しんばしらは直ぐに悟るで。」
とかいう言葉があり、私には意味がさっぱり分からないが、分かる人が見れば分かるおさしづだろうと思って、アップする事にした。

まず、地震の見舞いについてのおさしづーーー

明治24年10月31日夜 
『過日二十八日の朝大地震に付、名古屋愛知支教会へ見舞のため宮森与三郎、永尾楢次郎両名出張の願』
 さあ/\尋ねる処尋ねるまでや。事情大変々々事情理、所々事情聞けばやれ大層、やれ恐ろしい、やれ怖わい、やれ恐ろしい。これまでに話し、刻限事情にも諭したる。今一時遠くほのか話聞こえ分かる。一時の処、一時尋ねる一つの道、一つの道と言えば一つ事情、先ず/\早くという処、受け取る/\。先ず内々から一名二名、一名二名ではあたわん。三名心得。地に事情幾人は諭さん。先ずほのかの事情取り、早く事情に運ばにゃならん。さあ/\早く/\待って居るで/\。


その前に刻限としてあるおさしづーーー

明治24年10月8日夜11時 陰暦9月6日
『本席御身上足の左付けぎわより腹に掛け、固まり差し込みあるに付伺』
 さあ/\十分刻限知らす、刻限を知らす。刻限まで何にも言わんで。刻限を待たねばならん。
 さあ/\何時やら知れん。その用意をして置かねばならん。程無う/\刻限渡るなら、何時知らさにゃならん。

『暫くすると刻限(午後十二時)』
 さあ/\打ったで。どんな事言うやら知れんで。さあ/\刻限々々話に知らせ置く。内へ戻ったらしんばしらに伝えくれ。急いであった/\、思わく尋ねるか。又々の道を運び掛け。自由しんばしら、万事どういう事掛かる。他に一つこれまで尋ねにゃならん。人間心を集め/\事情尋ねるまで、事情あって事情諭し置く。どんなに思うたとて実々(じつじつ)生涯諭してある。何よの事、人間心に持って尋ねるまで。それ/\一つの話(はなし)事情定(じじょうさだ)め替えて、一つの初め治めにゃならん。神の言う事要らん、めんめん要らん。それ/\一つ事情治めて了(しま)う。談示(だんじ)あるなら人間心に持って、尋ねるまで。思わく事情、一時々々治まりという。さしづ勝手する。しんばしら帰ったら話(はなし)せねばいかんで。

『又、梶本松治郎、桝井伊三郎、増野正兵衞如何なる事であろうと談じ合いの処へ』
 さあ/\しんばしらは直ぐに悟るで。いんねんといんねんと、又々いんねん。紋型無き処から人間思やん、恐ろしうであった。一時の道のしんばしら、日限事情(にちげんじじょう)一時いかなる世界治まる。皆この道理。人間が人間をまゝにして、一名一人尋ねるまで、帰って来たら直ぐと知らせ。
 さあ/\大事(だいじ)の事、大事の事に不都合、めん/\不都合僅(わず)かの一生尋(いっしょうたず)ねるまで。生涯の理に及ばんで。

『又、引き続き御話』
 さあ/\/\/\変な事を言うで、変な事話し掛けるで。さあ/\どういう事話し掛けるで。よく/\聞き分け。どういう事こういう事難しい事、一つ/\何かの処さしづ。これまでの処さしづの理は違わん。どういう事思わくであった。皆治め来たる。他多(たおお)くの中、万事話済(はなしす)めば一つの運び、一つの理が通ろ。難しい/\、あちらも話聞く。話持って出る。余儀無(よぎな)く話やあろまい。これより先(ま)ず/\暫く何よの事情、諭す理くらいと言うで。要(い)らん諭しの理と、諭しの理で知りつゝの理と言うてはどうもならん。長い間じゃない。僅(わず)かの六七の処及(ところおよ)ぼして、難しい/\理を拵えて通らにゃならん。日限、大抵の世上疑(せじょううたが)う理も無い。あれでは長い運び尽すあたゑ世上疑うまい。何かの処諭し置く。先(さき)二三歩(ぽ)の処出て一つ早く自由、他一(たひと)つの心事情無(こころじじょうな)いようにして事情あろまい。僅かの道、十分治めにゃならん。この事情諭してこれからこうせにゃならん。僅かの日柄(ひがら)それからあたゑ事情で、一時結構で、これで事情あっては気の毒。何か万事諭し研究して、戻りたらいなる事情諭して置く。


どうか、早い事情解決の御守護を頂けますように!!
(_Λ_)

別席教話の古記録

2010年09月14日 00時17分09秒 | あつたかい図書室
 先日『復元』創刊号を読んでいたところ。「別席教話の古記録」に目が留まった。
これを読みやすくしてみたいと思って、書きかけたところ、自分のHPにすでに、原文のままにアップしてあった。
http://www.geocities.jp/atutakai/tosyositu_/hukugen_/beseki_kokiroku.html
 つまり、私はすでに読んでいたのであった。
先日読んだ時に、全く初めての感覚を覚えたのは、以前読んだ時とは自分の感覚が違って来ているからではないかと思った。

この「別席教話の古記録」はメモのようなものであるとのこと。
まさしく、言葉が抜けていたり、書き間違いがあるように思え、そこを自分なりに補填して書いてみた。

以前、八つのほこりを自分なりに書き換えてみて、大変勉強になった記憶があるが、今回も大変勉強になった。


【第1稿】書き換え
 どなたもこの別席のお話はお聞きのお方もございましょうが、別にかわったお話をするではございません。あなた方が国々処々でお尽くし下さる心定めのお話を、かわり/\さしてもらうのでございます。
そこで心定めというても何分一時にはいかん。一度や二度聞いた分にはわからんから、かわり/\てお話をさしてもらう。
 日々にこれまでというものは、皆それぞれにわたくし心をわかして、知らず知らず勝手気ままの心を出して天の理を曇らすから、憂い災難、病気病難やさまざまの難儀不自由がかかって来る。知らず知らず我が心から災いを招いているのである。これを今までは、ただ一時その場でなって来たように思って「ああどこそこへ行かねばよかった。ああこうせねばよかった。誰それがこうしたから、誰それにああせられたからこんな事になった。」とその場でしてその場でなったようにみな思うている。
 「これがどうもいじらして見ていられん」と仰る。何も一時なるではない。今まで通りた理が、出て来ていかなる事もなってくるのである。それを知らんから人を恨んだり、憎んだりしている。
 これは暗がりの道で、その場でなったように思っている道である。日々は人間身の内へ神が入り込んで自由に道を走っているようなものである。(しかしこれを知らずに暗がりの道を歩んでいるので、)これをどうも黙ってはいられんと仰る。
 そこで神様は「無い人間拵えて自在をさし、何不自由無きよう万物皆与えている」と仰る。その与えに高い低いの隔ては無い。なれど日々与えありても身に不自由不足ありては難儀する者もあれば、又身上は壮健でも日々与え無くして難儀不自由している者もある。これは、「皆面々の心の運び方、日々長い間に通って来た心の理が知らず知らず天の理に背いて来たからそこで重い軽いも高い低いも自然/\に出来て来た」と仰る。
 そこで、この度これが気の毒であるから話一条の道をつけてきた。この話の理が分かって成程と思うて、今までと心入れ替えて付き来るならば、大難は小難、小難は無難と心相応心通りの働きをして、いかな守護もせんとゆわん。だから、心の理を入れ替えるなら話一条で自由用という。
 それ無い人間無い世界初めたもこの屋敷から初め、またこの度あう人間に珍しい道つけるのも、この屋敷から元なる親が天下っていかな話も皆して聞かして下さるのである。
 これまでのいかなる教と言えども、やはり神が人間に入り込んで教えて来たのである。だから、みないかな教えと言えども、悪気を進めるような教えはない。しかしこれを知らずに、皆銘々に自分が考えて教えをするように思うて、口には教を布いてもこれを守らず、自分から外すようになっている。
 だから、そこでこの度元なる親が天下って、段々と元のいんねん・人間身の内神の守護・神の自由用をお説き下されて、口と心と行いとが違わんように、話通りの道を通らんならん。
 そこでどうせこうせ言わん、誠真実を定めて付き来るならば、いかな自由用もするで、いかなる事も「これかなわん」とはゆわん。「これ助けん」とはゆわん。心の与え通りの守護をする。
 なれど神の方にはどうせこうせは言わん、願いがあれば分かるように話し、一通りしておいて、後は一名一人の心通りであると仰る。その心の理によって神が働くので、決して人間が人間を助けるのやない。
 この度この話が違わん証拠に、いかな自由用もしてみせる。今までも証拠なくては人が用いない。じゃから証拠にいかな働きもしてみせる。さあこれを見ていかな者でも得心せよ。神の守護でいかなる事もなるのや。
 それ人間が人間助けるなら、どういう事でも出来るであろう。よう世界でも言うであろう、医者と言えば病気助ける看板上げている。病気助ける看板上げているくらいなら、人を助ける者が、他人のみか我が身も助かりそうなものや。なれどいかなる利巧発明な医者と言えども、薬が無くば誰一人も助ける事は、これ出来ようまい。
 そこでその人より、これ皆元は神様の守護で出来たもの。いかなる利巧発明剛的たる者でも、神の守護が無くしてはどんな事も出来るか。神が守護して働けばこそ、何よの事も皆出来るであろう。それを「皆俺がする。俺が物や」と思って気まま、癇癪、得手勝手を言うたりしている。
 さあ、この度人間が自由用しているのか、神が自由用しているのか、これをよう思案してみよ。人間が勝手に自由用しているなら身上不足になって、難儀不自由するものもなけりゃ、又その日/\に困って難儀不自由する者もあるまい。いかほど剛毅剛敵で「俺がどうするこうする」と言うても、神が退けばどうしようもあるまい。いかな者でもどうしようもあるまい。
 それでも尚、神の目には可愛い一杯、助けてやりたい一条である。けれども、我がと我が難儀の道に入れば、どうもこれは余儀なき事情である。神の目には高い低いの隔ては無いが、知らず知らずして、悪気に悪気が重なりて、生れ替わり出替わりして、ほこりを積んで、これまで通りて来た理の曇りがある。理の曇りたところへは入り込んで神が自由用する事が出来ん。そこで身に不足という、あちらが不足になり、こちらが不足になる。あれも外れ、これも外れとなり、自分の思うことも立たず、心で思うても自由用する事でけんから、又不足を供えて、不足に不足を重ねて通らにゃならん。

(以下は、断片的に記してある部分である)

丁度ゆわば人間は、

この度の話一条はこの世始めのお話

教祖様は第一世界のひながたと成りてお通り下された

もとなる深きいんねんの理があって万事お話下さるのであります。

この結構な屋敷も結構なお方もわかりませんから

身びいき身勝手のものがこの話聞けば勝手が悪成る先

人を倒したならば自分が倒れるようになるで

それだから程ほど様々な悪い事を言いはやす

段々とご苦労遊ばしたというは右の道

一寸聞くとすれば人間を始めて下された親ならば、この様なものその場で口が利けんようか、足が動かんようかなりそうな者やというけれどそうや無いで、人間の親子の情を思うてみよ、

それを世界にわからんから暇いると仰る。



【第二稿】書き換え
 どなたもこの別席のお話はお聞きの方もございましょうが、前に変わった話でございません。心定めのお話を段々かわり/\さしてもらうのでございます。
 所々でご奔走下されて心定めのお話を申します。その心定めのお話は何分一時にはゆかん。
 それぞれに私心を沸かして日々に知らず/\心を沸かす、そこでまた日々に我がと我が心から招いているようなもの、その招いている事を知らず/\で、その場でなったように思う。なるほど「その場でなったという、成るという」は、これを神様はどうもいじらしいて見ていられんと仰る。
 日々に知らず/\暗がりを走り歩いておるような者を、黙ってはいられんと仰る。この理をどうもいじらしてならん。人間をこしらえてから、何不自由無きようにしてあるこの人間である。
 身上が壮健でありても日々に与えなくて難儀不自由する者もあれば、日々与えありても身に不自由不足ありて難儀する者もある。これどちらも不自由でならん。これを勝手気ままな心を持って通るから、元々無い人間・無いところを初めた元なる親で、元なる親が元人間初めた屋敷へ天下りたで。
ただ一名一人真実の心を受け取りてどんな働きもする。
 身の内は神様がご守護下されて社。神様の物、人間が日々支配をさして貰っているには違いない。成程という、かりものの理も分かる。日々理が分かればいかなる守護もしよう。
 この度の道をつけるは心通りという、神の望みという、この度思惑あって道をつける。人間真実これが望みや、真の心の理を受け取って自由用をする。
これまで神が人間に入り込んで教えてきた事を知らずして、面々考えてしたように思うてはびかっている。これが残念でならん。
 教をする者が教を外すようになって来ているから入り込んで自由用でけん、この度今までの教と言えども、今の教と言えども皆目変わった事を教えるやない。なれども今までの教は慣れっこになってしまって神が入り込んで教える事が出来ん。
 皆よい心持って暮らす者が無くなったから、余儀なくこの度元の屋敷へ天下った。教祖が第一のひながた、教祖を神の社と貰い受けた。元々人間初めた時の深き理があって、真心天に通じて天より神の社に貰い受けてのお話、ほこりがつもっているような者に神様が入り込みそうな事はない。この話は無理にどうせこうせゆうやない。
 今まで人間の通って来たあり様も証拠なくして用いはしない。今度の証拠も話し通り致したら、いかな自由用もする。これが証拠。無理にどうせというやない。
 自由自在でけたなら人に助けの理を力だけやるのやで。今までの道とは違う。この度は言葉の理を守ったら、力と助けと共にやるのやで。お道はお助けいただけば、自分の助けの段取りを人に伝える。助かった話を聞いて人が助かる。助かった話をすれば助けるだけの力が出来てる。
 なかなかどんな結構なお話を下されても、長く容易な事で人が用いなんだ。元人間初めた結構な屋敷が現れても、皆敵のようにする者が多い。お道は苦労の道を先に通らにゃならん。
 子供がこの屋敷へ寄り来ても、それは何も知らずに魂の内へ無理やりに帰ったようなものである。その者には心にたんのうさして返すのやで。寄り繰る者は四方正面という。
 どんな悪く言うて来ても一寸もその者の事を悪く言うやない。この事を詳しく聞いたならばどんな者でもついてこんならんようになる。知らんのやからこれ無理はない。
 この話をどんな者でも小口から守れば何にも言う事ない。
 神が入り込んで自由用もし、段々年たつその上に、色々勝手気ままの事を成し、生れ替わり立ち替わりして難儀不自由で通らんならん。又そこ/\の心を持って通っているものもある。
 そこで人間には高い低いが出来たけれども、神の目には高い低いはない。我がと我が心より難儀の道へ入ればどうもしようがないと仰る。
 教祖をあちらこちらへ連れて行って懲らしめるという。色々様々な圧力の中を教祖がされた数十年のご苦労は、ご婦人の身の上であるのに監獄のアラムシロの上でご苦労下されたのは一度やありません。又夏の炎天にご苦労下された事も度々である。人間の浅はかな姿をかるしめた(懲らしめたor見せしめた。と解釈出来ないだろうか?)のや。誠といえば一時守るものはない。そこで無理はない。
 人間が我が子を育てるのも同じ事、親が苦労艱難と言えば、言うに言えん苦労もせんならん。親が着なくても着せて通る、その親の苦労を子は何と思うか。子供は何とも思いはしようまい。子供は親を恨むであろう。
 親の心より子供に物芸を仕込むについては、親が食わんでも食わせ、苦労するであろう。これ親のためか、子の為かよう思うて見よ。これも同じ事やで。10人育てても10人ながら思うように行くものではない。
 身の不自由、難儀、今来て今なったように思う事が、どうもいじらしくてならん。親の家を、尻向けて出るような者もある。親のいう事用いる者は杖柱として何時/\までも親が付きまとう(連れ添う・寄り添うという意味だと思う)。
その子供が成人の後、人の中で踏みつけにされてから、思い出す、親の事を。こら後の間(後の祭りの意味に思える)であろうがな。
 親さん(教祖の事と思われる)が艱難遊ぶ時分に攻撃した人は、今は、真実の人と、これをあほという人とがいる。なれども、なれどもその中を、日々年々月々と教祖が身の行いをしてお通り下さるから世界から関心をされている。
世界の教といえども話は良いが行が出来ん。そうすると今度は自分が楽どころやない(楽どころでは無くなるという意味では)。人によっては、「あれだけの教をして」と自ら日々教の行をする理を感じて、道についた人もある。
 なお言うに言われん事は、今日では教会もあり、職もあり、心は安心で通れる。なれどその自分(教祖の当時)は何の名所も無きゆえ、なかなか(人が)寄り付く事も出来なんだ。その中の苦労艱難を思ってみよ。道すがらとなった教祖のその道中を暗がりの道という。
 「この度、身を隠して道を早くするで」と仰る。教祖が、人間の目に見えないけれど、「存命より一層厳しく早く道をつけたい」と仰る故に、本部も直ぐに出来、より来る人も心懸かり(心配ないの意味と思う)ない。またそれぞれお助けに出るのにも教職を拝命して、公然と出来る段々の道がついて(出来ての意味と思う)来ました。
 この屋敷はどんな事も人間心でしてはならん。この屋敷は神のさしづより外に理はない。
 神のさしづ、神の支配と仰るから、この別席順序が初ったからは、足場なくして高いところへ上がる事が出来る。
 神の道は胸三寸、心の道。その中、おうぼう(応法)の道を付けかけた。
応法の道ばかり通り、渡りやすくなったら胸三寸の道が切れかける。存命中の苦労艱難の理も失って、誠を付け切る事が出来ぬ。
 そこで高いところへ登るために、足場固めをしておかねばならん。
あなた方が所々でお助けをして下さる事も、神様の自由用で、お働きで道がつく。これなくば世界の道も同じ事。
 そこで心定めと仰るは、取次ぎ/\と仰る。あなた方がお話を取り次ぎ下さるのは、教祖から聞いた話。所々で手本雛形と言えば、教祖を世界の雛形と思わなければならない。
 高いところへ足場無くして上がるというのは、世界応法の道に渡りた事。
前から段々の順序で今日、別席も運ぶに違いないて・・・・年は5年か7年か尽して下された事は、神様皆お受け取り。(意味がよく分からない。)
 我々が9度呼んだら(運んだらの間違いではないか?)神様がおさづけを下さるそうな。このおさづけは、我々が効能でも貰ったと思うては徳を失う。今一時は助け一条のために下さる。やれやれという心になっては、さづけを頂いてから気がゆるむ。
 やれやれは油断の理。お道はやれやれという心はなれません。我々はお道について、三年五年以前に初めてお話を聞いた時に、この世での良し悪しをさんげもした。それからこちらへは神様のご恩を果たして来ている様には思うが、神の話を聞けば今一代やない。してみれば今一代のさんげはしても、以前の理はどうも謀りがたない。しからば今日まで三年五年の間、人のために尽したと言えども徳を積んだのではない。今までの恩を返したか、まだ返さんかも分からん。
 してみればおさづけを頂いたのは徳で頂いたのではない。これから例え一命がすたろうが、どんな事があろうが、これからはあくまでも道のために奔走させてもらうという心で通らんならん。
 この話の聞こえん処(伝わっていないという意味だろう)といえば、どこへなりとも、海山越してでもかまわん。身の続く限り、心の及ぶ限り、行って取り次がしてもらわんならん。草山を地ならしてして種を撒く。撒く種はみな生えて、みな実ると言えば誰でも皆撒くやろう。なれど撒いただけでは実りを取る事は出来ようまい。
 六月の炎天に草取りという、これを修理という。これ炎天に遊んでいれば楽であろう。なれどそれでは草山になってしまうやろう。そこで段々と百姓一年の楽しみがあるから、草取りをして修理をするやろう。又この修理をするだけではなろうまい。肥を置かねば十分にとはゆかん。
 神様の道もこれと同じ事で、あなた方がにをいがけに出て下さる。いかな悪人でも話の理で感心する。その心誠を撒く、その種が生えるというのは講社ができた事である。講社が出来ても反対が起きる。その講社は理が分からねばいづむ。いづましてしまうような事やったら雑草のために、しこらして(失敗しての意味だろう)しまうようなもの。
 そこであなた方はそれを進んで、反対のある、行きにくいところでしょうけれども、そこを行くのが、これ百姓が炎天に草取りに出るようなものである。
悪と言えども悪にも強けりゃ善にも強い。修理は百姓の理を言う。百姓の理から考えたら同じ事や。天理教はよい教やなと世界の人からゆうように説いて下されば、又講社の人に、段々に教えの深き処を仕込み下さる事は、これが修理で、田の草を取りたも同じ事。
 第一に先立つは旅費を使う。これ肥を百姓が置くようなものである。この度、段々と道を通さしてもらって、尽す運ぶ旅費というものは、これ皆自分の力で尽してくれ、人の物を持って尽しては、肥金を人に借りておいたようなもの。平常節倹(節約)を第一としてそれから理を出して通って下さるなら、一粒万倍の理に返やすと仰る。
 よう教祖が仰ったが、「世界でに一厘の銭を与えても、敷居の下から帰るというて、やる人もある。これがおかしい」と仰った。そりゃどういうものなら……。
 あなた方も段々と尽す運ぶというが、「我々も徳を積ましてもらう」「教祖の大恩送らして貰う」と思うて尽して下さらねば、「ただの付き合い」や「負けん気」で着いて来たのでは真実が薄い。
 どなたでも徳をかえしたい者はないが、そこの運ぶ事情が、崩して行くようになりやすい。それ心で「どうなろうたって/\」と思うて尽しては、徳を崩すようなものや。

 これは、あなた方がお話を伝え下さるお方ですから、「尚も踏み違いの無いように通って下さい」と、これまでの世界の教も、「教は良くても教を説く者が通らぬから、理が消えてきた」と仰る。
 そこでそうゆうようにならんよう。
 教祖のご存命中は十分心の定まった、「命張っても」と言う者でなければついて通る事が出来なかった。そこで教祖が存命の末方(教祖が現身を隠される前当たりの意味だろう)に、皆おさづけを頂戴しました。人間心は神の足場。

 神様のお話は老若男女の隔てはない。誠の心を定めたら同じ理を渡すと仰る。なれども年寄りの人はお話の取次ぎは楽であるが、少ないもの(若い者)が年の行った人に取り次ぐのは難しいものである。神様のお話は変わらないけれど、聞く人の心持が違うから難しい。何故ならば、年の行った人は経験があるし、少ないものは経験が無いから人が信じてくれない。そこで難しい。

 お道は「どうせこうせえ」と言わんけれども、お話を伝えて下さるあなた方であるから、何分お道は固く尽すお方は、なお尽すようにしてもらわにゃならん。「尽すのに、まだ尽せ運ぶのにまだ運べといわれる。どういうものであろう」というのは、心の浅い付き合いのお方のいう事。

 まあ/\人間同士でも、子供が覚えれば覚えるほど、何もかも仕込む。覚えぬものは仕込まぬ。結構やな。

 結構であると思えば十分尽せる。お道は「上になるほど難儀する」と思うようなのは、世界並みと言おうか、誠に浅い/\ものである。

 あなた方がご奔走下さるのは、根に肥を於き、又通って下さる方は、……

 上の方も下の方も共に心を合わせて通るのは、銘々に「これだけの徳を積ませて貰おう」と思うて通らにゃならん。

 親が手を引いて上がれば、どんな高い処でも恐き危なき(こわきあぶなき)はない。なれど、それまでに待ちかねて、駆け上がるような事をするから転げ落ちんならん。

 不足をつけぬよう。不足は思わず知らず出るで。

 心定めのお話、心定めは足場のこしらえという。

 人間を神様が道具に使うて下さる。一度使うて棄てる道具もある。日々使う道具もある。一度使うて棄てられるような道具にならぬよう、いつ/\までも使うてもらわんならん。

【以上】



三つの理

2010年09月06日 18時28分40秒 | あつたかい図書室
明治二十七年十二月一日 午前十一時
飯降政甚事情に付本人御詫び願
もうなあ、あれこれ人替わり人替わりはこれまでの事、三つの引き換え/\、もう人間の心で言うた事して了うが、万人の心で計って、はや/\一時に浚えて了え/\。早く売り捌け/\。すっきり売り捌け/\/\。すっきり売り捌くまで、どんな事尋ねても答えん。幾日でも引かん。もっともこの通りきっしり/\、さあ皆売り払え。すっきり売り捌いて、調べて持って来い/\/\。そんな事何とも思てやせん程に。これよう聞き分け。高い安いは言わん。すっきり/\思やんするような事は、今まで三つの理運べと言うたる。すっきり積み重ねたるものは、何ぼう何ぼうの符丁を付けて売って了え/\。そうしたら改まる/\。何遍でも丸めようと思ても丸められん。丸め/\て付けた道、それを又々丸めば欠けて了う、萎べて了う。さあ/\早く/\早うするがよい。

押して、三つの引き替えの理を尋ね
さあ/\三つの理と言うたはよう聞き分け。席が寝て居ればどうもならん、これ台一つの理、又一つには二度は越せんと言うたる。これ二つの理、人間心を以て言うたるは神が言い付けた事、これ三つの理。この三つの理、どちら救けてよいか。何もならん者救けて置いた分には、いつ来たかてどうもなろうまい。気違いのような事思うてたら間違うで。何も無い処から出来たのやから、売り払うのが何も思やんあるか。売り払わんならん元を考え。我が物売り払うのは余っ程ましや。これは着物、これは手道具、これは手廻りと、一円の物一円に売ろうと思えば一寸には行かん。半額にでもよい。そうして読み上げ。ずる/\べったりではどんならん。売るのにまご/\したらいかんで。すっきり商売人に売るのや。残す物は敷き物と建具とだけや。すっきり売るのや。

明治二十七年十二月一日 夜十二時
刻限
さあ/\/\/\、さあ/\一寸話をするで。どういう話、皆取り集める話やから、心を静めて聞いてくれ。どうしよう知らん/\、こうしよう知らん/\。思やんの底が無いと言うまで連れて通りた。もうどうしてもこうしても、未だ暫くの処働かさにゃならんが道の理やろ。言い掛けたら、どんな事でも運ばにゃなろうまい。この道の初めという、何も知りたる者も無き道より今日の道と言う。嘘とは思われようまい。だん/\長らえての道を通り、艱難苦労の道を通りた理によりて委せ置くと言うたる。理は大き思うか、小そう思うか。又理が有ると思うか、理が無いと思うか。よう聞き分け。又一つ、心のよごれを洗い切るという理を聞き分け。身の内の処、痛み悩みありては働けようまい。暇の時なら四日五日は大事無いと思うなれど、今日は遠く所国々よりだん/\理を以て連れて帰る。十のものなら九つだけで、一つの理が無く、おかしな心を湧かすようではどんならん。身の内静養して居る者が、足も立たんと言う。よう聞き分け。三つの理と言う。一つの理が第一、三つあるものに第一という理は三つあろうまい。一つの理に落ちたる処、明日日になりたら、すっきり書き出さんならんようになりたる。あゝ理によってこうもなるか。この理も一つの理になる程に。一人のためやない。皆々のひながたとも言う。我が身知らぬような者が、人の事は尚知らん。重荷も軽い荷も未だ分からん。このやしきに住家をすれば、中が腐りてありても外からは結構と思う。まあ意見のため意見して直らねば、それまで。一寸の神の働きも知らず、どうもならん日が出てからはどうするぞ。さあ、しっかり心一つの理を改め。こうという理が立てば、追々によごれた理も剥げる。たった一度ぐらいなら、こうと言えばそれで済むなれど、何度何度の理が重なればどうもならん。中からむさいもの出るようでは、何ぼ洗うても同じ事。いつすっきり洗い切れるか。外からの汚れは洗うたら剥げる。これよう聞き分け。
明日日からこうという心を定めて、すっきり/\改めるなら、売り払うた体にしてま一度は許し置こう。

扇の伺い と 教会の理

2010年08月24日 13時20分20秒 | あつたかい図書室
明治二十三年六月二十一日(陰暦五月五日)
山中忠七扇の伺の事に付伺
さあ/\扇の伺い/\というは、心得までのため、これは古きの道や。僅か年限は知れてある。教会を治めて居るなら、世界からどうであろうと心掛けて居よう。俺も見ようか。今の一時難しい処、古き処で止め置きたる処も暫くという。用いる者が悪いのや。これ一寸々々と言う者が悪いのや。めん/\からは出やしょうまい。それだけの心の理が分からねばどうもならん。扇伺いは言葉では言わん。それから遂にはこふまんの理が出る。そこで皆止めた事情は古き事情。ならん処の働き、一人の人争う処の事情、内々の事情に人間の理を働き、すっきり捨てゝは居やんなれど、修理無しの蒔流し、あちらでひょろ/\、こちらでひょろ/\。内にはしっかりして居るなれど、道にはひょろ/\というようなものや。日々の働き方分からんから、そういう事を言う。教会ならば教会の理を治めるよう。

同日、引き続いて普請の事情願
さあ/\仮家普請々々々々と言うてある。仮家普請でも、こゝはこうせにゃならんという。今まで掛かり掛けた処はそのまゝ運ぶがよい。なれどよう聞き分け。仮家普請というは、何時払わんならんやらこれ知れん。取り払う時に余分のものはどんならん。大層な事して置いてはいかん。ひんずな事してくれてはどんならん。今一時掛かり掛けたる処は許すによって、心置き無くしてくれるがよい。

おふでさきについて 『おふでさき(付註釈』

2010年03月25日 10時13分30秒 | あつたかい図書室
『おふでさき(付註釈)』「まえがき」
【昭和3年4月 中山正善 書】
 余程以前である。私がまだ母の膝に親しんでいた時分である。私は母から、教祖様が参ってきた人々に誰彼(だれかれ)の差別なくおふでさきを読めとおすすめになった、という話を聞いた。また、
「これさえ読んでおけば、少しも学問はいらないのやで」
と、日々母におさとしになったという話も耳にしている。それ以来、私の幼い胸にも、未だおふでさきが発刊されずにあるのが、かえって不思議に思われたくらいであり、発刊が早ければ早いほど親神様のお心に添うものである、と深く心に銘じたのである。
 爾来(じらい)数年の月日は流れ、教祖様おかくれになってから四十二年目の今日、即ち立教九十一年に初めて私の幼い望みが実現される機運が到来したのである。否、これは独り私の望みではなく「よろづよのせかい一れつ」の神の子が日夜欣求(ごんぐ)していたものである。しかもこの発刊は、父新治郎も教祖様の意を体して常に心掛(が)けながらも、時を得ずして敢行し得なかったことを思えば、親神様の深い恵(めぐ)みにより、この運びにいたったことを身に余る光栄と思うと共に、父の笑顔も眼前に髣髴(ほうふつ)するようである。
 私達の喜びを広く頒(わか)つに当たり、一言おふでさきについて述べ、慕いくる人々の栞(しおり)とする。

 おふでさきとは、明治二年より、教祖様(御名中山みき、明治二十年旧正月二十六日御帰幽、御年九十歳)が親しく筆を執って書きのこされた天啓録で、みかぐらうた(慶応二、三年、一部ハ明治三年及ビ八年)及びおさしづ(教祖様直々ノオ言葉、及ビ飯降伊蔵翁取次ギノ神意、明治二十年ヨリ同四十年ニイタル)と共に、天理教教義の骨子をなすもので、全編十七号に分かれ、合計一千七百十一首のお歌が集録されている。

  このよふハりいでせめたるせかいなり
  なにかよろづを歌のりでせめ   一 21
  せめるとててざしするでハないほどに
  くちでもゆハんふでさきのせめ  一 22
 これはおふでさき第一号の中にあるお歌で、恐らくおふでさきの名の出てくる所以(ゆえん)のものであり、また、本編に筆録されてある神意の内容を雄弁に物語っているものである。
 更に、おさしづをひもどく時、おふでさきのいかに意義深いものであるかを示し、ややもすれば人間心にほこりにまみれて、親神の真意を忘れようとする人々に、訓(おし)えられるところが多く見受けられるが、次に示すはその一例である。
  さあ/\今この一時一つ世界という中に、一つという理は、世界にある。そこで、これまでどんな事も言葉に述べた処が忘れる。忘れるからふでさきに知らし置いた。ふでさきというは、軽いようで重い、軽い心持ってはいけん。話の台であろう。(明治三十七年八月二十三日ノおさしづヨリ)
 思うに以上のおふでさき及びおさしづによって、おふでさきとは、たとい教祖様がその都度に起こった事情身上のおさとしをされたものをも含むとはいえ、それは、ほんの特別な人々に説かれたものではなく、その内容は「よろづよのせかい一れつ」に当(あ)てはまる神意であるから、ややもすればその場限りの個人のものとして、打ち捨てがちになる人々をあわれまれる親心より、筆録されたものであるは明らかである。換言すると、親神様の思召を、あやまりなく、また、もれなく「よろづよのせかい一れつ」の神の子供達に伝えたいとの親心より書きのこされたものと悟り得るのである。
 このように考えると、明らかにおふでさきは、既に教祖様のひながたの道を辿(たど)りつつある天理教徒の聖典として、しまっておくものではない。教祖様が常に口にされ筆にされたように「よろづよのせかい一れつ」にあやまりない真理であり、あらゆる人間の陽気ぐらしの根本をお示しになったものである以上、人間の聖典と見て万世に伝えてあやまりなく、海外に及ぼして悖(もと)らぬものである。
 教祖様は日本人であり、おふでさきは和歌の形で記(しる)された日本文であるから、これを直ちに世界に宣布しようとするには翻訳の必要を感ずるのである。換言すると、私は単に日本文としてのおふでさきの形を固守せず、自ら進んでこれを方々の言葉に訳して、少しも神意に反するものではないと信ずるのである。
 私達は、常に教祖様の教えを「かなの教え」であると称(とな)えている。これを形の上より見ると、天啓録が主に仮名(かな)で伝えられているからであるとも思われるが、更に深く考えると、「かなの教え」とは、どんな人にも分かりやすいようにして、親神様の思召を得心ゆくまで説いて聞かすということである。故に、単に形にのみとらわれてこれを墨守し、その精神を悟らぬは「かなの教え」に反するもので、常に陽気心に、勇んで事に当(あ)たるこそ、親神様の思召にかなうことになり、教祖様のひながたの道を辿(たど)る唯一(ゆいいつ)の方法である。即ち翻訳もやはり「せかい一れつ」に「かなの教え」として、教祖様の思召を徹底さすための方便であるが、いたずらに文辞の末にのみ力を注いで、本来の精神を忘れるようになると、それは単に文辞の遊戯であって、「かなの教え」の意にそむくものである。これは私達の特に注意を要するところである。

 しかし、言葉は民族によってのみ変わるのではなく、また、たとい同一民族でも、時代によってその使い方に遷(うつ)り変わりあるは自然の勢いである。されば、おふでさきを解釈するに当たっても、教祖様の時代の使い方を考えずに、直ちに現代の使い方のように解釈する時は、「よろづよ」かけて変わりない親神様の深い思召を、あたら一代限りのものに狭めてしまう憾(うら)みがあると思うのである。
 加うるに、教祖様の時代は、封建制度破れて王政復古の明治維新当初であり、社会制度においても一大変動を来した時代である。かつ教祖様はその半世を親しく鋤鍬(すきくわ)を取って耕作された方であり、また教祖様より直々(じきじき)にお話を聞いた人達、即ち、そばな者やおぢばに教祖様を慕って帰参した人達の多くは、農業に従事していたことを考えると、教祖様が常に農事に関する例を以てさとされ、その時代の大和の俚言(りげん)俗語を多分に含めておふでさきをおつくりになったということは自然であろう。

 日の車は寸時の休みもなく回っているように、教祖様の教えも広まってゆく、しかして、昨日まで人間心に苦しんでいた人々も、今日はおたすけ人衆としてたのしい生活に、感謝の祈りを捧(ささ)げているのである。しかし一方、年限の経(た)つにつれて、昔の史実の記憶もうすらぎ、ただ書きのこされた文辞を遊戯気分で解釈し、その中に含(ふく)まれてあった肝心(かんじん)な精神を忘れてしまうようになるのは、世の常であることを考えると、私は、おふでさきの真意を「よろづよのせかい一れつ」に伝えるためには、何とか方法を取らないと、親神様に対してすまないような気がするのである。史実や俚言俗語の解釈を主とした釈義をつけたのは、これがためである。
 幸いにして、この釈義によって「よろづよのせかい一れつ」くまなく教祖様の思召を伝えることができ、人間幸福の根本である陽気ぐらしの世の実現に益することができたならば、釈義編纂(へんさん)の目的は大半達せられたのである。
 終わりに、私は、教祖様の後(あと)をうけて、遺教おふでさきを初めて発刊するの光栄を、重ねて深く親神様に謝すると共に、教義及史料集成掛諸員の努力を厚く労(ねぎら)い、「よろづよのせかい一れつ」の神の子に、親神様の真意を伝えるよろこびを共にしたいと思うのである。
 ひながたの道を歩むおたすけ人衆諸子よ、私は諸子にあやまりなき信仰の熱誠を以て、勇みに勇み「せかい一れつ」の救済に努力されんことを切望する。

 昭和三年四月 中山正善
『おふでさき(付註釈)』1~10頁

※翻訳・労いの字には、入力できない字が当てられている。(立教153年4月26日印刷発行本)