Are Core Hire Hare ~アレコレヒレハレ~

自作のweb漫画、長編小説、音楽、随想、米ラジオ番組『Coast to Coast AM』の紹介など

自国の文化は異国の文化

2014-05-31 23:16:29 | コラム

国宝・姫路城と世界一有名な城「ノイシュバンシュタイン城」が提携 絶世の「白」、夢の共演へ (神戸新聞の記事より)

亡くなった父方の祖母・婦美はたまに「実家の中原は先祖に姫路城の家老の娘がいる」と言ってました。
どの家にもある真偽不明のお家自慢ですが、九代遡れば全員がどこかで親戚関係になる日本ですから、そんな話の一つもあっていいかもしれません。

さて、今回新装した『白鷺城』こと姫路城ですが、幕末から維新にかけては受難の時でした。
引き取り手がなく競売にかけられ、取り壊しの話まで出たこともあったようですが、どうにかその姿を今に留めることができました。

『シンデレラ城』ことノイシュバンシュタイン城ももともとの評判は微妙でした。
頭がゆるふわな変人の王によって19世紀の後半に作られた時代遅れの城で、純粋な建造物としての価値はそれほど高くありません。

世界最古の建造物のひとつであるスフィンクスの欠けた鼻はどこかの誰かが遊び半分で砲撃したなんて話すらあります。
ピラミッドも大部分は砂に埋まっており、近世まであまり顧みられることもなかったようです。

しかし、どれも今ではその国の立派な観光資源かつ歴史遺産であり、海外からの評価も高いです。
その価値に気づいていないのは、当の本人ばかりだったというお話です。

何事にも当てはまりますが、身近なものほどその大切さに気づきにくいものです。
目に見える建物や芸術品はそうですが、目に見えない精神文化はより当てはまる気がします。

個人的なことで言えば、僕にとっての神社がそれです。
ショックなことがあってふさぎこんでいた時期、ふと神社に立ち寄った時に、なぜか急にそのありがたさに涙がでる思いがしたのです。

それはまるで後に日本好きになるタイプの外国人が初めて日本の文化に触れた時ような感激でした。

人気ブログランキングへ

※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから

浮世絵も骨董品の包み紙などに使われていたのが西洋人の目に止まり再評価を受けました

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢から逃げないために

2014-05-30 23:02:26 | コラム

ブッフォンがW杯予想「ブラジル、アルゼンチン、スペイン、ドイツはレベルが段違い。イタリアの目標はベスト8」(SOCCER KINGの記事より)

その昔、職場にお笑い芸人を目指すN君という友人がいました。
とある芸能事務所が主催するスクールに通いつつ、そこでコンビを組んで活動していました。
ライブも何度も見に行き、ささやかながら応援させてもらっていました。

その多くは合同ライブで、他の芸人のタマゴたちも多数出演しているものです。
やはり好みに関係なく、芽が出る人は素人目にも違いが分かります。
例えば、女芸人「ニッチェ」さんは、まだ駆け出しの頃でしたが他を圧倒する表現力と存在感でした。

N君の同期にも一緒のステージで見てたのが、今ではテレビでお目にかかるようになった人たちもいます。
そんなある日、ちょうどアパートの更新が近づいたN君から引っ越しの話を聞きました。
僕はおせっかいにも「せっかくだから芸人の聖地中野はどうか」と提案しました。
しかし、N君はしばしの沈黙の後、一言こういいました。
「S(僕の名前)さん、中野は怖いよ…」

N君のお笑い芸人を目指す気持ちが嘘だとは思いません。
ただ、心の何処かで「お笑い芸人を目指している自分」に心地よさを感じていたのではとそのとき感じてしまいました。

芸能界は厳しい世界です。
本気で飛び込めば、才能があり意識も高い実力者に現実を叩きこまれ、夢を諦めるほかなくなるかもしれません。
それなら似た境遇の人達と「いつか叶う夢」をずっと見ていたほうが楽しいはずです。

上記事関連でいえば、サッカー日本代表の関係者の中にも優勝を狙うと公言する人もいますが、そこに似た甘さがないかちょっと心配です。

夢を今日の一歩に変えること。
自分自身の大きすぎる夢から逃げたくなるときは、そう考えて動いてみるのもいいかもしれません。
自戒を込めて。

人気ブログランキングへ

※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何もしない才能

2014-05-29 23:00:47 | コラム

木根尚登「エアギターだった」…TM NETWORK初期の代表曲「Get Wild」ではB'zの松本孝弘が影武者だったと告白

その昔、アマチュア・バンドの紹介番組で、彼らの「プロでやっていくには?」との質問に木根さんはこう答えていました。
「とにかくやめないこと。自分もやめたいと思ったことは何百回とあった」
プロになってからも演奏はエアー、唯一の見せ場は名曲『セルフコントロール』でのロボットみたいな声の合いの手のみ…
噛みしめるように言った木根さんのその言葉は重たかったです。

でも、あの「その他一人」的な木根さんの存在感はむしろ優れた才能だったと思います。

サッカー日本代表には通常ゴールキーパーは三人まで選ばれます。
キーパーなんて滅多なことでは変わらない上、その三番目となればまず出場のチャンスはありません。
そんな中、腐らず練習をこなし、チームの輪の中にいられる人ってどれだけいるのでしょうか。

例えば自分がそんなポジションにいたらどうでしょうか?
自分はこれでいいのだろうか、そんな不安にかられるかもしれません。
あるいはこんなの自分じゃないもっと認められたいと欲が出てしまうかもしれません。

何かをすること、あるいはできることはとても大切です。
しかし、時と場合によってはなにもしないことも大切です。

特に若い頃は自分は必要なのだろうか、何が出来るのだろうかと焦ってしまうことも多いです。
しかし、そういう時こそ今の自分に自信を持ってどっしりと構えてみることをおすすめします。
そんな人こそチームでは大切な存在だったりするものですから。

人気ブログランキングへ

※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

眠れる病のクラスメイト

2014-05-28 23:00:49 | コラム

6日間一度も目を覚まさない「眠り病」が拡大中…カザフスタン(マイナビウーマンの記事より)

高校一年の時のクラスメイトT君は、一時期ちょっとした縁起物でした。
というのも中日の先発投手のローテーション並の頻度でしか学校に現れないからです。
別に素行に問題があるような生徒ではありません。
彼は「眠り病」にかかっていたのです。

聞けば、夜も早めに寝るのですが、次の瞬間目覚めるとすでに昼の二時や三時になっているのだそうです。
頑張って学校に来ても授業中机に突っ伏していることが多かったです。
かくいう僕も、がちがちの無職だった頃、目覚めた外の仄明かりが朝日か夕日か分からないことがよくありました。
でも、病気となれば話は別です。
「ナルコレプシー」なんて言葉もなかった頃でしたから、T君のことをちょっと奇異に思ったものでした。

大人になってとある会社で働いていた頃、思えば似た症状の女性がいました。
自分のデスクで事務仕事をしていると、時折頭ががくっと落ちては立て直すを繰り返すことがあるのです。
普段からゆるふわな不思議ちゃんだったので、周りも妙に納得して強くは注意してませんでした。
が、思えば彼女も「ナルコレプシー」だったと思います。
僕自身、自分の企画の発表している時にこっくりこっくりされ、むっとしてしまったことも今では反省しています。

さて、T君はというと、高校も二年次に上がる頃には毎日学校に来るようになっていました。
彼を悩ませた「眠り病」が全快したのです。
後に本人が回想したところによれば、やはり一種のうつ病だったということです。

一気に回復するわけではないかもしれませんが、生活環境を変えたり日々の積み重ねで治すことは可能のようです。
周りにそういう人がいても、決して怠け者扱いせずに、きちんと理解されるようになればいいなと思います。

人気ブログランキングへ

※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何(カ)さんの見た風景

2014-05-27 23:00:55 | コラム

本国で資格取り、日本で看護師に…8割が中国人(読売新聞の記事より)

高校生の頃、オフィス・ビルの掃除のアルバイトをしていました。
ほとんどが中国人の出稼ぎの若者だったのだったのですが、その中に「何(カ)」さんという人がいました。
確か中国の北の方の出身で、背の小さいおとなしい感じの青年でした。

何さんは途中から入ってきたのですが、他の中国人とは一切触れ合わずいつもひとりでいました。
不思議に思い、ある時本人にそれとなく聞いてみたことがあります。
すると、福建省出身者の彼らとは言葉が通じない上、仲間意識もあまりないのだとのことでした。

中国のことも今ほど報道されていない頃でしたし、物を知らない高校生の僕には面白く感じたのを覚えています。

とある小休憩の合間、まだ入りたての何さんがビルの外部階段からぼーっと外を眺めているのを見つけました。
上層階で眺望はあるものの、彼の視線の先には住宅街がどこまでもただ続いているだけです。
いってしまえば日本中どこにでも見られるよくある郊外の風景でした。

それでも熱心に眺めているので、面白いものでもあるのだろうかと一緒になって眺めていました。
と、隣にいた何さんが「どこまで家ある。すごい」と目を輝かせて言いました。
こんなよくある風景でも、彼が見慣れた故郷の町並みからは、きっと信じられない光景だったのでしょう。

その言葉を聞いた時、ほんの一瞬だけ僕も何さんの目を通して、その街の様子が見えたような気がしました。

今より前のことですが、中国の町外れの風景や人々に昔の日本を見るようなノスタルジーを感じた年配者もいると聞きます。
戦後の復興期の日本人は何さんのような好奇心に満ちた純粋な目をしていたのかもしれません。

人気ブログランキングへ

※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言葉がつくるストレス社会

2014-05-26 23:25:49 | コラム

「カラハラ」に悩む人たち 苦手な歌を無理強いされ、拒否したら異動(キャリコネの記事より)

思考が言葉を生むのか、それとも言葉が思考を生むのか。
難しい問題ですが、後者のケースは結構あります。

昔は「ウツ病」という言葉はそんなに使われていませんでした。
ストレスや陽気で気持ちが沈むことを「ノイローゼ」とか「神経衰弱」なんて呼んでたと思います。
しかし、イメージが良くなく、よっぽどなことにならないとそうは言われませんでした。

ところがストレス社会と呼ばれる現代ニッポンで「ウツ」という言葉がいつのまにやら定着します。
おかげで「最近ちょっとウツ気味で…」と気持ちの不調を人に打ち明けやすくなりました。

同じく昔は「セクハラ」という言葉もありませんでした。
その「セクハラ」が初めてくらいに取り上げられた頃のNHKのニュースを覚えています。
このセクハラが広まったおかげで、若い女性は以前よりオジサンたちの下品な行動に悩まされなくなったと思います。

しかし時代は変わります。

仕事や学校、家庭の事情から食事の支度や犬の散歩、あるいは黒羽寧子ちゃんが可愛すぎる等々、日々の生活にストレスはつきものです。
大した原因がなくても気持ちの晴れないときは誰にでもあります。
それが「仮面ウツ」やら「軽度のウツ」やらなんでも「ウツ」と診断されてしまいます。

「○○ハラスメント」もちょっと似たところがあると思います。
「パワハラ」や「アカハラ」や上記事の「カラハラ」まで…

その内容自体は間違ってるとは思いませんけど、あまり便利に使われすぎると困ったことも起きます。
なんでも「ウツ」なんでも「ハラスメント」になって、嫌なことが軽い気持ちで流せなくなるのです。

その結果、過敏で窮屈な雰囲気ができあがって、それがストレスになっては本末転倒です。

人気ブログランキングへ

※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒヤリハットの法則

2014-05-25 23:10:30 | コラム

AKB握手会で川栄李奈 入山杏奈が男に刺され搬送 男がノコギリを振り回す 24歳無職を逮捕(毎日新聞の記事より)

主に製造業の世界でよく言われる「ヒヤリハット」の法則と呼ばれるセオリーがあります。

仕事をしていてちょっとしたミスで「ヒヤリ」としたり「ハット」させられることがあるとします。
そこで大抵の場合は事なきを得るので、そのまま「ホッと」して忘れてしまうことが大半です。

しかし、塵も積もれば山となる、ゴキブリを一匹見つけたら三十匹はいると思え、です。
その「ヒヤリハット」体験は、後につながる大事故の温床となります。

後から起こってから「そういえばあの時」なんてことがあるものです。
それを未然に防ぐために「ヒヤリハット」したことを見逃さず、業務内容を常にチェックしていこうというわけです。

さて、上記事の事件なのですが、最悪の事態に至らなかったことは本当に良かったと思います。

しかし、この「大事故」の前には山のような「ヒヤリ」とする出来事があったと想像できます。
表に出ることはないでしょうけど、メンバーたちは相当酷いことも言われたりされたりしてきたはずです。
その積もり積もったものの結果としての今回のことだと個人的には思うのです。

芸能界の興行が大変なのはしかたのないことです。
けど、今回の件を踏まえると、十代の女の子達にちょっと残酷なことさせてきすぎたのかもしません。
だとしたら、運営側はもちろんファンの人たちも今までを振り返ってみるタイミングなのかなとも感じました。

人気ブログランキングへ

※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平塚に残る戦争の記憶

2014-05-24 23:46:51 | コラム

オバマ大統領 日本初空襲のドーリットル隊に最高勲章授与法案署名(時事通信の記事より)

神奈川県の平塚市は戦時中火薬工場があったので、数度米軍による大規模な空襲にあいました。
そのために湘南平の山頂に対空砲を運んで、そこから爆撃機を狙ったと小学校の先生が話してくれました。

湘南平の戦争にまつわる思い出は僕自身にもあります。

小学生の頃、何を思ったのか夕方から湘南平に登り、帰る頃には日も落ち途方に暮れたことがありました。
そこで焦った僕たちは早く下れそうな大磯側の道を選んだのです。
すると、途中、不気味な横穴がたくさん並んでいる一帯を通りました。
辺りは真っ暗闇でただでさえ心細いのに、中に何かが潜んでいそうで心が凍る思いがしました。
後で聞けば、それは戦時中に実際に使われていた防空壕だったそうです。

防空壕といえば、前に住んでいた家の近所で庭にそのものを残している家がありました。
実際、子どもを入れてくれたりしたと聞いて少しうらやましく感じたものでした。

また、平塚にヤクザが多いのも戦後の混乱期の遺物の一つです。
なんでも相模川沿いに大きな闇市が開かれており、その「仕切り」をしていたのが発祥です。
大まじめに闇物資を断った裁判官が餓死したなんて話もあった時代です。
必要悪と言う気もありませんが、当時その恩恵を受けた人も大勢いたでしょうし、色々なしがらみが今なお存在しているのかもしれません。

何事にも闇もあれば光もあります。
大方の古い家が焼けてしまったせいで、お隣の茅ヶ崎と比べて広く真っ直ぐな道が多いのは、皮肉といえば皮肉でしょうか。

最近は寂しくなってしまいましたが、七夕祭りもまた戦争に関係しています。
もとは戦後の復興を祈念した催しが七夕祭りになったのでした。

人気ブログランキングへ

※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とある凶悪犯のその後

2014-05-23 23:00:04 | コラム

酒鬼薔薇聖斗、西鉄バスジャック犯、秋葉原通り魔・・・「1982年」生まれ凶悪犯罪者にパソコン遠隔操作の片山被告が関心(J-Castの記事より)

以前住んでいた家でのことです。
その近所にとある重大犯罪を犯した未成年が住んでいるとの噂をネットで見たことがありました。
少年院を出所した後、公的機関の厳重な保護の元、後見人と一緒に住んでいるとのことでした。

もちろん機密情報でしょうし、噂だけなら全国各地で出ていました。
本人の画像は一部週刊誌に載りネットにも出回っていたので、一応当時の姿は知ることができます。
ただ、事件から何年も経っていますし、顔立ちも変われば、ばれないように気も使っているはずです。

そんなわけでその噂を見た時も大して気にとめずにいました。

それから随分経ってから、何かのきっかけで母にその話をしたことがありました。
すると、母はさも当然のごとく「一時期よう見かけてたで」と言うのです。

母によればその彼はゴミの清掃員をしており、ゴミの収集の日にはかならずいたとのことです。
力仕事のワイルドな男たちに混じって、ひとり頭の良さそうな品の良い感じの若者がいるという印象でした。
なんでも近所のオバサン連中の間では公然の秘密となっていたといいます。
(僕自身は被害者のご家族のことを思うと、やるせない気持ちが先に来ます)

果たしてそれが本当に本人だったのかは知る由もありません。
あるいは、同じような重大犯罪の別の未成年が結び付けられた可能性も考えられます。

しかし、そんな結構なニュースを何年も素知らぬ顔でやり過ごしていた母のマイペースぶりも大概だと思います。

人気ブログランキングへ

※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パクるバンドのファン心理

2014-05-22 23:15:13 | コラム

レッド・ツェッペリンの名曲「天国への階段」、盗作疑惑で訴えられる(AFPBB Newsの記事より)

現在ツアー先の日本で療養中のポール・マッカートニーさんですが、ビートルズ時代にこんなエピソードがあります。
名曲『イエスタディ』のメロディを思いついた時のことです。
あまりに良く出来ていたので、誰かの曲を無意識に盗作してしまったかもしれないと思い似た曲がないかしばらく探しまわったそうです。
結果、元ネタがないということ判断し、無事リリースにこぎつけたとのことです。

百発百中というわけではありませんが、露骨な『パクり』曲は聴いててピンとくることがあります。
まず、メロディを真似すると、旋律に卒がなく型にはまっていると感じることが多いです。
それに対してコード展開を真似して、メロディでごまかそうとすると、いわゆる「裏メロ」ぽい不自然さが残ります。
(「裏メロ」とはハモる時の低音パートのような、主旋律ぽくないメロディのことです)

どこからがパクリでどこからがそうでないのかは難しい問題です。
そもそも厳格なルール自体あるべきでもないと思います。
ただ、作っている本人はかなり意識的にやってるんじゃないでしょうか。

ミュージシャンというのはミュージシャンである前に元々は誰かのファンです。
あまりにもファンすぎるので、勢い余って自分もミュージシャンになってしまうわけです。
多くのファンを持つことになった彼らも、十代の頃バンドを組んでまず始めたのは、やっぱり好きなバンドのカバー曲でしょう。

プロとなってもそんなファン心理でやってるだけに罪の意識が薄いし、また罪がないともいえる。
そんなことを、この手の話になると必ず挙がる某邦楽ロック・バンドを久々に聴いて思いました。

人気ブログランキングへ

※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから

上記事のZepは単にパクるというか元ネタの曲でセッションしてオリジナルに仕上げていくパターンの曲が多い印象。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする