ベートーベンからエミネムまで…音楽がわき起こす「懐かしい気持ち」の仕組み解明か(AFPBBの記事より)
僕が子供の頃、祖母がテレビを見ながら「最近の若い子はみんなおんなじに見えるわ」と言ってました。
そのうち、母も当時の祖母くらいの年齢になった頃から同じことを言い始めました。
人間、好きでないあるいは興味のないものはみな同じに見えます。
さて、僕にとってそんなものの一つが、クラシック音楽です。
その音楽家の有名曲はともかく、少し掘り下げたものになるとほとんど聴き分けができません。
多分自分の頭がオカシイのだろうと思い、まともになろうと一時期クラシックばかりよく聴いていました。
幸い、叔父が部屋にベートーベンの塑像を飾るレベルのマニアだったこともありアルバムはいくらでも手に入りました。
そんな高校の帰りバッハの『フルート、ヴァイオリンとチェンバロのための三重協奏曲』を聴いていた時のことです。
その中の『BWV1044 第二楽章』だけがやけに僕の胸を打つのです。
幾何学的で整然と感じる曲ばかりの中で、旋律が美しく切なくなるような素晴らしい曲です。
もっと言えば雰囲気的にちょっとバッハの曲とは思えない気がしました。
以来、個人的にとても思い入れのある曲となりましたが、世間ではそれほど認知はされていないようです。
そして、ほんの一年ほど前、ふとしたきっかけで叔父にその話をしました。
すると、面白いことが分かったのです。
近年になって研究により『BWV1044』はバッハ作でないことがわかったのだそうです。
僕の個人的な傑作を生み出してくれた偉大な作曲家の名を知ることはできません。
また、その人もバッハの作品と誤解されなかったら、僕が知ることもなかったでしょう。
ナイナイオールナイトニッポン終了に仰天展開 10月から岡村ピンでパーソナリティ!(スポニチの記事より)
上記事のニュースには、ヘビー・リスナーのひとりとして最悪の事態は避けられたことにまずはほっとしています。
ですが、スタッフもそうでしょうけど、内容に関しては不安も大きいです。
というのは、同じ深夜ラジオでも、パーソナリティを一人より二人でやっている方がずっと面白く感じるからです。
その二人の関係が面白ければ、さらに倍楽しくなります。
やはり、聞き役がいた方が話が湧きますし、お笑いコンビならツッコミ役がいて成立するボケもあります。
また深夜ラジオの花形であるネタハガキへのリアクション役というのも大切なポジションです。
さて、ラジオのみならず、日本ではお笑い芸人さんもボケとツッコミの二人組が基本です。
一方、アメリカでは、スタンダップ・コメディという一人でステージに立つのが基本です。
これは一体、どのような違いがあるのでしょうか?
それはいわば、ツッコミ役が誰になるかの違いです。
日本では、ステージの上にツッコミ役がいることで、ボケ役はすきなように変なことを言えます。
それに対して、アメリカではコメディアンが変なことをいったかどうかの判断は観客に委ねられます。
ですから、笑いが起きるのは日本ではツッコミが入った時、アメリカではボケたときです。
とくに後者では観客の笑いがツッコミ役なので、テレビ番組などではわざわざ笑い声を別にいれることもあります。
これだけだとまるでアメリカの観客の方が笑いが分かっているような気がします。
ですが、スタンダップ・コメディは、タブーに切り込むようなわかりやすい社会風刺のネタがほとんどです。
そこには、自由をいうわりに隠れたルールやタブーの多い欧米社会の姿を見ることができます。
林修先生 なんJで叩かれたことをTVで語る 林「なんJ民っていう人たちがいて」 ビビる大木「先生今何の話をしてるんですか?」(テッペン!『林先生の痛快!生きざま大辞典』より)
とある学習塾のアルバイトの面接に行った時のことです。
そこは塾長が直々に面接するのですが開口一番「2ちゃんねるで書いてあることは全部嘘だから」と言われました。
彼によれば、高級外車を乗り回しているだの生徒に手を出しただの、個人への誹謗中傷がひどいそうです。
お見受けする限り、とてもいい方だったので少し同情してしまいました。
「自分たちは人を育てる職業だから、人に優しくなければいけない。講師を育てられないなら、子供への態度は嘘になる」
面接でへっぽこだった僕を、そう優しくフォローしてくれたのはとてもありがたかったです。
とはいえ、ダメと言われたらのぞいてみたくなるのが人情です。
見れば、確かに塾長さんへの個人攻撃もひどく、つい愚痴りたくなる気持ちもわかります。
そこでは塾長さんはとあるあだ名で呼ばれていました。
内情に疎い僕にも、それが誰を指すのかはすぐに分かりました。
いわれてみれば、塾長さんの髪は分け目でも地肌が見えず不自然なくらいに豊かでした。
案外それが塾長さんのトップシークレットだったのかもしれません。
さて、晴れて採用され行くことになった教室に、ひとりベテランの先輩講師の方がいました。
その人から「ここで色々知っておくといいよ」とメールで教えられたのが、その某匿名掲示板でした。
塾長さんを悩ませていた犯人は案外、身近なところにいたようです。
そのベテラン講師は生徒との付き合い方が親密すぎると、社員からよく思われていないところがありました。
やはり、組織内の不満分子が、そういう良からぬ噂を流すもののようです。
「蛇落地悪谷」(じゃらくじあしだに)と呼ばれていた広島・土石流被災地―蛇が降るような大雨たびたび(J-CASTの記事より)
東京方面から中央道を通って長野へ向かうと、ちょっと気になる地名があります。
その名も姥捨山(うばすてやま)といい、姥捨サービスエリアもあるのでドライバーは誰もが目にします。
由来は諸説あるようですが、かの姥捨山伝説の地であることは確かなようです。
子供の頃読んだ絵本に、雷様が子供のおへそをとっていってしまう昔話がありました。
雷が鳴るとよく真似して布団にくるまって遊んだのを覚えています。
ただ、おへそが取られたところで大して困らないだろうと内心思ってましたけど。
これは、雷の鳴った日は急に気温が低くなることが多いので、子供がお腹を冷やさないようにという方便でした。
また、田舎へ行くと「あの川はカッパが出るから近づいてはダメだ」なんてことも昔はいわれました。
川で溺れて死んでしばらくすると、肌が緑に変色し肛門から腸が出てきてしまうそうです。
緑はカッパの色そのものですし、露出した腸はカッパに抜かれると死んでしまう「しりこだま」の正体のようにも思えます。
つまりは、その川で死者がでたことを、遠回しにカッパが出たといって子供に近寄らせないようにしたのでした。
上記事もそうですが、昔の人は詩的な表現を使って様々に注意を呼びかけているのです。
大人の事情があるにしても、そういった先人の知恵までなくしてしまうのは寂しい気もします。
もっとも、僕の実家も災害保険の診断でE評価をもらうなかなかの危険地帯なので、他所様のことは言えないのですけど。
※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから
芥川龍之介の描いた河童。 遅筆の彼が一気に書き上げた小説『河童』は一息に読めてしまう風刺小説でした
結婚生活を成功させるカギは「恋愛経験が少ない」「大人数の結婚式」 米バージニア大学が新しい研究成果を発表(クリスチャントゥディの記事より)
岡村隆史さんがナイティナインのオールナイトニッポンで何度かしている話です。
岡村さんには齢100歳を超えるばあちゃんがいるのですが、結婚当時のことを思い出話によく語っていたそうです。
見合い結婚したじいちゃんとの結婚初夜、初めて相手の顔をまじまじと見て「この人こんな顔してはるんや」と思ったそうです。
人でも仕事でも、長く付き合っていると新鮮さはなくなってしまいます。
そんな時、何を感じるかには大きく分けて2つのタイプがある気がします。
ひとつは、単純に飽きてしまう人です。
それが恋愛なら相手に冷めてしまいますし、仕事ならつまらなくなってやめてしまうかもしれません。
もうひとつは、愛着を持つ人です。
恋愛感情と言うのは燃え上がると激しい分、あまり長続きしません。
それでも、愛着というのはそれとは別に育てることができます。
仕事だって毎日同じことをするのには、緊張感を絶やさず質を落とさない努力がいります。
同じことを繰り返しするからこそ気づける部分も多いです。
こういう人は、アタリマエのことに感謝のできる人です。
自分の愛情の対象を見つけるのではなくて、ゼロから愛情を育んでいける人です。
恋愛結婚はある意味、結婚前にピークは既に過ぎていますから、大変だと思います。
その点、好きでもない相手なら、お互い愛情を育んでいく気持ちがある分、長く続くことはあるのかもしれません。
「雲の上で、どのママにするか選んでいた」 生まれる前の記憶を持つ子供、必ず子供が母親を選ぶと語る(女性セブンの記事より)
神社の巫女からゲームの中の魔法使いまで、神秘的な力を持つのは決まって女性です。
普段から占いやスピリチュアルは大好きですし、神社ガールも近ごろは時々見かけるようになりました。
それを「非科学的だ」と否定するのは簡単です。
が、真偽は別として、身の回りの女性ばかりがそんな不思議体験をしています。
とある春先のこと、父方の祖母・婦美の葬式で僕が実家に帰っていた時でした。
祖母の供養と介護をしていた母のねぎらいを込めて、車で母を鎌倉に連れて行きました。
そんな赤い鳥居が並んだ階段が有名な佐助稲荷を訪れた時のことです。
本殿にお参りをしている時、近くに生えていたすすきにふと母の目が止まりました。
というのは、その一本だけ、風もないのにゆらゆらと揺れていたのだそうです。
不思議に思って見つめていると、そのすすきのふわふわが一瞬で白い狐になったのだそうです。
そして驚く暇もなく、小さな狐は走って山の奥へと消えていってしまいました。
見れるものなら僕も見てみたかったですが、その話を聞いたのは、それから大分後になってからでした。
母は普段全くそんなことをいうタイプではないはないだけに不思議に思いました。
母の不思議体験はこれにとどまらないのですが、いずれも鎌倉なのが面白いです。
やはり歴史のある土地には、そういう力でもあるのでしょうか。
以来、佐助稲荷に行く度に境内のすすきを眺めてはみるのですが、残念ながら子狐にはまだ会えていません。
※web小説‐伝承軌道上の恋の歌‐初めから
アニメ『エルフェンリート』6話より佐助稲荷の鳥居の風景。聖地巡礼ブームのはしりになりました
ビートたけし 氷水拒否「オレはやんないよ」「武井さんとか、なかなかいいコメントだね」(デイリースポーツの記事より)
さて、未だ冷めやらぬ上記事の氷水チャレンジですが。
中には拒否あるいは無視の姿勢を見せる著名人の方もちらほら出始めました
このイベントを「道徳」の問題としてみた場合、議論を呼ぶところがあると思います。
例えば、その欺瞞性あるいは、参加すればセレブの仲間入りという隠れた社会的階級を指摘する声もあります。
一方で、多くの方たちが軽いノリで我先にとじゃんじゃん氷水をかぶっています。
たしかに、このチャレンジを「損得」の問題としてみた場合、やらない手はないと思うのです。
慈善活動ですし、何より名を売るにはこれ以上ないコスト・パフォーマンスを期待できます。
世の中の成功者を見て思うのは、とにかく皆さんフットワークが軽いということです。
貧乏人の僕の様に、ひとつひとつの行動に道義を求めてうじうじしたりしません。
この両者の違いを見るに「道徳」で考えるか「損得」で考えるかの違いにも思えてくるのです。
モノゴトを「道徳」で考えれば、何かとややこしい問題が出てきます。
突き詰めれば「人はなぜ生きているのか」までいきつく話です。
しかし、実社会でそんなややこしいことを考えてもあまり意味はありません。
社会で成功する人たちというのは、自分の損得で考えます。
その損得も、単に「話題性」や「金儲け」など、目標設定がとてもシンプルです。
そんな彼らを「軽い」と思う人もいるかもしれません。
でも、個人的な思いなど捨てて、ひたすら流行に乗るその姿勢は、ストイックにすら感じられます。
「この女子マネージャー死ねよ!」との批判も…夏の甲子園、「おにぎり女子マネ」大論争【産経新聞】
女の敵は女とはよくいいます。
男女ともに同性の方がよく接するので当然といえば当然ですが、女の嫌いな女とはどんな人でしょう?
よくいわれるのが、わざとらしく異性に媚びるような「女を武器にする女」です。
しかし、男の立場からすると、ちょっと不思議な響きです。
レディースデーから女性専用車両まで女性は女性であることで結構得をしています。
若い女性は肌を出す服装を好み、多かれ少なかれ女らしさを楽しみ武器にしている気がするのです。
実のところ「女が武器になること」は女性自身承知していますし、各自使ってもいます。
しかし、だからこそ、用法容量を守らず過剰に服用するのが許せないのです。
それはいわば、ズルいという感覚です。
男性でもモテるためにキザったらしく振る舞う男がいたら嫌なのと同じです。
女性の場合は、その武器が初期装備な上ラスボスに挑めるくらい強力なので、使い方によりシビアになるのです。
それをよく知らない男性が「ただの嫉妬だろ」というのは簡単です。
しかし、女性がそういう媚びた女性を嫌うのは、動機の不純さが我慢ならないからなのです。
上記事の批判もよく似た理由からのようです。
でも、個人的にはそんな風には思えませんので、この女子マネージャーは本当に気の毒です。
そういうややこしいことはやめて女の武器の配布を一律禁止しようという人たちもいます。
フェミニストと呼ばれますが、そんな彼女たちも化粧やおしゃれは好きです。
彼女たちは同じ女の武器でも配られたもののは嫌で、自前のものを使いたいといっています。
しかし、実際両者に違いはあるのでしょうか?
ニッポン放送「ナインティナインのオールナイトニッポン」終了を発表 9月いっぱい…歴代最長20年半の歴史に幕(スポニチアネックスの記事より)
昔勤めていた職場に、お笑い芸人をしているN君がいました。
地方局でテレビ出演もしていた彼ですが、心機一転上京して某芸能事務所のスクールに通っていました。
ある昼休み、彼とお笑い談義に花を咲かせていると彼の口から面白いことを聞きました。
「この前、同期のナイナイのオールナイトニッポンのハガキ職人と一緒だった」というのです。
番組ヘビーリスナーの僕がすかさずペンネームを聞くと、確かに聞き覚えのある方でした。
彼は三ヶ月に一回のハガキ職人大賞でもランキング上位の、僕にとっては神にも等しい存在です。
採用されないともらえない「インパクトコンパクト」他各種ノベルティの正体など、直接聞いてみたいくらいです。
当然のごとく構成作家の引き合いもあったと思いますが、彼なりに何か考えがあったのかもしれません。
N君にどんな人なのかと聞くと「大人しい物静かなタイプ」とのことです。
思えば、番組ハガキ職人から構成作家になった「壊し屋」谷口雅人さんも、テレビ出演した時同じ印象でした。
そんな性格だからこそ、ネタを書くことで普段出せないところを出し人を笑わせたいと思うのかもと、妙に納得しました。
逆に本人のキャラクターが強いクリエイターは、意外と作品自体は卒のない作風であることが多いです。
普段から自分を出せているので、作品にそれほど個性を込めなくてもいいのかもしれません。
さて、上記事のニュースには、個人的にかなりショックを受けています。
テレビの顔とは違う、素に近いナイナイのお二人が感じられる番組がとても好きでした。
それに、これでは構成作家を目指すハガキ職人さんたちが路頭に迷う事にもなります。
何らかの形でお二人のラジオが続くことを信じつつ、続報を待ちたいと思います。
「氷水チャレンジ」大流行に冷ややかな声 「意味がわからん」「強制性が嫌な感じ」…(J-Castの記事より)
映画『スパイダー・マン』で、尊敬する叔父さんの主人公への今際の際のセリフはこうでした。
「素晴らしい才能をもった者は、それを人のために役立てる責任があるのだ」
ノブレス・オブリージュ(高貴な者に伴う義務)という言葉があります。
社会的地位の高い人は、その分だけ多くの社会的責務を負うという欧米の慣習です。
同じく武士階級が誕生した日本でも似たような考えはあり、案外すんなりと入ってくるかもしれません。
特に、わずか数%の人が国の富の80%以上を握っているすさまじい格差社会のアメリカでは、それはより顕著です。
セレブたちは寄付をはじめ、恵まれない地域の子供を養子にするなど慈善活動に熱心です。
もちろん、それ自体にケチをつけるつもりはありません。
才能に恵まれ努力をし成功を手に入れたセレブリティ達が、自ら社会に範を示すことは素晴らしいことです。
ただ、そこには格差社会ゆえ「持たざるもの」からの逆恨みをかわすという事情があることも知っておく必要はあります。
上記事のALSチャレンジも、そんなアメリカ発祥の慈善活動です。
誰もが知るセレブがバケツいっぱいの氷水を頭からかぶる様は見ていて痛快です。
それを慈善の名目でやらせる絶妙さが、アメリカのノブレス・オブリージュとマッチしてここまで広まったのです。
しかし、それをそのまま日本に持ち込むのはどうなのでしょう?
指名に上がっていた世界有数の企業であるトヨタの社長の年収はせいぜい数千万です。
これが外国の企業だったら報酬は数十億はくだらないでしょう。
日本の伝統的なセレブは、慈善活動もそれほどしないかわりに、比較的もとから生活は慎ましやかなのです。
こういう難病の周知も何か日本流のうまいやり方を考えて逆に広めるくらいの心意気がほしいです。