ヨハネの黙示録 13章
彼(獣・反キリスト)は聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。(13・7)
第13章は〝獣〟についての預言です。聖書では、神に敵対する存在を〝獣〟と象徴的に表現しています。たとえば、創世記では、アダムとエバを誘惑したヘビを野の獣の中で最も狡猾な……と記しています(創3・1 新改訳)。またその後、ヘビは獣の中で最も呪われるとも言われています(創3・14)。
極めつけは、ダニエル書で預言されている種々の獣です。獣は神に敵対する帝国や王のことで、歴代の帝国を獣として表しています。
第1の獣〝獅子〟はバビロン帝国です。
第2の獣〝熊〟はメディアペルシャ帝国。
第3の獣〝豹〟はギリシャ帝国でした。
そして次に登場する帝国は「第4の獣」です。獅子と熊と豹とを合わせた……それ以上の凶暴な特別な獣として描かれています。
実は、この第4の獣は歴史の順序でいえばローマ帝国に相当します。そして事実、ローマ帝国の時代にキリストは殺され、キリスト教会は大迫害を受けました。この邪悪ぶりはまさに獣でした。ですから、初代教会の迫害時代のことが、黙示録の預言する患難期であると解釈する神学もあります。
しかし、その歴史的な経過を見ると黙示録の預言通りには展開しませんでした。ローマ帝国は第4の獣の要素を含んではいましたが、さらに終わりの時代に究極の獣の時代が来るのです。それが、黙示録に登場する「海からの獣」です。
黙示録ではふたつの〝獣〟が登場します。「海からの獣」と「地からの獣」です。両者は別の獣ですが、その背後にあって働くのは龍でありサタンです。順をおって見てみましょう。
(1)海から上ってくる獣、それは反キリストだ。
〝獣〟とは、ひとりの人物であると共に、彼が統治する帝国のことです。この獣こそ「反キリスト」とか「不法の者※」とも呼ばれる存在です。これがダニエル書の「第4の獣」です。※不法の者は第二テサロニケ書2章3節によれば、神殿にて自分を神だと宣言するが、再臨のキリストによって滅ぼされることになっている。
この獣には10本の角と7つの頭があり(13・1)、第4の獣と形態が酷似しています(ダニ7・7)。10本の角は10人の統治者とか、10ヶ国の連合体のような帝国を表していると思われます。獣の国は10ヶ国連合です。 ※現在の欧州連合(EU)のことだとの指摘は早計である。かつて10か国であった加盟国も現在では27か国。これは患難期時代に登場する国である。
ダニエル書によれば、10本の角の中から1本の角が出て来たために10本のうちの3本が引き抜かれることになります(ダニ7・8)。その後、登場する1本の角が反キリストであり、獣の国を代表する支配者になるのではと考えられています。
また、獣の7つの頭とは、獣の帝国の統治における7段階を表すという説があるが、理解しやすい解釈だと思います。それによれば、患難期に登場する反キリストは最後の段階……つまり7番目の頭の時代の統治者であるわけです。※詳細は17章を参照。
すでに先の12章で見たように、赤い龍(サタン)も10本の角と7つの頭がありました。つまり、龍と獣は根は同じです。獣とは、龍(サタン)が人間の姿でやって来たような人物と考えてよいでしょう。
御子イエスが人として世に来られたのは、父なる神の栄光を見える姿で現すためであったのと同様に、獣は見えないサタンの邪悪さを見せてくれる人物です。御子イエスが「天の父とひとつである」お方であるように、獣は龍の化身のような人物です。彼らは根っ子ではひとつです。
とはいえ、獣は優秀で卓越した人物です。その秀でた才能ゆえに人々から称賛を浴び、人々は彼を全世界の統治者として承認するようになるでしょう。それほどのカリスマ的な人物です。
この獣すなわち反キリストは、何らかの事件で殺されたのですが復活を遂げます。「その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった」のです(黙13・3)。しかも、その反キリストがあのふたりの証人に打ち勝ったのですから、地上の人々は彼を統治者として承認し、崇めるようになるのです。その様子がこう預言されています。
「龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、『だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか』。」(13・4)
龍である悪魔は、自分も神のように賛美を受ける者になりたいと願って堕落した元天使です。自分が神としてこの世を支配し、人々からの礼拝を受けたい。これが悪魔の本性です。だから、こうして龍は自分の化身である獣に力を与え、獣を通して自分が崇められるように画策するのです。
真実な礼拝は、神の御子イエス・キリストを通して天の父を礼拝することですが、この時代は大きな惑わしによって、獣礼拝は地にはびこることになります。 ※昔から悪魔礼拝をする人々がいるが、一般人にはおぞましくて身近な事ではない。しかし、この時代になると様態を変えて公然と獣への礼拝がなされるであろう。
(2)地から上ってくる獣、それはにせ預言者だ。
11節には、地から上ってくる「ほかの獣」が登場します。「ほかの」とは、〝まったく同じ性質であるほかの〟という意味です。ですから、龍と海からの獣と、そしてこの地からの獣とは形こそ違いますが同質の存在です。
この獣には「小羊のような角が二つ」あるのですが、これは宗教的な活動を意味します(13・11)。先の獣すなわち反キリストを神として礼拝するために、宗教活動をする獣です。
さらに「龍のように物を言った」とあるので、悪魔の代弁者です。巧みな言葉と説得力ある情報発信によって、人々を獣礼拝へと駆り立てるのでしょう。この獣なるお方こそ世界を救う神であると説明し、人々を惑わすのです。まるで預言者です。 ※インターネット上のフェイクニュースやAI技術によるフェイク動画が世界を惑わすだろう。技術が進めば見分けるのは至難のわざだ。「地からの獣」はそれらを巧みに利用するだろう。
かくして、民衆を獣礼拝へと導くのですから、この獣は別名〝にせ預言者〟と呼ばれます。初代教会の時代にも、にせ預言者に注意せよと警告がありましたが、彼らの背後には獣と龍の働きがあります。そして、患難期にいたって究極の〝にせ預言者〟が登場し暗躍するというわけです。※黙示録も「地からの獣」が「にせ預言者」だと証言している(16・13、19・20)。
にせ預言者なる獣の宗教政策は徹底しています。獣礼拝のために「獣の像」を各地に建立して礼拝を強要します(13・14~15)。また、獣を礼拝する者に「刻印」を押して、刻印のない者は経済活動ができないようにします(13・16)。
獣が人々の額か手に刻印を受けさせるわけですが、例えば微細な電子チップを埋め込むことも考えられます。実際に犯罪歴のある人に実用化され、行動を管理しています。また、自ら進んでチップを埋め込んで、その電子データでドアや車の開閉やカード決済をする人もいます。いまや現実の世界です。
電子決済が飛躍的に進み、インターネットによって経済活動は捕捉されて行きます。だれが何を買ったのか、どんなネットにつながっているのかをAIが管理しています。それは、やがてネットを牛耳る者が人々を支配する環境作りになるでしょう。
イエスを信じる私たちには「聖霊の刻印」が押されます(エペソ1・13)。聖霊の刻印を受けた者は偽りの神々を礼拝しません。否、したいと思わないのです。獣を拝むなら、内なる聖霊も我が霊も苦しみ悲しむからです。だから古代ローマ時代の聖徒たちも、この聖霊ゆえに、イエスを主と告白し殉教して行きました。ここにも聖徒たちの忍耐と信仰があります。
(3)獣の支配は一時的だ。必ず終わりが来る。
獣は終わりの時代に世界を支配し、その悪魔的な本性を現します。しかし「42ヶ月の間活動する権威を与えられた」に過ぎないのです(13・5)。それをゆるされたのは神です。
冒頭の聖句も「彼は聖徒たちに打ち勝つことをゆるされた」(13・7)とありますが、それをゆるされたのも神です。いかに獣が力があるようでも、神のゆるしがなければ彼は何もできません。
「神様!ひどいじゃないですか」と訴えたくなりますが、神はあえてそうなさる時があるのです。
総督ピラトはローマ帝国の権威の下で、イエス様を尋問してこう言いました。「私にはお前をゆるす権威も十字架につける権威もあるのだ」と。そのピラトに対してイエスは、「神がその権威を与えなければ何もできないのだ」とお応えになりました(ヨハネ19・10~11)。そうです。神にこそ本当の権威があり、すべてはその支配の下にあるのです。
私たちが順調な時、それは主がゆるされなければあり得ないことですから、高慢になることなく感謝しなければなりません。逆に、何もかもうまく行かない時、それも主がおゆるしになったのですから、意味のあることです。すべては神の御業が現れるためです。主を賛美しましょう。ここに〝聖徒たちの忍耐と信仰〟があります(13・10)。
(4)神は〝獣〟と〝家畜〟を区別される。
そもそも、神はなぜ、反キリストを〝獣〟と呼ばれるのでしょうか。
神は動物を創造なさったとき〝獣〟と〝家畜〟を区別して創られました(創1・24)。犬は家畜ですがオオカミは獣です。馬とシマウマ、猫とヤマネコ等々同様の区別です。似ていますが、獣と家畜は違います。 ※進化論では、人類がオオカミを飼い慣らしてやがて犬なったと説明する。オオカミと犬のDNAはほとんどが同じだが、残りの数%の違いは大きな差である。動物園の調教師はライオンや熊を飼い慣らしている。だからといってDNAの変化は起こりえない。遺伝子学の立場からは、オオカミと犬との違いには超えることのできない大きくて高い隔たりがある。この「遺伝子の壁」を乗り越えられない。
家畜は人になつきますが獣はなつきません。家畜は主人に仕える性質を持っていますが、獣にはありません。自分が主人です。反キリストも偽預言者も、そういう意味で〝獣〟です。
神に仕えず自らを神として生きる者は〝獣〟です。どんなに教養や能力があっても、神を主人とする謙遜と従順がない者は〝獣〟です。
私たちクリスチャンは獣ではなく家畜です。家畜の羊です。羊は弱い存在ですが、牧者に従います。牧者がいなければ生きられない存在です。まことの羊飼いであるイエスに聞き従う者です(ヨハネ10・1~6)。
牧者であるイエスに対して、常に謙遜と従順をもって仕える者でありましょう。ここにも〝聖徒たちの忍耐と信仰〟があります。
彼(獣・反キリスト)は聖徒に戦いをいどんでこれに勝つことを許され、さらに、すべての部族、民族、国語、国民を支配する権威を与えられた。(13・7)
第13章は〝獣〟についての預言です。聖書では、神に敵対する存在を〝獣〟と象徴的に表現しています。たとえば、創世記では、アダムとエバを誘惑したヘビを野の獣の中で最も狡猾な……と記しています(創3・1 新改訳)。またその後、ヘビは獣の中で最も呪われるとも言われています(創3・14)。
極めつけは、ダニエル書で預言されている種々の獣です。獣は神に敵対する帝国や王のことで、歴代の帝国を獣として表しています。
第1の獣〝獅子〟はバビロン帝国です。
第2の獣〝熊〟はメディアペルシャ帝国。
第3の獣〝豹〟はギリシャ帝国でした。
そして次に登場する帝国は「第4の獣」です。獅子と熊と豹とを合わせた……それ以上の凶暴な特別な獣として描かれています。
実は、この第4の獣は歴史の順序でいえばローマ帝国に相当します。そして事実、ローマ帝国の時代にキリストは殺され、キリスト教会は大迫害を受けました。この邪悪ぶりはまさに獣でした。ですから、初代教会の迫害時代のことが、黙示録の預言する患難期であると解釈する神学もあります。
しかし、その歴史的な経過を見ると黙示録の預言通りには展開しませんでした。ローマ帝国は第4の獣の要素を含んではいましたが、さらに終わりの時代に究極の獣の時代が来るのです。それが、黙示録に登場する「海からの獣」です。
黙示録ではふたつの〝獣〟が登場します。「海からの獣」と「地からの獣」です。両者は別の獣ですが、その背後にあって働くのは龍でありサタンです。順をおって見てみましょう。
(1)海から上ってくる獣、それは反キリストだ。
〝獣〟とは、ひとりの人物であると共に、彼が統治する帝国のことです。この獣こそ「反キリスト」とか「不法の者※」とも呼ばれる存在です。これがダニエル書の「第4の獣」です。※不法の者は第二テサロニケ書2章3節によれば、神殿にて自分を神だと宣言するが、再臨のキリストによって滅ぼされることになっている。
この獣には10本の角と7つの頭があり(13・1)、第4の獣と形態が酷似しています(ダニ7・7)。10本の角は10人の統治者とか、10ヶ国の連合体のような帝国を表していると思われます。獣の国は10ヶ国連合です。 ※現在の欧州連合(EU)のことだとの指摘は早計である。かつて10か国であった加盟国も現在では27か国。これは患難期時代に登場する国である。
ダニエル書によれば、10本の角の中から1本の角が出て来たために10本のうちの3本が引き抜かれることになります(ダニ7・8)。その後、登場する1本の角が反キリストであり、獣の国を代表する支配者になるのではと考えられています。
また、獣の7つの頭とは、獣の帝国の統治における7段階を表すという説があるが、理解しやすい解釈だと思います。それによれば、患難期に登場する反キリストは最後の段階……つまり7番目の頭の時代の統治者であるわけです。※詳細は17章を参照。
すでに先の12章で見たように、赤い龍(サタン)も10本の角と7つの頭がありました。つまり、龍と獣は根は同じです。獣とは、龍(サタン)が人間の姿でやって来たような人物と考えてよいでしょう。
御子イエスが人として世に来られたのは、父なる神の栄光を見える姿で現すためであったのと同様に、獣は見えないサタンの邪悪さを見せてくれる人物です。御子イエスが「天の父とひとつである」お方であるように、獣は龍の化身のような人物です。彼らは根っ子ではひとつです。
とはいえ、獣は優秀で卓越した人物です。その秀でた才能ゆえに人々から称賛を浴び、人々は彼を全世界の統治者として承認するようになるでしょう。それほどのカリスマ的な人物です。
この獣すなわち反キリストは、何らかの事件で殺されたのですが復活を遂げます。「その頭の一つが、死ぬほどの傷を受けたが、その致命的な傷もなおってしまった」のです(黙13・3)。しかも、その反キリストがあのふたりの証人に打ち勝ったのですから、地上の人々は彼を統治者として承認し、崇めるようになるのです。その様子がこう預言されています。
「龍がその権威を獣に与えたので、人々は龍を拝み、さらに、その獣を拝んで言った、『だれが、この獣に匹敵し得ようか。だれが、これと戦うことができようか』。」(13・4)
龍である悪魔は、自分も神のように賛美を受ける者になりたいと願って堕落した元天使です。自分が神としてこの世を支配し、人々からの礼拝を受けたい。これが悪魔の本性です。だから、こうして龍は自分の化身である獣に力を与え、獣を通して自分が崇められるように画策するのです。
真実な礼拝は、神の御子イエス・キリストを通して天の父を礼拝することですが、この時代は大きな惑わしによって、獣礼拝は地にはびこることになります。 ※昔から悪魔礼拝をする人々がいるが、一般人にはおぞましくて身近な事ではない。しかし、この時代になると様態を変えて公然と獣への礼拝がなされるであろう。
(2)地から上ってくる獣、それはにせ預言者だ。
11節には、地から上ってくる「ほかの獣」が登場します。「ほかの」とは、〝まったく同じ性質であるほかの〟という意味です。ですから、龍と海からの獣と、そしてこの地からの獣とは形こそ違いますが同質の存在です。
この獣には「小羊のような角が二つ」あるのですが、これは宗教的な活動を意味します(13・11)。先の獣すなわち反キリストを神として礼拝するために、宗教活動をする獣です。
さらに「龍のように物を言った」とあるので、悪魔の代弁者です。巧みな言葉と説得力ある情報発信によって、人々を獣礼拝へと駆り立てるのでしょう。この獣なるお方こそ世界を救う神であると説明し、人々を惑わすのです。まるで預言者です。 ※インターネット上のフェイクニュースやAI技術によるフェイク動画が世界を惑わすだろう。技術が進めば見分けるのは至難のわざだ。「地からの獣」はそれらを巧みに利用するだろう。
かくして、民衆を獣礼拝へと導くのですから、この獣は別名〝にせ預言者〟と呼ばれます。初代教会の時代にも、にせ預言者に注意せよと警告がありましたが、彼らの背後には獣と龍の働きがあります。そして、患難期にいたって究極の〝にせ預言者〟が登場し暗躍するというわけです。※黙示録も「地からの獣」が「にせ預言者」だと証言している(16・13、19・20)。
にせ預言者なる獣の宗教政策は徹底しています。獣礼拝のために「獣の像」を各地に建立して礼拝を強要します(13・14~15)。また、獣を礼拝する者に「刻印」を押して、刻印のない者は経済活動ができないようにします(13・16)。
獣が人々の額か手に刻印を受けさせるわけですが、例えば微細な電子チップを埋め込むことも考えられます。実際に犯罪歴のある人に実用化され、行動を管理しています。また、自ら進んでチップを埋め込んで、その電子データでドアや車の開閉やカード決済をする人もいます。いまや現実の世界です。
電子決済が飛躍的に進み、インターネットによって経済活動は捕捉されて行きます。だれが何を買ったのか、どんなネットにつながっているのかをAIが管理しています。それは、やがてネットを牛耳る者が人々を支配する環境作りになるでしょう。
イエスを信じる私たちには「聖霊の刻印」が押されます(エペソ1・13)。聖霊の刻印を受けた者は偽りの神々を礼拝しません。否、したいと思わないのです。獣を拝むなら、内なる聖霊も我が霊も苦しみ悲しむからです。だから古代ローマ時代の聖徒たちも、この聖霊ゆえに、イエスを主と告白し殉教して行きました。ここにも聖徒たちの忍耐と信仰があります。
(3)獣の支配は一時的だ。必ず終わりが来る。
獣は終わりの時代に世界を支配し、その悪魔的な本性を現します。しかし「42ヶ月の間活動する権威を与えられた」に過ぎないのです(13・5)。それをゆるされたのは神です。
冒頭の聖句も「彼は聖徒たちに打ち勝つことをゆるされた」(13・7)とありますが、それをゆるされたのも神です。いかに獣が力があるようでも、神のゆるしがなければ彼は何もできません。
「神様!ひどいじゃないですか」と訴えたくなりますが、神はあえてそうなさる時があるのです。
総督ピラトはローマ帝国の権威の下で、イエス様を尋問してこう言いました。「私にはお前をゆるす権威も十字架につける権威もあるのだ」と。そのピラトに対してイエスは、「神がその権威を与えなければ何もできないのだ」とお応えになりました(ヨハネ19・10~11)。そうです。神にこそ本当の権威があり、すべてはその支配の下にあるのです。
私たちが順調な時、それは主がゆるされなければあり得ないことですから、高慢になることなく感謝しなければなりません。逆に、何もかもうまく行かない時、それも主がおゆるしになったのですから、意味のあることです。すべては神の御業が現れるためです。主を賛美しましょう。ここに〝聖徒たちの忍耐と信仰〟があります(13・10)。
(4)神は〝獣〟と〝家畜〟を区別される。
そもそも、神はなぜ、反キリストを〝獣〟と呼ばれるのでしょうか。
神は動物を創造なさったとき〝獣〟と〝家畜〟を区別して創られました(創1・24)。犬は家畜ですがオオカミは獣です。馬とシマウマ、猫とヤマネコ等々同様の区別です。似ていますが、獣と家畜は違います。 ※進化論では、人類がオオカミを飼い慣らしてやがて犬なったと説明する。オオカミと犬のDNAはほとんどが同じだが、残りの数%の違いは大きな差である。動物園の調教師はライオンや熊を飼い慣らしている。だからといってDNAの変化は起こりえない。遺伝子学の立場からは、オオカミと犬との違いには超えることのできない大きくて高い隔たりがある。この「遺伝子の壁」を乗り越えられない。
家畜は人になつきますが獣はなつきません。家畜は主人に仕える性質を持っていますが、獣にはありません。自分が主人です。反キリストも偽預言者も、そういう意味で〝獣〟です。
神に仕えず自らを神として生きる者は〝獣〟です。どんなに教養や能力があっても、神を主人とする謙遜と従順がない者は〝獣〟です。
私たちクリスチャンは獣ではなく家畜です。家畜の羊です。羊は弱い存在ですが、牧者に従います。牧者がいなければ生きられない存在です。まことの羊飼いであるイエスに聞き従う者です(ヨハネ10・1~6)。
牧者であるイエスに対して、常に謙遜と従順をもって仕える者でありましょう。ここにも〝聖徒たちの忍耐と信仰〟があります。
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