東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

行人坂

2013年10月27日 | 坂道

行人坂上 行人坂下 行人坂下 行人坂下 前回の権之助坂の坂上を右折し、ぐるりと回るようにして進むと行人坂の坂上である(現代地図)。坂上は、品川区で、上大崎四丁目1番と3番の間。

一枚目の写真は坂上から撮ったものであるが、このあたりから坂下は見えず、このちょっと先からかなり急に下っている。坂を下ると、ちょっと曲がっているが、ほぼまっすぐに下り、かなりの勾配であることがわかる。

以下、坂下から順に写真を並べる。

二枚目は坂下の突き当たりから坂上側を撮ったもので、このちょっと上で少々右に曲がっている。三枚目はそのちょっと上から撮ったもので、ほぼまっすぐに上っている。四枚目は、そのちょっと上側から坂下側を撮ったもので、かなりの勾配である。

となりの権之助坂は、急なこの坂を迂回する道としてつくられ新坂と呼ばれたが、この新坂の方がいまでは表通りとなり、こちらが裏通りとなっている。それでも、通行人がかなり多い。かなりの勾配があるにもかかわらずである。権之助坂のように長くないため近道に利用される、中腹に大円寺、坂下に目黒雅叙園がある、などのためだろうか。

二枚目に写っているように、坂下の歩道わきの埋め込みに坂の説明パネルが立っている。

行人坂下 行人坂中腹 行人坂中腹 行人坂中腹 さらに上って坂上側を撮ったのが一枚目の写真で、大円寺の門前が見えてくる。二枚目はそこから門前近くまで上ってから坂上側を撮ったものである。

三枚目は、門前からちょっと上ってから坂上側を撮ったもので、四枚目はそのあたりから坂下側を撮ったものである。門前のあたりで少し緩やかになってから、そこを過ぎるとまた急になる。

目黒区HPに次の説明がある。

『行人坂(ぎょうにんざか)は、下目黒一丁目8番の雅叙園西わきを北東へ、目黒川の太鼓橋から目黒駅の東方に上る急坂である。この坂は、江戸時代に権之助坂が開かれる前は、二子道として、江戸市中から目黒筋に通じる大切な道路であった。いまは、権之助坂の方が広くてにぎやかだが…

「江戸名所図会」には「目黒へ下る坂をいふ。寛永の頃、湯殿山の行者某、大日如来の堂を建立し、大円寺と号す」とある。

行人坂という名称は、湯殿山の行者(法印大海)が大日如来堂(現大円寺)を建て修行を始めたところ、次第に多くの行者が集まり住むようになったのでつけられたという。

また、この坂は「振袖火事」「車町火事」と並ぶ江戸三大火のひとつ(行人坂火事)とも関連して知られている。行人坂火事は明和9年(1772年)2月、行人坂の大円寺から出た火が延焼し、3日間も燃え続けたというものである。明和9年の出来事であったので、だれいうとなく「めいわくの年」だと言い出したので、幕府は年号を「安永」と改めたといわれている。

江戸名所図会 夕日岡 行人坂 現在、雅叙園のある付近一帯は、かつて「夕日の岡」と呼ばれ、紅葉が夕陽に映えるさまは実に見事で、品川の海晏寺(かいあんじ)とともに、江戸中に知れわたっていたところである。(「明王院の後ろの方、西に向かへる岡をいへり。古へは楓樹数株梢を交へ、晩秋の頃は紅葉夕日に映じ、奇観たりしとなり。されどいまは楓樹少なく、ただ名のみを存せり」「江戸名所図会」)。

行人坂が急坂であることは、権之助坂を下ったところにある「新橋」よりも「太鼓橋」が低い位置にあることからうかがえる。』

上の図は、江戸名所図会にある夕日岡・行人坂の挿絵(左半分)で、行人坂が太鼓橋から明王院、大円寺の門前を通って上っている。

また、品川区HPにも次の説明がある。

『「行人坂」の名前は、坂の南側に位置する大円寺に由来しています。江戸初期・寛永年間(1624)、この付近で住民を苦しめていた悪人どもを放逐するため、江戸幕府は奥州(山形県)湯殿山より高僧行人・大海法印を勧請して寺を開きました。法師は悪者どもを一掃し、その功績で、寺には「大円寺」の寺号が与えられました。寺には大日如来堂が建立され、多くの行人たちが周辺に住み修行するようになったため、「行人坂」と呼ばれるようになったと云われています。江戸時代の行人坂は、目黒不動と周辺地域とを結ぶ「目黒道」の一つで、江戸町中から目黒不動を参詣し、池上本門寺へ至る主要道路の途中に位置しています。』

行人坂中腹 行人坂中腹 行人坂中腹 行人坂中腹 一枚目の写真は、大円寺門前のさらに上側から坂下側を撮ったものである。二枚目はその上側から坂上側を撮ったもので、祠の前に坂の標識が見える。

三枚目はさらにその上から坂上側をとったもので、交差点のあたりで右にわずかに曲がっている。

四枚目はその交差点の上から坂下側を撮ったものである。このあたりでかなりの勾配となっている。

この坂は、『御府内備考』の下目黒町の書上に次のように記述されている。

「一坂 幅三間登り凡八拾間程 右者永峰町より入口ニ有之行人坂と相唱往古木食行者此辺ニ住居仕候ニ付里俗行人坂と申伝候」

幅三間(5.5m)上り約八十間(145m)の坂。永峰町の入口にあって、むかし木食[米穀を断ち木の実を食べて修行する]行者がこの辺に住んでいたので、俗に行人坂といわれたとある。上記の「江戸名所図会」によれば、寛永(1624~1644)の頃、湯殿山の行者が大日如来の堂を建立し、大円寺と号したが、そこにたくさんの行者が集まったことが坂名の由来というのが通説のようである(大円寺の説明板)。

御府内備考に目黒の坂がでてくるのはここだけのようで、珍しいが、それだけこの坂は目黒でもっとも歴史が古い。このあたりは府内と府外の境界のようで、そのためか、御府内備考での記述の絶対量が少ない。

同名の坂が都内の他にもあり、三番町の行人坂、渋谷の道玄坂、市ヶ谷のゆ嶺坂などで、後の二つは別名(の一つ)が行人坂である。

御江戸大絵図(天保十四年(1843)) 御江戸大絵図(天保十四年(1843)) 目黒白金図(安政四年(1857)) 目黒白金図(安政四年(1857)) 一、二枚目は御江戸大絵図(天保十四年(1843))の部分図、その拡大図、三、四枚目は尾張屋板江戸切絵図 目黒白金図(安政四年(1857))の部分図、その拡大図である。

両図に、この坂が坂名とともに見えるが、その坂上側が永峰丁である。近江屋板にも△ギヤウニンサカとある。この坂を通る道は、二子道で、江戸市中と目黒方面を結ぶ主要な道であったという。

明治44年(1911)発行の東京府荏原郡目黒村の地図に、この坂と大円寺が見え、昭和16年(1941)の目黒区地図にも同じように見える。

この坂は、現在もさほど道幅がないことやわずかな曲がりが残っていることもあって、これまで大がかりな改修はなされず、江戸時代からさほど変わっていないように思える。

行人坂上 行人坂上 行人坂上 行人坂上 一枚目の写真は、上記交差点近くから坂上側を撮ったもので、このあたりになると坂上が見えてくる。二枚目はその上から坂上側を撮ったものである。

三枚目はさらにその上から坂下側を撮ったもので、交差点とその近くのカーブが写っている。横関に坂上(の近く)から坂下側を撮った写真がのっているが、この写真は、坂そばに民家が見え、現在の雰囲気と違うものの、そのスロープや曲がりの感じが三枚目とちょっと似ているので、同じ所かもしれない。

四枚目は、さらに上ってから坂上側を撮ったもので、このあたりでようやく緩やかになる。 この坂は、永峰の台地から目黒川流域の低地にまっすぐに下るため、かなりの勾配になっている。この点で近くの富士見坂と似ているが、この富士見坂ができたのはずっと後の大正後期である。

権之助坂は、新坂でカーブがあり距離が長く勾配はさほどないので、両者は対照的で坂上が共通な謂わば好一対の坂になっている。

行人坂下 行人坂下 行人坂下 太鼓橋 この坂は、大円寺の門前をまっすぐに下り突き当たったところが坂下と思っていたが、目黒川にかかる太鼓橋から上るという説明が目黒区HPにあるので、突き当たりから先を紹介する。

一枚目の写真は、突き当たりを左折すると、道幅が広くなるが、その先でふり返ってから撮ったもので、右へ上るのが行人坂で、まっすぐに進むと、上り坂となって、権之助坂の中腹の下側近くに至る。

突き当たりを左折し、そのまま直進すると、目黒雅叙園であるが、その手前で右折すると、目黒川方面である。二枚目はその目黒川方面を撮ったもので、かなり緩やかであるが下り坂となっている。

江戸名所図会 太鼓橋 三枚目の写真は、目黒川の太鼓橋からふり返って坂上側を撮ったもので、四枚目の写真はその太鼓橋である。

左の図は、江戸名所図会にある太鼓橋の挿絵(右半分)である。本文によれば、柱を用いず、両岸より石を畳み出して橋とし、横面から見ると太鼓の胴に似ているので、このように名付けられたとのこと。

目黒区発行の「坂道ウォーキングのすすめ」にあるこの坂の全長、高低差、平均斜度は、240m、18.2m、7.2である。品川区HPには、延長150m、平均勾配約15.6%(≒8.9°)とある。目黒区は太鼓橋を坂下とし、品川区は大円寺門前をまっすぐに下った突き当たり付近を坂下としているための違いであろう。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
デジタル古地図シリーズ第二集【復刻】三都 江戸・京・大坂(人文社)
「大江戸地図帳」(人文社)
「東京人 特集 東京地形散歩」⑧august 2012 no.314(都市出版)
「昭和十六年大東京三十五区内目黒区詳細図」(人文社)
「荏原郡目黒村全図」(人文社)
「坂道ウォーキングのすすめ」(目黒区発行)
「江戸名所図会(三)」(角川文庫)

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